もしも母上が、他にも太陽の紋章を使ったというのなら、絶対にその痕跡が残っているはず。
 ロードレイクのように、その爪痕が必ず残っているはずなのだ。
 だからこそ、紋章の囁きは嘘だと断定できる。

【もちろん、あれほどの巨大な破壊はそうそう起こせるものではない】

 そう。母上は太陽宮からこの二年間ほとんど出たことがないのだ。だから母上が太陽の紋章を使ったとなれば、絶対に誰かに気づかれるはずだ。

【紋章の魔法は四段階。そして、真の紋章はその上に最高級の魔法がある。それは理解しているな?】

 それが、かつて古代アーメス王朝を滅ぼした魔法。当然理解できる。

【アルシュタートは額に宿した太陽の紋章を、四段階目まで完全に使いこなした。良かれ悪しかれ、それがあやつを正気にもさせ、不安定にもさせた】

 ──それは、どういう。

【やがて分かる──王子よ、貴様が破壊の衝動に身を任せる日が楽しみだ。お前はきっと、最後の魔法まで、完全に使いこなすことができるだろうからな】










幻想水滸伝V





『戦う覚悟』










 そのとき、ワシールの館に若者が飛び込んできた。
「ワシールさん、大変だ! 西の奴らがまた“人狩り”をしてきやがった!」
 人狩り。その物騒な言葉に一同に緊張が走る。
「またですか。オロクもいよいよ見境がなくなってきましたね」
「ワシールさん。その人狩りというのは?」
「西の連中による強制的な徴兵ですよ。何人もの男たちが連れていかれ、帰ってきません。よければ殿下、現場をご覧になりますか」
「見ておこう。見て見ぬふりは僕の流儀じゃない」
 そうして、一同は現場まで案内された。
 そこには泣き崩れる老婆と、それを慰め、憤る人たちであふれていた。
「あそこの婆さんは息子夫婦がなくなって、孫一人だったからなあ。やりきれんよ」
「ったく、西の連中は、こんなことしてたらレルカーから男が誰ひとりいなくなっちまうよ!」
 誰もが不満を口にする。なるほど、このままではレルカーが内部分裂を起こして内乱になってもおかしくはない。
「状況が悪いね」
「だが、この混乱をまとめることができれば王子の株は上がる」
 ローレライの言葉に、思わず苦笑する。
「評価されているね、僕は」
「私は王子が見込みのある人物だからついてきている。当然、この事件もうまく解決してくれるのだろう?」
「そうなることを願っているよ。ただ、できればあまり犠牲の出ないやり方にしたい」
「犠牲?」
「たぶん、戦いは避けられない。レルカーを本気で僕らの仲間にしようとしたなら、女王騎士が黙っていないだろうからね」
 なるほど、とローレライがうなずく。
「守りたいものがあるなら強くならないとね」
 リヒャルトがにこにこ笑顔で言う。
「奪われるのは弱いからだよ。奪われたくなかったら自分が強くなるしかない」
 それは力だけを追い求めた者の真理なのだろう。はたしてリヒャルトがそういう考えにたどりつくまでに、いったいどれだけの人生を歩んできたことか。
「全員が全員強かったら、リヒャルトの立場がなくなるよ」
「あ、そうか。それもそうだね」
 それで納得するあたりがリヒャルトの子供らしさということか。
「シグレ。一つ頼みがある。あの人のお孫さん、どこに連れていかれたか、調べてくれないか?」
