八〇八年は特別問題のある年というわけではない。
王弟パラドックが結婚し、王都が移転する。とても滅亡に結びつくような事件が起こっているようには見えない。
だが、必ず世界は滅亡へ向かって進んでいる。歴史を変えていかなければ八二五年には全てが終わってしまうのだ。
パラドックの結婚も王都移転も、それがすぐにアサシナ滅亡につながるわけではない。だが、その先が問題だ。ドネア姫が暗殺されるとか、戦争が起こるとか、そうした悲劇につながらないように手を打たなければならない。
年も暮れに近づく十月。
政庁に呼ばれたウィルザは、これから自分がどう動くべきなのかを考えていた。
「ウィルザよ」
アサシネア六世は今日は調子が悪いようであった。顔色がすぐれない。
(陛下、今日も無理をしていらっしゃるのか)
最近、六世の病気は悪化しているという専らの噂であった。まだしばらくこの王には力を尽くしてもらわなければならない。グラン大陸のためにも。
今日も周りには補佐官のカイザーとエルダス、そしてミケーネとその隣に見かけない騎士が一人立っていた。
「そなたを見込んで頼みがあるのだ。聞いてもらえるな」
もちろんである。この王には何度となく助けてもらっている。「はい」と力強く頷く。
そしてカイザー補佐官から説明が入った。
「このほど、パラドック様と隣の国ガラマニアの姫との結婚が決まったのだが、その姫の迎えに我がアサシナより騎士を出さねばならん」
なるほど。つまり、自分に行けということか。
「ドネアという美しい姫だそうだ。無事アサシナまで迎える大事な役目だ」
「分かりました」
アサシネア六世は満足そうに頷いた。それからようやくミケーネが近づいてくる。
「今回も私がついて行きたいのだが、なかなか忙しくてな」
まあ確かに、騎士団長がたびたびいなくなられては騎士団が機能するはずがない。
「騎士を一人つける。ガラマニアは遠い。東から回り込んではるか北に向かわなくてはならない。よろしく頼むぞ!」
そして、ひかえていた騎士が前に出る。
「シュワンクと申します! 初めての大きな仕事なのでがんばります。よろしくお願いします!」
若く、たくましい青年だった。金色の髪が青い兜の下から流れ出ている。自分より背は高いが、まだ十五、六といったところだろう。もっとも、ウィルザとて今年で二十。若さでは負けるつもりはないが、こういう若い元気な騎士がどんどん育つのはいいことだった。
808年 婚約成立
アサシナ王の弟パラドックとガラマニア王女ドネアの間に婚約が成立する。アサシナよりドネアの出迎えのための特使が派遣される。
(その特使がぼく、ということだったのか)
世界記も人が悪い。前もって教えてくれればいいものを。
政庁を出て、あらためて今回の事件を確認していたところでシュワンクから話があった。
「あの、ウィルザ様、よろしくお願いします」
「ウィルザでいいよ。同じ騎士だろう」
「あ、はい。ですが、ミケーネ様からいつもウィルザ様のお話を聞かされていたものですから」
「やれやれ。ミケーネも、あまり人を信じすぎない方がいいと思うんだけどな」
「あの方は、それが美徳ですから」
「確かに」
二人は同時に吹きだした。
「お願いがあるのです。できれば、王都にいる両親に一声かけてから出立したいのです」
「ああ、かまわないよ。ぼくも一緒していいのかな」
「はい、ぜひ」
そうして王都の下町に移動する。そして一軒のあばら屋に入った。
「父さん、母さん!」
大きな声で叫ぶと、奥から両親と思しき人物が出てくる。
「まあ、シュワンク。いったいどうしたの」
「俺、大きな仕事を任されたんだ! こちらが騎士団の中でも一目置かれているウィルザ様で、騎士にして偉大な予言者様だよ! 一緒にガラマニアまで行くことになったんだ」
「ほう、それはすごいな。しっかりやれよ」
父親が皺の深い顔をほころばせる。ウィルザとしては、そんなことまで言わなくてもいいのに、という心境だった。
「たいしたもてなしもできませんが、よろしかったら食事でもしていってくださいな」
「いえ、とんでもありません。私は」
「いえ、これから愚息がご迷惑をおかけすることになるでしょう。ぜひとも」
「すみません」
ウィルザは頭を下げる。まあ、時間はたいした問題ではない。無事にガラマニアにつけばそれでいいのだ。
しばし、ウィルザは家族の団欒の中に混ぜてもらった。
