(サマンか)
 あまり会いたくない──というと言い過ぎだろうか。
 なにしろこの女性は会ったばかりの自分を身代わりにして助かろうとした人物だ。あげくのはてに二人一緒に牢屋に入れられてしまった。
 彼女に会うときは、必ず何かしらのトラブルに巻き込まれる。
 そんな気がしていたし、その予感は絶対に間違いではない。
「いたたた……」
 サマンは突然かがみこんで足の辺りを押さえた。その様子にミケーネが心配そうに近づいて膝をついた。
「どうしたのです、お嬢さん? さっきの騒ぎで怪我でもされたのですか?」
「ええ、いきなり天使たちが暴れ出すなんて。急いで物陰に隠れようと思ったら足をくじいてしまって。早くドルークに帰りたいのに。姉が連絡線ユクモに乗っているんです。早く行かないと、もう出港してしまいます」
 どうしたというのだろう、この少女の変わりようは。
 こんなしおらしい少女ではなかった。周りのものを全て利用できるだけ利用する、そんな少女だったはず。
「ウィルザ」
 ミケーネが振り返って真剣な顔で言った。
「この方をドルークまでお送りしてさしあげたまえ」
 何を言い出すんだミケーネ、と喉元まででかかった声が止まった。
 サマンの、してやったり、という表情を見たからだ。
(──こいつ)
「しかし」
「ああ、とても一人では帰れそうもないわ」
 サマンがさらに追い討ちをかける。こいつは、分かっていてやっている。明らかに自分を利用するつもりだ。
「困っている女性を助けるのも騎士の勤めだぞ。自治区の治安は私に任せておけ。ではお嬢さん、私はこれで」
 ミケーネはそう言ってその場所を離れていく。
(あの馬鹿)
 彼が完全にいなくなったところで、サマンはようやくいつもの笑みを浮かべた。
(全く、相手が女性ならとことん甘い奴)
 あれはミケーネの悪いところだろう。早く直さなければ性質の悪い女に騙されるに決まっている。
 こいつみたいに。
「あ、何か言いたそうな目」
「当たり前だ」
 はあ、とため息をついた。
 直後。

807年 神官リザーラ暗殺
ザの神官リザーラが連絡船ユクモにて暗殺される。

807年 ゲ神排斥運動
リザーラ暗殺により、ゲの神に対する排斥運動が始まる。混乱は全土に広がり、ゲ神狩りが始まる。


『ゲ神信者によるザ神官リザーラの暗殺がきっかけで、ゲ神排斥の声が大きくなる』
 世界記からの指示が届いた。無論、それはリザーラの暗殺を止めろ、という意味だ。リザーラは現在こちら、東部自治区まで来ており、この連絡船ユクモでドルークに戻るところだということだ。
(なるほど。リザーラを暗殺から救うためには、どのみちユクモに乗らなくては駄目か)
 ならばこのサマンの申し出は渡りに船というものかもしれない。
「仕方がないな。ドルークまで送ろう」
「ふふ、心強いわ。ドルークまでよろしくね」
 少女らしい、可愛らしい笑みを彼女は見せた。
「何が心強い、だ。お前、ミケーネを利用してぼくを同行者に選んだんだろ」
「そうよ。だって、か弱い女の子が足をくじいているのよ? それに私、けっこうあなたのこと、かってるのよ」
「利用できる相手として?」
「失礼ね。けっこう見目はいいし、さっきの様子だとどうやったのかしらないけど、アサシナの騎士になってるんでしょ? 盗賊として捕まっておいて、随分な出世じゃない」
 さすがに目ざとい。あの一瞬で全部を判断してこうした態度に出ているのだ。
「まあいいさ。どのみちユクモには乗らなければいけなかったんだ」
「ふうん? ま、一緒に行くにこしたことはないでしょ。何せ、顔見知りだし」
「ま、サマンといると退屈はしなさそうだ」
「どういう意味!?」
 むっ、とサマンが睨みつけてきたところを視線をそらす。
 その、先に。
「また会ったね」
 ──黒フードの男がいた。
(ケインか)
 幾度となく、自分の前に現れては謎の忠告をしていく男。
 いったい、この男の狙いは何なのか。
「ユクモに乗るのかい? 航海の安全を祈っているよ」
 そしてケインは去っていった。その怪しい様子に、サマンも言葉が出せずにいる。
「何者なんだ」
 不安だけが、彼の中で高まっていった。
 と、そのとき。世界記から突然忠告が来た。
『リザーラは歴史に影響を与える人物だ。この世界を救いたければ暗殺を食い止めることだ』
(もちろんだ)
 素直に答える。
『……』
 だが、何故か世界記は逡巡したような意識を見せた。今までにない様子だった。
(なんだよ、ぼくがさっきの男を気にしてユクモに乗らないとでも思ったのか? 大丈夫。自分のやることは心得ている)
 そう。世界を破滅に導く事件を一つずつ解決していかなければならないのだ。
 そうして最後はこの大陸を救う。
(あと十八年か)
 この世界には、随分と長くいることになりそうだ。
「ねえ、今の人、知り合い?」
 サマンが興味深そうに尋ねてくる。
「サマンと同じくらいには」
 んー、と考えてサマンはぽんと手を打った。
「単なる顔見知りか」
「そういうこと」
 適切な言葉遣いに思わず苦笑がもれた。
「ねえねえ、何かおみやげとか買っていってもいいかな」
 元気に跳ね回る様子を見ていると、やはり足の怪我というのは嘘だったようだ。
「かまわないけど? でも、出航が近いから早くすませろよ」
「うん」
 サマンは港の近くに出ている土産物屋をあちこち見て回っていく。
(やれやれ。本当に、一緒にいて飽きないな)
 ルウのように美人というわけではないが、あの小さな少女は生命力であふれている。自然と目が引き寄せられる。人好きのする可愛い女の子だ。
(ルウ、どうしているかな)
 旅に出た、かつての婚約者。
 どうか無事でいてくれるといいが。
「もし、旅の方」
 と、物思いにふけっていると若い男が話し掛けてきた。
「はい」
「いや、実は私はこの東部自治区まで買い物に来たんだが、お金を落としてしまって。それで非常に申し訳ないんだが、お金をいただけないかと思ったのです。もちろん、ただというわけではありません」
「はあ」
「これを見てください。先ほど、近くで手に入れたものです。召霊玉といいまして、ザの神の力がこめられたものです。価値のあるものです。これを──五百で、買っていただけないでしょうか」
(五百か)
 それくらいの余裕はある。人助けと思って買うのも悪くはない。ただ、使い道はなさそうだ。何しろ、自分はゲの神の力を手に入れている。ザの神の力を持っていても仕方がない。
「まあ、いいでしょう」
「おお、すまないね! ザの神官様ならこの召霊玉も充分に使えるだろう。ドルークには有名な神官様がいらっしゃることだし、見てもらうといい」
「ありがとうございます」
「何、礼を言うのはこちらの方です。助かった、ありがとう」
 そうして男は去っていった。あとに残されたのは召霊玉という、不思議な白色の球体のみ。
(ま、いいか)
 ちょうどユクモにはリザーラが乗るらしいし、会ったら渡してみるのもいいだろう。
(さて、そろそろ出航だな)
 汽笛が鳴る。出航まで間もない。
「サマン! 行くぞ!」
 遠くでまだ土産物を見ているサマンに声をかけた。







