【少しは考えが変わってきたか、王子よ】

 くっくっ、と頭の中で笑う声が始まる。あまり長持ちはしなかったな、と隠れてため息を打つ。

【お前も既に自覚したのであろう。その力に身を任せることの快楽を。我は真の二七の紋章の中でも破壊に特化した最強の紋章ぞ。我が力をもってすれば、この地上で逆らいうる者などない】

(それで、他人から恐れられて、慕われない人生になるのなら、僕はそんなもの真っ平だ)
 ラグは必死に言い返す。とにかく、この紋章は自分の体を利用して破壊活動をしたがっている。この欲望には絶対に負けられない。
(僕はお前に負けない。太陽の紋章の力は、金輪際誰にも使わせない。もちろん、僕にも)

【仲間が倒れ、もはや勝ち目がなくなったとしても、我が力は使わぬと申すか】

(使わない)
 それでは誰も幸せになれない。
(僕は絶対に、お前を認めない)










幻想水滸伝V





『蘇る街と滅びた都』










 ビッキーのテレポートで再びシンダルの遺跡までやってきた。今回のパーティメンバーはラグとルセリナ、リオンまでは確定で、その他にシンダルハンターのツヴァイクとローレライ、そして完全にルセリナの護衛を兼ねるということでベルクートにも来てもらっていた。
 そのうち、ヘイトリッド城砦に異変が起こった。突如立ち上る火柱。ルクレティアの作戦が見事に的中し、城砦から次々に兵士たちが逃げていく。
「本命は水。その前に火であぶりだすなんて、ルクレティアは本当に人が悪いな」
 もっとも、ルクレティアはそんな単純に敵兵が逃げ出すなどと考えていなかった。だからそれについても手を打っていた。徴兵で連れてこられた、という名目でシグレを先にこのヘイトリッド城砦に忍び込ませていた。
 そしてログの船が激突し、ヘイトリッド城砦が火に包まれるとシグレは一目散に「俺は逃げるぞ!」と辺りに言いふらして我先に逃げ出す。パニックを装い、周りの兵士たちが冷静に考えられないようにする。
 ヘイトリッド城砦はあくまでも地方拠点にすぎず、ゴドウィンへの忠誠心が厚い者がいないことも幸いした。結局要塞に残ったのはほんの一握り。徴兵で集めてこられた兵士たちは誰も残りはしなかった。
「始めるぞ、王子」
 ツヴァイクの言葉にラグも頷く。急いで遺跡に入り、黎明の紋章の間へとやってくる。
「ルセリナ嬢、頼む」
「はい」
 ルセリナが黎明の紋章を掲げた。そして扉と柱がそれに反応して、柱が地中に沈んでいく。それが遺跡を起動する鍵。






 そして、湖がずっとため込んでいた水が、一斉に踊り狂う。
 城砦へ水が到達するまで、ほんの数分だった。
 その数分で、城砦は完全に飲み込まれ、濁流に押し流され、つぶされ、そして、残骸となった。
 城砦から外へ逃れていたゴドウィンの兵たちは、一時間前まで自分たちがいた場所を愕然と眺めていた。
「お、俺たち、あそこにいたら死んでいたんだな」
 誰かが呟いた。シグレはその言葉を待っていた。
「ま、まさか、王子たちが火船をつっこませてきたのは、俺たちを城砦から逃がすためだったんじゃないのか?」
 一言でいい。
 その一言が、徴兵されて嫌々ゴドウィンに従っている者たちを啓蒙することになる。
 それに。
(俺が言ったことは事実だしな)
 そしてシグレは呆然とする兵士たちを尻目に、その場を離れた。



 そのままの勢いであれば、危うくロードレイクすら飲み込んでしまうところだっただろう。だがルクレティアにはぬかりがない。きちんと堤防が築かれ、ロードレイクの町に流れ込んでくる水が適量になるように量られている。
「水だ」
 誰かが言った。

