緑の海。
各国を隔てる樹海の森。たとえ各国の仲が悪くなっても全面的な戦争が少ないのは、この緑の海の存在が大きい。
ここには強く、凶暴なゲの神が多く存在する。この森にすむゲ神たちに比べれば、草原のゲ神たちなど赤子に等しい。
だが、その凶暴なゲ神すら凌駕するほど、この四人はよく連携が取れていた。
バーキュレアが巨大なマシンガンを乱射して相手を怯ませ、ミケーネが的確に銃でダメージを与え、その隙に接近戦に持ち込んだレオンがとどめをさす。時折、それで仕留められないゲ神がいたとしても、リザーラの魔法がそのゲ神を焼き尽くす。
まさに無敵。レオンも、これほど頼もしい、心強い仲間がいることを過去に覚えたことはない。このメンバーならばたとえ黒童子たちが相手でも勝てる。そう信じられた。
だが。
突如、緑の森全体を──いや、グラン全土を地震が襲った。
この地震はもちろん、よく知っている。レオンにはよく分かっていた。
「な、何だ今の音は!」
ミケーネが動揺したように周りを見る。鳥たちも飛び立った後は全く戻ってくる気配を見せない。
「神殿が解放されました。遅かったようです」
リザーラが冷静に答える。レオンは首を振った。
「とにかく神殿に行ってみよう」
ここまできて手ぶらで帰る必要はない。ケインを倒すことができるのなら、この場で決着をつける。
その先。
緑の森、樹海の奥深くに、ザの神の祭壇があった。
そこにいるのは、ウィルザの姿をしたケイン。
「しつこい奴だ」
だが、ケインは余裕の笑みで答える。
「しかしもう遅い! 封印は解かれたのだ!」
敵はケインに黒童子が二体。これなら、倒すのは不可能ではない。
「歯向かうってのかい、いい度胸だね」
バーキュレアがザの魔法、天使の鉄腕を唱える。その瞬間、剣を握るレオンの手に力が宿る。
「こんな魔法まで使えたのか」
「滅多にはやらないよ。今回は特別さ」
レオンは黒童子の攻撃を回避すると、さらにいつもより鋭く剣を振りぬく。それだけで黒童子の体が二つに別れた。
「ぬうっ!?」
ケインが驚いている間にも、リザーラの銃がもう一体の黒童子を牽制する。その隙にミケーネがビームの魔法で黒童子を焼く。
「kkkkkkkk!」
逆に、ケインのゲの魔法がレオンたちに襲いかかった。衝撃派が四人の体を貫く。外傷こそないが、全身が切り刻まれたかのような激痛。リザーラが思わず膝をついた。
だが、普段から鍛えている三人は怯まなかった。ミケーネがまず逆に銃を打ち返す。ケインはなんとかかわすが、その回避先を狙って放ったバーキュレアの銃がケインの肩を穿つ。
「ケイン! 世界記は返してもらうぞ!」
レオンの剣が、ケインを切り裂く。
「ぐ、がっ……」
膝をつくケイン。顔をしかめてレオンを睨み上げた。
「ゲ神は言っていた。封印を解くことは全ての滅びにつながると!」
「そう、その通りだ。全てが消えて、全てが始まるのだ!」
だが、ケインは再び立ち上がり、両手を天にかざした。
「──大いなる、マ神によってな!」
「マ神! 本当ですか」
リザーラが息を切らせながら尋ねる。
「そうだ、ザの神官リザーラ」
ケインが笑いながら答えた。
「マ神とは何だ?」
レオンが尋ねると、リザーラは呼吸を整えて答えた。
「マ神とは……はるか昔、ザの神を創ったものと聞いています」
そう。
すべての神を創り、そしてこの世界を最終的に統べるもの。
それが、マ神。
「リザーラよ。お前は究極の神たるマ神の復活を望まぬのか?」
そこに、ケインから鋭くリザーラの心を抉る質問が飛んだ。
リザーラは顔を背けて答えない。だが、動揺しているのが如実に分かる。
「それがマ神というのかは知らんが、アサシナに古くからある言い伝えではザ神やゲ神よりも古き神の復活は、今この世界に生きる全ての者の滅亡によってなされる、とあるぞ」
ミケーネが言う。
ということは、つまり。
マ神を復活させるということは、ザ神、ゲ神のみならず、我々人間までも犠牲にした上に成り立つということか。
そして、封印の神殿とは、ザ神などの封印ではなく──マ神そのものを封印したもの。
「そんな神の復活など、ぼくは認めない!」
「同感だね。吐き気がするよ」
レオンがいい、バーキュレアが同意する。ミケーネももちろん同じ意見だ。
だが。