第十二話

連絡船ユクモ







『ユクモはただ今より、ドルークへ出航いたします。到着は明日となる予定です。皆様、素敵な船旅をお楽しみください』
 連絡船とはいえ、ユクモはドルークへつながる唯一の手段である。サービスはいきとどいているし、船の内装がよくできていた。床は全面赤のカーペットがひかれており、壁は綺麗なタペストリがいたるところに飾られている。もっともそれは客室の方だけで、おそらく荷物が積載されている方は全く景観が異なるのだろうが。
 もしもユクモが失われたらドルークは孤立する。ドルークにしてみるとこの連絡船は生命線ともいえる。ドルークの周りは緑の海と呼ばれる森林に覆われており、東部自治区よりも凶悪なゲの神や、狂ってしまったザの天使=堕天使までいるのだ。
 連絡船ユクモがどれほど大事なものなのか、それはドルークの民が一番よく分かっている。
「ところでサマン、お姉さんは──」
「うん、こっち」
 サマンを姉のところに送り届けたら、船内にいるはずのリザーラに会い、暗殺の事実を話して食い止めなければならない。
「実は、私がこの船に乗ってるの、お姉ちゃんには内緒なんだ」
「ふうん?」
「お姉ちゃんがちょうど東部自治区に来るっていう話は聞いてたから、それにあわせてこっちに来たんだけど、それでさっきの事件でしょ? お姉ちゃんに会うこともできなくて。仕方ないからユクモに乗って久しぶりに里帰りでもしようかと思ったんだ」
「盗賊家業はやめたのか?」
「まさか。でも、お姉ちゃんの前でその話はやめてよね。一応働きながら各地を旅してるって言ってるんだから」
「はいはい」
 随分と姉を好いているようだった。確かに姉に嫌われるようなことを教えるのもはばかられる。それくらい黙っていても問題はない。
「お姉ちゃん!」
 扉を開けて、船室に入る。
「サマン! サマンじゃないの?」
 そこに、美人の女性がいた。サマンと違った短い水色の髪を赤いヘアバンドで止めている。自分より年上で、二十はもう過ぎていただろう、色っぽい雰囲気を出している。紺色のパンツスーツに、薄い青緑色のシャツに上から淡いピンクのカーディガンを羽織っている。
 その女性は、久しぶりにあった妹を強く抱きしめ、その端整な顔に満面の笑みを浮かべていた。それだけ、彼女にとっても妹との再会というのは喜ぶべきことだったのだ。
「まさかサマンが乗っているとは思わなかったわ」
「へへ、お姉ちゃんを驚かせてやろうって思って。いっそいで東部自治区まで来たんだから」
「この子ったら──いつだって、ドルークに来れば会えるじゃない」
「ま、そうなんだけど。でも家で再会するより新鮮でいいでしょ?」
 そんなやり取りを聞きながら、ウィルザは女性の一挙一動をじっと観察していた。
 サマンとの会話の中でも、あまりに無駄のない動きをする。一つ一つの動作が丁寧で、正確だ。
 一つの作られた造形美のような、そんな雰囲気すらある。
「あら、そちらの方は?」
 その女性が、自分に気づいて視線を向けてくる。
「こちら、王都の騎士ウィルザさん。私をドルークまで送ってくれるのよ」
「はじめまして。ウィルザといいます」
「妹がお世話になりまして。私、リザーラと申します。ドルークで神官をしております」
(は!?)
 その言葉で、思わず叫び出しそうになるのをこらえた。
(リザーラと、サマンが、姉妹?)

