梯子を降り、ひたすら奥へ、奥へと進む。
洞窟の中はかがり火を置く燭台が随所にあるものの、近年は発掘が行われていないため、全く灯りがない。暗い洞窟を、ミケーネの持つ松明の灯りを頼りにひたすら奥へと進む。
やがて、広い地下の空間にたどりつく。
そこだけはかがり火がきちんと置かれていて、様子がよく分かった。
ゲ神の像が三体ある広場。
坑道の最下層であった。
「おお、ミケーネ殿、来てくれたのか」
そのゲ神の祭壇に、大神官ミジュアがいた。
(無事だったのか)
ウィルザはひとまず安心して、周りを確認する。もちろん、大神官が無事だったのはいいことだが、この事件を起こした人物はいつでもミジュアを殺すことができた。
だとすれば、ここは監視されているのは間違いない。
ミケーネが近寄り、ミジュアを助ける。だが、それをじっと見ていた神官ローディが、そっとその場を離れようとした。
「待て、ローディ。どこに行くんだ」
ローディは顔色を変えてウィルザを見る。
(──さっきから、どうも神官らしくない態度だとは思っていたが)
どうやら、自分たちはこの場所におびきよせられたらしい。この、ローディによって。
「まさか」
ウィルザが一歩踏み出すと、ローディは身を翻して壁際に走り、そこにあった階段を昇っていく。
「ハハハ! まんまとひっかかったな、デニケスの犬どもめ!」
その階段の上に、かがり火に照らされて一人の男がシルエットとして浮かび上がった。
少しやさぐれたような男だった。筋肉はしっかりとついているようだが、体の線が細いのが鎧の上からでも分かる。青と緑がまざったような髪の色。そして、色白の肌が灯に照らされて浮かび上がっていた。
(あれがファルの言っていた、アサシネア・イブスキか。そして、ガイナスターが『先がない』と言っていた男か)
そう評されるのは本人にとっては不本意だろう。だが、ウィルザは同感を覚える。
正面から戦うことをせず、敵の赤子を狙うなど、賊のすることだ。決して王者のすることではない。これがイブスキ王家のやり方なのだから、先王も人望がなかったというものだろう。
だが、そこにミジュアの信頼厚いローディまでが協力するということの理由が分からない。
「ローディ! どういうことだ?」
ウィルザが尋ねる。
「私は正統なる王の命令に従ったまでだ!」
──なるほど、どうやら彼はイブスキ王家に忠誠を誓っていたということらしい。
(馬鹿だな。たとえやり方はどうあれ、民を安らげるかどうかが王としての資質だろうに)
少なくともあのアサシネア・イブスキにそんなところは微塵も感じられない。
「私の名はアサシネア・イブスキ六世。ザの大神官と共に死ぬがいい、薄汚いデニケスの犬どもめ! 偽りの王クラウデア・デニケス、私の父、アサシネア五世を殺して今の地位を得た男の部下たちは、この場で全滅だ!」
「それで復讐のために大神官を誘拐し、クノン王子を殺そうとしたわけか」
やることが小さい。王者としての資質があまりになさすぎる。
「私はアサシナを取り戻すため、ザの神の信仰も捨て、ゲの神の力を得た! その三体のゲ神に食い殺されるがいい!」
イブスキがいなくなると、その像たちが一斉に動き出した。
「大神官様、ここは危険です。早く脱出しましょう」
ウィルザが言うが、それよりも先にゲ神像が行く手を阻んだ。
「ゲ神像が……!」
両手を合わせ、禅を組むように座っている三体のゲ神像が一斉に攻撃を開始した。
一体の像から鬼火の魔法が唱えられる。だが、それを容易く回避し、至近距離から自動銃を乱射し、その一体を完全撃破する。
だが、そこで自動銃が弾切れとなってしまった。
「これを使いなされ!」
ミジュアから一本の剣が投げ渡される。微妙に婉曲した異国の剣だ。
「ありがたい」
その異国剣を両手で構え、迫るもう一体のゲ神像を迎え撃つ。
腕を伸ばして攻撃してくるゲ神の像の攻撃はウィルザの頭を痛烈に打ったが、決して耐えられないほどの痛みではない。逆にその腕を切り落とし、攻撃の手段を奪うと、あとは一刀で両断した。
(随分と切れ味の鋭い剣だ)
気付けば、最後の一体はなんとかミケーネが倒していた。これでゲ神像は完全に破壊した。