食事が終わって、王都を出る。
「さあウィルザ様、ガラマニアに参りましょう!」
「はりきっているな、シュワンク」
両親からの激励をもらったシュワンクは喜びを隠そうともしない。素直で純朴な青年だった。
(トールに似ているかもしれないな)
もっとも、トールの方はもう少し落ち着きがあったかもしれない。だが、素直という意味では同じだ。
二人はまず東へと進み、砂漠を右手に北上する。そして、関所を越えた。ここからがガラマニア領だ。
途端に、急激に寒さが堪えた。たった関所一つ越えるだけで、こんなにも気候が違うものかと驚く。
そして、ガラマニア高原を歩いていた途中だった。
「ゲ神だ」
彼らの前に立ちふさがるゲ神。
巨大な蛇に取り付いた神、ジャジャ神であった。
「シュワンク、援護を」
「はい」
ジャジャ神が一気に距離を詰めてくるところを、シュワンクが狙撃銃でダメージを与える。
その隙に、ウィルザはジャジャ神の懐に入り込み、剣を一閃した。それで蛇の頭が跳び、その巨大な蛇の体は大地に落ちた。
「すごい」
その早業に、シュワンクはただ感心する。自分ではとてもこれほどうまく動くことはできない。
力、技、速さ、どれをとってもアサシナにいる騎士の誰よりも強い。そう、騎士団長のミケーネよりも。
(団長が別格扱いされるわけだ)
これほどの人物と共に行動できること。若きシュワンクにはそれが何よりも嬉しかった。
第十四話
政略結婚
北の大国、ガラマニア。
確かに気候的には寒さが厳しい地域だが、風向きの関係上、冬に雪が多く降るというわけではない。逆に夏には適度な量の雨が降るため、寒波が来ない限りは食糧不足になることのない暮らしやすい国である。
そしてこの国の特徴は何といっても、このグラン大陸で唯一、ゲの神を国教としている点である。
もちろん、ザ神、ゲ神とを比べてみれば、制御できるザ神の方が信仰しやすいのは当然のことだ。だが、ゲ神も力のない動植物に取り付いてモンスターと化すことはあれど、自らを信仰する人間にそのようなことをするわけではない。モンスターとなったものたちには、乱暴する相手がザ信者かゲ信者かなど区別はつかないが、祝福を得られる相手としてはザ神・ゲ神に差はないのである。
ウィルザたちが面会を申し込むと、ドネア姫に会うのは明日、そしてそのまま出立ということになった。
準備の方はできているが、使者が到着して翌日に出立する。その手筈が整っているということであれば、ウィルザたちに文句を言うことはできない。
ガラマニアでは使者であるウィルザたちに、町でもっとも豪華なホテルをとってくれているという。さすがに異国のものを王宮内に泊めるのは都合が悪いということか。
ウィルザは何も言わず、礼をして宿屋に向かった。
一方、王宮内。
現在、このガラマニアの政治を一手に取り仕切っているのは、若干十七歳のドネア姫であった。
兄王が姿を消し(もっとも臣下たちには絶大なカリスマを誇っているが)、やがて戻ってくるまでこの国を自分が守るという話であった。
だが、アサシナのこの政略結婚の前に抗うことはできなかったのだ。
「姫様」
尋ねられた女性は、緑色の長い髪に細い自分の指をからめた。
夜の帳のごとく深い闇色の瞳に、かすかに涙が浮かぶ。
分かっている。
全ては、決まっていたことであった。
「明日はいよいよアサシナに出発の日です」
「ガラマニアのためとはいえ、はるかアサシナの地へ行くのは気がすすみませんが」
「姫様」
だが、戦争は起こしたくない。
アサシナは戦争を欲する国。
もし自分が断れば、それを口実として戦火が生じる。それは避けなければならない。
「一つ、尋ねてもいいかしら」
ドネアが控えめに言う。
「はい」
官女が少し困ったように答えた。
「あなたは、結婚しているのでしたね」
「はい」
「それは、好き合って結婚したものなのですか?」
官女は返答に窮した。だが、姫がそれを聞きたがっている。
答えざるをえなかった。
「はい。夫とは幼いころからの知り合いで、ずっとお慕い申し上げておりました」
「そうですか」
ドネアは少し笑って、遠くを見つめる。
「私は恋というものを知りません」
「姫様」
「パラドック様、というお方が素敵な殿方だとよいのですが」
「それは……」
「ふふ、ごめんなさいね。変な話をしてしまって。もうお上がりなさい。私も休みます」
「はい。姫様。それではどうぞ、お達者で」
