「ウィルザ、さあ新年だ! 支度は済んでいるな! 早速出発しよう!」
 ──と、朝から元気なミケーネと共に、ウィルザは王都を出ることとなった。
(ああ、そうか。ミケーネも一緒に行くんだったっけ)
 八〇六年最初の戦いは、このサンザカルの戦いから始まるのだ。

806年 サンザカルの戦い
大神官ミジュアはサンザカルにいることが確認される。騎士団が突入するが、ミジュアは既に死亡していた。騎士ミケーネバッハはこの戦いで命を落とす。


(ミジュアは既に死亡……なんとか亡くなる前に助けないといけないな。それにミケーネが命を落とす……ミケーネがっ!?)
 その事実に今さらながら気付く。
 まずい。
 非常にまずい。
『騎士ミケーネ・バッハはこの旅で死亡する』
 世界記からも冷酷な事実が告げられる。
 ウィルザは自分の顔が青ざめているのを感じた。これは決して、演技などではない。
「ミケーネ。君は一緒にこない方がいい。サンザカルに君が行くのは危険なようだ」
 それしか、自分には言えない。何しろこの戦いの何を持ってミケーネが亡くなってしまうのかすら分からないのだ。
「危険か」
 一瞬、ミケーネは顔をしかめた。だが、すぐに元の表情に戻る。
「君の予言というわけか。しかし、我が王の命令だ。怖気づいて逃げ出すわけにはいかん! 出発するぞ!」
 ミケーネは誰より自分のことを、自分の予言のことを信じている。自分が危険だといえば、それを信じてくれているのだろう。
 つまり。
(覚悟を決めたのか、ミケーネ)
 そんなことはさせたくない。
 絶対に死なせない。
(未来は絶対に、変えられる)
 この騎士を。この誠実で、優しい騎士を失うのは世界の損失だ。
 絶対に自分が助けてみせる。






 サンザカル旧鉱山の麓、ベカノ村。
 以前はサンザカル鉱山で働く者たちが多かったが、今ではすっかりさびれた小村と成り果てている。しかも、最近はそのサンザカル鉱山によそ者が住み着いたということで、完全に立ち入り禁止となっている状態であった。
 世界記の情報から、サンザカルに大神官がいるのは間違いない。ミケーネは絶対的にウィルザを信じているらしく、自分の言うことなら何でも従うという様子だ。
 まずは宿屋に腰を下ろし、サンザカルに入るために情報を集めることが先決だと話すと、すぐにそのように動いてくれた。宿屋までいき、チェックインする。
 その時だった。
「ああ、騎士様!」
 一人の村人が近づいてきて、すがりついてきた。
「ちょうどよかった。昨日、ザの神官様をお助けしたのです。今から王都にお知らせしようとしていたところです」
 ザの神官。それは、大神官ミジュア、ということだろうか。
「おお、ミケーネ!」
 だが、違った。
「ローディ様! よくぞご無事で!」
 それは大神官ミジュアの副官を務めている神官ローディであった。

神官ローディ
ミジュアの信頼厚いアサシナ王宮ザの神殿の副神官。


「いったい何があったのです、大神官様は?」
「サンザカルの中です。我々はサンザカルに、あの旧鉱山に捕らえられていたんです」
 では、大神官ミジュアも今はあのサンザカルの中にいるということか。
「ウィルザ、どうやら君の予言はまた当たったようだな」
 信じてついてきてよかった、とその顔が語っていた。
(いい奴だな、ミケーネは)
 普通なら、ここまでのことを知っているのなら、逆に自分が犯人の一味ではないのかと疑われても仕方がないところだ。
(死なせるわけにはいかない。この人物は、これからのグラン大陸に必要な人材だ)
 クノン王子に大神官ミジュア。誰も殺させはしない。
 未来は、変えられる。
「しかし、いったい誰が?」
「分かりません。彼らは正体を私たちに明かしませんでした」
 うーむ、とミケーネが唸る。世界記も人間関係がそこまで正確に記されているわけではない。
「ともかく早くサンザカルに私も連れて行ってくれ」
「よし、すぐにでも行こう!」
 ミケーネが気合を入れてすぐに宿屋を出ていこうとする。その時だった。
 宿屋に一人の少女が入ってくる。
 もちろん、普通の民宿に子供が一人で入ってくることなどまずありえない。この民宿の子でもない限りは。
 そして、もちろんそうではない。
 少女は自分たちの姿を見つけると、一直線に駆け寄ってきて、ウィルザを真剣な目で見上げる。
「騎士様!」
 まだほんの十歳になるかならないかくらいの少女だった。
「君は?」
「騎士様! どうか兄をお救いください!」
 年端も行かない子供が、そうやって目に涙を浮かべて懇願してくる。
 今が大切な時だというのは分かっている。
 だが、この少女の真剣な瞳には、ウィルザは逆らえなかった。
「どうしたんだい?」
 なだめるようにウィルザは尋ねた。
「兄はゲ神にとりつかれて、まさか大神官様を誘拐するなんて」
 ──その言葉で、場が凍りついた。
「ゲ神? どういうことだ!」
 それを聞いていたミケーネが烈火の如く怒りだし、我を忘れて少女に詰め寄ろうとする。
「大きな声を出すな、ミケーネ」
 居竦んでしまった少女にウィルザはまた優しく微笑む。
「ぼくはウィルザ。君の名前は?」
 おずおずと少女は答えた。
「私の名前はファル」
 ファル?
 どこかで聞いた名前だった。自分が聞いたことがあるということは、世界記に書かれている名前だということだ。
 ウィルザは素早く世界記に意識をあわせた。

