「騎士ウィルザ。陛下がお呼びです。政庁にお来しください」
──あれから一年が過ぎた。
八〇六年はあれから何事もなく過ぎ去り、八〇七年も気付けば七月になってしまった。
国王からの直接の呼び出し。
どうやら、いよいよ何かが起こり始めたらしい。
この一年というもの、世界記に目立った記述がないため、国王やミケーネがいろいろと尋ねてきても満足な返答ができないということが多かった。それもしかたのないことだ。自分は大陸の滅亡に関わることしか話すことはできないのだから。
だが、それでもこうして信頼してくれているのはありがたいことだ。
政庁まで出向くと、騎士ミケーネも到着しており、自分が来るのを待っていたようであった。
「ウィルザよ」
最近、以前にまして力の衰えが見えるようになった国王が、それでも威厳を失わぬままに声をかけてきた。
「東部自治区へ視察に行ってきてほしいのだ。何やら不穏な動きがある様なのだ」
不穏な動きということは、自治区が完全な独立を狙っているとか、そういうことだろうか。
と、そのとき左右にいるカイザーとエルダスから厳しい視線が送られる。
(なるほど、あまり期待に応えないぼくに対する評価をつけるということか)
満足な成果を残せないようであれば騎士として雇っている価値がないということだ。
「はい」
素直に頷く。
(東部自治区か)
世界記に意識をあわせようとしたが、その前に国王は話を切り替えていた。
「ところでカイザーよ。新王都計画は進んでいるか?」
(新王都?)
そういえば、そんな出来事もあったような気がする。
「はい、陛下」
「いよいよ実行ですか」
ミケーネが感極まったかのように続ける。
「アサシナの力を世界に示すために築いた新たな王都がいよいよ完成したのだ!」
この王都移転にはカイザーの力を全て注ぎ込んだといっても過言ではない。六世の即位以来、新王都の建設事業を一手に引き受けて行ってきたのだ。
「王都の移転を成功させるためにも、東部自治区の事は頼んだぞ、ウィルザ」
(なんだ? 東部自治区の件と王都移転は何か関連があるのか?)
どうにも国王たちの考えがよめない。不穏な動き、とあったが、それはよほど大きな話なのか。
「私も同行する」
ミケーネが優しく微笑みながら言った。それは心強いことだ。だが今は、国王の話が気になる。
(たしか、東部自治区に異変があったんだよな)
改めてウィルザは世界記に意識を合わせた。
807年 東部自治区事変
東部自治区で天使の暴走が起こる。原因は天使使いザーニャがザ神の制御装置である『天使の鈴』を紛失したことによる。
(──事件の名前が、変わって……)
807年 天使暴走事件
東部自治区で天使の暴走が起こる。原因は天使使いザーニャがザ神の制御装置である『天使の鈴』を紛失したことによる。
(天使の暴走か。国王陛下の言われる不穏な動きとこの件が関係があるのかどうかはともかく、東部自治区へ行かなければならないのは決定だな。ちょうどよかったというべきか)
国王がザーニャという天使使いの件まで知っているのかどうかはともかく、ザ神の信仰厚いこのアサシナで、天使の暴走などというニュースを広めるわけにはいかない。
『東部自治区の混乱は、放っておくとアサシナ全土に広がるおそれがある』
(結局は早期解決しなければ駄目ということか)
ふと、ウィルザは思い立ったことがあり、ミケーネとあとで落ち合うことを約束し、先に王宮を出た。
世界記の記述だけでは正直、情報量として足りない。彼がこの一年、主に情報収集源としていたのは世界記ではなく、天使アルルーナであった。
いつものようにアルルーナの館はひっそりとしていた。託宣をくれるというアルルーナだが、実際に託宣をもらえるのは多くない。事実上、ウィルザ以外の誰が話しかけたところで答えてもくれないというのが関の山であった。
『東部自治区は南東の関所のはるか彼方。不穏な空気が漂っています』
(南東か)
『あなたは、もう随分とその体に馴染んだようですね』
「そうだな」
『ですが、忘れてはなりません。その体はかりそめのものであるということを。あなたはこの旅でそれを思い出すでしょう』
「それは……」
どういうことだ、と尋ねたかった。
だが、アルルーナはもう答えない。言うだけのことは言った。あとは行動するのは自分だということらしい。
(仕方がないな。行けば分かることだろう)
それに、そこまで悪い託宣というわけでもない。自分が常に心構えをしっかりとしておけばいいだけの話だ。
