頭がうずく。
どうやら『アイツ』が目覚めようとしているようだ。
できればそのままずっと眠っていてほしい。このまま何も悩まされることがなくなってほしい。
囁かれていた間には気づかなかった自分の気持ちに、まさかこんな時に気づいてしまうとは。
そう、自分は。
(紋章の力で、全てを吹き飛ばしてしまいたい)
ゴドウィンをこの紋章の力で吹き飛ばすことができれば、どれほど簡単に事を進めることができるだろう。
だが、自分の母は最後までそれをしなかった。することができたのに、しなかったのだ。
強力な自制心で、実に二年もこの紋章を抑え込んでいたのだ。
(息子の僕ができなくてどうする)
──紋章が、目覚める。
幻想水滸伝V
『It's not hard to win the war.』
「矢の雨を降らせろ!」
ラグの指示で、船団から一斉に矢が放たれる。次々に敵船に刺さっていく矢。逆に敵からも矢が打ち返される。
「ひるむな! 盾兵は弓兵を守れ!」
ラグは戦闘の最前線に立っていた。ルクレティアからは良い顔をされなかったが、リオンが絶対に守りぬくと約束したため、折れた格好になった。
一方、ダハーカにいるルクレティアは頃合いを見計らって合図を送る。作戦決行の合図を受け取ったのはサイアリーズだ。
「ようし、出番だよ。船を前へ!」
サイアリーズの船が前へ進み出る。それを狙い撃ちするかのように襲い来る弓矢。だが、
「風の紋章!」
サイアリーズの紋章術によって、飛び交う弓矢が敵味方構わず明後日の方向へと流れていく。
「突撃!」
それを見て船足の軽い船が敵船に突入していく。女王騎士や歴戦の戦士たちが次々に船に乗り込んで、敵兵を倒していく。
「船の戦でも戦えることを、王子殿下にお見せいたしましょう」
呟いて敵船に乗り移ったのはベルクート。そこに群がる敵兵。だが、ものの十秒で剣を三回振り、三人の兵士を倒してしまうと、他の雇われ兵士たちは全員が引け腰になる。
「この船は王子殿下の軍がいただく! 拒むものはかかってこい!」
ベルクートの気迫に対して動けるものはいなかった。一人、また一人と剣を手放していく。
こうして一隻、また一隻とフェイタス軍は敵船を略奪していった。
「王子、あれを」
と、その時リオンが要塞の横手に一隻の軍船を見つけた。
「あれはゴドウィン軍とは違うようだな」
「旗印が違いますね。あれは──リンドブルム傭兵旅団です」
「あれが、そうなのか」
リンドブルム傭兵旅団。一つの国に属さず、世界中で活躍する傭兵たちの組織だ。その数は五千と言われているが、実際のところは分からない。
「戦いに参加するつもりなのかな」
「分かりません。こちらをじっとうかがっているように見えますが。どうなさいますか」
ラグが考えると、近くで声がした。
「行ってみたらいいんじゃないかなあ」
ぽわん、とした声だった。誰だろうと振り返ると、そこには連れてきた覚えのないビッキーがいた。
「ちょ、ビッキーさん! どうしてこの船に?」
リオンが驚いて尋ねる。
「? 最初からずっといたよ?」
「わ、私が気づかないなんて、そんな」
どうもリオンはこのビッキーという少女が苦手のようだ。まあ、最初に出会ったときからあまり良い印象はないのだろうが。
「ビッキーはどうして行った方がいいって思うんだい?」
「? だって、戦ってこないっていうことは、味方になってくれる人ってことだよ」
なんとまあ、気楽に言うものだ。だが、ラグは思わず笑ってしまった。
「ラン! 船をリンドブルム傭兵旅団の方に向けてくれ!」
そうして戦闘の最中、ラグの船が方向を変えて進んでいく。また独断専行とルクレティアに怒られるだろうか、と少し不安になったが。
「僕たちは戦うつもりはない! 話がしたい!」
船の先に立ち、両手を大きく広げて戦う意志がないことをアピールする。それで向こうが気づいてくれるかどうかは別だ。
だが、傭兵旅団の船はぴくりともしなかった。罠か、それとも本当に話し合ってくれるのか。注意しながらランは船を横につける。
「なにもんだ?」
甲板に出てきたのはボサボサした赤毛の男と、生真面目そうな男だった。