ファル
イブスキ王家の生き残り。アサシネア・イブスキの妹。優しい心の持ち主で兄思いである。









第八話

強く優しき少女







(イブスキ王家……ということは、現アサシネア六世が倒したという先王五世の子か)
 兄を助けてほしいといった。その兄はアサシネア・イブスキ。こちらも世界記に情報がある。

イブスキ
現アサシナ王によって滅ぼされたイブスキ王家の生き残り。現在は行方不明。


(行方不明ということだが、どうやらこの件に関わっているということだな。捕まえるべきか、逃がすべきか)
 だがこれで、当初疑っていたパラドックの線はなくなったということだ。まさかイブスキ王家の生き残りが、デニケス王家の者と手を組むはずがない。
 この少女を見捨てることはできない。
「ファル──」
「ええい! 子供に付き合っている時間はない! 騎士ミケーネ! ともかくサンザカルへ急ぎましょう! 今は大神官様の救出が先決です!」
(何を)
 そのあまりの言い様にウィルザは一瞬かっとなる。だが、何か言うより早く、ファルは悲しそうな表情を一瞬浮かべて、宿屋の外へと駆け出していった。
「あ、君!」
 だが、ファルは振り向くことなく、宿屋の外へと飛び出していった。
 追いかけようとしてウィルザは宿屋の外まで飛び出す。だが、既に少女はかなり遠くまで離れてしまっていた。
「ファル! 必ず、お兄さんは助けるから!」
 その声が届いたのか、少女は振り向く。
 二人の間の距離はかなり遠く、隔てられていた。だが、しっかりと視線がからみあう。
 ファルは頷き、そしてまた駆け去っていった。
「何だったんだ、あの子は? 何か言いたそうだったが」
 ミケーネがウィルザを追いかけて出てきて声をかけてきた。
(ファル、か)
 優しい心の持ち主。兄を案じる少女。
(どうか、無事に)
 いつか、また会える。
 世界記に記されている人物ならば、必ずめぐり会うようになっているのだから。
「よし、サンザカルを目指そう」
 ウィルザがそう言うと、遅れて出てきた神官ローディも頷き「さあ早く行きましょう」とせかしてきた。
 その時だった。
「待て、ウィルザ」
 彼を呼び止める声。もちろん、忘れるはずもない。
(この声は──)
 世界記にすらその存在が記されていない唯一の存在、ケイン。
「やめた方がいい。サンザカルなど、放っておけばいいんだ。歴史に逆らうな」
「ケイン──」
 だが、ケインはウィルザの言葉を聞くことなく、そのまま歩み去っていく。
(ぼくは、歴史に逆らう)
 破滅の歴史など、自分が変えてみせる。
 そのために、自分がここにいるのだ。
「ウィルザ。今の人物は?」
 ミケーネが尋ねてくる。ウィルザは首を振った。
「分からない。でも、危険な奴だっていうのは分かる。きっと、ぼくの敵だ」
 敵、と表現したウィルザをミケーネは不思議そうに見つめ、それから頷いた。
「なるほどな。では私にとっても敵になるな」
 そんなことを平気で言い始める。完全に信頼してくれている証だ。
「ありがとう」
「なに。それより急ごう。王子が私たちを待っている」
「そうだな」
 そうして三人はようやくサンザカル坑道へと入っていった。






 サンザカル坑道はひっそりと静まり返っていた。
 村人の噂ではこの辺りに最近よそ者が住み着くようになったとのこと。既に相手は自分たちのことをわかっているかもしれないが、あえて騒ぎだてる必要はない。慎重に前へ進む。
 そして、一際広い場所に出た。そこに、一人の男がいた。
「あれは」
 ミケーネが走り出す。
「まさか」
 ウィルザもその人物を見て驚く。
 空色の髪。
 鋭い眼光。
 間違いない。あれは──
「ガイナスター! お前が犯人か?」
 ミケーネが言うと、ガイナスターは苦笑して答えた。
「俺は協力しただけだ。だが、俺はそろそろ引き上げるつもりだ。奴らとつきあっていても先がなさそうなのでな」
「奴ら?」
「本当の敵は鉱山の奥にいる。行ってみるがいい」
 一瞬、ガイナスターと目が合う。
 これは、敵味方に別れたというべきなのだろうか。
 昨日までは、共に行動をしていた仲間。
 あれだけ、目をかけてくれた人物。
(ガイナスター)
 その口がかすかに、残念だ、と動いたように見えた。
 次の瞬間、ガイナスターは一気に突進して出口へと駆け出していった。
「逃がすか!」
「待つんだ、ミケーネ! 今は大神官様が先だ!」
(逃げろ、ガイナスター)
 もう、一緒に行動ができない詫びとして。
 せめて、それくらいのことをしてやりたかった。
「そうか、そうだったな」
 ミケーネも説得力のある言葉に頷く。
「行くぞ!」
 そして、ガイナスターの言った鉱山の奥へと進んだ。







サンザカル旧鉱山で、ウィルザたちは黒幕、アサシネア・イブスキと出会う。
大神官ミジュアの命、騎士ミケーネ・バッハの命、
そして王子クノンの命がウィルザの両肩にかかる。
ウィルザは、この世界を救うことができるのか──

「今日から君は、アサシナの騎士だ」

次回、第九話。

『始まりの終わり、終わりの始まり』







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