今回同行したゼノビアは、その一部始終を何も言わず、黙って見ていた。
 ガイナスターという名前はミケーネから聞いている。かの邪道盗賊衆の頭領だった男だ。
 国内でも捜査の手をあちこちに回したが、結局は捕まらなかった。
 捕まるはずもない。本拠地がアサシナではなく、ガラマニア、それも王宮の中だというのだから。
 そして、さらにはガイナスターの妻として現れたガラマニア王妃。
 美しく、どこか陰のある女性だった。
(陛下の昔の恋人か何かか?)
 こういうとき、女の直感というのは素早く働くものらしい。
 なかなか自分がそういう機会にめぐりあうことは少ないのだが、周りで恋愛をしている人物はよく見るのだ。
(陛下がドネア姫といつまでもご結婚されないのは、あの女性が原因か?)
 それは話が飛躍しすぎだとゼノビアは考えを改める。
 何しろ、ウィルザ自身もドネアに惹かれていたのは目に見えて明らかだったからだ。
 予言のことといい、ウィルザには秘密が多すぎる。
 何か、その秘密を解くきっかけになるのかもしれない。
 ゼノビアはそう思って、じっと黙って話を聞き続けた。



 思い出すのは、あの結婚式。
 本来起こるはずだった虐殺。美しい新婦の涙。
 本来自分を殺すはずだった男の妻に、彼女がなっている。
(全く──)
 運命というやつは、どこまでも皮肉だ。
 いろいろと話は聞きたい。どういう敬意でガイナスターと出会ったのか。イライの村を出て何をしていたのか。
 だが、今や自分はアサシナの王で、彼女はガラマニアの王妃。
 個人的に話すことなど、認められるはずもなかった。
「アサシナへの攻撃をやめるのには条件があります」
 ルウがガイナスターを制して話を始めた。
「ルウ!」
「陛下。お願いです。このガラマニアも今、苦しい時なのですから」
 凛とした声で言われると、さしものガイナスターもそれ以上強くは言えないらしい。
(こんなに、強い女性だったっけ)
 あのガイナスターと堂々とわたりあっている。いや、それともガイナスターが尻にしかれているのだろうか。
「ガラマニアはもともと北の国ですが、最近はいつになく寒さがひどいのです。人々の噂では、おそらくザの神官を全て追放してしまって、ザの神の怒りをかったのでは、と」
「ゲ神を信じるこの国に、ザの神官など必要ないと思ったのでな」
「ザの神官を追放」
 もちろん、その程度のことで寒波がやってくるとはウィルザも思っていない。
 とはいえ、人の間で神官を追放したせいだ、という噂が広まるのはやむをえないことだ。
「ザの神官は三人いました。今は大陸の各地に散らばってしまいました。そのうちの神官長はアサシナのイライにいるはずです。神官長さえ戻ってくれれば」
「イライか。分かった、神官長を連れ戻すことが条件だな」
「そうです」
「分かった。イライの神官は私の責任で連れ戻す。待っていてくれ」
 そして。
 改めてウィルザは、ルウの顔をまじまじと見つめる。
 あの結婚式の日も思ったが、やはり、綺麗な女性だった。
 三十も近いだろうに、十代のような肌のきめこまやかさも、しっとりとした蒼い海の色をした髪も、こぼれおちそうな宇宙の星のような瞳も、何もかもが美しい。
「ルウ」
 考えてみると、相手の国の王妃を呼び捨てにするのはとても失礼なことだろう。だが、ガイナスターもルウもそれほど気にしているようではなかった。
「ぼくは君に、謝らなければ」
「いいの、トール。あなたがどうしてウィルザと名乗っているのかも、どうしてあの日いなくなったのかも、私は聞かない。でも、一つだけ教えて」
 ルウは真剣な表情で見つめてくる。
「このグランは、どうなろうとしているの?」
 ──ああ、この女性は、本当に素敵だ。それは外見とかの問題ではない。その本質を見抜くことができる正しい判断力と、真実を追究しようという姿勢が美しいのだ。
「旅を続けて、本当に再会することができたんだな」
 ふと、あのイライのメッセージを思い出す。
 その言葉を聞いたルウは、目を大きく開いた。
「見てくれたの」
「ああ。あの日から二年くらいしてから、僕は一つの事件を解決するためにイライに立ち寄った。その時に見せてもらった」
「そう、二年」
 彼女はそれを聞いて何を思っただろう。二年待てばよかったと思っただろうか、それとも。
「そうね。再会はできたけど、いろいろな意味で私たちは変わってしまったわ。私はガイナスターを伴侶に選び、あなたは──ドネアさんと、結婚するのでしょう?」
「聞いてたのか」
「ええ。ドネアさんという妹がガイナスターにいることは聞いていたわ。でも、そうなると私たちは、義理の姉弟になるのかしら。少し、不思議」
「ぼくはもうさっきから驚きっぱなしで、何も感動が浮かばないよ」
「そうね。でも私は知っていた。たとえウィルザという名前だったとしても、あなたがトールだっていうことを。そして、その改革がすべて、このグランに起こっている大陸の異常を防ぐためだっていうことを」
「ルウ」
「私には何も力がない。そのことは分かっているわ。でも、あなたやガイナスターの協力をすることはいくらでもできる。私はガイナスターの妻として、このガラマニアを守らなければならないわ。でも、もし、この大陸自体に何かが起こっているのだとしたら、それは国という枠を超えて動かなければならないというのも、分かるの」
 世界記に記録されていないルウは、歴史に対して影響を与えることはできない。
 彼女が何を知ったところで、それが歴史に影響を与えることはない。
 それなのに。
(彼女は彼女なりに、この世界のために命をかけているんだ)
 ガラマニアの王妃になれば、強い権限を使うことができる。ガイナスターを説得できれば、戦争は起こさなくてすむ。
 だが、現実はそうはならない。
 ガイナスターは自分の言葉を聞いてくれるような相手ではなく、このグラン大陸に何が起こっているのか調べる術もない。
 そこに、ちょうどウィルザがやってきたのだ。
 ルウにとってみれば、これがどれほど天の助けに思えただろう。戦争を止め、そして真実に一番近づくことができるのだ。
「大陸のことは、ぼくが何とかする」
 だが、ルウに真実を伝えることはできない。
 それは自分に課せられた使命であり、自分の願いでもあるのだ。
「そう」
 そして、ルウは少し寂しげに笑った。
「やっぱり、あなたはどこか、遠くを見ている人だったのね」
 ──そう言われても、トールという人間を知らない自分には、どうにも答えようがなかった。







