翌八一六年一月、ウィルザは急ぎ王都に帰還した。
 帰還を待ちわびていたというように、エルダスを始めとする文官たちがウィルザのもとに集まってくる。
「ウィルザ様! 報告があります! ガラマニアが、ガラマニアが崩壊しました!」
 だが、予測された言葉はあっさりと破られた。地震による被害が、それほど大きかったということだ。あのガイナスターならそれでも国をまとめあげ、アサシナへ侵攻してくるかと思っていたが。
「地震か」
「そ、その通りです。しかし、何故そのことを?」
 どうやら、自分が何故この国に召抱えられることになったのか、エルダスですらもう忘れてしまっているらしい。自分は『予言者』だというのに。
「状況は?」
「はい。地震はガラマニアの東部で発生しました」
「あの辺りは無人に近いはずだが」
「はい。おっしゃる通りですが、我がアサシナにとって幸いなことに、東部にはアサシナ侵攻軍の主力が集結していたのです」
 何か、おかしい。
 そんなに都合よく物事が進むはずがない。いや、ガラマニアにとっては決して都合のいい話ではないのだろうが。
「陛下……もしよろしければ」
「お前の考えていることは分かる。エルダス」
「は」
「ガラマニアを倒すべきだ、とそう言うのだろう」
「おっしゃる通りです」
 かつて、何度もアサシナに侵攻しようとしてきた敵国、ガラマニア。この国の脅威を取り除くことができれば、アサシナにとっては平和を約束されることになる。
 だが、もちろんそれを許可することはウィルザにはできない。何しろ、ガラマニアはドネアの故国であり、そしてガイナスターのいる国だ。たとえガイナスターがアサシナ侵攻を考えていたとしても、自分はガイナスターとは戦いたくない。
 それに、戦争は大陸を疲弊させる。それだけは避けなければならない。
「駄目だ。エルダスよ、王都の守りをかためろ」
「ですが、陛下。ガラマニアはこれまで何度も我が国の領土を侵犯してきた敵国。今ガラマニアを滅ぼさなければ、マナミガル、ジュザリアも与してアサシナをつぶしにかかってきます」
「そうしていつまで戦うのだ? このグランに、アサシナ以外の国が全て滅びるまで戦うのか?」
 エルダスは沈黙する。だが、どこの国の者でも考えることは同じだ。
 自分の国が大陸を制覇する。その野望にかられない指導者はいない。
「グランはもう、戦いの時代を終わらせなければいけない。まずアサシナが先頭を切ってその意思を示さねば、他国はそれに倣うことはない。我が国はガラマニアを援助する」
「陛下」
「これはもう決めたことだ。逆らうな、エルダス」
「は。では、陛下のご意向を城下に触れてまいります」
「うむ」
 危ないところだった、とウィルザは胸をなでおろす。
 もしもここにカイザーがいたなら、きっと自分の言うことなど無視して勝手にガラマニア侵攻を始めていたに違いない。
 牢屋に入れておいて正解だった。
 そう考えた時であった。
『歴史が書き換わった』
 世界記から、いつもの声が聞こえた。