「ゲ神像を倒すとは、お前たちは何者だ」
「そんなことより、アサシネア六世への復讐は諦めるんだ! 憎しみがゲ神どもをはびこらせ、世界を滅亡させてしまう!」
「たわごとを。ひとまず引き上げるぞ」
イブスキとローディが引き上げていく。だが、簡単に逃がしはしない。今後のためにも、あのイブスキという男は危険だ。それに、世界記の記述を見ても、この男は今後グラン大陸にとって害悪となる。ここで倒しておきたい。
「待て!」
だが、途中の広場でローディと二人の騎士だけが残っており、イブスキは先に逃げ出してしまっていた。
「ローディ! イブスキはどこにいった?」
「もう脱出なされた。正統なる王にはアサシナの王座についていただかなければならない! 貴様らにはイブスキ様の邪魔はさせない!」
その声と共に、二人の騎士が銃を乱射してくる。それを回避してミケーネと共に接近し、ウィルザは異国剣で騎士を斬り倒し、ミケーネは銃で打ち倒す。
「フリーザ!」
その瞬間、ローディが凍気の魔法を放つ。ウィルザはその直撃を受け、凍てつく寒さに全身が悲鳴をあげた。
(くっ! これは──)
体中の力が一気に奪われていく。このままでは、死ぬ──
「治癒!」
だが、今度は反対にミジュアから回復の魔法がかけられる。みるみるうちに自分の体に力が戻ってくるのが分かった。
ここしか、チャンスはない。
「ローディ!」
ウィルザは十歩の距離を、一気に詰めた。
「イブスキ様!」
ローディが、最後に悲鳴をあげた。
異国剣が、彼の体をばっさりと切り裂く。
「いぶ、す、き、さま……」
力を失ったローディの体が、がくり、と崩れ落ちた。
(倒した)
大神官ミジュアも、騎士ミケーネバッハも無事だ。
(これで、歴史は変わったのだろうか)
ウィルザは一息ついて、世界記に意識を合わせた。
806年 サンザカルの戦い
アサシナの騎士により大神官ミジュアが救出される。犯人一味のアサシネアイブスキは逃亡。副神官ローディは死亡する。
『歴史が書き替わった。ミケーネ・バッハ、サンザカル旧鉱山での死亡の項目はザの副神官ローディの死亡となった』
(だが、どのみち人が死ぬことには変わりなかったな)
できれば、誰一人死んでほしくはない。
ローディとて、別に根から悪人だったというわけではないだろう。王家に仕える者として、筋の通らない現体制をどうしても認められなかったにすぎないのだ。
「早く王子に祝福を与えなければ、王子の命が危ない」
ミケーネが言うと、ミジュアが驚いたように答える。
「なんと! 王子様のお命が!? 王都に急ごう!」
ミジュアが急いで出発し、ミケーネとウィルザがそれに続いた。
その帰路。
ふと、ウィルザは思い出すことがあった。
(そういえば、宿屋で会ったあの少女、いったいどうしたんだろう)
ファル。アサシネアイブスキの妹。
これからあの兄妹は、どうやって生きていくのだろう。
あの優しいファルに苦労をかけるようなことは避けてくれるといいのだが。
(無理だな。あのイブスキという男、必ずまた自分たちの前に現れる)
そう思うと、いっそうファルという少女が哀れだった。
深い森の中。
ただひたすら歩いていく一組の兄妹。
ゲ神の加護があるので、ゲ神から襲われることはないが、それでもこのおどおどしい雰囲気に妹の足は遅れがちになっていた。
「待ってよ、お兄ちゃん」
なんとか小走りについていこうとするが、兄はそんなことは一行に気にしない。
ついてくる妹の存在に気付いてすらいないかのようであった。
「おにいちゃ──あっ」
そのとき、少女は足をもつれさせてその場に倒れた。
その間に、兄との距離はだんだんと遠くなり。
「お兄ちゃん……」
そして、少女は、完全に兄とはぐれてしまっていた。
第九話
始まりの終わり、終わりの始まり
「お待ちしておりました、ミジュア様!」
王都に戻るなり、多くの兵士たちが出迎えてくる。
「準備はできています。すぐ神殿までおこしください」
ミジュアはわき目もふらず、まっすぐに神殿へと向かった。
「よし、急がねば!」
その神殿の中に入っていくミジュアとミケーネ。
だが、その途中でウィルザの足は止まった。
「ウィルザ、どうした?」