第二十六話

イライ神殿







「あの方とは、どういうご関係なのですか?」
 イライへ到着する直前になって、ゼノビアが尋ねてくる。ウィルザは苦笑して答えた。
「昔の婚約者。いろいろあって、結婚式の前日にぼくが逃げ出したんだ」
「……女の敵ですね」
 今でこそ口調が丁寧になってはいるが、それでも基本的なところは変わらない。ゼノビアが少しからかうように笑った。
「そうだな。あのときは、時間がなかったから。何があっても結婚式は中止しなければならなかった。強引すぎたけどね」
「理由は、どういうものなのですか?」
「君には分かっているはずだ。この大陸を救わなければならなかったからだよ」
「何故、私には分かると」
「ある意味で、ぼくはミケーネよりも君のことを信頼している。ミケーネの知らないことも、君にはいろいろと教えてきた。ぼくはこの大陸を救わなければならない。そのときに、ドネアを預けられるのは君しかいないからね」
 ゼノビアは顔をしかめる。ウィルザが何を言いたいのか分からないのだ。それは仕方のないことだろう。
 だが、それをあえて説明はしなかった。歴史はどう変化するか分からない。今はこうして仲間となっていても、何かのきっかけで敵になる可能性だってあるのだから。ガイナスターがその好例ではないか。
 イライにたどりついたウィルザは、ザの神官の情報を集めた。すると、すぐにその居場所はわかった。
 かつて、トールが暮らしていた家だった。
「あなたがガラマニアの神官長ですね」
 白髪交じりの神官長はおだやかな顔つきで尋ね返した。
「いかにもそうですが、あなたは?」
「ガラマニアのガイナスター王、いや、ルウ王妃の依頼であなたを迎えに参りました」
「ルウ様の」
 神官長は、少し考えるように目をふせる。
「このイライはルウ様がお生まれになった村だそうですね」
「はい」
「私がガイナスター陛下にガラマニアを追放された時、私の身を案じたルウ様がこのイライに赴くようにとおっしゃってくださいました。お優しい方です。ルウ様が戻ってこいとおっしゃるなら、私はガラマニアに戻りましょう。たとえ陛下のお怒りを受けようとも!」
「あの、ルウはいつガラマニアに」
「ドネア様がアサシナに嫁がれた後、ながらく行方不明だったガイナスター王子とともにガラマニアにお越しになられました。なんでも盗賊まがいの事をしていたガイナスター様がお怪我をされた時、このイライで傷を癒されて、その時に」
「……」
 結局、ルウとはすれ違いが続いていたのだ。
 あれからもう九年。
(運命っていうのは、本当に皮肉なものなんだな)
 苦笑したウィルザは、気を取り直して神官長の話に答えた。
「さあ、私は早速ガラマニアに赴きましょう」
「ガラマニアまでお送りしましょう」
「いえ、ご心配はいりません。各地に散らばった他の神官たちを集めながらガラマニアに向かいます」