「僕はフェイタス軍のラグ。交渉がしたい」
「交渉?」
「そうだ。僕たちはあのヘイトリッド城砦を破壊しようと思っている。そうすればロードレイクに水を戻すことができる。そのための作戦を邪魔しないでほしい」
男は肩をすくめた。
「なるほどねえ。で、オレたちがゴドウィンの傭兵だと思って止めに来たってところか」
「違うのか?」
「半分はそうで、半分は違うってところだな。おい、ミューラー!」
ミューラーと呼ばれた生真面目そうな男がうなずく。
「ヘイトリッド城砦から協力の要請が来た。もっとも、支払は後払だからな。踏み倒される可能性が高い」
「ってわけで、オレたちは何もしないでここでじっと黙ってるつもりってわけだ」
なるほど、それなら邪魔にはならない。
「分かった。そういうことなら、すぐにここから船ごと離れてほしい」
「ああ?」
「船に乗っていると僕らの策に巻き込まれることになる。僕はあの城砦を破壊するのに、犠牲者を出したくはないんだ」
そう言うと、男は大きな声で笑った。
「戦争中に敵の心配かよ」
「ああ。今戦いを仕掛けているのも、次の作戦の下準備だ。あの城砦から敵兵を外に出さないといけない。そのためには船を封じ込める必要がある」
「封じ込めるだあ?」
「なるほど、それでフェイタス軍の動き方がおかしい理由がわかった」
ミューラーが顎をさわりながら言う。
「フェイタス軍は敵船を奪うか、後退させるか、そのどちらかになるように敵を攻撃している。ゴドウィン軍を一度城砦に引き上げさせ、その上でお引き取り願うっていう考えか」
「おおむね、そんなところだ。だから近くにいると巻き添えを食うことになる。早く避難してほしい」
「避難ねえ」
男がこちらの方をじろじろ見る。
「おい、どうするミューラー」
「好きにしろ」
「じゃ、そうするぜ。おい、王子さんよ!」
「なんだ?」
「オレたちを雇うつもりはねえか?」
ラグは目を見張った。
「リンドブルム傭兵旅団を? 僕たちにはそんな大金を払う余裕はないよ」
「安心しろ、そんな法外な金額にゃしねえよ。それに今、金がないんだったら出世払いでもいいぜ。何しろこの後ゴドウィンを倒して城に戻るんだろ?」
なるほど、それなら確かに払える──財布はゴドウィンのものを使えばいい、ということだ。
「僕は別にかまわないけど、君たちはそれでいいの?」
「俺は面白い奴の見方をするのが大好きなんだ。それに、そこに綺麗な姉ちゃんもいるしな!」
「またか」
ミューラーが頭を抱えた。ヴィルヘルムがにやついた顔で見ているのはビッキーだった。何で見られているのか分からないビッキーは「?」と首を傾げていた。
「なんでもすぐ女の尻を追いかけるな」
「なーに、どうせなら男ばっかりの軍より綺麗な姉ちゃんがいる軍の方がいいに決まってるじゃねえか!」
「否定はせん」
「それなら決まりだな、王子さんよ! 俺はヴィルヘルム。リンドブルム傭兵旅団ヴィルヘルム隊のリーダーだ!」
「俺はミューラーだ。それからここにヴィルヘルム隊合計五十人──いや、一人少ないから四十九人。残らず王子の見方になることを約束しよう」
「ありがとう。お礼は必ず」
「なーに、ゴドウィン軍を倒せば金なんかすぐ手に入るだろ。ってことで、野郎ども、おっぱじめるぜ!」
ヴィルヘルムの号令で、リンドブルム傭兵旅団の船も動きだす。既に相手を『封じ込める』ということで理解しているリンドブルムの船が、誰よりも一番効果的に動いた。逃げ出そうとする敵船を食い止めて城砦へ追い返す。矢の雨を降らせながら徐々に包囲を縮めて、完全に相手を押し込んでしまった。
「すごいな、リンドブルムっていうのは」
ラグが目を見張っていると、やがて城砦の中から大きな銅鑼の音が聞こえてきて、船が城砦の中へと引き上げていった。
「作戦成功だ」
ラグが言うとリオンも頷く。そしてダハーカから合図が来る。
「よし、ラン、引き上げてくれ!」
そしてフェイタス軍は引き上げていく。それはあたかも、城砦を攻略するのを観念して引き上げていくかのようだった。
戻ってきたラグにくってかかってきたのはトーマだった。というか、トーマがこの戦いに参加していたことをラグはこのとき初めて知った。
