「なんだと」
 レオンはさすがに冷や汗を隠しきれない。
 黒童子を率いたケインに対して、自分は一人の仲間もいないのだ。戦いになって勝てるはずがない。
 それに、この世界記を狙っているということは。
(ぼくの力を完全に封じるつもりか)
 それだけは避けなければ。
 世界記を取られてしまっては、自分にはもうどうすることもできない。
「抵抗すれば貴様だけでなく、ミジュアも殺す! 黒童子の強さはよく知っているはずだ!」
 さすがにその言葉に、ミジュアも愕然とした。
「ウィルザ様、何を……」
「ミジュア、お前は黙っていろ」
 その圧倒的な迫力の前に、ミジュアはもはや何も口にすることができない。
「渡してもらおう!」
『レオン』
 その時、世界記から心話が来た。
「世界記」
 何も言わなくても分かった。
 世界記は、この大陸を救うために存在する。そして今、この大陸にミジュアは精神的な支えとして必要なのだ。
(駄目だ、世界記、駄目だ!)
 だが、今までずっと一緒に旅をしてきたパートナーだ。
 たとえ世界が危機になろうとも、世界記だけは──

 眩しい光が神殿の中を満たす。

「世界記!」
 光が収まった時には、すでに世界記はケインの左肩にあった。
「フフフ、ハハハハハ! 世界記を手に入れたぞ。これで歴史をあるがままの姿に戻せるのだ! ハハハハハハハ!」
「世界記……」
「随分と手を焼かせてくれたな。お前の旅もここまでだ。この世界で朽ち果てるがいい、虫けらめ!  黒童子ども、引き上げるぞ!」
 そうしてケインは引き上げていった。
 もはや世界記のない自分など、倒す価値すらない、と言わんばかりに。
(世界記)
 だが、最後の一瞬、世界記が語りかけようとしたこと。
 分かっている。
 世界を救う。そのために、最後まで抗う。
 大丈夫だ。
 これからの歴史のことは、頭の中に入っているから。
「いったい陛下はどうしてしまわれたのだ」
 ミジュアはがくりと膝をついた。
 彼もまた、ショックだっただろう。何しろ自分が推挙した王がここまで変わってしまったのだ。それもたった一年のうちにだ。
「ミジュアはここに。周りの様子を確かめてくる」
 レオンはそう言い残すと、ゆっくりと祭壇を出て、神殿の入口まで戻ってくる。
 そこはもう、戦いの後など何も残っていない静かな場所だった。
 と、そこへ。
「ミジュア様は!?」
 入口近くに立っている自分のところへ一人の美女が飛び込んでくる。
 それは、初めて会ったときからまるで変わらない、リザーラの姿であった。
「あなたは誰? ミジュア様は中にいらっしゃるの?」
「リザーラ。落ち着いてください。ミジュア様にお怪我はありません」
「あなたは……」
 リザーラは自分の瞳をじっと見つめて、しばし黙り込む。
「ともかくみなさん、私の家へ」
 レオンは頷き、中にいるミジュアを呼びに行くことにした。
(まだ動きがありそうだな。さて、どうなることやら)
 ウィルザはこれから世界を破滅するために活動するのだろう。
 だが、それを防がなければならない。だが、どうやって?
 考えることはいろいろある。そして、アドバイザーたる世界記はもういない。
 ──自分がひどく、孤独な人間に思えた。