 新王都のはるか南、マナミガル王国にて……

「分かった。エブルナの件はお前に任せる」
 マナミガルの宮殿は女だけで構成されている。
 その女王、エリュース。そして、その前に控えている女騎士。
「もう下がってよい」
「はい。女王エリュース。失礼いたします」
 緑色の甲冑を着た茶色の髪の女騎士、カーリア。彼女こそこのマナミガル騎士団長である。
「待て、カーリア」
「はい? 何か?」
「時にお前、最近のグラン大陸の状況をどう思う?」
 突然尋ねられても、カーリアにも答えようがない。これほど漠然とした質問には、漠然としか返せないのが常だ。
「難しいご質問ですね。ガラマニア、アサシナとも国内が不安定、とはいえ大きな力を持っております。今、我々だけで動くのはよいとは思われません」
「同盟か。お前ならどちらと組む?」
 これは、国政のかなり重大な決断について、エリュースが迷っているということだろうか。
 それとも、エリュースは既に結論を決めていて、自分と意見が同じになるか確かめようとしているのだろうか。
「おそれながら、アサシナの王は王になってからまだ四年足らず。加えて国内も掌握しきれていないと聞きます」
 今年の初めにカイザーを投獄したという話は十日とたたずにグラン全土に広まっている。ウィルザにしては珍しく悪評をかった事件だ。
「それならば──」
「分かった。下がってよいぞ」
 エリュースはかなり満足した様子で頷いて微笑む。
「失礼します」
 そしてカーリアが出ていくと、ふう、とエリュースはため息をついた。
「ガラマニアか。あの若い男を信じろということか」
 ガイナスターという若者は、正直いって野蛮で粗野だ。あまり手を組みたい相手とは思わない。
 とはいえ、アサシナの王は国政を部下に任せているともっぱらの噂で、実力があるようには思えない。
 どうしたものだろうか、と悩んだ時であった。
「お困りのようですな、女王エリュース」
 突如、宮殿内にあるはずのない男の声が響く。
「貴様誰だ! どこから入った!」
 全身を黒いローブで覆った男は、口元に笑みを浮かべた。
「ふふふ、みなさん、同じ様なことを聞きますね」
 その不審人物に、すぐにエリュースは兵を呼ぼうとした。だが、
「おお、女王。言い忘れましたが、人を呼んでも無駄ですよ。この部屋は今、私の結界の中にあります」
 つまり、この部屋の中で起こったことは外には分からないようになっている、ということだ。
(何者)
 不気味な男にエリュースは完全に威圧されていた。
「申し遅れましたが、私はケインと申しまして、さるお方の使者としてお話を聞いていただきたく参りました」
「使者だと? まあよい、その話とやらを申せ」
 内心の不安を悟られぬよう、あくまでも毅然とした態度は崩さない。
「さすがはエリュース女王。実は──」
 ケインは笑いながら話を始めた。






『神官はガラマニアに帰るだろう。我々も新王都に戻ろう』
 世界記が言う。その言葉づかいにウィルザは少し嬉しくなった。
「分かった。我々、だな?」
 世界記からは何も返答はない。だが、こうして同格の存在として扱われていることにウィルザは喜びすら覚える。
 すっかり年も暮れに近づいた十二月。ウィルザはようやく新王都に帰りついていた。
「今年も色々あったなあ」
『来年はさらに多くの破滅の要素がある』
 その通りだ。一年一年、徐々に滅びに近づいている。
 滅びの前に、どれだけの滅びの要素を消し去り、最終的にこのグラン大陸を救えるかどうかが問題なのだ。
(そういえば、イライ神殿は解放されたんだったな)
 イライを出る前に、ウィルザはその神殿を振り返る。
 神殿は厳かにそびえ立ち、ザ神の力を象徴しているかのようだ。
 だが、その力が、どこか欠けているような気がするのは何故だろう。
(神殿の解放は、いったい何につながるんだろう)
 そんなことを考えながら、ウィルザは王都への帰路についた。






 世界滅亡まで、あと十年。







ガラマニア主導のもと、ついに反アサシナ同盟が結成される。
ガラマニア、マナミガル、ジュザリアの三カ国は、アサシナと戦う道を選んだ。
戦争を起こせば、それだけ世界の破滅につながる。
同盟が締結されるマナミガルへとウィルザは急いだ。

「あたしは傭兵だ。頼みがあるんなら一万。用意できるかい?」

次回、第二十七話。

『反アサシナ同盟』







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