816年 カイザーの反乱
アサシナの補佐官カイザーが王都にてアサシナ王殺害を企てる。

816年 カイザー処刑
アサシナ王殺害に失敗したカイザー補佐官が新王都で処刑される。


(カイザーが反乱……? いったい何故)
 だが、手を打つに越したことはない。
「ミケーネとゼノビアを呼んでくれ。二人が来たら私の私室に通すように」
 歴史上はカイザーの反乱は失敗と出ている。だが、何が起こるか分からないのが歴史だ。
 この辺りでカイザーとの確執は終わらせておくべきだろう。
「先に、私は会っておかなければならない人がいる。少し席を外す」
 そしてウィルザはそのまま政庁を後にする。
 そう、今すぐに会っておかなければならない人がいる。
 ドネア姫。
 これからのアサシナとガラマニアの関係を考えたときに、彼女の立場が非常に重要になってくる。
 そして。
(僕自身が、彼女を必要としている)
 彼女と接する時間は、いつも自分にとって安らぎだった。
 五年、と期限を切ってから、その刻限がもうすぐ終わろうとしている。
 そう。この一年をすぎれば、この二十年という長い戦いも一区切りがつく。
 この一年をすぎれば。
 ウィルザは複雑な思いを胸に、ドネアの部屋の前に立ち、取次ぎを頼む。
 すぐに、中へ通された。
「お帰りなさいませ、陛下」
 ガラマニアの報は入っているだろうに、そんな不安を微塵も感じさせず、彼女はウィルザを出迎える。
「はい。ただいま戻りました、ドネア姫」
 その言葉に、ドネアがうっすらと頬を赤くする。
 だが、すぐ次の言葉にドネアの顔が真剣そのものとなる。
「大事な話があります。ガラマニアのことです」
 ドネアは頷くと椅子を勧めてきた。そして侍女が紅茶を運んできてから人払いし、部屋の中に二人きりとなる。
「私から先に、よろしいでしょうか」
 ウィルザが話しかけるより先に、ドネアが話し始めた。
「私の知る陛下でしたら、きっとガラマニアに戦争をしかけたりはいたしません」
 はっきりとした口調。そして、自信あふれた表情。
 本当に、この女性はどこまでも自分のことを知り尽くしている。
「ええ、ええ、その通りです。ドネア姫に隠し事はできませんね」
 胸の奥から笑いがこみ上げてきて止まらない。それを見たドネアも安心したような顔を見せた。
「では、ガラマニアとはどうなさるおつもりですか」
「援助を行います。大地震で被災した人たちを助けるだけの余裕が今のガラマニアにはないでしょう。ガイナスターはそう簡単に援助を受け入れないかもしれませんが、ルウにとりなしを頼みます」
「ガイナスター? ルウ?」
 相手国の王と王妃を呼び捨てにするウィルザに、ドネアが目を丸くする。
「実は、ガイナスターやルウとは旧知なんです」
「そうでしたか」
「姫は、ガイナスターが国を離れて何をしていたか、ご存知で」
「もちろんです」
 少し翳ったような表情を見せる。
「他国に入り、盗賊の真似事をなさっていたと。そのようなことはやめて、国に戻ってほしいと何度もお願い申し上げたのですけれど」
「ガイナスターは他の人の意見は聞かないでしょう。ただ、ルウの言うことだけは少し、聞いてくれているようです。経緯は知りませんけど、ガイナスターが暴走しようとするのをルウがうまくセーブしてくれている。彼女がいる限り、ガラマニアは決して崩壊することはないと思います」
 真剣な表情で、ドネアはウィルザを見つめてきた。
「随分、ルウ義姉様のことをご存知なのですね」
 ウィルザは返答に困った。







第二十八話

約束の五年目







「それより、姫」
 話を戻して、ウィルザは改めて話を切り出す。
「今年が、約束の五年目になります」
「はい」
 さすがのドネアも、その話となると緊張するようだった。
「今までお待たせして申し訳ありませんでした。今年の、この問題さえ無事に終わりましたら、その時は、姫」
「はい」
「改めて申し込みます。ぼくと、結婚してください」
「もちろんです」
 ドネアは満面の笑みで答える。
「私はずっと、あなたをお待ち申し上げていたのですから」
「ありがとう、姫。あなたのためにも、アサシナとガラマニア、必ず何とかしてみせます」
 そしてウィルザは立ち上がる。
 やることはいくらでもある。ただ、彼女の意思を確認することと、彼女を安心させたかったこと、それを果たすために来ただけだ。
「陛下」
 そのとき、ドネアはすごく不安そうな表情でウィルザを呼び止める。
「どうかしましたか、姫」
 ウィルザはその不安げな姫を気遣って、ことさら優しい声をかける。
「いえ」
 ドネアは首を振った。
「どうか、ご無事で」
「ええ、もちろんです」
 そして、ウィルザはドネアの部屋を後にした。
 そのまま、既に来ているであろうミケーネとゼノビアを迎えるため、私室へと向かう。
 だが、部屋に入っていっても二人の姿はどこにもない。
「ミケーネとゼノビアは」
 近くにいた兵士に話しかける。
「はい。それが、陛下のご命令で、ただ今、城から出ていらっしゃると」
「何?」
 ──自分の、命令?
 少なくとも二人に何かを命令した記憶はない。二人にはここに来い、と命令したのだ。
「何かおかしいな。すぐに二人を呼び戻せ」
「はい」
 兵士は走り去っていき、ウィルザは自分の椅子に腰掛ける。
(どういうことだ?)
 ミケーネとゼノビア。あの二人が何の理由もなく、勝手にこの城を離れるはずがない。
 それも、自分が命令したとはどういう間違いだろう。
 その時であった。
「陛下!」
 エルダスが部屋の中に飛び込んでくる。この冷静な男が、ここまで取り乱すのも珍しい。
「王都の外に大軍です! 包囲されてます!」
 ウィルザは険しい表情で立ち上がった。
(そうだったな。まさか、大地震の直後に来るとは思わなかったが)
 反アサシナ同盟は一旦瓦解したものと思っていた。だが、どうやらガイナスターはどこまでも本気らしい。

