とんでもないことになった……。
まあ、騎士に顔が通じているというのは悪いことではない。
政庁に入ったウィルザはしばらく控えの間で待たされた後、ミケーネに連れられて謁見の間へと連れていかれようとしていた。
だが、その時だった。
「待て、ミケーネ!」
そこに現れたのは、一人の女騎士を筆頭にした何名かの騎士たちであった。
浅黒い肌に、漆黒の髪。すらりとした長身にきりっとした顔立ち。きわめて整った外見をした女性が鋭い視線で自分を睨みつけてくる。赤色のプレートメイルが燦然と輝いていた。
(彼女は、確か)
世界記に、記述があったはず──
ゼノビア
女ながらにアサシナ王都騎士団の副隊長として隊を束ねる。感情の起伏が激しい。
(ミケーネが隊長で、ゼノビアが副隊長か)
優しそうな隊長と、厳しい副隊長。
なかなか面白い構図ではある。それに、うまく飴と鞭が機能すれば騎士団を上手に束ねていけるのだろう。
「得体の知れない盗賊などにたぶらかされおって! そのような者を陛下に会わせるわけにはいかん!」
「待て、ゼノビア!」
ありがたい、とウィルザはほっと息をつく。ここでまた名前を先に呼んでしまったら、ミケーネの余計な関心を買うばかりだ。
「待ってくれ」
少し、ゆったりとした言い方でウィルザは口を挟んだ。
「臆病者め! やれ!」
王都の騎士たちが一斉に攻撃をしかけてくる。
(やれやれだ)
銃を放つが、先に軌道を考えておけば、銃を撃たれる前に回避できる。
素早く懐に入り込むと、二人の騎士にそれぞれ当身を食わせて昏倒させた。
(少しずつこの体にも馴染んできたな)
まだ自分のかつての本調子にはほど遠いが。
「おのれ、よくも!」
部下を倒されて怒るゼノビアに、ミケーネが割って入った。
「聞け! ゼノビア、この男は王子クノン様の名前とその身に迫る危険を予言した。今、我が王にはこの男の力が必要なのだ!」
(だから、予言者じゃないんだけどな)
もうこの際なんでもいい。
この大陸の危険を回避できるのなら、盗賊でも予言者でも何でもこいだ。
「クノン様のため……仕方あるまい。だが、この借りは忘れぬぞ!」
ゼノビアが引き上げると、ミケーネはほっと一息ついた。
「ウィルザ、さあ行こうか。王がお待ちだ」
「大変だな、ミケーネも」
「何。彼女とは古い付き合いでね。あとでしっかりと話し合うさ。さ、行こう」
ミケーネが謁見の間に入っていく。それにウィルザも続いた。
805年 大神官誘拐事件
王都の大神官ミジュア、王宮神殿にて忽然と姿を消す。
『王は消息の知れない大神官を探してほしいと頼んでくる』
世界記から次の展開について説明が入った。
(どうすれば)
『大神官は王都の南、サンザカル旧鉱山にいる』
(サンザカルか)
謁見の間を進みながら世界記と意識を交わし、そして王の前に膝をつく。
(前にいるのがアサシネア六世)
少し顔が青ざめているものの、威厳のある『強い』国王の姿がそこにあった。真紅のローブを羽織り、鋭い視線で自分を見下ろしてくる。
アサシネア六世
病にふせりがちな現在のアサシナの王。
(八〇四年にアサシネアイブスキ五世の配下デニケスがアサシナの王位を奪う。以後、デニケスはアサシネア六世を名乗る。確かそういう筋書きだったな)
だがこうして騎士団のミケーネから厚い信頼を寄せられていることを考えると、この王はよほど人徳があるのだと見える。いや、以前の王にそれだけの人徳がなかった、というのもあるだろう。
(それに、王の左にいるのがカイザーか)
補佐官カイザー。左目を眼帯で覆っており、残った右目も金色の前髪で隠れている。だが、その向こうから値踏みするかのようにこちらを見ているのが分かった
カイザー
アサシネア六世の補佐官。複数の王家に仕えることになる野心家である。
