そういえば、以前にも太陽の紋章がしばらく活動しないことはあった。
 その後、また自分を操ろうとし始めたのだから、ほんの一時の休息にすぎなかったのだが、それでも確かに全く活動していないときがあった。
 もしかすると、太陽の紋章にも活動時期と、そうでない時期があるのかもしれない。
 思えば母親も、調子がいいときはずっとそうだった。一方で、太陽の紋章に振り回されることが多かった時期も確かにあった。
 そうすると、今はただの活動休止期間ということか。そう考えておいた方がいいだろう。

(まるで、人間が寝たり起きたりしているみたいだな)

 実際、意識のあるものなのだから、そういうものなのかもしれない。










幻想水滸伝V





『戦う意味』










 幽世の門。

 かつて、女王国に仕えていた、ファレナの裏世界を取り仕切る暗殺者集団である。
 構成員、規模、あらゆる情報は女王以外の誰にも知らされていない。
 その組織は、亡くなったアルシュタート女王が即位した際に解体されたはずだった。
「幽世の門」
「そうだ。俺の父親を殺しやがったのは、まだ年端もいかねえガキだった。今から十三年も前のことだ。あのガキのことは今でも覚えてる。まだ十歳にも満たない女だったくせに、へらへら笑いながら俺の父親を、虫けらでも潰すみてえに……」
 思い出しながら感情が高ぶってきたのか、ナクラの体が徐々に震えてくる。
「あんたに頼むのは筋違いかもしれねえ。でも、父親の仇なんだ。頼む!」
 だが、それに答えることはラグにも不可能だった。
 何しろ、ラグがその存在を知ったのは、この戦いの最中なのだから。
「……ナクラさん」
 リオンが静かな声で言う。
「王子も、父と母を、幽世の門に殺されているんです」
「な、んだと……!? 父と母ってことは、女王とフェリドがか!」
「はい。一度、幽世の門は解散させられたはずです。今、その生き残りはゴドウィンが私兵として使っています」
「なんだ、なんだってんだ!」
 ナクラが声を張り上げてから、ふうー、と大きく息を吐く。
「いや、すまなかった。敵国の兵士なんぞのために時間割いてくれて」
「力になれなくてすまない」
「いや、いい。とりあえず、一人にしてくれ」
 ナクラが窓の外を見て背を向ける。話すことは何もないと判断し、ラグは部屋を出た。
 その直後。
「王子さん」
 声をかけてきたのはシグレだ。
「なんだい?」
「今の話、ちょっと心当たりがある」
 それこそ、今の話以上に予想外すぎた。
「詳しく教えてもらっても?」
「まあ、王子さんなら構わないとは思うんだが、こっちにも事情がある。何日か時間がほしい」
 できればすぐにでも戻りたいところではあったが、それこそ珍しいシグレからの願いだ。
「わかった」
「王子」
「いいよ。もともとセーブルの問題解決にあと十日は見込んでいたんだから、差し引いてもまだプラスだよ」
「すまん」
「気にしないで。それじゃあ状況報告に誰か先に戻っていてもらおうかな」
「じゃ、僕が戻るよ。ミューラーさんに会いたいし」
「じゃ、お願いできるかな、リヒャルト」
「うん。えーと、軍師さんに何をどう伝えればいいのかな?」
「それじゃあ手紙を書くよ。ルクレティアに渡してくれるかな」