 リザーラの家で待っていた人物は自分の思いもよらぬ相手だった。その顔を見た瞬間、レオンは叫んでいた。
「ミケーネ!」
 呼ばれたミケーネが驚いている。それは当然のことだった。
「あら、ミケーネ様? こちらの方をご存知でしたの?」
 リザーラが尋ねるが、ミケーネは首を振る。
「いや、初めてだが……どこかで会ったかな?」
「いえ、すみません。ぼくはレオンと申します」
 危ない、と動揺を隠す。思えば自分が余計なことをミケーネに言ったことから預言者扱いなどされるようになってしまったのだ。
「ともかくあなたがミジュア様のお命を救ってくださったそうですね、ありがとう!」
 リザーラがその手を取って感謝の意を示す。こんなに積極的な女性だっただろうか、と思い返す。
「私からも改めてお礼を言わせてもらうよ」
 ミジュアも優しい表情で言う。
 その直後だった。
「私はもう、ウィルザ様にはついていけません!」
 騎士、ミケーネ・バッハがそう叫んだ。
「まるで人が変わってしまわれたようだ!」
 その通りだ。
 レオンは頷くが、それを口に出すことはできない。
 頷いたリザーラがミケーネに続く。
「アサシナの各地でも男たちの多くは王都の兵士にとられてしまい、不満が高まっています」
「私はアサシナの騎士をやめます!」
 ミケーネの発言に、さすがにミジュアもリザーラも驚く。当のレオンですら驚いた。
「そしてウィルザ様……いや、ウィルザを倒す!」
 その目にこもっているのはただの怒りではない。
 哀しみだ。
 かつて、自分とともに戦った男が道を誤ったことに対する哀しみがそこにあふれていた。
(すまない、ミケーネ)
 カイザーのことが問題なわけではない。ケインのたくらみに気付いていればこんなことにはならなかったのだ。
 そして、ミケーネは自分に目を向けた。
「レオン、ミジュア様を助けたという君の力を貸してくれないか」
 ぼくが?
 ミケーネの真剣な表情に、一瞬、レオンは答えることができなかった。







第三十一話

失くした未来







 協力はしたい。というより、自分一人では何もできない。
 ミケーネがいてくれればどれほど心強いだろう。
 だが。
「しかし、ぼくは今や、大きな力を失ってしまった」
 世界記がいない。
 これから先、何を頼りにしていいのか分からない。
 ウィルザ=ケインを倒すとして、その方法が分からない。
 少し、考える時間がほしい。
 そう思った時だった。
 部屋の中に、二十歳を少し過ぎたくらいの美女が入ってくる。
 赤い髪の美女だった。
「姉さん!」
 彼女は、リザーラを、姉、と呼んだ。
(──サマン、か?)
 彼女と最後に会ったのは国王になった直後くらいだっただろうか。あれからもう数年がすぎている。
(綺麗になった)
 掛け値なしにそう思った。
 だが、その綺麗な女性は全身に疲労を漂わせ、そして悲しげな顔を浮かべていた。
「またよ。ミコヤさんの赤ちゃんが弱ってしまっているわ」
「またですか。ミジュア様、どういうことでしょう? 最近、儀式を終えても弱って死んでしまう赤ちゃんが増えているんです」
「ミコヤの赤ちゃんも姉さんに儀式をすませてもらったばっかりなのに!」
(儀式? ザ神に登録してもらうっていう、あれか?)
 もし、その原因があるとしたら二つの理由が考えられる。
 一つはケインが何か企てているということ。もう一つは神殿を解放したことだ。どちらが原因なのかは分からないが。
「ザの神の祝福がきかぬとはどういうことなのだ?」
 どうもこうもない。
 いずれにしても、ケインを倒す以外に方法はないのだ。
「ともかく、その子を救わなければ。召霊玉が必要だ。それもとびきり大きい召霊玉でより強い力で儀式をやり直すしかない」
 ミジュアの言葉に、リザーラとサマンが反応する。あのユクモの沈没から人々を救ったときのことを思い出したのだ。
「召霊玉……たしか、ジュザリア王宮が最近手に入れたという噂を聞いたけど」
 サマンが言う。それにミケーネが反応した。
「ジュザリア王リボルガン様にはお会いしたことがある。よし、私がジュザリア王宮へ取りに行こう!」
 でも、とリザーラが割って入った。
「ジュザリアは遠いわ。マナミガルのさらに南。それに召霊玉は貴重なものだし」
 リボルガンが譲ってくれるとは思えない。それはその通りだ。
 だが。
 ここで、助けられる命を助けるためには、行くしかないのだ。
「君も一緒に行ってくれないか?」
 ミケーネは改めて協力を要請してきた。
 そうだ。
 自分は何を考えていたのだろう。
 この大陸を守ること。それが世界記との約束でもあるのだ。
「ああ、行こう、ミケーネ」
「ありがたい!」
「今の俺には、そのぐらいの事しかできないだろうしな」
 そう。世界記を失った自分にできることは限られている。
 ならば、できる限りのことを全力でやるしかない。
「とにかく、ジュザリアへ行こう」
「じゃあ、あたしは他の国を回って情報集めてくるわ」
 サマンは不敵に笑う。この辺りは昔と変わらないが──妖しい色香が漂うようになっていた。
「大丈夫、サマン? 気をつけてね」
「任せといて、お姉ちゃん。じゃ、行ってくるね」
 サマンが一足先に出ていく。
「では、我々も行こう、レオン」
「ああ。でも、その前に一ついいかな」
「何だ?」
 レオンは慎重に言葉を選んだ。
 このドルークからの移動方法はたった一つ。墓場街道を通ってアサシナ領に出る。そこから西域へ向かい、マナミガル峠を南へ移動する。
 だが、その途中。
「たいした寄り道にはならないと思う。でも、一つだけ。旧アサシナに寄ってほしいんだ」
「旧、アサシナ王都に?」
 ミケーネが顔をしかめる。
「ああ。どうしても、会いたい人がいるんだ」
 そう。
 今の自分にはもう、その人しか残っていないから。
「確かに、道のりとしてはちょうどそこで一泊する方が楽になるが」
「頼む、ミケーネ」
「いいだろう。どのみち休まずに行くことは難しいんだ。君の思うとおりにしてみよう」
「ありがとう」
 そして、二人は旅立つ。
(そういえば)
 ふと、レオンは思った。
(トールの体を使っていたとき、一番一緒に行動したのはミケーネだったな)
 ミケーネの行動パターンは全部把握している。
 きっと、これからの行動は随分と楽になるだろう。






