イライの村は、例年にない活気を帯びていた。
 805年も、もうあと一日、明日で最後の日を迎える。
 ただ、その最後の日は大陸でもイライが注目される十年に一度の大イベントの日だ。
 イライには大陸でも有数の大きなザの神の神殿があることで有名だ。
 ザの神とは、人間に味方する機械仕掛けの神々の総称である。人間はザの神の力を借り、恩恵を受けて日々生活を続けている。
 村の外には人間に襲い掛かるモンスター=ゲの神が横行しているので、ザの神の力なくして人々は村の外に出ることすらできないという状況である。
 その、イライのザ神殿は普段一般開放はされていない。
 開放されるのは十年に一度。その年の最後の日にのみ開かれる。ザ神殿の御神体を拝み、ザの神々に感謝することができる唯一の日となる。
 それにあわせて村では祭を開き、大々的に盛り上がる。
 しかも今年は、その十年に一度の開放日にあわせて、村の公認カップルであるトールとルウの結婚式を執り行うというのである。
(簡単に中止する、なんてことはできないな。どうにか考えないと)
 御神体を拝謁するためにはるばる遠くの国からやってくる者までいるくらいである。半年も前からこの日のために神殿関係者は準備をこらしてきたのだ。当の本人が結婚式を止めるなどと言い出したらパニックではすまないだろう。
(うまく言いくるめないとな。とはいえ、どうすればいいのやら)
 最悪の場合は、すべてを打ち明けることも考えなければならないだろう。
 だが、ザ神殿が邪道盗賊衆に襲われるということを打ち明けてしまうとどうなるか。それもまたパニックの原因になることは間違いない。
 だいたい、この事件で世界記が防ぎたがっている事実が何なのかすら、自分には分からないのだ。
(単純に中止しろと言われても、難しいんだよな)
 唐突なのは今に始まったことではないが、予言を出す方ももう少し考えて出してほしいものだ。
 そう考えているうちに、ルウに教わった神官の家に着く。
 家に入ると、前日までの大仕事を終えた神官がテーブルについてゆっくりと茶を飲んでいた。一息ついた、というところなのだろう。
 神官は自分に気がつくと、微笑んで立ち上がった。
「どうしたのかね、トール。こんな時間に、眠れないのかね?」
 とにかく、この人物を説得しなければ駄目だ。
 意を決して、ウィルザは話し掛けた。
「神官様、明日の事なんですけど、」
「案ずることはない。大いなるザの神も見守っていてくださる。早く帰って休みたまえ」
「いや、あの」
「今までよくがんばったな、トール。お父様もご無事でいらっしゃったら、明日の良き日を祝ってくださっただろう。お亡くなりになったのは大変残念なことだが、その分もお前は幸せにならなければいけないよ」
「はい。いえ、そうではなくて」
「分かっている。なにしろ十年に一度の神殿開放日だ。緊張するのも無理はない。だが、せっかくの機会なのだから、皆に祝福してもらいなさい。皆、二人のことを暖かく見守っているのだから」
「……」
 神官は浮かれていて、何も人のことを聞いてはくれない様子だった。
 仕方がない。
 明日何が起きるかは分からないが、どうにかしてこの危機を乗り越えるしかなさそうだ。
「しかたない、もう休もうか」
 家に戻ってきたウィルザはそのままベッドの中に入る。
 そして眠りについた。



