これが、歴史の選択か。
 ドネアとパラドックの結婚を中止させるべきなのか。
 もしそうしたらどうなる。アサシナの騎士がガラマニアの姫を誘拐。
 怒ったガラマニアはアサシナに兵を進めるのではないか。
 アサシナ戦争を止めるどころか、その戦争を早める結果につながる。
 それでは、逆効果だ。
(世界記、どうすればいい)
 この選択は判断がつきかねた。
 だが、世界記の返答は無情だった。
『好きにしたまえ』
(──なん、だって?)
『君がどちらを選ぼうとも、取り返しのつかない事態になるわけではない。君の思うままにすることも、グラン大陸のためには必要なことだ』
 思う、ままに。
(国王陛下。ミケーネ──)
 どうすることが最善なのか。
 グラン大陸を救うために、この結婚を無事に執り行うべきなのか。
 グラン大陸を救うために、この結婚を中止させるべきなのか。
(迷っているのなら、自分の思うままに)
 自分の、思いは。
(ドネア姫を──パラドックに、渡したくない!)
 たった一目で。
 これほど、惹かれた相手など。
 過去には、いなかったのだ。

「分かりました」

 この返答をすることは、国に対する裏切りだ。
 アサシナに帰れなくなることを覚悟の上で、ウィルザは答えた。
「さすがは姫様の見込んだ方。ではこちらへ!」
 女官が奥の方へと走り去っていく。
「……よろしいのですか」
 ドネアが不安そうな表情で見つめる。
「姫様がお望みなら、私はご協力したいと思います。姫様さえ」
 二人の視線が、絡み合う。
 そしてドネアは目を伏せ、そして凛々しい表情で答えた。
「私の命を、あなたにお預けします」
「分かりました」
「申し訳ありません。こんなことになってしまって」
「いいえ、かまいません。それより、急ぎましょう」
 ウィルザはドネアの手を引いて女官の後を追う。
 政庁の裏手から地下にもぐり、通路を抜けていく。
 その先が、出口。
 そこに──
「シュワンク!?」
 控えの間に残してきたはずの青年がいた。
「そうだウィルザ。シュワンクだ。どちらへ行かれるのか。ドネア姫様をパラドックのもとにお送りするのではなかったか」
「姫、下がって」
 あまりこの純情な青年とは戦いたくない。だが、一度自分が命をかけると決めたものをそう簡単に覆すわけにはいかない。
 だが、戦わざるをえない。
(こいつ)
 今の彼の顔には、一切感情というものがない。
 自分を尊敬していた様子もなければ、戸惑っている様子もない。
 ──ただ、操られているだけだ。
「お前、シュワンクではないな。何者だ!」
「ついさっきまでは体も心もこの男のものだったがな。ククク、随分抵抗したが、ゲの神の力には勝てん!」
 その背後に、黄金の仮面を被った男がいた。
「タンド! 貴様はタンド!」
「お前には死より大きな苦しみを与えてやる! ゲの呪いを受けて、醜い化け物になるがいい!」
 タンドの呪いがウィルザに襲い掛かる。
(まずい)
 この呪いは、強制的にゲの神を取り付かせて、人間をモンスターに変えてしまうという禁呪だ。
 これにかかってしまえば、さしもの自分でもどうにもならない。
「ウィルザ様、危ない!」
 が、華奢な手が、自分を突き飛ばしていた。
「ドネア姫?」
 倒れたウィルザが顔を見上げたとき。
 彼女が、涙を流しながらこちらを見て微笑むのが見えた。
「キャーッ!」
「しまった、ひ、姫様!」
 呪いがドネアに襲い掛かり、タンドが慌てる。
 瞬間。
 ドネアの姿は、醜い蜘蛛の化け物へと変わっていた。
「おのれ、タンド!」
 ウィルザは強く、その仮面の男に向けて踏み込む。
 今まで、何度となく自分を苦しめてきた男。
 ここで、決着をつける。
「死ね!」
「ひっ、ひあああああああああっ!」
 ウィルザの剣が、タンドの心臓を貫く。
 ごふっ、と血が吐き出され、そして倒れる。
 呪いが解けて、シュワンクの体もまた崩れ落ちた。
 既に、事切れていた。
「ドネア姫」
 自分と同じくらいの大きさの蜘蛛となったドネアは、それでも理性が残っているのか、四つの丸い目でウィルザを見つめていた。
「ぼくのために! 何故です!」
「ウィルザサマ、ブジダッタノ、デスネ? ヨカッタ」
 なんとか人間らしい声を出そうと努力しているのだろう。口調はたどたどしく、そして声は非常に耳障りだった。
 それなのに、どうしてこんなにも。
「ドネア姫」
 涙が零れてきた。
 自分のために命をかけてくれた女性。
 最後に見せた、笑顔。
「必ず元に戻してみせる。だから、ぼくと一緒に来てください」
 蜘蛛の目からも、涙が零れていた。
『ゲ神の呪いを解くにはザ神の力がいる』
「ザの神官の力を借りるしかないな」
 だが、イライの神官はもとより、このような事態となっては大神官ミジュアの力を借りることも容易ならない。
 瞬間、ウィルザの頭に閃いたことがあった。
「リザーラだ! ドルークのリザーラに頼んでみよう!」