 数日後、二人はひっそりと静まった旧王都に辿り着いていた。
 レオンはまっすぐに街中を歩いていく。ミケーネもそれについてくる。
 そして、レオンが目指した場所。
 そこは、再臨の部屋だった。
 中に入る。パイプが相変わらずつながっている奇妙な部屋。
 この少女だけは、旧王都に残った。
 ここから動くこともできず。
 ただ、ひとりで。
「久しぶり、アルルーナ」
 アルルーナから託宣を告げられる人間は少ない。
 仮に告げられたとしても、それが毎回告げられる人物はまずいない。
 だが、自分は別だ。
 常にアルルーナと話してきた。もう話さなくなって一年以上になるし、姿形も変わってしまった。
 それでも、彼女なら分かってくれるはずだ。
『お久しぶりです──レオン、とお呼びしてよろしいのですか?』
「それでお願いするよ。アルルーナ、教えてほしいことがあるんだ」
『世界記のことですね』
「そう。君なら分かると思う。これからぼくがどうするべきか。道を示してほしいんだ」
『道は、目の前に』
 アルルーナは目を閉じたまま答える。
『あなたがこれでいいと信じた道こそが、世界を滅亡から救うただ一つの道です。今はまず、ジュザリアの王リボルガンにお会いなさい。そして、この世界の滅亡を救うと願いなさい。そうすれば必ず、あなたの前に道はあります。拓くのではありません。あるのです』
「道は、ある」
 レオンは目を伏せて、その言葉を胸に刻んだ。
「ありがとう、アルルーナ」
『私はそれが使命ですから』
「でも、ありがとう。君のおかげでぼくはどれだけ助けられているだろう。また、迷ったことがあったら来るよ」
『はい。その時は是非、世界記も共に』
「そうだといいけどね」
 レオンは、ようやくつき物が落ちたかのように微笑んだ。







世界記を失ったレオンは、自分にできることから始めていく。
召霊玉を手に入れるためやってきたジュザリア王国。
だが、異変はジュザリアでも起きていた。子供が弱っていく現象はここでも起きている。
と、そのジュザリア王宮で、レオンは懐かしい顔を見るのだった。

「時間は恨みも痛みも忘れさせてくれるものなのだな。人は、変われるのだな……」

次回、第三十二話。

『二つの再会』







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