816年 アサシナ戦争
反アサシナ同盟を成立させたガラマニア、マナミガル、ジュザリアがアサシナ新王都を包囲する。


(大地震で被害が出てもなお攻めることを考えたか、ガイナスター。さすがに、お前だな)
 苦笑する。ガイナスターという男を見誤っていた。
 いや、これももしかしたら、何者かの作為が働いているのかもしれない。
 だが、それを詮索している時間はない。ミケーネとゼノビアを抜きにして、この状況を打開しなければならないのだから。
「どこの軍だ!」
「ガラマニア、マナミガル、ジュザリアの軍もいます。各国の連合軍です!」
 世界記の記述通りだ。何とか戦争を起こさないようにと考えていたが、大地震が起こったせいで自分の方が気が緩んだ。戦争を起こす暇を与えず、こちらから使者を送らせればよかった。
 いや、ガイナスターならばそれも無駄か。いかにして自分を欺くか、それだけを考えて行動を起こしたのだろう。
 その時、エルダスが突然膝をついた。
 何が、と思ったときには既に前に倒れこんでいた。
 その背に、ナイフが刺さっている。
「エルダス」
 アサシナを支える官僚組のトップが。
 あっさりと、その命を奪われた。
 何故だ。
「陛下、これであなたもおしまいです」
 その、聞きたくない声が、自分の部屋の中に響いた。
「カイザー」
 どうやって牢屋を出たのか、カイザーは憎しみのこもった片目でウィルザを睨む。
「私は王としてあなたを認めない! 各国の王はこのカイザーをアサシナの新しき王として認めてくれたのだ!」
 部下を使ってやり取りでもしたのだろうか、どうやら既に自分を亡きものとし、カイザーが新たな王となる、その算段は整っているようだった。
 だが、世界記の記述は変わらない。
 すなわち、それは。
「カイザー。残念だが、君を待ち受けるのは破滅だ。君が生きのびるためには、今すぐ王都を離れるしかない」
 冷静にウィルザは答えた。だが、自分の考えに酔っているカイザーにはそんな言葉が届くはずもない。
「お得意の予言ですか? それがどうした! 自分の運命は、自分で切り開く!」
 ウィルザの知る限り、カイザーは初めて正論を唱えた。
「その言葉、確かにその通りだ。運命は自分の手で切り開くものだ」
 だが、それも自分の滅亡に向かう道を切り開いてどうなるというのか。
 どんなことをしても、カイザーにもはや未来はない。
 それでも、彼は走り続けるというのだろうか。
(無意味な)
 大陸を疲弊させるだけで、誰も益するところもないこの行動に、何の意味があるというのか。
「この男を捕らえろ!」
 カイザーの命令で、一斉に騎士たちが入り込んできた。
(ミケーネとゼノビアが王都を離れたのも、カイザーの仕業か)
 もはやこの政庁に、自分の味方はいないと思った方がいいだろう。
(多勢に無勢か)
 ウィルザは、捕らえられることを覚悟しなければならなかった。







すべては、仕組まれていたのだろうか。
かみ合わない歯車、足りないピース、どこで彼は間違えてしまったのか。
歴史は何も彼に語りかけてはこない。
ただ、新たな戦いだけが、彼を待ち受けていた。

「目覚めよ、ウィルザ」

次回、第二十九話。

『約束の未来』







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