「今年は凶作と反乱か……まあ、なんとかするさ」
ふと考え事をしていると、今年何をするのかということが口から漏れることがある。
だが、この時ばかりはその考えをやめた方がよかった。
何故なら──ここは、ドネア姫の部屋だったからだ。
「あら、ウィルザ様。どうかなさったのですか? 久しぶりに来られたのに、難しいお顔などなさって」
「いや、何でもないよ」
この姫にあまり心配をかけさせたくない。
自分は、こうしてこの姫のもとで、幸せな気持ちをもらうことができる。
それで充分なのだから。
「陛下。ルーベル金山よりの連絡が途絶えてしまいました。調査しなければなりません」
(来たか)
ウィルザはその報告に許可を出すつもりだったが、その時別の騎士が話に入り込んできた。
「お待ちください、陛下! ミジュア様よりの進言です。東部自治区の山に疫病に強い種があるそうです。是非、そちらの探索を!」
(おいおい)
まさか、同時に事件が起こるとは思わなかった。
(どうすればいいんだ、世界記)
『これから春になる。どちらにするかはお前が決めるがいい』
どこまでも、この世界記はマイペースだ。
(ルーベル金山は取られても後で取り返すことができる。それなら、春のうちに種をまかなければいけない疫病に強い種を探す方が先か)
「では、ぼくは疫病に強い種を先に探すことにするよ。ルーベル金山の方は、騎士団の方でまず事前調査を行ってくれ」
「了解いたしました。種があるといわれているのは、東部自治区の東の山です」
「分かった」
今回の旅は別に自分で行く必要はなかった。誰かに任せて種を取ってこさせればいい。
だが、これはあくまで世界の滅亡を救うためのものなのだ。その作業を他人任せにしてはいけない。それが自分に課せられた使命だ。
(クノン王子との約束でもあるしな)
そう。クノン王子は今ごろどこかで自分がきちんと政治をしているか見ているのだ。
自分はあの少年の期待に応えなければいけない。
「今回はミケーネを連れていく。騎士団にそう伝えよ」
「了解いたしました」
こうして、八一二年二月。ウィルザは今年の活動を開始した。
途中、ミケーネからイライに寄るかともちかけられたが、ウィルザは首を振った。イライには充分にお金を送っている。それに、自分に冷たくした村人たちが戸惑うだけだろう。いや、それとも国王になった自分からさらにお金を取ろうとしてくるだろうか。
いずれにしても、あまり気持ちのいい里帰りにはなるまい。
東部自治区をひたすら南下し、海に出たところで海岸線沿いにさらに東へと進む。
そこが、疫病に強い農作物の種があるところだ。
山に入った途端、ゲ神の洗礼を受けた。上空から襲い掛かる空飛ぶサソリ、ハイル神の群れ。
だが、ミケーネの銃とウィルザの剣でダメージを受けることすらなく、山をただ上っていく。
そこで二人がであったもの。
それは、巨大な土蛇であった。
ゲ神のノヅチ。
戦うとなれば、相当覚悟しなければならない相手であった。
「お前か。我が眠りを妨げる者は」
ノヅチが威厳のある声を放った。
「ぼくは疫病に強い種を探しに来た」
「それだけのために、我が仲間を殺してここまで来たというのか」
「そうだ。だがそれもこの世界の滅亡を防ぐためだ」
その言葉にノヅチは一度沈黙した。
「滅亡を防ぐ。お前たちザの神に都合のいい世界をか?」
「そんなことはない! ぼくが救いたいのはこの世界すべてだ!」
「たわけたことを!」
ノヅチは聞く耳持たずという様子で身を起こした。
「我が王もとんだ見込み違いをしたものだ! 消えてもらおう!」
王。
それは、六年以上前になる、あの盗賊の森での儀式。
(ゲ神の王が、ぼくを意識している?)
