船室を抜けて機関室へ。
だが、どこへ行っても誰の気配もない。
先に入っていったというヘンダライの村民も見当たらない。
ゲ神だけが活発に動いている。
(さて、どうするつもりだ、イブスキ)
先に立って歩いていた男が、最奥の船室にたどりついたところでついに振り返った。
その顔に、凶悪な笑みが浮かんでいる。
「陛下。あなたはここで死んでもらいます」
別に驚くことではなかった。
最初からそれが狙いなのだ。お互い分かりきっていたことだった。
「イブスキ。やはり君はまだアサシナ王になりたいのだな」
「知れた事! アサシナの王は我がイブスキの一族と決まっているのだ!」
「財宝の話も全くでまかせということか?」
「あんな話にひっかかるとはよほど困っているらしいな!」
別に財宝の話にのったわけではない。ただ確認をしただけだった。この男はどこまでも底が浅い。
だが、この場合罠にかかっていたのはむしろ、ウィルザの方であった。
「水天使よ!」
イブスキが命令し、その言葉に水天使が反応する。
「水天使? どうした!?」
「フフフ、水天使の制御は既に私がいただいた」
「なっ」
いつの間に。
ヘパイナスが裏切ったなどということは考え難い。彼とは自分が国王になる前からの知り合いだ。
ということは、天使の制御法をイブスキが何らかの形で手に入れたということか。
「やれ、水天使!」
「ハイ、ヘイカ」
水天使はその巨体でウィルザに近づいてくる。
(まずい)
この水天使の力は、ヘパイナスが自慢するだけのことはあり、最強の部類に入る。ただの天使ではない。ゲ神を滅ぼすことができる強き天使だ。
「クーロンゼロ」
強大な冷気が水天使から放たれる。これを受けては、死ぬ──
「フレイム!」
爆炎を起こすことでその冷気から逃れる。だが、それでも冷気は炎を突き抜けてウィルザの左手の小手を凍りつかせた。
(なんて威力だ)
金具を破壊し、その小手を脱ぎ捨てる。さすがに水天使。かつて戦った眠り駆動や壊れた天使などとは比べ物にならない強さだ。
「まずい!」
その蜘蛛の体内から銃砲が現れる。咄嗟に飛びのくが、水天使の弾がウィルザの太股を掠めていった。
「ははは! いいぞ、水天使! やれ!」
この天使を破壊するのはしのびない。
だが、自分が生き残るためだ。
(すまない、水天使)
いくらこの水天使が強かったとしても、自分にはかなわない。
圧倒的な力で倒すのみだ。
「行くぞ!」
ウィルザの強さは、まず何といってもこのスピードにある。
敵味方の誰よりも早く動き、敵に攻撃させる前に倒してしまうのだ。
先手を取ることの重要性を誰よりもよく分かっている。
だからこそ、今までウィルザは苦戦らしい苦戦をしたこともなければ、敗れたこともない。
まして、水天使は自分より大きいのだ。大きい分、スピードもにぶる。
蜘蛛の前足を切り飛ばし、相手の体制を崩す。
ザの魔法、クーロンゼロが飛ぶが、それよりも早く動いて相手の背後を取る。
そして、ウィルザの強さの二つ目は、相手の弱点を確実に知っていることである。
ゲ神、ザ神ともに弱点は存在する。ゲ神は人間と同じように必ず心臓がある。ザ神は天使の心が破壊されたならば一切の行動をすることはない。
その場所が、ウィルザの頭の中には正確に入っている。
だから無駄な攻撃をすることなく、ただ剣を突き刺すだけで敵を倒すことは容易にできるのだ。
水天使が苦し紛れに足を振り回す。
だが、それを回避したウィルザは天使の心めがけて剣を突き刺した。
(ごめん、水天使)
だがここでイブスキを逃がすわけにはいかない。
水天使の活動がにぶくなり、そして止まった。
やはり、そこまで苦戦したという様子は見せなかった。
「馬鹿な」
完全に優勢だと思い込んでいたイブスキは目の前の事実に呆然とする」
「さて、イブスキ。ぼくは君を許すわけにはいかない。君はこの先の歴史をゆがめる可能性がある。グラン大陸のために、君には死んでもらう」
「ま、まさか」
イブスキの表情が変化する。
「まさか貴様、俺を殺すためにこの船に乗り込んだというのか!」
「今さら気付くなんて遅いよ、イブスキ。君が改心してぼくに仕えるというのならぼくも考えたけど、君のような男にアサシナを任せるわけにはいかない」
「お、おのれ! かくなる上は!」
