星の瞬きが空を埋め尽くし、梟の声が森の中に響く頃。一組の男女が村の離れにある共同墓地の方へ向かって歩みを進めていた。
男の方は薄い青色の髪に青い瞳。それなりにしっかりとした体格で、剣を腰に差している。その姿は戦士。それも、外見だけで充分に力のある者だということが分かる。
一方女の方は、濃い蒼の髪に青い瞳。男の方と違ってほっそりとした儚げな印象を与える少女であった。
村の方を二人が振り返ると、そこはまだお祭騒ぎが続いている。
その様子を見てから二人は目を合わせ、くすりと微笑みあう。
あの騒ぎは、自分達を祝福してくれているものだ。
この小さな村で芽生えた、一つの恋。
それが明日、成就する。
「さあ、トール」
女性が男を促す。うん、と頷いてトールと呼ばれた青年は一つの墓の前に立った。
「父さん」
そこには、彼の父親の名が刻まれていた。
「ぼく達は明日、結婚式をすることになりました」
そう。
二人はその報告をするために、結婚式を明日に控えたこの夜、ここに来たのだ。
「ぼくは必ず、ルウを幸せにします」
「ねえ、トール。私、幸せよ。あなたと結婚できるなんて、本当に嬉しいの」
小さな彼女は彼を見上げると、目を潤ませて言う。そして彼女もその墓の前にかがみ、手を合わせた。
「おじさま。トールと二人で、幸せになります。どうか私たちを見守っていてください」
目を瞑ったまま、彼女はただそれだけを願い続けた。
彼はそんな彼女をじっと見詰めてから空を見上げた。
赤い星と、青い星が、その夜を滑り落ちていく。
二つの星。
それは、いったい誰の願いをかなえるというのだろう。
「ルウ」
まだじっと手を合わせている彼女に声をかけた。
「先に帰っていてくれ。ぼくもすぐに帰るから」
突然そんなことを言い出したトールを不自然に思ったのだろうか、彼女はじっと彼を見詰めてくる。だが特別何もないと判断したのか、彼女は立ち上がり目をつむったまま爪先立ちになった。
軽く、唇が触れ合う。
「分かったわ、トール。明日は忙しいから、早く休んでね」
そう言うと、彼女は共同墓地から出ていく。
それを見送った青年は再び父親の墓の前に立って呟いた。
「父さん。ルウと二人で必ず幸せになります。見守っていて下さい」
父親は、昨年亡くなったばかりだった。
近年この辺りを荒らしている盗賊との戦いの末、命を落としたのだ。
彼もまた父親から剣を習い、盗賊と何度か剣をあわせている。
だが、その手並みのよさ、明らかに訓練を受けているかのような動きに舌を巻くことがほとんどだった。
(そして、仇はきっと取るからね、父さん)
そう心の中で誓うと、そろそろ帰ろうかと村の方を向く。
「さて、帰ろうかな」
その彼の足元に、何か光るものがあった。
「何だ?」
こんな墓地に、いったい何があるというのか。
「これは──ゲの神の紋章!」
驚きながらも、彼はまず周囲を確認する。だが、人の気配はない。
「ザの神の守護を受けるこの村に何故……」
どうしたものかと、彼はそこに膝をついてその紋章を手に取ろうとする。
直後。
「ゲの神よ、我に力を与え、その者の力を失わせたまえ!」
墓地に、聞いたことのない男の声が響いた。その声と同時に、身体が金縛りにあったかのように全く動きが取れなくなる。
「何だ? 体が動かない!」
必死になって体を動かそうとしても、指一本動かすことはかなわない。
そして、足音が聞こえた。
三つ。
そのうち二つはこちらに走りよってくる。
「タンド様! ありました! ゲの神の御印です!」
「うむ、回収しろ」
遠くから、先ほどこの墓地に響いた声が聞こえてくる。
「その男の始末を忘れるな」
そう言って、格上の男はこの場から立ち去っていくが、そんなことは彼にとってどうでもいいことであった。完全に今、自分は命の危険にさらされている。
(どういうことだ?)
何故、この地にこんなゲの神の紋章など落ちているのか。だいたい、この男たちは何者だ。ありえない、考えもつかない状況に、心臓の鼓動だけがただ速まっていく。
「悪く思うな。我ら邪道盗賊衆の計画をもらすわけにはいかない」
邪道盗賊衆!
こいつらは──自分の父親を殺した、盗賊たちの一味!?