「そいつは命令ですかい?」
「僕は仲間に命令はしないよ。これはお願いだ」
「……命令してくれた方が、愚痴を言いやすいんですがねえ」
 すぐにシグレの姿が人ごみに消える。
「王子。この場をなんとか収めたとしても、西の人たちの人狩りは続くのではありませんか?」
 リオンが尋ねてくる。当然だね、とうなずく。
「だからこそ早急にこの事件を解決しないとね。オロクさんに会いに行こうか。ただ、どうやって会うかなんだけど……」
 そこまで話したときだった。
「ヴォリガさん!」
「聞いてくれよ、また人狩りにあったんだ!」
 ヴォリガ──レルカー三派代表の最後の一人。
「ワシールさん。あの方がヴォリガさんですか」
「そうです。たくましい男でしょう。見た目通り、熱血漢でしてね。曲がったことが大嫌いな人間なんです」
「それは話があいそうだ」
 もちろん自分も曲がったことは大嫌いだ。特に、国を盗む大泥棒なんかは。
「こうなったらオロクのところに攻め込みに行こうぜ!」
「そうだそうだ! 俺たちは奴隷でもなんでもねえ!」
「ヴォリガさん! 俺たちを率いてくれよ!」
「待て待て! 血気にはやるな! レルカーの民同士がいがみ合うなといつも言っているだろうが!」
 だが、ヴォリガはその民衆をなだめる。その声がよく響き通るので、次第に全員の声が小さくなった。
「ここは俺に任せてくれ。俺が直接オロクの奴と話をつけてくる」
「そ、それは危険だ! あんなところに言ったら命がいくらあってもたりねえ!」
「これでもレルカー三派の代表だ。オロクの奴だって無謀なマネはしねえだろうよ!」
 と、言い捨ててヴォリガが歩き出す。が、それより早くカイルがその前に回った。
「ちょーっと待ってくれますかね、ヴォリガさん」
「うん? おめえ……まさか、カイルか!?」
「お久しぶりです、ヴォリガさん」
「どうしてこんなところに──!」
 と、ヴォリガの目が見開かれた。その視線の先にいたのがまぎれもなく、ラグシェリード王子その人だったからだ。
「あ、あ、まさか……」
「そのまさかなんで、少し話、いいですかね。なに、悪いようにはしませんよ。少なくとも現状よりはね」
「そういうわけです、ヴォリガ。ここはちょっと、顔を貸してくれませんか」
「ワシール、てめえの差し金か」
「われわれには見方が必要です。そうでしょう?」
「ちっ……わかったよ、とりあえず話だけでも聞いてやらあ」
「ありがとうございます。それではひとまず、私の家へ」
 こうして、現場を見た王子たちは再びワシールの家へ戻る。
「いかがでしたか、殿下」
「見ておいてよかったよ。思っていた以上にレルカーの状況が悪いことが理解できた。担当している女王騎士が誰かは分からないけど、最小限の労力で最大限の効果を出しているね」
「どういうことですかな」
「オロクさんが徴兵をしなければいけないのは、女王騎士からの圧力があったからでしょう。もちろん、それでオロクさん自身もいい目を見ているでしょうけど。女王騎士はたった一言、兵士がほしい、と言えばいい。もしも徴兵できないようならレルカーを制圧するぞ、と脅しをかけてね」
「なん、だとお!?」
「じゃあ、オロクは……」
「人狩りでもして兵士を差し出して、レルカーを守ろうとしているのかもね。まあ、話してみないとわからないけれど」