(信用ならない男だ。この後、ガランドアサシナを建国することになる。最後は処刑されているが、そんなものを待っていてはこの国は崩壊してしまう。現状のアサシネア六世を守らなければならないわけか)
人徳にあふれる王であるならば、この王を守り、生まれたばかりのクノン王子に無事に王位を継がせればいい。
(それから王の右にいるのは……知らないな。世界記には描かれていない)
自分と同じような深い青色の髪をした男性は優しそうな顔つきでこちらを見ていた。まあ、世界記も重要人物とそうでない人物は分けているだろう。さすがに二十人が百人、二百人に増えるとさすがに自分も整理できなくなる。
「ウィルザよ。よくぞ来てくれた。そなたを招いたのは他でもない。実は、我が王子、生まれたばかりの我が子、クノンを救ってほしいのだ」
ここまでは予想通りの展開だ。続けてカイザーが話す。
「ザの神を信じる者は全てザの神の祝福の儀式を受けなければならぬ。だが……」
カイザーは王を挟んで反対側に立っている男に目をやった。
「エルダス。お前から話すがいい」
青い髪の男が頷く。
「は。ですが、祝福を行うことができるただ一人の大神官ミジュア様が、副神官ローディと共に行方不明なのです」
それは分かっている。だが、それなら対応策はいくらでもあるだろうに。
「神官ならイライにもおります。王子をお連れしてイライで祝福を受けさせればよいのでは?」
「ウィルザ。王子は弱っておられる。とてもイライまでお連れすることはできないのだ」
ミケーネが口を挟んだ。なるほど、だから至急にミジュアを探せ、ということか。
ここでクノン王子を殺すわけにはいかない。将来、このグランを背負って立つ人物なのだから。
「分かりました。お引き受けしましょう」
「そうか、引き受けてくれるか! 大神官の行方について心当たりがあるのだな?」
「ええ」
「そうか! そうと決まったらミケーネ! そなたも同行してくれ。頼んだぞ!」
体のいい見張り役、といったところか。ミケーネもそれくらいのことは分かっているのだろうが、それ以上にクノン王子を自分の手で助けたいという気持ちが強いだろう。うってつけの役目であった。
「分かりました。出発は明日だ。私も同行するのでよろしく頼むぞ。兵舎にベッドを用意してある。それを使って休んでくれ。明日の朝、迎えに行く」
「分かった。今日は本当に色々あったから疲れたよ。ゆっくり休ませてもらう」
そう言ってウィルザは兵舎へと向かった。
第七話
アサシナの黒い影
その、兵舎に行く廊下の途中だった。
「そんな、いやですわ、パラドック様」
「いや、本当だとも。お前は可愛いよ」
突然近くの部屋からそんな会話が聞こえてきた。
(昼間から、随分とご熱心なことだな)
パラドック様、と再び女の声がした。
(パラドックか。確かどこかで聞いた名だな)
ウィルザはそうして世界記に意識を合わせた。
パラドック
アサシネア六世の弟。利己的な性格で女癖が悪い小心者である。
(女癖の悪い小心者ねえ)
だがアサシネア六世の弟ということは王族である。さすがに無礼なこともできないのだろうが。
ウィルザはふと、その部屋の中を覗いてみた。
(え)
固まった。
完全に。
見てはならないものを見てしまった。
確かに女癖の悪そうな男がそこにいた。病身とはいえ、威厳のある国王に対して、小男で相手の女よりも少し身長が低いくらいではないかと思える中年男性がそこにいた。
着物だけは豪華なのが、逆に滑稽だった。
だが、問題は王弟ではない。
その前で、肌をあらわにして、責めを受けている女性。
──ゼノビアだった。
「は! お前は!」
彼女は自分に気付いて、さっと服を手繰り寄せる。
「ここは貴様の来るところではないぞ!」
とはいえ、さすがに先ほどまでの怖さも何もあったものではない。
「よい、ゼノビア」
だが、王弟はゼノビアにガウンを着せると下がっていろと指示をする。