ミケーネが立ち止まった彼を心配するように振り向く。
「僕はザの神殿には入れない。ここで待つさ」
成り行きとはいえ、ゲの神の信者となったものはザの神殿に入ることはできない。それは禁止されているというのではない。それを実行することが不可能という意味である。どんなに入りたくても、ザの神の封印がされている神殿に入ることはできないのだ。
「そうか。君はゲの神の力を受けているのだったな。しかし、君が我らが王子の命の恩人であることに変わりはないさ。我が王もそのことは忘れないと思う。ウィルザよ」
ミケーネは優しく笑った。
「今日から君は、アサシナの騎士だ」
──騎士。
「ミケーネ……」
だが、彼は爽やかな笑いを残したまま、神殿の中へ消えていった。
(ぼくが、騎士)
それを望んだわけではない。
大陸を救うために、必要なことをしただけだ。
それなのに。
(君は、ぼくのことをこんなにも信頼して、そして自分の命をかけてぼくのことを引き立ててくれようとしている)
何の力もない自分を、ここまで気にかけてくれる友。
(ぼくは、この国にいてもいいのだろうか)
世界記は答えない。
世界を滅亡から救うという目的を果たすためなら、どのような選択をしようとも世界記は反対することはないのだ。
ザの神殿の内部は、既にお祭騒ぎであった。
ようやく戻ってきた大神官。そして、新たなる王子に祝福の儀式を行うのだ。騎士たちが喜ばないはずがない。
国王も騒ぎを知ってすぐにザの神殿へと駆けつけていた。
イライのザ神殿と同じように、広間の一番奥が御神体であるザの神の御柱。この国でザの神の加護を受ける全ての人間のデータが登録されている機械だ。
清涼感を出すために、御柱の周りは水が張られている。そして、御柱の前に祭壇があり、その上に赤子、すなわちクノン王子が既に横たわっている。
「おお、ミケーネご苦労であった」
アサシネア六世は満面の笑みでようやく戻ってきた部下に声をかける。
「見ておれ。大神官様の祝福の儀式だ」
政教分離が徹底しているこの大陸では、政治の分野では国王が最も強いが、宗教の分野では大神官が最も強い。その二つの地位に差はない。お互いに相手を敬い合うという関係になる。
ミジュアが最初に神に祈りを捧げ、それから振り向いて出席者たちを見回した。
「これより、アサシネア六世の王子、クノンにザの神の祝福の儀式を行う」
そして再び御神体の方を振り向く。
「アサシナを守護したもう大いなるザの神よ! 新たなる命に生きる力を与えたまえ!」
すると、その御柱が青白い光を放った。
『新しいパーツを登録……』
「おお! ザの神のお声!」
アサシネア六世が感動の声をあげた。
『制御システム下に登録……』
まばゆい光が、神殿の中に満ち溢れ──
『……登録終了』
声が途切れたと同時に、光が収まった。
「よし、これで大丈夫だ。王子クノンはザの神の守護を受けられた!」
それを聞いた列席していた騎士たちが一斉に歓呼の声をあげた。
「クノン王子! 万歳! 万歳! 万歳!」
その声は、神殿の外にいたウィルザにも聞こえた。
(助かったのか。良かった)
世界記に意識を合わせる。だがもはや、クノン王子の死亡の項目は削除されてなくなっていた。
(また一つ、大陸が滅亡から遠ざかった)
だが、最後はこのアサシナの地下に眠る巨大なエネルギー、これをどうにかしなければならない。
(アサシナの騎士か。その方が何かと都合がいいんだろうな。しばらくこの国に厄介になることにしようか)
国を出る必要ができたのならそうすればいい。とにかく今は一段落したのだ。しばらく休むのは問題ないだろう。
(今年はもう何も起きないか……また来年だな)
世界滅亡まで、あと十八年。
807年。ウィルザは国王の信頼厚いアサシナの騎士となっていた。
だが、世界は確実に滅びへと向かっていた。
東部自治区で生じた大規模な混乱を沈めるため、再び旅立つ。
その途中、立ち寄った村で、彼が見たものは。
「さようなら、旅人さん」
次回、第十話。
『失くした過去』
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