八一三年末。
 今年はここまで何も起きていない。だが、いよいよ十二月に入ったということは、これから事件が起きるということに他ならない。
 その日、ウィルザは目が覚めた時から何かが置きそうな予感があった。こういう場合の予感というのは外れてほしいのに、絶対に外れない。
 そして、その悪事を伝えてきたのはカイザーであった。
「陛下に会いたいという方がいらっしゃるのですが」
 カイザーの表情を見る。困った様子であった。相手が何者か、わかっているという様子だ。
「誰なのだ、その者は」
「それが……イブスキ様なのです」
「イブスキ……アサシネアイブスキか」

アサシネアイブスキ
現アサシナ王によって滅ぼされたイブスキ王家の生き残り。現在は行方不明。


(いよいよ世界記の事件が起きはじめたというわけか)
 と、そこへ世界記から連絡が入った。歴史がまた書き換わったというのだ。
(どうなることやら)
 このアサシネアイブスキの帰還がどうなったのか、悪いことにならないといいのだが。

813年 イブスキ王家の帰還
旧イブスキ王家の一人が新王都を来訪し、現王家に仕える。

813年 死の海の悲劇
西域のヘンダライ地方に疫病が発生する。

813年 疫病広がる
ヘンダライの疫病は西域全体に猛威を振るう。

813年 西域全滅
疫病は西域全土に広がり、西域の全ての町は村が壊滅する。


(全滅だと!?)
 さすがにその情報はウィルザをたじろがせた。イブスキが帰ってきて、この歴史の変更だ。おそらく、相当な悪事を企んでいるのだろう。
(いや、待て)
 イブスキが帰還するのは当初の予定通りだ。それなのに結果が書き換わるということは。
(何か、別の要因が裏に潜んでいる)
 前年の豪族の反乱といい、何者かがこのグラン大陸を滅亡に導こうとしている。自分の邪魔をしている。
 何者が。
『これからイブスキは死の海へ同行するようにお前を誘う。疫病を防ぐためにはお前自身が行かなくてはならない』
(防げるのか?)
 だが、世界記からの返答はない。答えるまでもない、ということなのだろう。
(防げるものなら、防いでみせるさ)
 ウィルザの顔つきが変わった。
 予言を受けた彼の、決断の表情だ。
「陛下、どうか彼の話をお聞きください」
 そう言ったカイザーが連れてきた男は、あの八〇六年、サンザカルの旧鉱山で会った男だった。こちらが忘れるはずもなかった。
 向こうが覚えているかどうかは別の問題だが。
「まずはアサシナの新しき王になられたことをお喜び申し上げます」
 それはもう三年も前の話だ。それに、
「喜ぶ? もとアサシナ王家の一族としては別に喜ばしい事ではないのでは?」
 あまりに直接的な切り替えしだったが、この元王子はその程度ではたじろがなかった。
「陛下。私の願いはあのいまわしきデニケスの命。もはやあなたの手により我が願いは叶いました」
 だが、目がそうは語っていなかった。
 確かにデニケスを倒してくれてありがたいとは思っているのだろう。だが、その玉座は本来自分のものだと明らかに主張している。
「陛下。あなたに贈り物があります」
「贈り物?」
「今のアサシナには必要なものでしょう。死の海に眠る我がイブスキの財宝です」
「死の海の財宝!?」
 隣にいたカイザーが声をあげる。おそらく、財宝、という言葉に目がくらんだのだろう。
「そうです。我が一族が王位を追われる時に死の海に隠したものです」
「それは素晴らしい!」
 カイザーが喜びいさんでその話に乗る。
「陛下、早速騎士をつかわしましょう!」
「ただし!」
 そのカイザーの言葉をさえぎり、イブスキが大きな声で制した。
「何か、イブスキ殿?」
「条件があります」
「条件?」
「陛下じきじきに私と死の海に赴くこと。これが条件です」
「何故だ?」
 カイザーは何を考えているのか分からないこの男にたてつづけに質問する。
(カイザーとイブスキが手を結んでいるのかと一瞬疑ったが、そういうわけでもなさそうだな)
 そのやり取りを聞きながら、ウィルザはそんなことを思っていた。
「陛下に見ていただきたいものがありますので。今はこれしか言えません」
 うかつにその話に乗るわけにはいかない。イブスキはおそらくこの旅の中で自分の命を狙ってくるだろう。
 だが同時に、自分が死の海へ出向かなければ疫病を止めることはできないという。
(……同行せざるをえないか)
 国のことならば、エルダスにカイザーがいる。カイザーには常日頃釘をさしているので、独断で決めるようなことはよもやないだろう。それに、ミケーネとゼノビアとを残していけば安全だ。
「分かった。行こう」
「それでこそ陛下! さあまいりましょう。まずは新王都のすぐ東、ヘンダライの村に行きます」
 イブスキが喜んでいる間もウィルザはカイザーから視線を逸らさなかった。
 この展開に困っているという様子だ。なるほど、やはりカイザーは今回の件とは何も関わりがないようだ。もしこれでイブスキとつるんでいるのだとしたら、かなりの役者だ。
「では陛下、お気をつけて」
「うむ」
 イブスキを連れて政庁を出る。そして王宮から出ようとしたときであった。
「お待ちを!」
 声をかけてきたのは技師、ヘパイナスであった。ザの天使、光三脚などの調整を行っている人物である。
「陛下。死の海は危険が多いところでございます」
 そこで後ろから連れてきた蜘蛛型の天使を見せる。
「この天使をぜひお供に!」
「ふふ、頼もしい味方だ」
 イブスキが笑って答える。
「名は?」
「ワタシハ、スイテンシ、デス。ハジメマシテ、ヘイカ」
「よし、水天使。これからよろしく頼む」
「ハイ、ヨロシクオネガイシマス」
 天使の瞳がチカチカと赤く輝く。
(ミケーネかゼノビアを同行させようかと思ったが、ぼくには天使がいるんだったな)
 天使を犠牲にするというわけではないが、万が一のときは天使の助力を得られる方がいい。
「では、行きましょうか、陛下」
 イブスキが企みのある笑顔で言った。