タンド
ガラマニアにて死亡。


808年 花嫁の消えた日
ガラマニアのドネア姫がアサシナからの特使の到着と同時に姿を消す。

808年 ガラマニアの抗議
ガラマニアはドネアの失踪をアサシナよりの特使の責任として抗議。しかし、アサシナはこれを否定する。ガラマニアとアサシナの関係が悪化する。


 一つ、腑に落ちないことがあった。
 それは──タンドが、彼女のことを「姫様」と呼んだことだった。







第十五話

花嫁の消えた日







 ガラマニアを離れる前に、ウィルザは一つの保険をかけておくことにした。
 それは、アサシナ本国のミケーネに手紙を書くことであった。

『親愛なるミケーネへ。

 この手紙が届くころは、もう君のところに今回の事件が伝わっていることだろう。
 君には、ぼくの本当の気持ちを伝えておきたくて、この手紙を書くことにする。
 ぼくが今回のドネア姫失踪の事件に関与しているというのはまぎれもない事実だ。
 ドネア姫はパラドック殿下との婚礼を望んでいなかった。ぼくに逃がしてほしいと頼んできた。
 ぼくは断れなかった。ぼくも、姫がパラドック殿下を婚礼の儀式などしてほしくないと、心から願ってしまったからだ。
 だが、ここでアクシデントが起こった。
 邪道盗賊衆のタンドという男が、ドネア姫に呪いをかけ、ゲ神としてしまったのだ。
 ぼくは何とかしてドネア姫を元の姿に戻し、それをもってアサシナに帰還するつもりだ。
 だからそれまで、何とか戦争を防いでもらいたい。
 ぼくはぼくなりの罪の償いをする。
 こんなことを頼めるのは、ぼくには君しかいないから。
 それから、一緒についてきたシュワンクだが、タンドの手にかかって死んだ。どうか両親にその旨だけ伝えてほしい。
 タンドについてはもうぼくが殺したから、今後彼が邪魔をすることはない。
 それじゃあ、アサシナでまた会える日を楽しみにしている。
ウィルザ』

