東部自治区にいるゲ神は強い。
 巨大化した蜘蛛、ガンナ神が鋭く振り下ろす前足は、一度ウィルザを昏倒させるほどであった。
 また、翼の生えた蜥蜴、キメモリ神は、気付けば無限に仲間を呼びつづけ、囲まれた時には無理矢理活路を開いて逃げ出すのが精一杯であった。
「随分と大変なところなんだな、東部自治区ってところは」
「ああ。私もここに来る度に思う。一人で来なくて正解だっただろう?」
 全くもってその通りだった。これほどの強さのゲ神がいるのに無事に暮らしているこの地区の人々のたくましさは大したものだ。
 東部自治区。港にはアサシナの属領であるドルークとの定期船が出ている場所である。
 ドルークはまさに陸の孤島とも呼ばれるべき場所で、この東部自治区からの定期船ユクモに乗らなければ行くことはできない。ドルークの周りは緑の海と呼ばれる密林で覆われており、陸路で行くことはまず不可能だ。
 さて、この東部自治区が自治権を持っているのは、この地方をおさめる天使使いザーニャという人物の力のおかげである。
 ザーニャの家は自治区の中心に位置し、一際大きな屋敷になっているので誰でも分かる。
 早速だが、二人はそのザーニャの家に行くことにした。
「天使! こんなにたくさん」
 その家の中は、機械=ザの天使であふれていた。
 家の中を普通に天使が動き回り(おそらくは雑用のための天使なのだろう)、いたるところで機械音が鳴り響いている。
「どなたです?」
 どことなくとぼけた声が聞こえ、そして屋敷の奥からやはりとぼけた表情の女性が現れた。
 白いローブに身を包み、肩まで伸びた紫色の髪と、同じ色の瞳が幾分神秘性を感じさせる人物であった。まだ三十前後といったところだろうか、どことなく大人の女性という雰囲気も醸している。
「私はザーニャ。東部自治区をアサシナ王より預かる者です」
「失礼しました。私はウィルザといいます。アサシナ王より東部自治区の視察を頼まれてまいりました」
「視察?」
 ザーニャは声は不思議そうに、だが表情はとぼけたまま答えた。
「何かと思えばそんなことですか。どうぞご心配なく。たとえ何があろうとも、私には天使たちがいます。天使様は人のために働いてくださるのですよ」
 ウィルザは後ろにいるミケーネと視線をあわせた。
 おそらく、この人物はさほど何も考えていないのだろう。もし彼女が策士で、この東部自治区の完全な独立などを考えているのなら、間違いなく世界記にそのことが記述されているはずだ。だがそんな記述はどこにもない。
 だがここで起きる事件は、そんな独立とかいうレベルの問題ではないのだ。
(天使の鈴について、尋ねるべきか?)
 余計なことをして事態が混乱するのは避けたい。だが、何もしないのでは歴史は変わらない。
(出直すか)
 今後の展開が見えないのでは、どうすることもできない。
 いずれにしても、この事件の展開をしっかりと見定めなければならない。
(民衆のザ神への信仰心が落ちてはならない。そのために、ザの天使の暴走は防がなければならない)
 放っておけばザ神への不審が大陸全土に広まってしまうことになる。
 その時である。
「私たちは目を覚まさなければならない!」
 広場で演説する一人の男。まだ青年といっていい若い男であった。それが広場の台の上にたち、聴衆を集めて演説を行っていた。
「天使? ザの神? そんなものを信用してはいけないのだ!」
 こいつは。
 さすがにこの言い分に聴衆からもクレームが出る。ミケーネもいい顔はしなかった。
「天使様はザの神がつかわされた聖なる使いだ!」
「何を言ってるんだ!」