 干からびた土地に、突如流れ込んできた碧く輝く生命の源。
 二年もの間、満足に触れることすらできなかったものが。
 今、自分たちの目の前に、広がっていく。

「水だーっ!」
「本当だ! 水だっ!」
「ロードレイクに、水が戻ってきたぞーっ!」

 ロードレイクの村人たちは、自分たちの目からも涙を流して歓声を上げる。
「本当に、やってくれましたな」
 タルゲイユもまた、この感動に涙腺が緩んでいた。
「うむ。あの王子、甘やかされているかと思っていたが、ずいぶんとやるものだ」
 ロードレイクで病人を見ていたシルヴァもまた、笑顔だった。



「本当に、水が来たのか」
 トーマが湖に手を浸す。
 冷たい。
 しばらく忘れていた感触に、とめどなく涙が流れていく。
 水がなかったせいで、たくさんの人が死んだ。
 自分の目の前で倒れてなくなった人もいた。
 ずっと、ずっと耐えてきた。
 水が戻ることをこんなにも願っていたはずなのに。
「なんで、もっと早くできなかったんだよ……っ!」
 それは、喜び以上に強く感じた、自分の無力さへの激しい憤りだった。



「本当に、水が戻ってきたのか」
 ゲッシュもまた、その光景を見ていた。
 王子は約束を守った。この町に水を取り戻すと宣言し、それを実行した。
 いや、違う。王子はやるべきことをただやっただけなのだ。それにひきかえ、自分たちはどうなのだろう。生きるために何をしてきたのか。現状に不満を言うばかりで、何もしてこなかった。戦うことも逃げることもせず、その場で死ぬまで我慢していただけだった。
「王子の言う通りだな。欲しいものがあるなら、奪われたくないのなら、戦わなければならない」
 その王子は、自分が奪われたものを取り戻すために、これからもやるべきことをやり続けるのだろう。
「俺は、この恩を返さなければならない」
 王子は人気取りのためにこの町を救ったのかもしれない。少なくともあの怖い軍師はそう考えていたに違いない。
 だが、王子は真剣に自分たちのことを考え、悩み、行動した。それを自分はすぐ傍で見ていた。
 そして、この町を取り返す以上のことをしてくれたのだ。
「俺はもう、誰にもこの町を渡さない」
 王子のおかげでその覚悟ができた。水より町より、それが何よりの贈り物だったのだ。