 ガラマニアからアサシナへ、そして緑の海、墓場街道を通ってドルークへ。
 ドルークのザ神殿まで来て、ドネア姫を控えの間に残し、中に入る。
「ここで待っていてください。あなたを元に戻すことができる人を連れてきますから」
 ドネアは忠実だった。墓場街道で堕天使に襲われた時でも、ゲの神の魔法を使って撃退するなど、非凡なところも見せている。
 だがそれが、ゲ神の力のせいだというのは甚だ皮肉というものだった。
「リザーラさん」
「ウィルザさん」
 一年ぶりに見た彼女の顔は元気そうだった。突然現れた知り合いに彼女も顔をほころばせる。
「お久しぶりです」
「はい。リザーラさん、あなたの力をお借りしたくて参りました」
「今やアサシナ王の信任厚いあなたが、いったいどうなされたのです?」
 墓場街道のおかげで今までよりも王都がずっと近くなったこともあり、いろいろな情報がこちらまで流れてきているようだった。ウィルザは苦笑して答える。
「ゲの神の呪いにかかった者を治してほしいのです」
 その言葉で、リザーラは全てを察したようであった。
「確かにザの神の知識を持ってすればゲの神の呪いを解けるでしょう。もともと、ザの神はゲの神を滅ぼすために生まれたのですから」
 だが、その言葉はいまだゲ神・ザ神の知識に詳しくないウィルザを驚かせるには充分な内容だった。
「ザの神がゲの神を滅ぼすために生まれた!?」
「ええ。最近はゲの神の力がまた強くなってきているようです。ザの神にかけられた封印を解くべき時期が来ているのかもしれません」
 ザ神、ゲ神、それに封印。
 まだこの世界には、自分の知らない知識がたくさんあるのだ。
「話が長くなりましたね。ゲの呪いを解いてあげましょう。その方はどちらに?」
「この祭壇室には入れないので、控え室で待っております」
「分かりました。一時的に結界を解きましょう。どうぞその方をお呼びください」
「ドネア姫!」
 彼が呼びにいくと、もう既に待っていたのか、彼女──ゲ神が祭壇に入ってきた。
 それを見てリザーラが驚いた様子を見せる。
「これはかなり強い呪いですね。ちょっと待っていてください」
 そして彼女は振り返り、ザの神の御柱を仰ぐ。
「おおいなるザの神よ! ゲの呪いを受けた者に救いの力を与えたまえ!」
 そして、御柱が輝き始めた。
『システム内に混合物認識。初期化……終了』
 終了の声と同時に、ドネアの体が光り輝く。
 そして、もとの──美しいドネアの姿に戻った。
「ドネア姫……元に戻った!」
「こんなに美しい方だったなんて」
 リザーラも元に戻ったドネア姫を見て目を奪われたらしい。そして、喜んでいるウィルザを見つめた。
(かわいそうなサマン)
 ウィルザはどうやらこの一年で、自分の大切な相手を見つけたようだった。
 ちょうどサマンはまた旅に出てしまっていた。ウィルザのことを知らずにすんだのは幸いだったのかもしれない。
「私の姿……」
 ドネアは自分の両手を見つめて涙を浮かべた。
 元に戻るとは、思っていなかった。
 ただそれでも、ゲ神のままでも、ウィルザの傍にいられればそれでいいと思っていた。
 だが。
 この姿なら、決してウィルザも自分を嫌わない。
 それが、何より嬉しかったのだ。
「リザーラ様、ありがとうございました」
 ドネアは深く頭を下げた。おそれおおい、とリザーラも礼を返す。
「ガラマニアのドネア姫です」
「なるほど。ガラマニアの姫が行方不明になっていると聞きましたが、こういう事でしたの」  困っている人を見捨てられない性格であるということはリザーラもわかっていたが、残念ながら今回はそれ以上の感情が働いているらしい。
「さあ、ドネア姫。アサシナへ参りましょう」
 ウィルザが言うと、だがドネアは嬉しそうな顔にかげりを見せた。
「はい、ウィルザ様。私の我儘からあなたには迷惑をかけました。本当にごめんなさい。私、パラドック様にお会いしてみようと思います。それがガラマニアのためになるのなら」
 だが、そう言うドネアの顔には何の喜びもない。
 彼女もまた、強く、ウィルザに惹かれている。
 それが、傍から見ているリザーラには分かった。
(パラドック……そう、確かドネア姫とパラドック殿下が婚礼なされるとか)
 複雑な表情を浮かべる二人からリザーラは視線をそらした。
(可哀相な二人。出会うことがなければ苦しまずにすんだのに)
 二人の恋が成就するように、と心の中でリザーラはザ神に祈りを捧げた。
「さあ、お二人とも、早くアサシナに帰ることです。もう、あと数日で年が変わります」
 そう。
 彼らは、このドルークに着くまで、二ヶ月もの間、旅をしてきていたのだった。





 世界滅亡まであと十六年。







ウィルザは元に戻ったドネア姫を王都まで送り届ける。
だが、彼らが旅をしている間にも既に王都の移転はほぼ完了していた。
新王都、未開の地、西域へと向かうウィルザとドネア。
そこで二人を待ち構えている事件は。

「ドネア! お前のような奴はパラドック様にはふさわしくないのだ!」

次回、第十六話。

『ドネア、暗殺』







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