「今年は何事もなくすみそうだな」
『破滅に関わる出来事は現時点では八一一年には存在しない』
 年が明けた八一一年一月。
 ウィルザは一人、政庁でこれまでのこと、これからのことを考えていた。
「今年は何事もなく平和だな。この世界が滅びるなんて嘘みたいだ」
 自分が来てから丸五年が過ぎている。世界の滅亡まであと十五年弱。
 それはまだ、兆候が出ている段階にすぎない。人々の生活にはまだ大きな変化というものは生じていない。
 年明けそうそうには新年の祝賀会があり、それがすぎれば各々数日の休暇を取ることになる。とはいえ、全員が一斉に休むわけにもいかないので、休暇は順に与えられる形となる。
 従って、現在の王宮は普段より人の数が半数ほどに減ってしまっている。
 ミケーネとゼノビアにも休暇が与えられた。
 二人は「そんなものは必要ない」とそれぞれ言うのだが、ウィルザが強引に休ませた。たまには羽を伸ばしてのんびりとしろ、と言うと二人とも困ったようにその休暇を受け取った。とはいえ、ほんの一日、二日の休暇に過ぎないのだが。
 今はそれほど急がなければいけない出来事はないのだ。
「誰か!」
「はっ!」
 供回りの者がすぐに政庁に入ってくる。
「ぼくはこれから王都を見て回ってくる。何かあったらエルダスとカイザーに話を通して待たせるようにせよ」
「了解いたしました」
 そして、ウィルザは一人政庁を出る。この王になってからというもの、王が(もちろん身分を隠してだが)一人で王都を出歩くのはよくあることだった。もう近習もいちいち止めるようなことはしなくなっている。
 彼が王宮から出ようとしていた時、彼は思いもよらぬ人物に出会った。
「ドネア姫」
 王宮の中を歩いている彼女にばったりと出くわしたのだ。
「ウィルザ様」
 彼女も笑顔になり、うやうやしく礼をする。
「新年、おめでとうございます」
「おめでとうございます。姫はこのようなところで何をなさっていたのですか?」
 新年くらい国に帰ってもいい、とドネア姫には伝えていたのだが、彼女はそれを断っていた。
 もし今、国に戻ったのだとしたら二度とアサシナに来させてはもらえないだろう、と彼女は判断していた。
 現在のガラマニアにはようやく兄王が戻り、政権を動かしているとのことだった。
 国民・部下から慕われている国王だけに、彼に逆らう者は国内にはいない。自分とて、彼の命令となれば逆らうことはできないだろう、と。
 彼女は、アサシナに居続けることを希望した。
 その理由は、はっきりしている。
(ぼくなんだよな)
 いつまでもはっきりしないのは自分の方だ。
 ドネアが大切で、誰にも渡したくないと考えているのに。
(ミケーネにもゼノビアにも、勧められてるけれど)
 結婚。
 パラドックの一件があったとはいえ、ドネアはまだ正式には誰の妻になったわけでもない。そして、ドネアとウィルザの仲についてはもはや宮廷中が聞き及んでいるところだった。
(一緒にいたい。でも、彼女とずっと一緒にいられるわけでもない)
 それなら早くガラマニアに帰した方がいいのではないか。
 だが。
「人を探しておりました」
 ドネアは微笑みながら言った。
「人ですか? では、ぼくがその方を連れてまいりましょうか」
「いえ、けっこうです。もう用事は済みましたから」
「はあ」
 そう言いながらくすくすと笑うドネア。何が何なのか、ウィルザには全く分からない。
「なかなか気づかないものなのですね」
「はあ?」
「いえ、こちらの話です。陛下は何かご予定が?」
「いえ、特には。これから城下を見て回ってこようかと思っていたところだったのですが」
「それなら、私のところでお茶でもいかがですか? 今日はゼノビアが休んでおりますので、一人だと寂しいのです」
 別にゼノビアに限らず、ドネアの近くにはいくらでも人はいるはずだった。
 だが無論、彼女は『ウィルザを』呼びたいのだ。それくらいは鈍感なウィルザにも分かる。
「では、いただきましょう」
 自分も特別用事があるというわけではない。お茶の一杯や二杯くらいなら誘われても問題はない。
 久しぶりに訪れた姫の部屋に入るのは少し抵抗があった。入ってもいいのだろうか、と思ったのは一瞬のこと、姫から「どうぞ」と一声かけられて遠慮せず入ることにした。
 テーブルにつき、紅茶を運んできた侍女を下がらせて二人きりとなる。
 こうして改めて相手を見ると、ウィルザの動機は少し早まる。
 ドネアは誰の目から見ても美しい姫君だった。
 一目見た時からその美しさに惹かれた。ずっと傍にいたいと思った。
 だが、自分には行動の自由はない。
 結婚しても相手を悲しませるだけなら、いっそのこと。
「お考えごとですか?」
 腰掛けたドネアが話しかけてくる。
 苦笑して、ウィルザは首をかしげた。
「すみません、せっかくお誘いいただいたというのに」
「いえ。陛下はいつもお忙しくされていますから、いざ休もうと思われてもなかなかそうはいかないということは分かります」
「ぼくは王といっても、たいしたことはしていませんよ」
 苦笑しながらウィルザが言う。
「別にぼくはアサシナを繁栄させたいわけじゃない。このグラン大陸が平和であればそれでいい。それだけしか考えていません」
「少し、気を楽にされてはいかがですか」
 くす、とドネアは笑った。
「陛下は生き急いでいるように見受けられます。もっとご自分のことを考えられてもよろしいのではないでしょうか」
「自分のことですか」
 ふと、そんなことを言われて思う。
 自分のことなど今まで考えたことはない。自分の使命は滅びる世界を見つけてはその世界を修正していくこと。それだけが彼の使命。
 いったいどれだけの数の世界を修正し、どれだけの時を生きてきたのかは分からない。
「生き急いでいるのではないと思います。ぼくはただ、こういう生き方しかできないんだと思います」