「陛下!」
ミケーネの声に我に帰る。ノヅチの体が自分の体を巻き上げようとしていたのだ。間一髪飛び退って回避するが、もし巻きつかれたなら、あっという間に全身の骨を折られてしまっていただろう。
「すまない、ミケーネ」
戦闘中に考え事は禁物だ。すべては安全を確保してから考えればいい。
まずは、目の前のノヅチを倒してからだ。
「ノヅチ!」
ウィルザは自分の持つ最大の力で駆ける。一気に蛇の懐に入り、体勢も整わないまま剣を振る。
その動きに合わせてノヅチは長い尾で絡み付こうとする。が、それよりも早く、ウィルザの剣がノヅチの皮膚を裂いていた。
「ぐ、う」
ノヅチの動きが止まる。肩で呼吸をするウィルザに対して、ノヅチの瞳が光った。
「さすがは我らが王の見込んだだけのことはあるようだな。たいした力だ」
ノヅチからの攻撃がやみ、ひとまず緊張を解く。
「一つ聞かせてもらおう」
「なんだ」
「ザの神はゲの神を滅ぼすために造られた。旅人よ、それは聞いたことがあろう」
「ああ」
「もともとこの世界に住んでいたのは我らゲの神。それを何故ザ神は滅ぼそうとするのだ?」
「それは、人間がこの世界で生きていくのにゲ神が襲ってくるから」
「ザの天使とて、制御できねば暴走して人間を襲うだろう」
「確かにそうだけど、ゲの神は無差別に人間を攻撃するじゃないか」
「旅人よ。もしそれを本気で信じているのならば、考えを改めよ。どれほど知恵のないゲ神であったとしても、ゲ神信者に襲い掛かることはない」
「でも、僕はゲ神の信者だったとき、何度もゲ神に──」
「旅人よ。汝はゲ神信者でもザ神信者でもない。その体はとうに滅びたもの。今のお前はかりそめの命。ゲ神もザ神も汝を保護することはない」
「ノヅチ」
「力だけでは何も変わらない──種は持っていくがいい」
ノヅチは言うべきことを言い残すと、そのまま山の奥へと姿を消した。
あとに残されたのは、疫病に強い種だけ。
「陛下」
ミケーネが今の会話についての説明を聞きたがっていた。
だが、説明することはできない。
彼はため息をついて答えた。
「ミケーネ。まずは王都に戻ろう。この種を早く国中に届けなければいけないしね」
「はい」
自分は何も説明しない。それはミケーネの信頼を裏切ることになるのかもしれない。
だが、自分はもともと二十年という期限つきの命。そう、ノヅチの言うとおり、かりそめの命にすぎない。
その二十年の間に、必ずグラン大陸を滅亡から救わなければならないのだ。
第二十一話
凶作
東部自治区までの往復で二ヶ月が過ぎ、新王都に戻ってきたころには既に春になっていた。これからちょうど種まきの季節だ。間に合った、というべきなのだろう。
政庁に入り、補佐官のカイザーに種を渡す。恭しくカイザーはそれを受け取った。
「陛下、ご無事で何よりです。種は確かにお預かりします。しかし、依然ルーベル金山の連絡が途絶えたままです。一体どうしたのか」
「ルーベル金山は西域関所の南側だったな。派遣した騎士からの連絡は」
「いえ、それが全く」
「何かトラブルがあったとみるべきだろうな。分かった、ぼくが行こう」
「は。ですが……」
カイザーは少し困ったように隣にいるミケーネを見る。彼も困ったように苦笑した。
「何だ、何かあるのか」
ミケーネがかわりに答えた。
「いえ、陛下。確かに陛下はご自身でこうした問題を解決なさる。それは我々臣下にしてみると頼もしい、立派な王であらせられます。ですが、王が自ら動かれると、下の者が育ちません。それに、万一ということもありえます。王はこのアサシナになくてはならないお方。いつまでも一人の騎士の時のように自由に動かれては……」
「なるほどな」
それは考えてもみないことであった。いや、考えていたからこそウィルザはこのアサシナの政治システムは王なしでも動けるように合議制のシステムを取っている。
だが確かに、アサシナの王がいなくなるということはグラン全土が混乱に陥るということだ。
もっとも、自分がいなくなれば近い将来にグラン全土が消滅することになるのは避けられないのだが。
(どう思う世界記)
『私が示すグランの歴史は、君でなければ変えられないものだけだ。君が混乱や滅亡を防ぎたいと思うのなら自分で行動することだ』
(なるほど)
世界記がはっきりと言うのなら、自分は反対することはできない。
「悪いな、ミケーネ、カイザー。これは性分というものだ。しばらくの間は自分で活動させてくれ」
「は。ですが、護衛はつけさせていただきます。私も二ヶ月騎士団から遠ざかっておりましたので、今度はゼノビアをお連れください」
「分かった。ではぼくはすぐにルーベル金山に向かう」
「陛下」
だが、改めてミケーネは苦笑して言う。
「なんだ」
「今日一日ばかりはゆっくりとお休みください。長旅の疲れを癒さなければ、成功するものも成功いたしません。それに、姫君が陛下をお待ちでいらっしゃいます」
ドネア。
またしてもウィルザはなるほどと頷く。確かに、彼女には会いたい。
とはいえ、今は緊急時だ。
「ミケーネ。何か勘違いしているようだが、ぼくはドネア姫にはこの世界を救うために協力してもらう、それ以上も以下も求めたことはない」
「よく理解しております。ですが、それ以上を求めて何かお困りになりますか」