「遅いぞ、ウィルザ」
「ああ、すまないミケーネ」
門のところまで行くと、既にミケーネが待っていた。
おそらくこの人物は、自分が今回の事件を無事に解決できるか心配なのだろう。だが、問題はない。
(世界記にある事件なら、僕が解決する他はないからな。天使暴走事件の原因が分かっているのなら、その原因を解決すればいいだけのことだ)
天使の鈴。それを無事に発見できるかどうか、ということ。
それ次第では、民衆のザ神への信仰心が薄れてしまうことになる。
(確かに、全アサシナの問題だな。世界記の言う通り、そして国王陛下が気にされているとおりだ)
馬に乗った二人は、アサシナを南にくだり、関所を越え、さらに東に広がる砂漠を横目にしながらさらに南下していく。
そこに、村があった。今日はそこで休憩していくことになった。
「何ていう村なんだい?」
その質問に対し、ミケーネは普通に答えた。
「ああ、ザ神殿のあるイライという村だ」
──彼の体は、凍りついたように動かなくなった。
第十話
失くした過去
あれから二年。いや、実際には一年と半年か。
あのときは全くこの村の様子とかを気にかけている状況ではなかった。だが、こうしてみると割と活気のある村で、近くに港町もあるせいか、人の出入りもあるようだった。
だが、彼がこの村に足を踏み入れた時、明らかに村人たちの様子が変わった。
仕方のないことだ。
自分はこの村ではウィルザではない。
『トール』というこの村の青年の名で呼ばれるのだ。
「なんだか、変な雰囲気だな」
ミケーネが自分たちに──いや、自分に注がれる視線に気付いたのか話し掛けてくる。
「仕方がないさ」
「理由が分かっているのか?」
「ああ。ぼくがいるからだ」
「?」
「ぼくはこの村の出身なんだ。婚約者との結婚式を翌日に控えて逃げ出した、最低の男としてぼくのことは認識されているだろうね」
「……」
ミケーネは顔をしかめて見つめてくる。
「それは──」
「貴様、トール!」
走ってきたのか、一人の男が駆けつけてきた。ウィルザと同じような背格好に、長く蒼い髪をした青年だった。普段は農作業をしているのか、立派な体つきだった。
その男はいきなりウィルザの顔を殴り飛ばした。
「今さら何のつもりで帰ってきやがった! ルウをあんなに泣かせて! 俺たちがあんなに祝福してたのに! お前みたいな奴を信じた俺たちが馬鹿だったよ!」
この男の顔は知らない。知るはずがない。知っているのはトールであって、ウィルザではない。
だが、その様子から察するに、トールとよほど仲のいい友人だったのだろう。だから祝福した。それを裏切った。
(結婚式をすれば皆は殺されていた。仕方のないことだ。でも)
その男は泣いていた。どうして裏切ったのかと。どうしてルウを泣かせたのかと。
(辛いなあ……)
アルルーナの言ったことはこういうことか。
この体はあくまでも『トール』のもの。自分がいかにウィルザと名乗ったところで、トールのことを知っている者には自分はウィルザではないのだ。
「そこまでにしたまえ」
ミケーネがその男の腕をつかんだ。
「何だてめえは、トールの仲間か!」
「この男はトールという名ではない。ウィルザという名で、アサシナの騎士だ」
「アサシナの騎士!? ルウを泣かせたのは出世の邪魔になるからかよ、トール!」
「違う。この男を騎士に引き立てたのは私だ。彼の意思ではない。どんなことでも彼の責任にするのはよくないだろう。何があったのかは分からないが、彼にも事情があったのだから、その程度にしてやったらどうだ」
強く腕を握り締める。男はそれを引き剥がそうとするが、ミケーネの力にかなうはずもない。この優男はこう見えてアサシナの騎士団を束ねる隊長なのだ。
「くっ……とにかく、トール! この村でお前のことを認めてる奴なんか一人もいないぞ!」
「ああ、分かっている。でも、一つだけ教えてくれ」
ウィルザは決して謝りもしなければ、屈することもなかった。ただ、いつも通り、自分のなすべきことを成す。それだけを考えた。
「ルウは、どうしている?」
「あいつは……」
きっ、とウィルザが睨みつけられる。
「もう、イライにはいない」
「いない?」
「ああ。あいつは……それでも、最後までお前のことを信じてた」
「最後まで──まさか!」
最悪の状況を考える。だが、男は首を振った。
「違う。あいつはこの村を出ていったんだ」