 ロードレイクに注がれる水を見て、思うことは人それぞれだった。
 だが、誰しもこの奇跡的な光景を目の前にして、泣かずにはいられなかった。
 そして──
「あれは、なんだ」
 最初に気づいたのはローレライだった。
 水が引いていくセラス湖から、何かがせりあがってくる。いや、水が引くのと同時に、今まで隠れていたものが露になる。
「そうか、なるほど」
 ツヴァイクが納得した。
「セラス湖はこれを隠すために作られたのか」
 それは、城だった。
 セラス湖から現れた、巨大な城。
「王子、どうなさいますか」
 リオンが尋ねてくる。もちろん答は決まっている。
「行ってみよう」
「当然だ」
 ローレライがやる気満々でうなずく。
 水位が下がった場所に道が準備されていて、そこから城へと渡ることができた。
 六人がその遺跡にたどりつくと、近づいて分かるその美しさにしばらく言葉もなかった。
「これはいったい、何でできているんだ」
 ツヴァイクが壁に触れて呻く。
「ずっと水の中にあったのに、綺麗なものなんですね」
 リオンが何の気なしに言う。
「いいところに気がついたな」
 ツヴァイクが壁を調べながら言う。
「普通ならコケや水草がこびりついていてもおかしくない。それにこれほどの場所なら小魚にとってはよい繁殖地だっただろう。だがそんな気配もない」
「水の中にあったとは思えないな」
 ローレライもそれに続いて言う。
「実際、水の中にはなかったのかもしれないな。シンダルの技術、どうなっていることやら」
「調べることは山ほどありそうだ」
 ツヴァイクとローレライが楽しそうにしているが、リオンはもっと楽しそうだった。
「そうだ! いっそのこと、この場所を私たちの本拠地にしませんか?」
 その提案にツヴァイクとローレライが愕然とした表情を見せた。そんな顔を見るのは初めてだなと思った。
「この貴重な遺跡を、戦争の道具に使うというのか!? なんという冒涜!」
「……すまないが、少し中を見てくる。つきあっていられん」
 ローレライがさっさと出ていく。
「待て! そう言って、中の貴重なものに手を出すつもりではないだろうな!」
 そのローレライをツヴァイクが追いかけていく。
「いいのですか?」
 ベルクートが尋ねてきた。
「いいんじゃないかな。別にこの城が僕らの物って決まったわけでもないし。それに二人はこの城そのものに興味があるんだから、何かを持ち逃げすることもないと思うよ」
「それじゃあ、私、ひとっ走り、ルクレティアさんのところに報告に行ってきます! ベルクートさん、その間、王子のことよろしくお願いしますね!」
「了解した」
 そう言ってリオンが颯爽と駆け出していく。
「その間、どうなさいますか、王子?」
 ルセリナが尋ねてくる。
「そうだね、僕らもゆっくりこの城を見て回ってみようか」
 特別することもないのなら、建設的に時間を使った方がいい。そう考えてラグは二人を連れてあちこちの部屋を見回っていく。
「ドアもしっかりしていて、新しく作ったばかりっていう感じだね」
「本当に、どういう技術なんでしょうか」
「まるで作った直後のようですね。湖の中で時を止めていたかのような」
 湖の底の方まで水が全てなくなったわけではない。もっと水が引いていけば、さらに地下の深いところまで行けるようになるかもしれない。
 いずれにしても現状では無理だ。ルクレティアやツヴァイクに相談しなければ何ともならない。
 階段を上がって最上階へ。するとそこにはツヴァイクとローレライの姿があった。
「ここにいたのか」
「む、王子か。ちょうどよかった。これを見てくれ」
 さっきのことは何もなかったかのように壁面を示す。
「これは黎明の紋章?」
「それを象ったもののようだ。遺跡の起動に黎明の紋章が必要だったことからも分かるが、この遺跡は黎明の紋章に深くかかわりがあるようだな」
 ルセリナがラグを見てうなずき、紋章の宿る右手を掲げる。
 すると、壁面の紋章が輝き、部屋の中に白い光が満ちた。
「くっ」
「な、なんだ?」
 ツヴァイクとローレライが声を上げる。直後、五人の脳裏に知らない映像が浮かんだ。