(そういうことか)
 ようやく、事態のカラクリがウィルザには分かった。
「どうした、ウィルザ?」
「いや、準備は万全に整えた。だから、あんな演説をすることができるということなんだろう」
「?」
 ミケーネは全く理解できていない。当たり前だ。
 あの男は、ザの天使が暴走することを知っている。
 先にザの天使の危険性を訴え、その上で実際に天使が暴走し、それをもってザの天使への不審とする。ただ暴走するより、先に演説で民衆の心の中にザの天使への不安をあおっておく、その方が効果的にザの神への信仰心が薄れることになる。
(どうすればいい?)
 何故あの男が暴走事件のことを知っているのか。
 それは──
(知っているのは、予言者か実行犯だけ、か)
 しっかりと男の顔を目に焼き付ける。右目に比べて左目の方が若干閉じ、顎のラインが随分と角張っている。特徴的な顔だ。見忘れることはないだろう。
 直後、ザーニャの館から爆音が響いた。
「な、なんだ?」
 自治区民たちが不安げな声をあげる。そこへ、一人の青年がやってきて、叫んだ。
「大変だ! ザーニャ様の天使様たちが突然暴れ出した!」
「なっ」
 ミケーネが驚いた様子を見せる。だが、その間もウィルザは演説をしていた青年をじっと見つめていた。
「それみたことか! やがて天使たちは私たちを殺し始めるぞ!」
「ミケーネ。あの男を捕まえるぞ」
「なんだって?」
「天使に対する不審をあおり、その直後にこうした事件が起きた。無関係とは思えない。あらかじめ天使が暴走することを知って演説を行ったのだとしたら──」
 さっ、とミケーネの表情が変化する。
 そしてすぐに行動に移そうとしたが、区民たちが混乱して行く手をさえぎられている間にいつしか男は姿を消してしまっていた。
「くそっ、逃げられたか」
 やむをえない。対処療法になるが、天使暴走の原因を解決するしかない。
「ザーニャの屋敷へ戻る」
「分かった」
 既に街中には暴走天使が闊歩していた。天使の危険が先に触れ回られたためか、幸いまだ怪我人は出ていないようだった。
 ザーニャの屋敷に入ると、そこにはおろおろしたザーニャがいて、自分たちを確認すると近づいてきた。
「どうしましょう! どうしましょう! 天使と意思を通じさせるための天使の鈴がなくなってしまいました! 天使たちを止められません!」
 そんなことははじめから分かっていた。問題はその天使の鈴は何者かに盗まれたということなのだ。
「不審な人物はいなかったか?」
 尋ねられて、ザーニャはぴたりと止まる。
「そういえば、黒い服の怪しい男が家の周りをうろついてた……あの男が盗んだのかしら? どうしましょう!」
 そしてまたパニックに陥る。やれやれ、とウィルザはため息をついた。
 ウィルザは一度拳を握ると、思い切り彼女の頭に拳骨を落とす。
「しっかりしろ! 君がこの混乱を鎮めなくてどうするんだ! まずは住民たちを避難させろ! 暴走天使はまだ積極的にこちらに攻撃をしかけてきているわけじゃない。急いでまず港に避難させ、船から一端沖合に出て区民を保護するんだ。その間にぼくたちが天使の鈴を見つけてくる」
 はっ、と彼女はようやく目が覚ましたのか、真剣な表情に変わって屋敷を出ていった。
「ぼくたちも行こう、ミケーネ」
「ああ。だが、どこに行けばいいのか分かっているのか?」
「さっきの男を捜す。いや、というより──」
 屋敷を出た二人の目の前。
 そこに。
「どうやら、向こうの方からやってきてくれたみたいだ」
 先ほど演説していた男が、そこに立っていた。