「確かにオロクは、レルカーの利益になることを優先する男でした。それがどうしてこんなことをしでかすのか分かりませんでしたが……確かに、そう考えれば辻褄があいます」
「信じられるかよ! そうやって町の男がいなくなったら、レルカーが制圧されるだけじゃねえか!」
「そうですね。ただ、現実的に味方のいない状況で逆らっても、実際に制圧されるばかりでしょう。だとしたらオロクには他に方法がない」
「ちっ」
「まあ、それは僕がオロクさんを最大限よく見た場合だ。もちろん女王騎士と結託してこの街から搾り取ろうとしている可能性だって否定できない」
 王子がそう言うと、扉が開いてシグレが戻ってくる。
「だいたいのところは調べてきた」
「ありがとう、シグレ。それで?」
「男たちはオロクの屋敷に連れていかれた。予定では今日、男たちの引き渡しの日になっているらしい。人数は五人。十日ごとに五人ずつ差し出すことになっているんだと。それが果たされない場合はレルカーを強行制圧するそうだ」
「強行制圧ですって!?」
「ちっ」
 ワシールとヴォリガが動揺する。
「あと、王子さんはあまり表立って動かない方がいいかもしれない」
「というと?」
「オロクの旦那、見張りがついてる。たぶん、女王騎士の差し金」
「女王騎士は誰かまでわかる?」
「ザハークって名前なのは分かった」
「ザハークか」
 彼の行動には無駄がない。その場に応じて一番効率的な方法を取る。彼の立場でもし自分がレルカーにいることが知られたら、どんなことをしても自分を殺しに来るだろう。そして、言葉一つでレルカーを右往左往させるのは、まさに彼ならではだ。敵にするとこれほど厄介な相手だったとは。
「ザハークさんねえ。そんな悪どい人には見えなかったけどなあ」
「王子や女王陛下を裏切った人ですよ。悪いに決まってます!」
 カイルの言葉にリオンが激昂する。
「女王騎士ってどれくらい強いのかなあ。一度手合せしてほしいなあ」
 リヒャルトが笑顔で言う。はたして傭兵旅団の“剣王”と女王騎士。どちらが強いか。
「こういう場合じゃなかったら、ぜひその戦いは見学したいところだね。でも、そうしたら少し難しくなったな。ザハークの目が届いているのに、直接オロクさんと話せるかな」
「そうですねえ。それじゃあいっそのこと、こういうのはどうですか?」
 カイルが耳打ちしてくる。それを聞いて、思わず吹き出してしまった。
「できるのかい?」
「まあ、リオンちゃんとシグレさん、それにリヒャルトくんの協力を借りれば」
「任せるよ、カイル」
「任されました。王子に頼られるの、結構嬉しいですね」
 にやにやと笑ってカイルが『作戦会議ー!』と三人を連れて出ていく。
「だ、大丈夫なんでしょうか?」
 ワシールが不安そうにつぶやく。
「ま、あいつのことだ。なんとかするだろ」
 旧知のヴォリガもそれくらいしか言えなかった。
「ローレライ、頼みがあるんだけど」
「分かっている。可能な限り、急ぐ」
「ありがとう。頼りにしている」
「ああ」
 と、答えてからローレライは少し考える。
「何?」
「いや、さっきの会話を思い返していた」
「さっきの?」
「ああ。王子に頼りにしてもらう。これはなかなか、やみつきになりそうだ」
 そう言って、ローレライは駆け出していった。それは照れ隠しだったのかもしれない。