「何をするつもりだ?」
「この船は虫ほどに小さなゲ神の繁殖地だ。奴らは何にでも取り付く」
すると。
一度動きを止めていたザの天使、水天使の色が徐々に変わっていく。
蜘蛛が赤く染まっていく。
そして、機械の体から徐々に、生身の肉体へと変貌していく。
「さあ、ゲ神、水天使よ! 奴を今度こそ食い殺せ!」
「ギギ!」
もはや、理性のかけらも残っていない水天使。
あのままにしておけば、新たな天使の心を使うことで水天使を復活させることも可能だったのに。
これでは、もはや。
(すまない、水天使)
ゲ神に落ちてしまっては、もはや助かる道はない。
ゲ神を倒すために生まれながら、ゲ神として倒れるのは苦痛だろう。
だが、このままゲ神として活動させられる方がよほど苦しいに違いない。
「さよなら」
水天使はその口から糸を吐き出してくる。
だが、それを回避したウィルザは水天使の頭部めがけて剣を叩きつけた。
理性のある水天使だからこそ、脅威だったのだ。
ただ本能で動き回るだけのゲ神など、ウィルザにとっては何の脅威にもならない。
攻撃は単調で、入り込む隙も大きい。
今度こそ。
水天使は、沈黙した。
第二十四話
イブスキ王家の最期
「くそ!」
イブスキが毒づく。つくづく自分の力の無さを証明している。
「ならば、この俺が!」
剣をかまえ、イブスキが自分めがけて突進してくる。
冷静さを失った剣士などものの敵ではない。もはやイブスキを脅威に思う理由は何一つなかった。
だが、イブスキは煙幕を放った。さすがにその隠しだまには一瞬動揺する。
その隙にイブスキは接近して剣を振り下ろそうとした。
ウィルザもその剣の動きにあわせて繰り出す。
その時だった。
「ぐふうっ!」
イブスキの腹から、巨大な鋭いつめが生えていた。
彼の背後にいたもの。
それは、水天使。
「水天使……」
赤く染まったゲの神が、そこにいた。
「ゴブジデスカ、ヘイカ」
(理性を)
蜘蛛の目がチカチカと光る。唯一残されたザの天使の証だった。
「ああ。お前のおかげだ」
「ソウデスカ……ヨカッ、」
そこで、水天使は活動を停止し──爆発した。
「おのれ……」
イブスキは、がはっ、と口から血を吐く。
もはや助かる見込みはない。本人にも分かっているようであった。
「アサシナは……私の、もの……」
そして、イブスキは事切れた。
ウィルザは間違いなくイブスキが死んだことを確認すると、世界記と意識をあわせた。
813年 疫病消滅
疫病は自然消滅する。
(やはりイブスキがこの疫病船を操っていたと考えるべきなんだろうな)
だが、そのイブスキも死んでしまってはこれ以上疫病が蔓延することもない。疫病船は海の底へ沈んでいくだけだ。
さらには、アサシネアイブスキにまつわる歴史についても改変が起こった。
アサシナ教化国に関する記述は失われた。さらには、
822 マナミガル制圧
アサシナはマナミガルに侵攻。圧倒的なアサシナの力によりマナミガルは滅亡する。この戦いで著名な傭兵バーキュレアが戦死する。エリュース女王は宮廷内で処刑される。
825 アサシナ滅亡
各国の攻勢の前に、ついにアサシナ滅亡。アサシナ王は処刑される。
(まだ、歴史は変わらないか)
アサシナが滅亡するのでは意味がない。アサシネアイブスキによる国家がなくなったとはいえ、現状のアサシナが圧政をするのでは全く無意味だ。
だが。
(それは、ぼくが圧政を行うということなのだろうか)
考えがたい。グラン大陸を救うために圧政をしくことなど考えつかない。
いったい、これから何が起こるというのだろう。
と、そのとき、疫病船が揺れた。
どうやら、この船の沈む時が来たようだった。
(こんな船は沈んでしまった方がいい)
ウィルザは脱出の準備に取り掛かった。
(そして二度と、このグラン大陸に現れるな)
炎上する疫病船からぎりぎりのところでウィルザは逃れる。
沖合で炎を上げる疫病船を桟橋から眺める。
アサシネアイブスキは亡くなり、大陸の未来がまた一つ救われた。
『疫病の蔓延は回避された』
「ああ、確かに」
『問題は解決した。新王都に戻るがいい』
「ああ」
その時だった。
港に現れた、一人の少女。年のころは十二、三歳くらいか。
「ウィルザさん!」
陛下、とも、様、ともつけない。
きわめて親しい呼び方。
(誰だ?)