女官が去ってから、彼女は大きく息をついた。
「逃げてしまいたい……というのは、身勝手なのですね」
自分はただの女ではない。姫という、この国の未来を背負っている地位にいるのだ。
逃げられるはずがないのだ。
「ウィルザ様」
何度いってもシュワンクは自分に対する敬意を止めない。いい加減ウィルザも諦めて好きなように呼ばせていた。
「私はこの仕事がおったら、王立学院に戻るつもりです。私の家は代々アサシナの騎士を務めてきたのですが」
皺の多い彼の父親を思い出す。
「私にはどうも騎士より学問の方が向いているようです」
「そうか」
「それに……ゴホッ!」
突然咳き込んだ彼にウィルザは水を用意する。
「大丈夫か? 風邪か? 明日は大切な仕事なんだ。早く休んだ方がいい」
「はい、そうします。おやすみなさい」
まだ十五歳のあどけない笑顔は、ベッドに入るとすぐに寝顔に変わる。
(子供、か)
自分がこの体に入ったのはまだ十七の時だった。
そして、婚約者は、十五。
(どうしているのかな)
無事だといいが。いや、無事でいるはずだ。
彼もベッドに入ると、早々に眠りについた。
翌朝。
王宮に入る。控えの間にシュワンクを残し、ウィルザはドネア姫の待つ政庁へと向かった。
赤と金で織り成す王宮。豪華なタペストリが壁一面に飾られている。そして、奥に一人の女性が座っている。
自分が政庁に入ると彼女は立ち上がって優雅にお辞儀をした。
「ようこそガラマニアへ。私がドネアでございます」
完全に、目が奪われていた。
美しい。
緑色のさらっとした髪は腰元でかすかに揺れる。線の細い体つきが豪華な貴族の服の上からも分かる。
小さな顔に、ぱっちりとした黒い瞳。
どこか、幻想的な雰囲気をかもし出す少女の姿に、ウィルザは完全に我を忘れていた。
「……ウィルザと申します」
深く礼をして、自分を落ち着かせた。
ドネア姫
ガラマニアの姫。行方不明の兄王にかわって国を治めている。
「アサシネア六世陛下の命により、姫様をお迎えに参りました」
「あ、はい」
そのとき、ドネアもまた。
目の前の凛々しい男性に心奪われていた。
薄い青の髪とその優しげな面持ちは、彼の優しい心をそのまま表しているかのようで、同時にその瞳の奥にはしっかりとした意思がこもっている。
これほどの人物は、国内では見たことがない。自分の兄王くらいだろうか。
「私ったら、てっきりあなたがパラドック様かと」
目の前の人物がそうなら、自分は幸せになれたかもしれない。
そんなことを、彼女はふと思っていた。
「姫様はパラドック様にお会いしたことがないのですか?」
「ええ。あなたのような優しそうな方ならいいのですけど」
ウィルザはそれを聞いて、決して表には出さなかったが、心の中がくもった。
あの女癖の悪いパラドックに優しさなど微塵も──と言うといいすぎだろうか。だが、聡明な国王に比べてあのパラドックは。
(渡したくない──そんなことを思っているのだろうか)
一目見て、これほど心惹かれたことは、あのルウでも、リザーラでもなかった。
(気になっている? ぼくが? この世界に永住することのできないぼくが?)
だが、それは認めざるを得ないようであった。
気がつけば彼女から目が離せない。そして、彼女もまた自分を真っ直ぐに見詰めている。
その時であった。
二人きりの政庁に、一人の女官が駆け込んでくる。
「姫様! 逃げるのなら今のうちでございます! このご結婚、お嫌なのでしょう?」
だが、ドネアは首を振った。
「そんなことをしたら、この国にも、それにこのウィルザ様にも迷惑をかけてしまいます」
「なに、疑われるのはそこの騎士様だけですよ! ねえ、騎士様?」
何を突然言い出すのだろう、この女官は。
「ちょっと待て。どうするつもりだ」
「騎士様。あなたを見込んで頼みます。姫様はこの結婚を望んではおられません。姫様をお連れしてここから逃げてください!」
国への忠誠と、はじめての恋情の狭間に悩むウィルザ。
彼の決断は、そのままグラン大陸の歴史に直結する。
いずれの選択をするにせよ、彼が後悔しないはずはない。
葛藤の果てに彼が選んだ道は。
「ゲの呪いを受けて、醜い化け物になるがいい!」
次回、第十五話。
『花嫁の消えた日』
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