航路も半ばに差し掛かり、夜になった。
静まった船内。事件はまだ起こっていなかった。
「本当に、来るの?」
もう何度目になるか分からないサマンの問に「ああ」と軽く答える。
「それにしても、サマンはお姉ちゃん子なんだな」
「うん」
サマンは頷いて幸せそうな顔を浮かべる。
「お姉ちゃん、神官なんてことしてるから、いつも私とは遊んでくれなかったけど、でもいつも私には優しかった。私、お姉ちゃんが大好き。だから、お姉ちゃんを殺そうなんていう奴は絶対に許さない」
「もちろんだ」
「ねえ、ウィルザ」
じいっ、とサマンは不機嫌そうに見つめてくる。
「なんだい?」
「お姉ちゃんのこと、好き?」
突然な質問だった。どう答えていいのか悩んだが、無難に答えておくことにした。
「確かに美人だね。ぼくより年上だけど、一緒にいたいと思う人だと思う。でも」
「でも?」
「サマンと一緒にいた方が楽しいかな」
暗闇の中でも、彼女の顔が真っ赤になったのが分かった。
「な、何言ってるのよっ!」
「ぼくには、婚約者がいたんだ」
ウィルザは思い出すように、呟く。
「婚約者?」
「ああ。ぼくの身勝手で取り消したんだけどね。綺麗な娘だった。いつか、彼女にもう一回会えないかな、と思ってる」
「そう、なんだ……」
ただ、出会ったとしても何もかけられる言葉などないのは分かっている。自分は彼女を捨てる他なかった。そして、二十年の歳月が過ぎれば自分はまたこの世界からいなくなるのだ。彼女の気持ちに応えるわけにはいかない。そして何より、彼女の気持ちに応える男は、もうこの世にはいないのだ。
「ねえ、ウィルザ」
「しっ」
ウィルザは剣を抜く。その様子に、サマンも気付いて銃を構えた。
「人の気配だ」
サマンが頷く。
扉の前。
そこに、誰かがいた。
少しの間。
(くる)
大きな音を立てて、扉が開いた。
「リザーラ! ゲの神の名において貴様を成敗する!」
「お前が暗殺者か! リザーラさんは殺させん!」
死角からウィルザがその男にきりつけ、サマンが銃を放つ。それぞれ男にダメージを与え、男は傷口を押さえてうずくまった。
強いというわけではなかった。ということは、単なる鉄砲玉ということだろう。命令した者はきっと別に存在しているのだ。
「ここはザの神官リザーラの部屋のはずだが、くそ、罠か!」
素人でよかった、とウィルザは安心した。もしこれが一流の暗殺者なら、間違いなく中を確かめて、リザーラの所在を確認してから飛び込んできただろう。
「おのれ、しかし! リザーラは殺す! こうなったら船ごと沈めてくれるわ!」
怪我をしながらも、男は全力で走っていく。
(なんだと?)
と、ウィルザが追いかけようとしたとき、世界記からの声が届いた。
『歴史が書き変わった』
807年 ユクモ沈没
ユクモはドルークへ向かう途中で爆発して沈没する。乗客は全員死亡し、その中にはザの神官リザーラもいた。
ゲ神排斥運動こそ起こらなくなったものの、リザーラが死ぬという未来は変わらない。これでは意味がない。
「しまった!」
ウィルザは男を追いかけていく。幸い、血の跡がどっちへ向かったのかを教えてくれている。
「こっちか!」
サマンも必死についてくる。たどりついた場所は下層の機関室であった。
「やめるんだ!」
「ハハハ! もう遅い! この爆発球根は止められんぞ!」
「くそっ!」
ウィルザは男を切り倒す。一刀で、男の命を完全に断った。
「これが爆発するのか? もう動き出しているようだ。どうする──」
「何とか止められないの?」
サマンが蒼白な表情で尋ねてくる。
「分からない」
仕組みを理解しようとしているのだが、簡単なものではない。持ち運べるのかと思えば、完全に床に根付いてしまっていて動かない。
「ど、ど、どうしよう! 私たち、死んじゃうーっ!」
完全に慌てふためていているサマンの後ろに、もう一人の影が現れた。
「落ち着きなさい、サマン」
「あ、お姉ちゃん!」
そこにいたのは、神官リザーラ。
「これは爆発球根。ゲの神の一つ。召霊玉さえあれば、爆発を遅らせることができるかもしれませんが、あいにく、ユクモに乗る前になくして──」
「召霊玉。それならぼくが」
東部自治区で偶然手に入れた召霊玉を懐から取り出す。
「これで爆発を遅らせられます! ドルークに着くまでは大丈夫です」