「ミケーネ」
「ドネア姫は陛下のことを待っていらっしゃいます。姫がこの王宮に来てから早三年。いつまでお待たせするつもりでいらっしゃいますか」
そう。彼女の気持ちなどとっくの昔に分かっていたことだった。あのガラマニアで初めて会った時から、互いに惹かれあっていた。
だが自分には彼女を幸せにすることはできない。
あと十三年の命。かりそめの命。
それがどこまでも、自分を縛る。
「あのノヅチに言われたことを気にしておいでですか」
さすがに鋭い。ミケーネもある程度、自分の正体のようなものが見えてきているのだろう。
ノヅチの言ったかりそめの命。そして、未来を知る予言者。
確かにアサシナはウィルザのおかげでいまだに繁栄を続けている。
その自分がいついなくなるか。おそらくミケーネはそうした不安にかられているのだ。
自分に結婚させようとするのも、自分に枷をつけることでアサシナからいなくならないようにするため、というのも多分に混じっているのだろう。
「ミケーネ」
「はい」
「ぼくもいろいろと考えたい。この件は後日にさせてくれ。今は彼女には会いたくない」
「陛下」
「戻ってきたら、そのことは真剣に考えてみることにするよ。でも今は、緊急時だ。このルーベル金山の件がすめば、来年までは随分楽になるはずだ。考えるのはそのときでもいいだろう」
「分かりました。では、ゼノビアを連れてまいります」
少なくともウィルザが前向きに検討するようになった。それだけでもミケーネは満足したのだろう。それを顔に出しながら政庁を出ていく。
「カイザー」
「はっ」
「ぼくはもともと単なる自由騎士だ。貴族出身でもなければ、このアサシナに縁あるというわけでもない。三年前、ぼくはもう少し考えてから国王になるべきだったのかもしれない」
「は……」
「ただ、あのときグラン大陸を救うためにはぼくがアサシナの王になるしか方法はなかった。六世陛下がいなくなれば、あのとき他国はいっせいにアサシナに攻め込んできただろう」
「確かに」
「だからぼくは自分が国王になったことを後悔はしていないんだ。でも、ぼくが力を使えば使うほど、周りのみんなはぼくにさらに大きな期待をするようになる。ぼくにも限界があるというのだけれどね」
「承知しております。人間誰しも万能ではございません。そのために私やミケーネ殿がいらっしゃるのですから」
「ああ。だから君には言っておかなければいけないんだ、カイザー。ぼくは君のことをよく知っている。君がぼくにとってかわってこのアサシナの王になりたがっていることもね」
「へ、陛下」
さすがにその言葉はふてぶてしいこの男にも動揺を与えたのか、慌てて「そのようなことは」と否定するが、歴史を知っている自分にとってはどのような言葉も無意味だ。
「カイザー、覚えておけ。簒奪によって得た王位は長持ちしない。あの聡明な六世陛下とて、デニケス王家を続けることはできなかった。もっとも、クノン王子がもう少し成長してくだされば、王家は続いたのだろうけど、歴史はそれを許さなかった。歴史は必ず、あるべき姿になろうと動く。もしも君が王位の簒奪をしようものなら、歴史は必ず君を排除するだろう。ぼくはそうなってほしくない。この国のためにも、グラン大陸のためにも。そして何より君自身のためにもだ」
カイザーは沈黙するほかなかった。予言者であるウィルザの言葉は何よりも重たかったのかもしれない。
「話はそれだけだよ。ゼノビアが来たようだね。それじゃあ、ぼくはちょっと行ってくる」
「はっ」
汗だくになったカイザーをその場に残し、ウィルザはやってきたゼノビアに微笑む。
「久しぶり、ゼノビア」
「お久しぶりです。ドネア姫には会っていかれないのですか?」
「やれやれ。ミケーネもゼノビアも、口を開けばこれだ」
苦笑するウィルザ。だがゼノビアは笑わなかった。
「陛下。陛下が私をドネア姫の付き人となさってから、私は何度もドネア姫のご相談を受けてまいりました。姫がどれほど陛下のことを想っているか、私ほどよく理解している者は他にないと思っております」
「ああ、いつもドネア姫のことを頼まれてくれてありがとう、ゼノビア」
「陛下!」
「ゼノビア。その話は帰ってきてからにしよう。ぼくにもそのことは少し考えさせてくれ」
もっとも、それは話を単に先送りにしたにすぎない。
ゼノビアはミケーネと違い、それがよく分かっていた。決して満足そうな顔などせず、ウィルザを睨みつける。
「──ゼノビア、あまり睨まないでくれないかな」
「陛下がドネア姫のことを決断してくださるのなら検討します」
よほどこの件に関して、自分はゼノビアに嫌われてしまったらしい。
はあ、とウィルザはため息をついた。
凶作は食い止めたウィルザだが、次に豪族の反乱が待っていた。
ルーベル金山に向かい、解決をはかるウィルザとゼノビア。
だが、本当の問題は、その二つではない。
国王ウィルザの結婚。それを本気で考えなければならない時期にさしかかっていた。
「無能ぶりは前の王以上だそうだな。ザ神などに頼りおって」
次回、第二十二話。
『反乱』
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