第二十三話

イブスキ王家の帰還







「疫病船が……疫病船がやって来るんだ。ゲの神の呪いだ……」
 そのヘンダライの村に入って最初に見かけた男がそう言いながらどこかへ歩み去っていく。
 ここの原住民は妙な仮面をかぶっていて決して素顔が見えないようになっている。よく商人が、あの格好だけはできないと言っていたが、まさにその通りだった。
「何だ、あいつは」
「疫病船。この辺りの土着信仰で、死の海に漂う船は疫病を撒き散らすという言い伝えがある。そのことだろう」
 イブスキが口元をにやつかせながら言う。
「随分と詳しいな」
「そりゃ、死の海に財宝を隠した一族ですからね。事前の調査はしますよ」
 もちろんそれだけではないはずだ。この疫病の正体まで、この男は知っている。
(まあいいさ)
 この男の狙いが何であれ、疫病を発生させないこと。それが自分の目的なのだから。
 と、その時。
「大変だ!」
 村の男の一人が港から駆けつけてきた。
「あの疫病船が、港によってきたぞ!」
 すると、村の人々は一斉に全員が自分の家へと引きこもってしまった。伝えに来た男も村の奥の方へと逃げ去ってしまっている。
「さて、どうしたものかな」
 ウィルザはやれやれと頭をかく。
「それはもちろん、疫病船とやらを見に行かれるのでしょう?」
「ああ。結局正体が分からないうちは対策の立てようがないからね」
「ご立派です。どうぞご自分が疫病にかからないように願います」
「それはお前もだろう、イブスキ」
「ごもっともです」
 だが不敵に笑うイブスキは、自分だけは絶対に疫病にかからないという自信を持っているようだった。
(もしかして、ぼくを疫病にかけさせて殺すっていう罠じゃないんだろうな)
 だとしたら、随分とこの男の頭はおめでたい。そこまで馬鹿な男ではないだろう。
「財宝についてはいかがなさいますか」
「後でいい。こっちは放っておいたらとんでもないことになりそうだ」
 そもそも、財宝などというでまかせは最初から信じていない。
 決着をつけるのなら、この疫病船の中でだってかまわないのだ。
「どうやら、着いたようだな」
 イブスキが港の方を見る。
 大きな船がそこに接舷していた。
「行ってみよう」
 ウィルザが先に立って歩き、イブスキと水天使があとに続く。
 何人かの村人がそこに集まって話をしていた。疫病船とはいえ、全く未調査のままにするつもりはないらしい。
「乗り込んでいった連中は出てこないぞ」
「どうする。俺たちも逃げるか」
「だが、このままなら疫病が広まる。なんとかしなければ」
 仮面を被った男たちは、言葉の上では非常に慌てている様子だった。
「ぼくが行こう」
 ウィルザがその村人たちに声をかけた。
「あんたは?」
「ぼくはウィルザ。アサシナの王だ」
 それを聞いた瞬間、ヘンダライの民たちは一斉に跪いた。
「ああ、必要ない。ぼくはそういうのは好きじゃない。それに、疫病を広めてしまえばこの西域自体が危なくなる。これはぼくの仕事なんだ」
「国王陛下」
「あと、できればヘンダライの人たちはできるだけ遠ざかっていてほしい。少なくとも港には足を踏み入れないように。疫病が発生する原因になりかねない」
「わ、分かりました。村の者にもそう伝えます」
 三人の男たちは一斉に村へ走っていく。
 そしてウィルザは改めて疫病船を見た。
(既に何人か乗り込んでいるのか。おそらく、間に合わないだろう)
 もしも疫病にかかったのなら、この船から出すわけにはいかない。疫病を西域に撒き散らすわけにはいかないのだ。