 それは、肥沃な大地が、激しい光の中に消滅していくという映像。

 時間にして、その映像はほんの十秒くらいのものだった。
 だが、そのリアルな映像は、まるで実際にあったものを見たかのようだった。
「な、なんだ、今のは」
 ツヴァイクが茫然と周りを見る。
「ツヴァイクにも見えたのか」
「ということは王子もか。全員見えたのか?」
 ルセリナにローレライ、そしてベルクートも頷く。
「今のは、なんだったのでしょう。何か遺跡のようなものがあって……」
 遺跡から一条の光が夜空に立ち上り、そして地上を明るく照らした。
 そして、光が四方を貫いた。肥沃な大地はやがて、その中に消えていった。
「母上が、ロードレイクのときに使った太陽の紋章の光みたいな輝きが起こっていた」
「そうか、太陽の紋章か」
 ツヴァイクが納得したように言う。
「以前、別の遺跡でシンダル族の石版を見つけ、私はこのセラス湖へとやってきた。その石版によると、この地にはシンダル『以前』にもひとつの王朝が栄えていたというのだ」
「シンダル以前。まさか──」
 それは女王家に伝わる伝説。ファレナ女王国よりも前に『太陽の紋章』を使っていたという伝説の王朝。
「そうだ。シンダル族は知っての通り『変化の紋章』の呪いにより定住することができず、各地を渡り歩いていたからな。だからこの大陸だけではなく、各地にも遺跡があるのだが──その話はおいておこう。今はその話をするところではない。その王朝、古代アーメス王朝のことだ」
「古代アーメス王朝」
「ああ。その石版には確かにそう書いてあった。『太陽の紋章』の力で繁栄したが、一人の暴君が紋章の力を暴走させ、たった一夜にしてその王朝は滅びた」
「たった一夜で。じゃあ、さっきの光が」
「紋章が見せた、その当時の記憶なのかもしれんな。ゆえに、この地には古代アーメス王朝の遺跡は何も残されてはいない。それから何百年、もしかしたら何千年もしてから、この地に再び『太陽の紋章』が現れた。ファレナ女王国の初代女王はシンダル族だったというが、その女王が聖地ルナスに太陽の紋章と、それを支える二つの紋章、黄昏の紋章と黎明の紋章を携えて降臨した……とされている。まあ、王子には釈迦に説法だな」
 それより、太陽宮でしか教わらない知識をどうしてツヴァイクが知っているのか。シンダル族の遺跡を調べても、シンダル以後のファレナ女王国のことなど調べようがないはずなのに。
「何も知らないくせに、いつも事態の中心にいるのですね」
「あなたは、あのときの」
 太陽の紋章と黎明の紋章が二人に宿ったときに現れた黒いフードの女。
「何者だ?」
 ツヴァイクが尋ねるが、女は無視してラグに話しかけてくる。
「認めたくはありませんが、あなたたちが太陽の紋章と黎明の紋章に選ばれたのは偶然ではないのかもしれません」
 偶然──そんなはずがない。何しろあのとき、太陽の紋章は、太陽宮からまっすぐに王子のもとへやってきたのだから。
「しばらく、近くで見極めさせてもらいます。いいですね?」
「勝手なことを」
 ローレライが毒づく。
「説明がほしいな。あんたは何者で、何が目的だ? この遺跡か? それとも王子の紋章か?」
 ツヴァイクが尋ねるが、それも無視。
「近くにいるというのなら、名乗るのが礼儀というものだろう」
 ベルクートの言葉に、女はようやくちらりと視線を送る。
「私の名はゼラセ。ですが、これ以上の説明は拒否します。私はシンダル族とは無関係です。この遺跡についても、先ほどの幻影についても、何も話すことはありません」
 ツヴァイクもローレライも、そう言われてしまっては何も口にできない。
 沈黙を破ったのはルセリナだった。
「ですが、あなたは以前、王子を殺すと言いました」
 ルセリナの視線は厳しい。王子のかわりに自分が戦うと言わんばかりに。
「そんな人を、王子の傍に置くわけにはいきません!」
「殺すつもりなら、とうに殺しています」
 だが、ゼラセはあっさりと言う。
「そうするべきではないと判断したからここに来たのです。そして王子。私は、私にできる限度内で、あなたに協力もしましょう」
「協力?」
「そうです。知識は与えるだけで貸すことはできませんが、力は与えられずとも貸すことができる。私にできるのは、貸すことだけです」
「いけません、王子。この人は──危険です」
「私も反対します。いつ寝首をかかれるか分からない」
 ベルクートもルセリナに味方した。ツヴァイクは自分の知ったことではないと言いたそうだが、ローレライは違った。
「王子。仲間として、私の意見を言ってもいいか」
「ああ。なんだい?」
「この人は信用はできないが信頼はできる。私は、仲間になってもらう方がいいと思う」
「……良い表現です」
 普通なら『信用はしても信頼はできない』というところだろう。だが、ローレライはあくまでも言葉を逆に使った。
 信用は人間的な評価であり、信頼はその上に成り立つものだ。だからふつう、これを逆にすることはできない。だが、この人物にはそれが当てはまる。何故か。
 それは、彼女の目的がきっと自分たちとは違うところにありながら、求める結果だけを見るなら同じことだからだ。
「ありがとう、ローレライ。君を仲間にしてよかったと心から思う」
「……別に、私は思ったことを言っただけだ」
 ローレライは顔をそむけた。
「ゼラセ。君の力を貸してくれ」
「いいでしょう、王子。必要なときは言いなさい。そして、あなたが私にとって害となることを見極めたなら、そのときは無論──」
 一拍、間を置いた。
「──殺します」






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