『結婚式を行えば君は命を落とす。歴史はそのように決まっている』



 だが、目覚めた瞬間、世界記からの警告が来た。
 とはいえ、いったいどうすればいいというのか。
 結婚式、当日。
 朝日が窓から射し込み、目覚めたばかりの自分の頭はすぐに活動を開始する。
「もう一度、神官様に話してみようか」
 昨日は神官も疲れていたのだ。だから人の意見を聞く余裕がなかった。
 だが、今日はこれから結婚式があるというのだ。疲れている場合などではないはず。
 とにかく話をしなければ何も進まない。このままだと、本当に自分は命を落としてしまう。
(世界記が間違えたことは今までに一度もなかった)
 未来のことが書かれてある目に見えない予言の書。自分はこの書のみを頼りに今まで生きてきた。
 だから、今回もそのとおりに従わなければならない。
 意を決して、神官の家に入った。
 瞬間、
「おお、トール。遅かったではないか。花嫁がお待ちかねだぞ。迎えに行こうと思っていたのだ。こちらに来なさい」
 今は神官一人のようだった。
 話をするなら、今しかない。
「神官様。その、結婚式のことなのですが」
「何を浮かぬ顔をしているのだね。ザの神のおかげで素晴らしい朝だ! ルウ! こちらに来なさい」
 この人は。
 まるで自分の話を聞こうともしない。
 だが、そうして呼ばれてきたルウは──
(この娘が、昨日の?)
 化粧をして、ドレスを着た彼女は見まごうことなき『美人』であった。
 蒼い髪に純白のケープが飾られている。ドレスは白だが、わずかに薄く青が混じっている。
 そして何より、幸せを満面に浮かべたその笑顔が、見るものをひきつける。
 花嫁の美しさとは、何よりこの『幸せ』が一番の要素ではないだろうか。
(綺麗だ。昨日は暗くてよく分からなかったけれど)
 彼女の微笑みと、そしてその奥に一抹の寂しさを感じた。
「よかった、トール。あなたが来てくれないような、そんな気がして、とても不安だったの」
 この時。
 自分は、唯一この結婚式を中止できる方法が直前まであったことに気が付いた。
(逃げ出せばよかったのだ)
 だが、もう逃げる機会は訪れまい。
 結婚式は行われる。
 もはや、自分の死は、決して動かない未来となって、確定したのだ。
「トール! 何をおどおどしているのかね? 結婚式を始めるぞ」
 もう、逃れられない。
 朝日が昇るように、結婚式は当たり前のように執り行われるだろう。
 そして、邪道盗賊衆の襲撃で、自分は命を落とすのだ──






 神殿の中、いよいよ婚儀が執り行われようとしていた。
 たくさんの列席者と、御神体を拝む人々。そして、ルウの親族たち。
「ルウ、とても綺麗よ」
 ルウの母親が涙をにじませて彼女の前で微笑む。
「トール。もっと嬉しそうな顔をしたらどうだ」
 ルウの父親がいぶかしげに自分に話し掛けてくる。自分はそれに、愛想笑いを返すことしかできなかった。
 もうすぐ、この幸せの場が、血なまぐさい惨劇の場となる。
 この綺麗なルウという少女が、本当に婚約者を亡くしてしまうのだ。
「おめでとう!」
「うらやましいぜ、色男!」
 村人たちからも祝福の声が飛ぶ。
 それなのに、全く嬉しくないのは、本当にここにいる自分ひとりだけだろう。
「それでは、結婚式を始めるとしよう」
 神官が厳かに開式を告げた。
「それでは皆の者! 偉大なるザの神に祈りを!」
 そう告げられた直後だった。



「邪道盗賊衆だ!」







第二話

襲われた結婚式







 来たか。
 トールは近くにあった長い棒切れを手に取り、その盗賊が来るのを迎え撃つ。
 何十人という盗賊が一斉にザの神殿に押し入り、村人たちを次々に剣で斬り殺していく。
「邪魔だ!」
「な、何だお前たちは?」
 神官が動揺して尋ねるが、そんな押し問答をしている場合ではない。
 相手は明らかに自分たちを殺害しようとしている。そして、目的は──
(そうか、結婚式が目的なんじゃない。目的はこの──)
 ザの神の神体。
 これが目的だったのだ。
「俺達は邪道盗賊衆。十年に一度だけ開かれるというこの神殿に用がある」
 下っ端の盗賊がそう告げる。
 だが、その後ろから。
「おしゃべりをしている暇はないぞ!」
 凛々しい、男の声が聞こえた。
(あの男は)
 長身で、空色の髪。血気盛んな青年。白と赤の鎧を着たその姿は盗賊以上の器量を感じさせる。邪悪な盗賊だということは分かっているのに、その男の生命力から目を逸らすことができない。ただ、その人物は輝いているように見えた。
 あれは、世界記に記されている人物だ。

ガイナスター
西域からアサシナの西部にかけて暴れまわる邪道盗賊衆の頭領。


(まさか、盗賊の首領がじきじきに来たのか? それほどここの御神体に問題があるっていうのか)
 自分の読みが甘すぎた。
 盗賊が来たところで撃退すればいいと思っていた。だが、甘かった。
 この人数差では勝負になるまい。
「おいタンド、どうだ?」
(あいつは)
 昨夜、この体の持ち主『トール』の命を断つように命令した男。
 闇色のローブと金色の仮面に全身を包んだ得たいの知れない男だ。