 西域、全滅。

 それだけは、何としても防がなければならない。
「行こう」
 ウィルザはゆっくりと疫病船に乗り込んでいく。
 背後のイブスキに充分注意はしている。それに、水天使にも彼の行動は見張らせている。よほどのことがない限りは大丈夫だと思いたい。
「さっそくのお出ましか」
 入った直後、二体のゲ神によって行く手をさえぎられる。
 片方はセンカ神。置時計に髪を生やし、時計の両脇から長い鋭いナイフのような腕が伸びているゲの神。
 もう片方はソゲ神。イカの変体で、十本の足のうち長い二本の足の先に矢じりのような鋭い武器がついている。さらには頭部も硬い鱗で覆われており、きわめて攻撃的にその武器をちらつかせる。
「いきなり危険な展開ですな、陛下」
「遅れるなよ、イブスキ」
「誰におっしゃっているのですか」
 水天使が爆撃を放つ。それが相手に命中したところで二人が一気に距離を詰めた。
 ソゲ神の長い足がイブスキを狙うが、怪我一つおうことなく、その二本の足を切り飛ばし、剣でソゲ神の心臓を貫く。
 またウィルザも長い腕からの攻撃を寸前で見切り、その時計の本体を貫いた。
 ウィルザもイブスキも、お互いに強いという感想を抱く。
「陛下は戦いもご立派でいらっしゃる」
「イブスキも、ただの剣士というわけではなさそうだな。頼りがいがある」
 もちろん頼るつもりなど全くない。お互い、そのことは分かっている。
 この疫病船で、先に油断を見せた方が負ける。それがよく分かっているのだ。
「さて、船室へまいりましょうか」
 イブスキはこの疫病船に臆することなく進んでいく。
(奴め、何を考えている)
 無関係のはずがない。イブスキの帰還にともないやってきた疫病船、そして歴史の改変。
 何を企んでいるのかは分からないが、まずは彼の行動を監視することだ。







疫病船。その船は西域を全滅させるほどの強力は疫病をもたらす。
だが、それはゲ神の呪いなどではない。人間の起こした人災だ。
その船の中で、ウィルザとイブスキは対峙する。
イブスキ王家との因縁に決着をつけるときが来た。

「陛下。あなたはここで死んでもらいます」

次回、第二十四話。

『イブスキ王家の最期』







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