「ゲの神の御印を見られた以上、お前は生かしておけん!」
盗賊たち二人がゆっくりと背後に立ち、剣を抜く音が聞こえた。
(嘘だ)
こんなことは、嘘だ。
自分が、倒さなければならない盗賊。その盗賊に、こんな簡単に。あっけなく。何もすることなく。
剣が、突き出される。
その剣は、確実に彼の胸を貫いていた。
「ぼくは、ルウを……」
幸せにしなければ、ならないのに。
どうして。
こんなところで。
「ルウを……幸せに……しなければ、いけ……ないのに……」
心臓に穴が空いている。
この状況で、生きていられるはずがない。
これは、悪い夢だ。
目が覚めれば、自分はルウと結婚式を挙げるのだ。
「ルウ……」
そして、彼は倒れた。
「まったくドジったな! ゲの神の紋章を落とすとは!」
男の死を確認して、盗賊の一人が唾を吐く。
「すまん、うっかりしていた」
もう一人の盗賊は頭を下げて謝っている。
「あやうく明日の事がばれるところだったぞ。まあいい、戻るぞ」
「ああ」
そして、二人がゲの神の紋章を拾い、そのまま墓地から出ていく。
こうして。墓地には静寂が戻った。
第一話
ウィルザ、降臨
……。
……。
……。
……。
しばらくして。
誰もいなくなった墓地に、変化が訪れる。
亡くなったはずの、トールの体。
それが、何故か。
宙に、浮き始めたのだ。
それをもし見ているものがいたとしたなら、あまりの光景に腰を抜かしたかもしれない。
体が浮くという事態が既に異常なのに、その男はとっくに死んでいるのだ。
しかも。
その男の元へ、天から二つの星が舞い降りてきた。
赤い星と、青い星。
二つの星は、会話しあうかのように瞬きあった。
青い星が、輝く。
「この男の名はトール。結婚を明日にひかえ、盗賊に殺された哀れな男だ。彼の体に乗り移る。そして、明日の結婚を中止し、盗賊に襲われるのを防がねばならない」
青い星がそのように命令すると、赤い星は困ったように瞬き返した。
「どうすれば」
「結婚の儀式は村のザの神の神官が取り仕切る。まずは神官に会うことだ」
この青い星は、『世界記』。
これから二十年に渡る、このグラン大陸に起こる全てのことが記録された媒体である。
そして。
「さて、この世界で名乗るべき名前を決めるのだ」
赤い星。
「では、ウィルザと」
そう名乗った。
「ウィルザ。お前に与えられた期間は二十年。それ以上、この世界に留まることは許されない」
二十年。
その長い時間の先に、このグラン大陸の滅亡が予言されている。
自分の使命は、その大陸の滅亡を防ぐことだ。
「大陸の滅亡か」
世界記はただ、それを予言するのみ。
この世界をどう破滅から導くかは、全て自分で考え、行動していくだけなのだ。
(これで、何度目の戦いになるか、もう数えることも忘れてしまったな)
苦笑し、村への道をたどる。
この世界を救えば、また別の世界へと飛ばされ、そこでまた戦いを繰り返す。
それだけの存在。
(なまじ、自分の意思があるというのはやっかいなのかもしれないな。世界記のように感情などというものがすべてない方が楽でいい)
使命のことばかり考えていると頭がおかしくなりそうだ。
まずは、自分にできることを解決するしかない。全ての戦いの果てに、きっと平穏な場所が見つかるはずなのだ。
「どうしたの、トール?」
と、村の入口にさしかかったところで、蒼い髪の少女が話し掛けてきた。
「何か、さわがしかったみたいだけれど」
「いや、別に」
彼女は、殺された『トール』の婚約者。
もはや『トール』はこの世にはいない。この体は借り物で、自分は本来の名前をもたない、かりそめの存在。
「えっと、ルウ?」
たしか、そんな名前だったような気がする。
「何?」
純粋に可愛らしい目を丸くして聞き返してくる。
「いや、なんでもない。ええっと、これから神官様の家に行こうと思ってるんだけど、ここからだったらどう行くと近いかな」
すると今度は驚いたようにもっと目を丸くしてきた。
「神官様の家は神殿の右だもの、ここをまっすぐ行くだけじゃない。どうしたの、トール? 疲れてるの?」
「いや、何でもないよ、ルウ。ありがとう。今夜はもう家に帰って寝ることにするよ」
「そう? じゃあ、お休み、トール。今夜はゆっくり休んでね!」
そう言って、彼女は自分の家の方向へと駆け去っていく。
(やれやれ)
自分が既に『トール』ではないということを告げるわけにはいかない。そんなことをしても意味がない。信じてもらえるはずもない。
とにかく、今は明日の結婚式を中止させなければならない。
(中止?)
何のために。
彼は、世界記と意識を通わせ、今年何が起こるのかということを確認した。
805年 襲われた結婚式
邪道盗賊衆がイライのザ神殿を襲う
イライのザ神殿が襲われることに何の意味があるのか。
それが大陸の滅亡につながるということは間違いない。だから世界記は結婚式を中止するように言っているのだ。
いずれにしても、自分はこの村で結婚して、平和に生活などしている場合ではない。大陸を救うために働かなければならないのだ。
「トールという青年が結婚するはずだったのはあの少女か。お休み、かわいそうな少女」
しばし、ウィルザは彼女の未来を思って祈りを捧げた。
ザの神とゲの神が入り混じる大陸。
このグラン大陸で、ウィルザの最初の戦いが始まる。
平和なイライの村に襲い掛かる邪道盗賊衆。
そして、ウィルザの選択は──
「この娘を殺されたくなかったら、おとなしくするんだ!」
次回、第二話。
『襲われた結婚式』
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