第二十話

ターニングポイント







 自分のことというのは一番苦手だ。
 ウィルザは、ドネア姫の部屋から出たあと、無意味に町を出歩いていた。てきとうに通りを歩き、楽しそうな人々の顔を見ながらぼんやりと思索にふける。
 過去のことはあまり覚えていない。自分がどうしてこういう存在なのかも知らないし、何故この生き方を選んだのかも知らない。
 ただ、世界を救わなければならないという心の奥底からわきあがってくる想いだけがある。
 考えても何も分からないのなら、ただこの衝動に任せて世界を救うだけだ。
 それ以上を望みもしないし、願ったこともない。
 だが。
 今回は初めてのことになるのかもしれない。
(ぼくは、ドネアをどうしたいんだろう)
 二人でいる時が確かに一番心が休まっている。それは分かる。
 あの二人で旅をしていた時が、自分にとってもっとも幸せで充実した日々だった。
 それは、望めばすぐに手に入る。
 国王ウィルザと、隣国の姫ドネアの婚姻の儀。
 それは世界の平和に確実につながることになるだろう。
 しかし、それはドネア姫を確実に不幸にする。何しろ自分はあと十四年でいなくなる。そうなれば彼女はこの世界に一人残される。
(いったい、ぼくは──)
「わっ!」
「うわっ!?」
 突然後ろから驚かされた声に、文字通りウィルザは飛び上がる。振り返ってみると、そこに赤い髪をした少女が肩を震わせて笑っていた。
「さ、サマン」
「あー、おかしい。久しぶり、ウィルザ。一人で随分と悩んでるみたいだけど──あ」
 そこでふと、何かに気づいたようにサマンは突然地面に片膝をつく。
「お久しぶりでございます、国王陛下。平素は私などに格別のおはからい、まことにありがとうございます。我が姉、リザーラもいつも陛下のことを案じておられます。本日私がアサシナに寄りましたのは──」
「やめてくれよ、サマン。そんなわざとらしい敬語を使わないでくれ、背中がかゆい」
「えへ、私も」
 顔を上げてにっこりと笑うサマン。
 この少女は変わらない。いや、最初に会ったときからもう五年も経っているのだ。その間に少女から女性へと、徐々に美しさを備えつつある。
 だが、こうしたいたずらっぷりはなかなか直らないらしい。まったく、アサシナ王にこれだけのことができる人間は、世界中探しても他にはいないだろう。
「それにしても久しぶり。元気そうで何よりだよ。リザーラさんは元気にしているかい?」
「もちろん。ドルークは相変わらずよ。ウィルザのおかげで緑の海を越える人も毎年増えてきてるしね。ユクモがあったときよりは不便だけど、この新王都に来る分には前より近くなったかな」
「前にドルークに行ったときはサマンに会えなかったからね。残念だったよ」
「──本当に?」
 と。
 突然、笑顔を見せていた彼女は真剣な表情になってウィルザを見つめる。
「え?」
「あたし、さ」
 サマンは右手を開いてみせながら、ウィルザの胸の上にかさねる。
「自分でも分かってるんだ。もう、ウィルザが雲の上の人なんだなーっていうことは。どんなにあがいたって届くはずがないし、それに今、ウィルザは」
 その顔が歪んでいた。
 泣き出しそうなのを、我慢していた。
「サマン」
「ごめん、何でもない。忘れて」
 くるりと振り返って向こうをむいたサマンは、おもいきり伸びをした。
「ん、でも今日は本当に偶然、ウィルザを見かけたから思わず声をかけちゃった。ごめんね、もうあたしなんかが声をかけたら迷惑だったよね」
「そんなことないよ。昔からぼくの仲間だった人たちも、みんなぼくと普通に接してはくれなくなった。サマンがそうやって気軽に声をかけてくれたことがとても嬉しい」
「ふうん、それじゃ何度だって声をかけてあげる」
 またこっちを向いてにっこりと笑った。
「それじゃ、またね」
 サマンは走り出していた。
 そして、それを追いかけるようなことは、ウィルザにはできなかった。
(サマン)
 もちろん、彼女の気持ちを知らなかったわけではない。
 ただ、自分には彼女を女の子として見ることはできなかった──ドネアがいたから。
(ごめんな)
 心の中で、姿の見えなくなった彼女に声をかける。だが、そんな言葉を直接彼女にかけでもしたら、本気で怒るだろう。
 その時だった。