 それから二時間後。ワシールの館に戻ってきた四人だったが、カイルが大きな荷物袋を抱えていた。
「大成功ー!」
 カイルは起用にVサイン。リオンが苦笑し、リヒャルトはニコニコ笑顔、シグレはため息をついていた。
「なんですか、この荷物は」
「ま、とりあえず開けてみてよ、ワシールのおっちゃん」
「はいはい。開ければいいんですね」
 ワシールがその袋を開けると、そこにあったのは──いや、そこにいたのは、まさにオロクその人だった。
「お、お、お、オロク!?」
 オロクは両手両足をしばられ、猿轡をかませられていた。リオンがその轡をはずす。
「ワシール! きさまのしわざか!」
「いやいやいやいや! 私は何も知りませんよ!」
「たまげたなあ……」
「ヴォリガもか! ったく、こんなことしてる場合じゃないというのに!」
「でしょうね。約束の刻限まで、それほど時間がないはずだ」
 王子がそう言うと、オロクも目を見開いて「ラグ王子」とうめいた。
「あんた、こんなところで何やってるんだ!」
「レルカー存亡のときと聞いたからね。守りに来たよ」
「あんたがいると迷惑なんだ! 今すぐセラス湖でもどこでも帰ってくれ!」
「僕がいることが知られると、ザハークが兵をここに侵攻させてくるからだよね」
 オロクがうめく。
「知っていてここにいるのか」
「わかったのはついさっきだよ。というより、その件に関しては全面的に君が悪い、オロク」
「なにぃ?」
「君はレルカー三派代表の一人にすぎない。君は全レルカーの代表じゃないのだから。君はザハークから脅されたとき、すぐにヴォリガさんとワシールさんに相談するべきだった。話もしないで自分ひとりでなんとかしようとするから、時間が経過するばかりでどんどん状況が悪くなっている。全部君の責任だ」
「そんなことは分かっている! だが他にどうすることもできなかったんだぞ!」
「できたよ。君がそうしようとしなかっただけだ。現に僕はここにいる。ワシールさんが僕に連絡をくれたからこそ、状況は少しだけ改善した。さあ、オロク。君はどうするつもりだ。ザハークの圧力の下、街から男が一人もいなくなるまでこの状況のままでいるつもりか。それともレルカー民の誇りを持って戦うか」
「戦って、勝てるはずがないだろう!」
「僕らがいても、かい?」
 オロクが押し黙る。
「あとは君が、僕らとザハーク、どちらの方が強いかを判断してもらうだけだ。ちなみに、ワシールさんとヴォリガさんもそのあたり、冷静に判断してくださいね」
「わ、私は最初から王子に助けてもらうつもりで連絡を取ったんですよ!」
 ワシールはいの一番に答える。
「女王騎士が相手なら、王子の軍以外に協力できる相手はいないだろう」
 ヴォリガもしぶしぶという様子で答えた。
「というわけで、多数決ならもうこの時点でレルカーは僕らに協力してもらうことに決まる。だが、僕はそんな決め方はしたくない。さっきもワシールさんに言ったたけど、僕の望みは、全レルカーが僕と協力する意思を見せることだ。オロクさんはどうするのか。これからもザハークにおびえながら過ごすのか。それとも僕らと肩を並べて堂々としている方を選ぶのか」
「勝てる見込みがあるのか」
「僕が『勝てる』と言えば仲間になるのか。そんな日和見主義の仲間を僕は必要としていない。僕が必要なのは、何があっても僕とともに歩もうとする心を持つ人だけだ。僕は仲間のためにはこの身を捧げることをいとわない。あなたはどうなのか。僕らに協力させるだけさせておいて、自分は楽をしたいだけなのか。レルカーを守るために自分は何もせず、誰かに守ってもらうだけでいいのか」
 これは、ロードレイクでも思っていたことだ。
 自分の故郷を守るために、自分が傷つくこともいとわないのか否か。
「厳しい王子だ」
「自分には厳しくなったよ。でも、仲間には極力、優しくしているつもりだ」
「人使いは荒いけどな」
「シグレさん!」
 いい話の腰を折ったシグレだったが、それが意外にオロクには面白かったらしい。
「そんな口をきく仲間を放置するのか、王子は」
「仲間は対等であるべきだ。僕はリーダーの役割を背負っているだけ。役割が違うだけで、みんな対等だ」
「対等か……」
 オロクは顔をしかめる。
「俺は今まで、このレルカーを守るためならどんな悪どいことでもしてやろうと思っていた」
「僕の考えとは違う。僕は自分の仲間に一人たりとも犠牲を出したくない。もちろん戦争だから、死ぬ人もこれから先、たくさん出てくるだろう。でも、基本的に一人も死なせたくない。誰かが死ぬことを前提にする作戦は最初から立てない。犠牲者はいつだって忘れ去られるんだ。僕は自分が誰かの犠牲になんかなりたくないし、誰かを犠牲にして生き残るのも嫌だ」
「なんて──我儘な王子だ」
 オロクは毒づく。
「俺とあんたとでは考え方が違う」
「だろうね。強制するつもりはないよ」
「仲間にするつもりなら一つだけ知りたい。あんたは、レルカーをどうするつもりだ」
「今まで通りに。それ以上、何かをしてもらいたいとは思っていない」
 ワシールが進み出ようとしたが、ヴォリガが止めた。今はオロクに任せた方がいい、という判断だったのだろう。
「太陽と河に誓うか」
「誓わない」
「なに?」
「いつ破られるか分からない誓いなんかに興味はない。僕が信じられる人間かどうか、その目で確かめろ」
「くっ……」
 オロクが激しく歯を食いしばる。だが、もはやザハークとの期限が迫っている。分かった、とひねり出すように言った。
「だが、もしも違えたときは、このことを大陸中に広めるからな」
「そんなことになる相手と協力するつもりかい、オロク。まあ、悪い思いをさせることはないから安心していいけれどね」
 ワシールとヴォリガがほっとひと息つく。
「とはいえ、王子。こうなるとザハークさんと全面対決になりますね」
「そうだね」
「王子には何か考えがおありなんですね?」
「僕が、というよりもこの場合はルクレティアかな」






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