リザーラは召霊玉を爆発球根の上におくと、不可思議な呪文を唱える。すると、その球根自体が白い光の膜のようなものにくるまれていった。
「この爆発球根の時間の流れを遅くしました。さあ、船長に言ってユクモをドルークまで急がせましょう」
リザーラはそう言って駆け出していく。それにサマンも続いた。
(人助けはしておくものだな)
ウィルザはそんなことを考えながら、リザーラたちの後に続いた。
「爆発するぞ、避難するんだ!」
ドルークの地に下りた人々は一斉に港から逃げ去っていく。ユクモはこのあと自動で沖に移動することになっている。だが、港の近くは何があるか分からない。危険なのだ。
「ウィルザ、早く!」
リザーラとサマンが逃げていく。それについて、ウィルザも駆け足となった。
807年 ユクモ沈没
ユクモ、ドルーク沖で爆発を起こして沈没。しかし、乗客は全員脱出し、無事だった。
『リザーラの暗殺は防いだ。しかし、ユクモの爆発は変更できなかった』
第十三話
ザの神の洗礼
「ここが私の家です。今日はゆっくり休んでいってください」
リザーラに招待され、彼女の家までやってきた。
ユクモは沖合で爆発したものの、港に被害は出なかった。不幸中の幸いというものだった。
(もし、状況がわかっていたなら、リザーラさんをユクモに乗せないという手もあったんだ)
暗殺を防ぐことばかり考え、暗殺者がユクモを破壊することまで頭が回らなかった。だが、人々は助けられたのだ。全てを望むのは傲慢というものだろう。今はこれで満足するしかない。
「ありがとうございます。ですが、すぐにもアサシナへ向かいたいと思います」
「緑の海を渡っていかれるのですか」
ユクモがない以上、ドルークは陸の孤島だ。全く他の地域へ行くルートなどない。
「そうですね。アサシナに行くにはそれしかないでしょう。ドルークとアサシナをさえぎる緑の海は、特に天使の墓場と呼ばれています。暴走した天使たちが集まっていて、そこに入り込む者には無差別に襲い掛かってくるといいます」
「やむをえません。大丈夫です。ぼくは、死にませんから」
リザーラに微笑みかけると、彼女も決して安心はしていないのだろうがそれに応える。
「緑の海をつっきるしかないわね」
サマンもそれに同意した。
「ああ。アサシナに帰らないわけにはいかない」
「ウィルザさん。私たちはアサシナまで行けませんので、せめて、お世話になったお礼をしたいと思います」
「いいですよ、お礼なんて」
「いえ。これは、これからのあなたにとっても必要なことです。あなたに、ザの神の力を授けます」
彼の目の前に、突然光が差し込んでくるかのようだった。
「あなたは、知って」
「はい。最初に見たときから分かっていました。ゲの神の力を使う方だということは。ですが、王都の騎士がゲの神の力を持つ者を意味なく抱えているとは思えませんし、サマンもあなたのことを信頼しているようでした。それに何より、誠実そうな方でしたので」
くすっ、とリザーラが笑う。どうしてもこうした仕草には、いちいち心が高鳴る。
「ゲ神の力は使えなくなりますが、ずっと役に立つはずです」
リザーラは左手で彼の手を、そして右手を彼の額にあてた。
「大いなるザの神よ。あなたの力を、この者に授けたまえ」
瞬間。
体の中にあったゲの神の力が取り払われ、かつてイライにいたときのような、ザの神の力が体内に満ち溢れてくる。
「これであなたはザの神殿に入れるようになるでしょう。どうかお気をつけて」
今の儀式は、神殿で行われるものと全く同じだった。
(大神官ミジュアと同じか、それ以上の力)
ミジュアですら、ザの神殿でなければ祝福を与えることはできない。
だが、この女性は神殿でもない場所で、しかもゲの神の力を持つ者に対し、祝福を授けたのだ。
(大陸に影響を与える人物か……本当、みたいだな)
さっきまで心が高鳴っていたことなど忘れ、すっかり真剣な表情に戻っていた。
「ですが、一日で緑の海を越えられるというものでもありません。昨日からユクモの件で疲れていることですし、一日くらいこの家でゆっくりされてもいいのではありませんか? それに、あなたがいてくださったらサマンも喜びます」
「ちょ、お姉ちゃん!」
ぷん、と怒り出すサマンに、思わず彼も苦笑していた。