「ついにアサシナの王にまでなってしまうとは、私にも予想できなかったね」

 背筋が震える。この嫌悪すら感じるこの声には聞き覚えがある。
 振り返ると、木陰に黒いローブの男がいた。
(ケイン)
 この男が現れたということは、きっと何か別の企みがある。
 何しろ、世界記にすら載っていない男だ。
「なってしまったものは仕方がない。そこで君に忠告がある」
「何だ?」
「封印の神殿よ。封印を解放しないかぎり、ザの神は真の力を発揮できないんだ」
 その話は以前、どこかで聞いたことがある。そうだ、リザーラだ。
 あのドルークで、ドネアを助ける時に。
「封印の神殿……」
「封印の神殿は全部で四つある」
「四つだと。で、どこにあるんだ」
「それは君が探すんだ。そしてアサシナの王になった以上、ザ神の力を復活させることは君の使命であるはずだ。神殿解放令を出すんだ」
 だが。
 ウィルザはきっぱりと首を横に振った。
「早くやるべきだと思うね……」
 そしてケインは去っていった。
 あの男の正体が見えない以上、世界記以外のアクターに自分の行動を左右されるわけにはいかない。
 それが、自分の中で決めたたった一つの約束事だった。
「神殿の解放。真のザ神の力」
 一度、ミジュアかリザーラに相談してみた方がいいだろうか。
(リザーラさんか。ドルークに足を運ぶのは、さすがに難しいか)
 まずはその封印の神殿とやらがどこにあるのかを確認する。だが、ケインの言う通りに動くのは危険だ。彼の考えが分からない。
(やれやれ。結局は休めないということかな)
 それに、来年になれば来年になったでまた事件がおきる。
 この件はまず、エルダスにでも調べさせることにしよう。





 世界滅亡まで、あと十三年。







国王として動きはじめて三年。いよいよ本格的な活動を開始する時が来た。
凶作と反乱。民が少しずつ衰えていく、滅亡への第一歩。
同時に起こったこの事件に対し、ウィルザは片方を部下に任せ、そして自ら動く。
滅亡は、自分から動かなければ止めることはできないのだ。

「力だけでは何も変わらない」

次回、第二十一話。

『凶作』







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