「村を」
「ああ。ルウはお前の家に伝言を残したと言っていた。行ってみるんだな」
くるりと翻った男は、そのままゆっくりと歩み去っていった。
「ありがとう」
その背に声をかける。だが、男は振り向かなかった。
「……ウィルザ」
ミケーネが心配そうに声をかける。彼は苦笑して、首を振った。
「変なところを見られて悪いな、ミケーネ」
「いや。お前のことだ。よほどのことがあってこの村を出たのだろう。あえて聞かないが、もし私で力になれることがあったらいつでも言ってくれ」
聞きたいことは山ほどあるだろうに、この男は常に自分を大切に考え、行動してくれる。
彼は笑って、ミケーネの肩に手を置いた。
「お前はいい奴だよ、ミケーネ」
「ウィルザ」
「話すときが来たら話すよ。でも、今はルウの伝言を見てみたい」
「ああ。お前の好きにするといい」
ウィルザは頷き、自分の家へと向かった。
たった一度しか来たことはなかったが、どうやら道順は覚えていたらしい。
中はひっそりとしていて、少しカビの匂いがした。
一年と半年。誰もここには来なかったということなのだろう。だが、人の踏み入った形跡はある。おそらく結婚式当日に自分を探しに来た人たちのものだろう。
机の上にも、寝室にも、どこにもルウの伝言らしいものはない。
ふと目を壁に向けると、そこに、紙が張ってあった。
(これが伝言か)
『トールへ
私には何故あなたが去ったのか、結局分かりませんでした。
このままこの村であなたが帰ってくるのを待とうとも思いましたが、でも、私も旅に出ます。
このグラン大陸に何かが起こっていることは分かります。
私なりにそれを探してみようと思います。
それに旅していれば、いつかあなたに会えるかもしれないから。
さようなら、旅人さん。
ルウ』
その書き方は何点か気になるところがあった。
旅人。
それは、この村に先祖代々いる者に対する言い方ではなかった。
(トールの父親は、この村を守るために盗賊と戦って死んだ)
その知識はある。この村に墓もある。
(そうか……トールの父親は旅をしている中でこの村にたどりつき、用心棒のような形でこの村に住み着いたのか。そして、結局命を落とした。トールはその父親の子供。だから、村の中では異端のような扱いだった。さっきの男が『お前みたいな奴』と言ったのは『お前みたいな余所者』という意味だったのか)
そしてもう一つ。
(ルウが、このグラン大陸の異変に気付いている)
大規模な天変地異など起きているわけではない。
確かに盗賊の横行など起きてはいるが、それはいつの世も同じことだ。
(世界記。ルウのことは何か、わからないのか)
『不明。彼女はこのグラン大陸に影響を与えるような人物ではない。そのような人物は私の中にデータとして保存されていない』
(分かった。ありがとう)
『ウィルザ。お前はトールの死とは関係ない』
(分かってるさ。お前、慰めてくれているつもりか?)
世界記は答えない。この世界記もこの一年と半年の間で、随分と人間くさくなったものだ。
「ミケーネ。一晩休んだら出発しよう」
少し表情に明るさが戻ったのを見たのか、ミケーネも安心したように「ああ」と答えた。
(ルウには悪いことをした。でも、どうか無事で)
今ごろ、いったいどこにいるというのか。
考えてみれば、アサシナの騎士となった時点で彼女のところへ一度戻ることは充分にできたはずだった。
そうしていれば、今ごろは彼女が自分の傍にいたのかもしれない。
(まあ、仕方のないことだな)
どのみち、二十年という期限が過ぎれば自分はいなくなる。
死ぬ時まで一緒にいられないというのなら、自分は最初からいないものと思われていた方がいいのかもしれない。
(いつか会えたら、心から謝ろう)
もちろん、何度思い返しても、あの時、結婚式に出ることはできなかった。
それをふまえたうえで。
(かなうなら、君が幸せでありますように)
それがかなうのか、かなわないのか。
全ては、歴史だけが知っている。
東部自治区でついに、天使が暴走を始める。
何故、天使の鈴はなくなってしまったのか。
この事件を止めなければ、民衆のザ神に対する信仰心は弱まってしまう。
ウィルザはこの事件を止めることができるのか。
「この暴走で天使に対する信頼は恐怖に変わるだろう!」
次回、第十一話。
『天使暴走事件』
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