第十一話

天使暴走事件







「フフフ、どうしました? 王都の騎士様。そんなにあわてて?」
 先ほどからこの男が犯人だろうとは思っていたが、これだけ怪しい行動を取るのならもはや遠慮はいらない。手短に要件だけを述べた。
「天使の鈴を探している」
「それなら私が持ってますよ。間抜けな天使使いザーニャから奪ったものだがね」
「やはり貴様が犯人か。何のために?」
 あまり驚いた様子を見せないウィルザに、男は多少苛立ちを覚えたようだった。
「この暴走で天使に対する信頼は恐怖に変わるだろう!」
 と、その男の後ろに暴走天使が二体やってくる。
「そしてザの神への信仰を捨て、我らがゲの神を信じるようになるのさ」
「ゲ神信者か……何故ザ神を憎む?」
「やれっ! 暴走天使よ!」
 だが男は質問に答えず、ただ攻撃を開始した。
 直後、二体の暴走天使から砲撃が放たれる。ウィルザとミケーネは互いに別れて挟み撃ちにする格好で、それぞれ反対側から突進した。
 ミケーネが銃の狙いを暴走天使の砲身を狙う。その砲身の筒に弾が放たれ、内部で爆発を起こす。
「なっ」
 男が動揺している間にウィルザは間合いを詰めていた。もう一体の暴走天使の砲塔を剣で切り落とすと、天使の胴体部分にある『天使の心』を剣で突き刺す。それで、天使は完全に沈黙した。
「馬鹿な」
 男はすぐさま剣を抜いたが、遅い。ミケーネの銃でその剣が弾かれると、ウィルザの剣が彼の左肩を貫いた。
「がっ!」
 地面に押さえつけられた男に、後ろからウィルザが馬乗りになる。
「さあ、天使の鈴を出してもらおうか」
「くっ!」
 男は顔をしかめて、ぐっ、と力を込める──直後、彼の体から力が抜けた。
「毒か」
 しまった、と思ったが既に遅い。よほど即効性のある毒だったらしく、既に事切れている。
 その男の懐を探すと、チリン、という音がした。
「これが天使の鈴か」
 それを手に取ったところで、ザーニャが戻ってきた。
「天使使いザーニャ。天使の鈴は取り戻しました」
 彼女にそれを渡すと、彼女はそれを軽く振り、天使の暴走を鎮めていった。
「私が天使の鈴……天使たちの制御装置を盗まれたせいだわ」
「違います。さっきの男はゲの神の信者のようでした。その男が天使に対する恐怖をみんなに植え付けようとしてやったことです」
「しかし、天使には自らの意思を持ち行動できるものと、私の天使のように道具によって制御を必要とするものがあります。暴走した天使の前に、人間はなんと無力なのでしょう」
 彼女は今さらながらに、自分が使役していた天使たちの恐怖を感じたようであった。
(ある意味で、この男の役割は成功したのかもしれないな)
 ウィルザは苦々しい気持ちでいっぱいだった。
「天使使いである私がしっかりしなければいけなかったんです」
 彼女の顔は、最初に会ったときのようなとぼけた様子はどこにもなかった。
「残った天使たちには今、屋敷に戻って永久に自らを封印するよう命令しました。使者どの、天使の鈴は差し上げます」
「ザーニャさん」
 苦笑して、ザーニャはその場所を去っていった。
(つまり、自治権を返上するということか)
 東部自治区の自治権は彼女が天使を制御していたからに他ならない。それを返上したということは、同時に自治権をも返上したということに等しい。
(大陸のためには、その方がいいのかもしれない)
 アサシナという国が強いほど、この大陸を守ることは容易になる。
(ありがとう、ザーニャさん)
 この大陸を守るために、天使の鈴は有効に使わせてもらうことにした。

807年 天使暴走事件
東部自治区で天使の暴走が起こる。原因は天使使いザーニャが制御装置である天使の鈴を紛失したことによる。しかし、アサシナより派遣された騎士により事件は解決される。


「終わったな」
 ミケーネに言われて「ああ」と頷いて答える。
「それじゃあ、王都に戻るか」
「いや、ちょっと待ってくれ。この地方の混乱は鎮めておきたい。しばらくこの地域の様子を見てから王都に戻ることにする」
「そうか。君がそう言うならそうしよう。じゃあ、誰かに報告をさせることにするよ」
「そうしてくれ」
 ウィルザはそう言って、暴走天使が蹂躙した町の様子を見に動き始めた。ミケーネもそれについてくる。
 船は出港というところまで行かなかったらしく、既にザーニャの指示によって避難していた人も徐々に戻ってきているようであった。
(人間の力はたくましい。これくらいの事件、すぐに元通りに戻るはずだ)
 そう思って港から戻ってくる人々の列を見つめる。
 その中にいた一人の少女と目が合った。
 赤い髪の、少女。

「あら、あなたは」

 そこに、あのサマンがいた。







再会した『導きの少女』は次の事件への架け橋であった。
東部自治区からドルークへと向かう連絡船。
ウィルザは大陸の混乱を防ぐため、サマンとともに乗り込む。
そこで出会う人物こそ、この大陸の命運を担う女性であった。

「王都の騎士であるあなたの言葉を信じましょう」

次回、第十二話。

『連絡船ユクモ』







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