「では、お言葉に甘えまして」
どうやら、自分はこの姉妹に随分と好かれているようだ。それは非常に光栄なことだった。
ドルークの西には山脈があり、その向こうがマナミガル王国。そして北東には緑の森、通称『天使の墓場』が存在する。
通常は南の港から出航するユクモに乗って東部自治区へ行く以外にルートはない。完全な陸の孤島だ。
うっそうと生い茂る深い森。
ウィルザはずっとこの森を北東へ向かって歩き続けていた。
道がないというわけではない。かつては──それこそ何十、何百年前は、この緑の海を普通に超えていたのだろう。それが徐々に堕天使が集まり、このような人跡未踏の地となってしまったのだ。
ちょうど、道も半ばにさしかかったころであった。
『シンニュウシャアリ』
機械音が、崖の上から聞こえた。
「何だ?」
そこにいたのは、壊れた天使。
『ショウキョシマス』
崖の上から、巨大な、高さ三メートルはあろうかという巨大な蜘蛛型の機械が飛び降りてきた。
既に一本、足が破壊されているが、最大の攻撃方法である両の前足は健在だった。
壊れた天使は素早く動き、その前足をぶんぶんと振り回して攻撃してくる。
(魔法を使わないのなら、たいした難しい相手じゃない)
確実に剣で相手の足を破壊し、最後は天使の心を貫く。それで充分だ。
「クラック!」
ウィルザは指を鳴らす。その瞬間、壊れた天使の周囲で爆炎が上がった。
「とどめだ!」
ウィルザは怯んだ堕天使に接近し、天使の心に深く剣を突き刺す。
それで、天使は動かなくなった。
「ふう。ま、なんとかなったかな」
確かに強い敵には違いないが、アサシナの騎士団ならこの緑の海を渡る街道の警備をしても他の天使たちに負けはしないだろう。
807年 墓場街道開通
天使の墓場に巣食っていた暴走した天使がアサシナの騎士によって倒されたため、ドルークへの陸路が開かれる。
「さ、アサシナへ帰ろう」
王都に戻ったウィルザはまっすぐに政庁へ出向いた。彼の姿を見た国王が嬉しそうに顔をほころばせる。
「ウィルザ、戻ったか」
アサシネア六世は今日は随分と調子が良さそうだった。国王が無事でいることが、このグラン大陸にとって何よりのことだ。
「東部自治区での活躍はミケーネより聞いておる。ご苦労であった。ドルークへ向かったと聞いたが、ユクモの爆発には巻き込まれなかったのか?」
「はい。ユクモには乗っていましたが、一緒に乗っていたリザーラというザの神官の助けを借りて何とか生きのびました」
「おお、リザーラ殿か! あのお方が力を貸してくださったか」
「東部自治区の騒乱。さらにドルークに向かうユクモの爆発もゲの神を信じる男が仕組んだものでした」
「そうか。最近ゲの神を信じる者どもの暗躍がはげしいの」
六世は左右を見る。反応したのは補佐官のカイザーであった。
「陛下。警戒を強めなくてはなりませんな」
「うむ。ところでウィルザよ。東部自治区長を務めてみるつもりはないか。もと自治区長ザーニャも新しい自治区長の協力をすると申し出ておる」
「私が……自治区長、にですか」
さすがにこの申し出には困った。
一つの地域に縛り付けられるのは正直困る。グラン大陸を救うためにはアサシナはもとより、他国にも行かなければならない。
「なに、お前はここにいて今まで通りの任務を続けてくれればいい。自治区は代理としてザーニャに任せ、問題が起きたときにはお前が出向けばいいのだ」
国王の考えが読めた。つまり、今まで通りの体制を続けつつも、自治区に関する最終決定権をアサシナが握ろうというのだ。ウィルザが区長を務めることによって。
「そういうことでしたら」
「そうか、頼むぞ。では下がってよい。兵舎で休むがよかろう」
少しは、これで世界滅亡から遠ざかっただろうか。
ウィルザは少しだけ胸をなでおろすと、来年の騒乱に向けてしばしの休息を取ることにした。
世界滅亡まで、あと十七年。
八〇八年という年は、大陸にとって吉となる出来事のある年だ。
ガラマニアとの間で取り交わされる婚礼。その使者としてウィルザが行くこととなった。
兄王不在のガラマニアを治めているのは妹姫、ドネア。
その姿を見たウィルザは、何を思ったのか。
「ようこそガラマニアへ。私がドネアでございます」
次回、第十四話。
『政略結婚』
もどる