神官リザーラ
ドルークのザ神殿の女性神官。ミジュアに副神官におされたこともあるが、本人の希望でドルークの神官にとどまる。幾つかの特殊な力を持つ。


 突然のことで困惑するが、とりあえず動揺しているところを見られるのはまずい。
「リザーラ……さん、ですか」
 さすがに、完全に動揺を隠しきれるというものでもなかったが、特別不振に思われるようなところはなかっただろう。
「ええ。ドルークも大変な場所ですから、神官がいなければザの祝福を差し上げられる者がいなくなります」
「お姉ちゃんはね、大神官様から副神官におされたこともあるんだよ!」
 サマンが自分の誇りのように言う。リザーラもそれにつられて笑った。
「何か?」
 じっと彼女を見つめていた自分に気づいたのか、リザーラから質問がきた。
「いえ、それよりリザーラさん。突然で申し訳ないのですが」
 どうするべきか、と一瞬悩む。だが、やることは決まっている。
 この女性を助けるのだ。
「他の船室へ移ってもらえないでしょうか」
 真剣な表情で要請してくるウィルザに、リザーラも困惑気味の様子を見せる。サマンは何を突然と思ったのかウィルザを睨みつけてきた。
「どういうことでしょうか」
 たおやかにリザーラが尋ね返す。
「実は、あなたの命を狙う者がこの船に乗り込んでいるのです」
「えっ」
 サマンが声をあげた。が、リザーラは動揺する様子もなく彼の言葉を受け止める。
「私の命。何故そんなことが分かるのですか?」
「信じてください。犯人はゲの神を信じる者です。そして、あなたの死をきっかけに、ゲ神に対するザ信者の憎しみの心が大きくなってしまうのです」
「ゲの神を信じる者が私の命を狙っている……」
 しばし、彼女は目を閉じた。そんな姿も艶やかだった。
「分かりました。王都の騎士であるあなたの言葉を信じましょう。私はこの部屋にいる予定でしたが、別の部屋に移ります」
 そして、彼女の視線がまっすぐに自分を捕らえた。
「妹に近づいたのは、私に近づく口実ですか?」
 だが、それをウィルザは首を振って答える。
「ぼくはこの部屋に来るまで、サマン──妹さんとリザーラさんが姉妹であることを知りませんでした。彼女をお姉さんのところに送り届けたら、改めて神官リザーラを訪ねる予定だったのです」
「分かりました。よかったわね、サマン」
「へ、な、何が?」
 突然話を振られ、どぎまぎするサマン。
「そうだ、サマン。君もリザーラさんと一緒にいるんだ」
 だが、その言葉にサマンは断固として首を振った。
「いやよ! 面白そうだから一緒に行く! 足手まといにはならないわ」
 少女は腰の自動銃を構えてみせる。女一人、大陸を旅するには必需品の武器であった。
「それに、お姉ちゃんの命を狙うなんて、許せないもの!」
「サマン」
 リザーラは少し悲しそうな顔をしたが、また表情を戻してウィルザに頭を下げた。
「妹を、どうかよろしくお願いします」
「ええ。それからリザーラさん。あなたが部屋を移ったこと、決して誰にも分からないようにしてください。船内の移動も可能なかぎり控えてください」
「分かりました」
 そうしてリザーラは出ていく。ふう、とウィルザは近くの椅子に腰掛けた。
(リザーラさんがサマンのお姉さんだとは、お前に記されていないぞ。お前にも載っていないことがあるんだな)
 だが、世界記から返ってきたのは沈黙だけだった。







リザーラという女性に対して抱いた感情は、いったい何だったのか。
彼女の持つ『特殊な力』が発動するとき、この地にいったい何がおこるのか。
ウィルザは何も知らない。何も分からない。
彼はただ、この大陸の未来を救うだけであった。

「大いなるザの神よ。あなたの力を、この者に授けたまえ」

次回、第十三話。

『ザの神の洗礼』







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