「どういうことだよ! あのまま城砦に乗り込むんじゃないのかよ!」
作戦は当然誰にでも教えているわけではない。敵船を『封じ込める』ことは伝えられていても、それからどうするかを聞いていない人間にとって、しかも城砦を破壊すれば故郷をよみがえらせることができるロードレイクの人間にとって、これほど納得のいかないことはないだろう。
「落ち着け、トーマ」
間に割り込んできたのはゲッシュだ。
「王子には何か考えがあるんだ。お前が口を出す問題じゃない」
「でもよ、ゲッシュのアニキ!」
「いいから黙っていろ。俺は、ラグ王子を信じる」
そうしてトーマを黙らせると、ゲッシュはラグを見てうなずく。
「ありがとう、ゲッシュ」
「いいや。それよりもこれからどうやってあの城砦を破壊するのか、見させてもらう」
「ああ。期待しててくれ」
そしてやってきたのはルクレティア。それにヴィルヘルムとミューラーだった。
「どうも、ご協力ありがとうございます。リンドブルム傭兵旅団のヴィルヘルム隊長と、ミューラー副長ですね」
「なんだ、オレたちのこと知ってんのかい」
「もちろんです。リンドブルム傭兵旅団がこの国に来ているというだけで相当話題になるものです。でも、この間は雇われる相手を間違えていたみたいで」
「そうなんだよな! ったくこの国の貴族ってヤツはよ!」
ヴィルヘルムがいきなり怒り心頭になる。
「どういうことだい?」
「それが聞いてくれよ王子さん。オレたちはこの間までバロウズんとこに雇われてたんだよ」
それはまた、気の毒に。
「あいつらとんでもない連中だぜ。金の払いは悪い、おまけに後から金額を小さくしようとしてくる。もうやってられなくなって飛び出してきた」
「せめて働いた分だけでももらってくるべきだったな」
「どうせいつまでも払わないから時間の無駄だっただろうぜ」
「それは否定せん」
ヴィルヘルムとミューラーの掛け合い漫才にルクレティアが笑う。
「ですが、我々も大差ないですよ? リンドブルム傭兵旅団に支払うだけのお金を持ち合わせておりません」
「ああ、そいつは王子さんからも聞いたぜ。でもゴドウィンを倒せばそこから金をふんだくれるだろ? それで払ってくれるなら構わないぜ」
「バロウズさんみたいに踏み倒すかもしれませんよ?」
「そうかな。そこの王子さんは、そういうところでけちったりしない人間だと思ったから協力する気になったんだけどな」
「同感だ。ゴドウィンやバロウズは足元ばかりを見てきた。だが王子は『お金はない』と最初から言った。これは大きな違いだ」
「正直に言っただけだけど」
「それでいいんだよ。オレたちゃそれが気にいったんだからな。それに、この軍は軍師さんをはじめ綺麗な姉ちゃんがたくさんいるみたいだし、オレは断然気に入ったぜ!」
「あらあら」
ルクレティアはくすくすと笑う。
「それでは歓迎いたします。王子、お手柄ですね」
「僕は本当に、思ったことを伝えただけだよ」
あのまま戦闘に参加せず、あの場所にとどまっていたなら、これからの作戦で完全に巻き込まれる。そうなったら旅団四十九人は全滅間違いない。そんな不毛な犠牲はこの戦いに必要なかった。
「それから被害報告です。今回の戦いでの死者はゼロ、重傷者二名、軽傷者三九名でした」
「命に別状は?」
「ありません。重傷者も後に後遺症が残るようなものではないと思います」
「そうか、よかった」
心底ほっとすると、それを見たヴィルヘルムとミューラーが感心した。
「本当に変わった王子さんだ」
「そうだな。上に立つ者は、下の人間のことなど何とも思わないと思っていたが」
そうした面も、この二人の傭兵には新鮮に映ったようだった。計算してのことではないが、いや、ルクレティアにしてみればすべてが計算づくだったのかもしれない。
(相変わらず怖い人だ、ルクレティアは)
だが、そのおかげでフェイタス軍は成り立っている。本当によい軍師を連れてきたものだと思った。
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