突然呼び止められた人物。それは、目鼻立ちの整った、凛々しそうな少女であった。
「君は、たしか、ファル?」
そう。それはアサシネアイブスキの妹。兄想いの優しい妹であった。
「はい。ファルです。お久しぶりです!」
「どうしてここに」
「兄がここにいると、あの人が連れてきてくださったんです」
「お前は……」
そこに現れたのは、かの黒いローブ。
ケインであった。
「ウィルザ。これで疫病が西域に広がるのは防いだわけだな。しかし、この娘には可哀相なことをしたな」
どこまでも、この男は状況をよく理解している。
何かを得れば、何かを失う。
敵にも家族がいて、親子、兄弟が存在する。
その現実を確実に見せつけるためだけに、この男はやってきたのだ。
「ファル、すまない。君の兄、イブスキを止めることができなかった」
「いいんです、もう。ただ……」
ファルは哀しげな目で、ウィルザを見つめてきた。
「兄は私に、何か言っていましたか?」
「ああ。君のことをとても気にしていた」
「そうですか」
ウィルザは嘘をついた。迷いはなかった。
そのことで、少しでも彼女が救われるというのなら。
「ありがとう」
「優しいことだな、ウィルザよ」
ケインが憎たらしく言う。
おそらく、ファルも分かっているのだ。兄が自分のことなど全く気にもかけていないということは。
だが、少しでもすがりたかった。兄が自分を見てくれると信じたかった。
だから、ウィルザにそれを求めた。
(そう。これで正しかったはずだ)
ファルは振り返ると、ゆっくりと港から離れていく。
「ファル! この後、どうするんだ?」
「私はジュザリアに行こうと思います。知り合いもいますので。さようなら、ウィルザさん」
そしてファルは港から出て行った。
「じゃあ、私もこれで」
ケインがそう言って彼女の後を追おうとする。
「あ、そうそう。神殿解放を急ぐことだ。この疫病船の事件といい、ゲの神の力はこれからますます強くなる。奴らを滅ぼすには神殿の解放しかないのだからね」
そうして、二人はいなくなった。
(神殿の解放か)
だが、ウィルザはその言葉を聞いてますます自信を深めた。
神殿の解放はしない。
何故なら、ウィルザの狙いはゲ神を滅ぼすのではない、この大陸を救うことなのだ。
あの男、ケインはゲの神を滅ぼすことに執着している。それに乗る必要は全くない。
そう。自分はただ、この世界が存在すればそれでいいのだ。
そうして、ウィルザは王都に帰還しようとした。
その直後、世界記から『歴史が書き換わった』と告げられた。
813年 神殿解放令
補佐官カイザーにより、アサシナ全域に神殿解放令が発せられる。
『アサシナが神殿解放令を発令した』
(なんだと! カイザーが!? いったい……)
『新王都でカイザーに聞いてみるべきだ』
(そうだな)
もう、年が明ける。
新王都に戻った頃には次の年に変わっているだろう。
(カイザーめ。余計なことをするなと言ったのに)
ただですませるつもりはない。
ウィルザは相当の覚悟をもって、新王都への道を急いだ。
世界滅亡まで、あと十一年。
カイザーの独断は、ウィルザの心に怒りをみなぎらせた。
だが、グランを襲う次なる災厄は目の前に迫っている。
ガラマニア。あの野心家の国が帰国した王を迎えてアサシナへの侵攻を考えている。
ウィルザはガラマニアへ向かい、直接国王と話し合う機会を持とうとした。
「私がガラマニアの王だと知っていた。お前の予言の力というわけか」
次回、第二十五話。
『ガラマニア戦争』
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