 そうして数日の間、ラグとルセリナ、リオン、カイルの四人はラウルベル卿の邸宅に厄介になることとなった。
 その間、驚いたのはラウルベルの意外なほどの人脈だった。本拠地はまだまだ人手が少ない。そのことを相談すると、信頼できる人間を何人か紹介してもらっていた。
 シグレはナクラとの面会の後、姿を消していた。
 その期間に王子たちがしていたことといえば。
「そうじゃありません! 何度言ったら分かるんですか!」
 今日もリオンの叱責が飛ぶ。責められているのは王子の影武者役を務めることになったロイだ。
「そんな品のない歩き方はダメだと言ったでしょう! もっと! こう! 風格と! 気品を!」
「わかった! わーかったから!」
 ラグの影武者を勤めるロイに対し、ラグの考え方や言動をひたすら特訓し続けていた。
「いやー、でも最初に見たときよりもずっと王子に似てきましたよ。リオンちゃん、ちょっと厳しすぎるんじゃない?」
 カイルが茶化すが、冗談の通じないリオンは「こんなものじゃありません!」と激昂。
「これから先、敵はもとより味方も騙せるようにならないといけないんですよ!? この程度ではすぐに見破られてしまいます!」
「リオン殿はなかなかに容赦がないですね」
「いやいや、それだけ殿下のことを思っているということですな!」
 ダインとボズがその様子を見ながら談笑する。
 このロイがどれだけモノになるかによって、この先の戦略が大幅に増えるのだ。リオンの気合いは半端ではない。
「リオン様は、本当に殿下のことをお慕いしていらっしゃるのですね」
 ルセリナが少しだけ妬くそぶりを見せた。が、そもそもリオンはラグと恋愛関係になりたいとか、そんなことはまるで考えていない節がある。それこそ、ラグとルセリナを心から応援しているほどに。それをルセリナも分かってはいるのだが。
「そろそろ休憩にしたらどうだい、リオン、ロイ」
 助けの手はそのラグ自身から入った。
「助かるぜ! ひゃー、もうスパルタすぎんだよ、ったく!」
「またその言葉遣い! 普段から意識して言葉を使わないと、いざというときにボロが出るんですよ!」
「わーったわーった。少しずつ改善するから今は大目に見といてくれよな!」
 ふぃー、とロイはラグの隣に座る。そして、ラグの座り方と全く同じ姿勢をとる。
 それを見た瞬間、リオンは目を見張った。
 ロイの座り方が、いつものラグの座り方と、全く同じだったのだ。
「お? 今の、けっこう似てたか?」
 リオンの表情から読み取ったのか、ロイがにやりと笑う。
「そうですね。座り方は合格点です。その笑い方は零点ですが」
「負け惜しみ」
「うるさいですよ!」
 二人のやり取りを聞きながらラグも苦笑する。
「本当にありがとう、ロイ」
「な、なんだよ急に」
「僕の真似をするだけでも大変だけど、命の危険のある任務なんだ。今更ではあるけれど」
「はあ? ほんとに今更だな。そんなの気にしちゃいねえよ。仲間たちを助けてくれる代わりなんだ。その程度のプライドは持ってるつもりだぜ」
「それは疑っていないよ。でも、ありがとう」
「ふん」
 と言いながらも、ロイはこの数日間でラグの人となりを本当に『観て』きた。
 影武者をやる以上、ロイはラグの一挙手一投足を全て模倣しなければならない。だからこそラグの傍を離れず、常に同じ動作ができるように心がけてきた。もちろん言葉もそうなのだが、それはまだ照れがあるので難しい。が、カツラを被り、王子の仮面を被ったときには同じ言動ができるようになると思っている。
(それにしてもこの王子、本当に『お人よし』なんだな)
 他人に厳しい言動は確かにある。だが、それは相手のためになるときばかりで、基本は他人のこと『しか』考えていないのではないかというほどの他者優先の考えだ。
 だが一方で、絶対に自分の考えを曲げない頑固なところもある。特に──
(ラグシェリード王子が助けたがっている妹姫か)
 この兄に対して、どのような妹なのだろうか。それはとても興味が湧いた。そしてそれ以上に、
(お前のために働くのは、悪いことじゃない)
 今までずっと自分と仲間のことしか考えてこなかったロイにとって、この数日間での心の変わりようは自分でも信じられないほどのものだったのだ。