「我が王の客人ではないか。挨拶が遅れたな。私はパラドック・デニケス。アサシネア六世の弟である」
デニケス──それは、国王の旧姓だ。
「王家の方なら、お名前はアサシナではないのですか?」
失礼な質問だっただろうか、と思ったがパラドックは気にした風もなく答えた。
「確かに兄はアサシネア六世を名乗っている。しかし我が名はデニケス。この意味が分かるかな」
「パラドック様、それは!」
ゼノビアが過剰に反応する。
だがもちろん自分には分かっている。先王、五世を倒したのが現在の六世だ。
「ハハハ、分かったよ、ゼノビア。口がすべったね。ゼノビア、君はもう帰りたまえ。私は忙しいのでね」
「はい。失礼します。パラドック様」
ゼノビアはウィルザを睨みつけることを忘れず、それから出ていった。
彼女がいなくなってから、改めてパラドックは自分を見てきた。それはもちろん、決して好意的なものではない。
「ところで君は大神官の捜索を頼まれたそうだな。王都の騎士団が必死になって捜索したものを、今さら君に何ができるのかと思うが」
ゼノビアがいなくなって、ようやく彼の本性が見え出してきた。
どうやら、女の前ではいい人間を演じるが、男の前だとまるで遠慮がなくなるらしい。これでは国王もこの弟の扱いには困るだろう。
「まあ、かわいいクノンのためだ。よろしく頼むよ」
「かしこまりました」 答えつつ、ウィルザはふと頭の中によぎったことに寒気を覚えた。
(──考えすぎか)
もし、病身の王が倒れ、そしてクノンも助からないとすれば。
(次の七世は──パラドックだ)
疑問を抱いたまま、ウィルザはその部屋を後にした。
そして、兵舎へ行く途中にあった王宮の中庭に出た時のことであった。
「うん?」
ウィルザは、その中庭に、この王宮には不似合いな黒い服の男を見つけた。
明らかに部外者だ。
その男は自分に気がつくと、ゆっくりと近づいて話し掛けてきた。
「あんた、神殿に用があるのか? やめた方がいい。あんたはここには入れないよ。あんたはゲの神の信者だろう?」
──この男。
ウィルザは背筋に悪寒を覚えた。だが、驚愕の言葉はさらにこの後、飛び出してきた。
「それにこの世界の人間でもないのだからね」
「何者だ!?」
すぐに世界記が反応した。
『私の情報の中にもあの男については何も記されてはいない』
(世界記に記されてないだって?)
かつて今まで、そんなことは一度もなかった。
いったい、何者だというのか。
「私はケイン。ま、あんたと同じ──かどうかは分からないけれど、普通の人間じゃないことは確かさ。ところで、面白いものを持ってるね。その肩に止まっている奴だよ」
──この男、世界記に気付いている!
ふっ、と男は笑うと風に溶けるようにして消えた。
(何者だったんだ)
気付けば、冷や汗で全身が濡れていた。
世界記と共に旅をしてきて、こんなことは一度もなかった。
(──世界記にも記されていない人物、記されていない未来か。いいだろう、受けてたってやる)
あの様子からして、決して仲間などではないだろう。
だが、負けるつもりはない。
必ず、この大陸を救ってみせる──
兵舎にようやくたどりついたウィルザは横になって目を閉じた。
考えてみれば、この世界に来てからまだ一度も眠っていない。横になったとたんに睡魔が襲い掛かってきた。
八〇五年、最後の日。
明日からは八〇六年が始まる。
世界滅亡まで、あと十九年。
ウィルザはミケーネと共にサンザカル旧鉱山へと向かう。
悠然とかまえているように見えるアサシナ王宮の影がそこに映る。
本当の敵が見えないウィルザの前に現れる人々。
そして、鉱山でウィルザたちを待ち構えていた人物は──
「騎士様! どうか兄をお救いください!」
次回、第八話。
『強く優しき少女』
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