タンド
ガイナスターの部下。ゲ神の力を操る邪道盗賊衆の参謀。


「ガイナスター様! これです、いまわしきザの神体!」
 タンドの報告を受けて、ガイナスターは神体を見上げた。
 巨大な柱の頂点に、人の姿をかたどった機械仕掛けの神が一体奉られている。
「もしこれがザの力を封印している偽りの星なら……よし、やれ、破壊しろ! ザの力を永遠に消し去るのだ!」
 ザの神、消滅。
 ガイナスターという男が狙っているのは、それか。
「おおせのままに!」
「きさまら、何をする! やめろ!」
 そこで彼は飛び掛った。
 狙うは、首領ただ一人。
 恐ろしいほどの神速でガイナスターに詰め寄る。
 そのスピードに、ガイナスターは完全に虚を突かれる。
「親方!」
 だが、その間に二体の盗賊が割って入ってきた。
 棒切れをその盗賊の頭に叩きつけ、もう一人には拳を鳩尾にいれて昏倒させる。
 その時だった。
「おのれ!」
 ガイナスターの危地を救うべく、部下のタンドが動いた。
 それも、ウィルザにではない。
「キャーッ!」
 タンドは、花嫁のルウの背後に回りこみ、ナイフをその首筋にあてたのだ。
「ルウ!」
「この娘を殺されたくなかったらおとなしくするんだ!」
 彼はタンドの言い分に完全に動けなくなってしまった。
 その間に、ガイナスターはゆっくりと近づいてきて視線鋭く睨みつけてくる。
 まだ若い男だった。それに、どこか堂々として、威厳を感じる。
 いったいどうして、これほどの人物が盗賊の首領などをやっているというのだろうか。
「てこずらせやがって、武器を捨てろ!」
「分かった」
 これは、運命だ。
 運命に抗いきれなかった、自分の責任だ。
「分かったから、その娘の手を放せ!」
 ウィルザは武器を放り捨てる。
 直後に、
「死ね!」
 ガイナスターは、自らの刀でウィルザの体を斬った。
「トール、トール!!」
 ルウの叫びが、神殿の中に響く。
「おお、トール……何ということだ!」
 神官がその場に崩れ落ちる。
 だが、それを見たタンドが不思議に思い、ルウを開放すると倒れたウィルザの下へと歩みよってきた。
「タンド、どうした?」
 ガイナスターがその行動の理由を尋ねる」
「はい。この男、昨日確かに殺したはず」
「どういうことなのだ?」
 だが。
 そこまでで、彼の意識は完全に閉ざされていった。






『ウィルザよ』

 世界記が、話し掛けてくる。
「ぼくは、死んだのか?」
 意識の底で尋ねる。周りは暗く、何も見えない。
『ウィルザよ。お前は盗賊の手にかかって死んだ』
 それを聞いて、花嫁の姿を思い浮かべた。
 かわいそうな少女。
 彼女にどうか、救いを。
『お前は選択を誤り、歴史は変更されず、アサシナは破滅した』
「ぼくは選択を誤ったのか」
 今回ばかりはタイミングが悪かったとしか言いようがないだろう。
 周りの環境が、歴史を変えるタイミングをつかませてくれなかった。
 一日という短い時間、自分の立場と、村の状況。
 どうすることもできなかった──全てを捨てて逃げ出す以外には。
『一度だけ時間を戻す。歴史を書き換え、世界を破滅から救うがよい』
(──それは?)
 尋ね返した瞬間。
 意識は、昨夜へと戻っていた。
「今夜はゆっくり休んでね!」
 ルウが駆け去っていく。
 これは、昨夜の別れの場面。
(時間が一日遡ったのか)
 こんなことも可能にする世界記とは、いったいどれほどの力を備えているのか。
 だが、そんなことを考える間もなく、世界記からは次の指示が出た。
『迎えだ。あの者の導くままに』
「あれは……竜?」
 暗い夜の空を、大きな影が近づいてくる。
 巨大な竜は、大きな建物ほどもあった。
「時渡の御竜。さあ、これから歴史の書き換えを始めるのだ」







生き返ったウィルザは村を出て、大陸の救済の旅を始める。
イライを狙う邪道盗賊衆。襲われる結婚式。
盗賊たちを止めるには、戦うか、それとも説得するか。
ウィルザは歴史を変えることができるのか──。

「旅人よ。はるかなる時を超える者よ。今の汝、我とまみえるは初めてなり。汝に力を与えよう」

次回、第三話。

『ゲの神の儀式』







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