 シグレが戻ってきたのは、ナクラと会ってから六日後のことだった。
「シグレに……オボロさん、サギリさん?」
 意外なメンバー増員に驚く。
「殿下。話はシグレくんから聞きました。幽世の門に親を殺された兵士がいるとのことですね」
「ああ。詳しい話を聞いたわけじゃないけど、オボロには心当たりがあるのかい?」
 探偵稼業をしていれば、いろいろな情報には通じているものだろう。シグレが言った心当たりというのは、幽世の門について以前調査したことがあるということか。
「ええ、ありますが──」
 オボロはシグレとサギリを見る。「近くには誰もいないっすよ」とシグレが呟いた。
 あまり大きな声では話せない、ということか。
 現在部屋の中にいるのはオボロたち三人の他、ルセリナ、リオン、カイルの三人だけ。フェイタス軍の中核だ。このメンバーなら秘密が漏れるということは決してないだろう。
「他言無用にする」
「ありがとうございます。実はこの件、我々が王子に協力することにした理由にも関わるものです」
「理由?」
「はい。その、ナクラという人物の父親を殺害したのは、おそらくはうちのサギリです」
 言葉が止まった。ルセリナは口を手にあて、カイルが少しだけ身構える。
「つまり──」
「私とサギリ、シグレは元は幽世の門です。黙っていて申し訳ありませんでした」
 あまり悪びれていない。そもそも悪いことだとは思っていないのだろう。
「何故、話す気に?」
「実は、シグレくんには王子の言動をしっかり見定めるように話をしていたのです」
 なるほど、それだけで言いたいことが分かった。
「君たち三人にとって、僕が仕えるにふさわしいかどうか、ということ?」
「有体に言うとそうなります。もう少し、個々人の事情が絡みますが」
 オボロの話をまとめるとこういうことらしい。
 ゴドウィンが幽世の門を再び集めているという話をオボロが入手したのは、闘神祭の直前だった。
 手をこまねいているうちにゴドウィンは女王と女王騎士長を暗殺し、ソルファレナを手に入れてしまった。
 幽世の門の『元長官』としては、新たなる幽世の門は放置しておけない。何とか倒す手段が必要だが、何分戦力がこちらは三人、向こうは何十人といる。これでは戦いにならない。
 そこでゴドウィンと戦うというラグシェリード王子に白羽の矢を立てることにした。もしこの王子が幽世の門などというものを利用するような人物なら手を組むことはしないが、そうでないなら共に幽世の門を倒すことができるのではないか。
 そのためにもシグレにはラグと同行してもらい、その人となりを見てもらうことにしたのだ。
「僕は合格かい?」
「ま、今まで見た王族の中では一番まともじゃねーの」
 シグレのその言い方は、まさしく自分を認めてくれているものだった。
「ありがとう、シグレ」
「ったく、やりにくいんだよなあ、こういう上司は」
 頭を掻いて溜息をつく。
「オボロさんの言ったことはおおむね間違ってねえけど、俺は俺の事情がある。俺はサギリをこれ以上、幽世の門に首を突っ込ませたくないんだ」
 シグレにとっては、この地上で何よりも大切な人。それがサギリだ。言葉にならなくてもそれが十分に伝わってくる。
「話はだいたい分かったよ。でも、それならどうしてサギリさんもこちらに?」
「私は、笑うことと殺すことしか教えてもらえなかった」
 この会話の間、サギリはいつものたおやかな笑みを崩さなかった。
 それは、この内容に対しては、あまりにも場違いというものだった。
「幽世の門がなくなってからも、私は何のために生きているのかも分からなかった。オボロさんやフヨウさんは、幸せになればいいと言ってくれるけど、そもそも」
 ゆっくりと、淡々と、サギリはただ言葉を紡ぐ。機械仕掛けのように。
「幸せというものがどういうものかも分からない」
「サギリ」
 その肩にシグレが手を置く。
「だから、私は私が関わった人に会わないといけないと思ったの。他にどうすることもできないなら、目の前にあることと向き合うのが一番だと思ったから」
 それがナクラの件で表面化されたというわけか。
「俺は本当は会わせるのには反対だ」
 シグレがはっきりと言う。
「だが、サギリが望むならそうしてやりたい。たとえ危険が及んだとしても、俺がサギリを守る」
 シグレの感情表現もかなりストレートで周りの目を気にしない方だ。これも幽世の門で育ってきた弊害だろうか。
「サギリさん」
 ルセリナがサギリの正面に来て、その微笑と対峙する。
「これほどに言ってくださるシグレさんのことを、サギリさんはどう思っていらっしゃるのでしょうか」
「シグレ……」
「私は、シグレさんやオボロさん、フヨウさんと一緒にいることが、サギリさんの幸せなのではないかと思います。どうでしょうか。シグレさんがもしもいなくなったら、サギリさんはどう感じますか」
「うん。悲しい。でも……それは本当に悲しいと思えるの? 私は、私の中に感情があるということが信じられない。シグレがいなくなったとしても、もしかしたらそれを冷静に処理できるのではないかと思ってしまう。分からない。感情を消して、殺して、なくしてしまった私にとって、幸せなんていうものが感じられるの……?」
「感じられるよ」
 ラグが断言する。
「だって、今のサギリさんの言葉は、不安からくる言葉だから」
「不安」
「もしシグレがいなくなっても何も思わないような人なら、そもそも不安に思うようなことにはならないよ。僕が保証する。サギリさんには、シグレがいないとダメなんだ」
「……王子、殿下……」
 サギリは笑顔のまま、一度その場に膝をついた。
「ありがとう、ございます」
「サギリさん」
「シグレの言った通りです。本当に、他人のことを考えて、他人の幸せのことを願う人。そんな人が本当にいるなんて、まるで信じられなかった。でも、今なら私、それが本当なんだということが分かる」
 サギリは表情を変えずに、力強く。
「私の幸せを信じてくれた殿下の御為に、私にもこの戦いの協力をさせてください」






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