顔を上げたリザーラははっきりと言った。
「私は、ザの神官として、マ神の技術を見極めたい。そして、その力を苦しんでいる人たちのために使いたい」
「リザーラ!」
ミケーネが叫ぶ。だが、彼女の心は決まってしまっていた。
「ウィルザ様と一緒に行きます」
「よせ、リザーラ! そいつは!」
「そいつは? なんだね、レオン。まるで、私が悪者のように聞こえるね。私は正しい歴史をつむぎだす、昔のままの私だよ!」
ウィルザ=ケインは狂気の笑みを浮かべたまま言う。
「どけ! 虫ケラめ、世界記は私にこそ相応しいのだよ! ハハハハハァッ!」
ケインはリザーラを抱きかかえると、その場から逃げ出す。
「逃がすか!」
そのケインを追いかけようとした、瞬間、すさまじい音と揺れが神殿を襲った。
「うわっ!」
あまりの衝撃に思わずレオンが倒れる。その間にケインは緑の海の中へ消えてしまっていた。
「何の音だい?」
バーキュレアがその揺れに備えるように、片膝をつく。
「何かが通っているようだが」
レオンが口にしたとき、ミケーネが揺れで倒れる。
「う、すごい揺れだ」
「大丈夫か、ミケーネ」
「いや、それよりも神殿が崩れるんじゃないのか」
だが、それは杞憂に終わった。揺れも音も、数秒後には完全に沈黙した。
「おさまったのか? いったい──」
「分からない。だが」
レオンはケインとリザーラがいなくなった場所をじっと見つめる。
「逃がしたことには違いない」
「ああ」
「一度ドルークに戻ろう。サマンにリザーラのことを伝えなければならない」
「そうだな」
第三十四話
緑の海の神殿
「レオン、お帰りなさい!」
リザーラの家で、サマンは明るく出迎えた。だが、その顔がすぐに険しくなる。
当然だ。
彼女にとっても最愛の姉の姿だけがなかったのだから。
「みんなはどうした?」
先にレオンから尋ねる。
「みんな旅に出たわ。自分たちだけでウィルザ王の秘密を調べるんだって」
(無茶なことを)
レオンは頭を抱える。まあ、カーリアにゼノビアがいれば、あまりに無茶なことはしないだろうとは思うが。
「他に、何か変わったことはなかったか?」
最後の神殿が解放されたのだ。異常が発生しても不思議はない。
「そうね、アサシナ帝国の力は強くなるばかり。マナミガルもジュザリアもガラマニアでさえも抵抗する気力もないみたいね」
「そうか。他には」
「一つだけ」
彼女も、尋ねたいことがあるだろうに、レオンの質問に丁寧に答える。
「大変よ。空を行く人々の船が、アサシナの旧王都に落ちたのよ」
「なんだって?」
空を行く人々の船。
一度だけ、ガイナスターと一緒に旧王都に行ったときに見たもの。
「レオン、もしや、緑の海の神殿での音は」
たしかに、何かが通っている音は聞こえたが、あれが──?
「空を行く人々の船のものだったのか。それも、墜落寸前の」
「噂ではウィルザ王が強力な結界をはって行ったそうよ。ザ神の神殿とかはメチャクチャらしいわ」
たしかに、大変なことになった。
旧王都。たしか、パラドックもあの旧王都の地下に眠る存在を起こそうとしていたが。
(──マ神。まさか、そこに?)
おおいにありうることだ。アサシナの旧王都。そこが重要なポイントになる。
「ねえ」
そして。
彼女がずっと気になっていたであろうことについて触れた。
「お姉ちゃんは?」
レオンは一度目を臥せた。
それだけで、よほどのことが起こったということが彼女にも伝わっただろう。
「リザーラはウィルザと行ってしまった。マ神の真実を知るために」
「え?」
ウィルザと共に行った。
一番ありえなくて、それでいて一番起こってほしくない事態に、彼女の頭は完全に動転した。
「なんで? わかんないよ、それ。なんでこんな時に、行っちゃうわけ?」
サマンは大きく目を見開いて、右手で頭をおさえる。
彼女にとっては、まさに青天の霹靂ともいえる出来事だ。
どんな時でも姉の背を追い、姉の幸せを願い、大陸のどこにいても常に姉のことを気にかけていた少女。
だが、そう。その通りだ。
世界記には、サマンとリザーラの関係については、触れられていなかったのだ。
「サマン」
ミケーネが動揺する彼女に、言葉を選びながら尋ねる。
「以前から聞きたかったのだが」
「何」
「君は昔、小さな少女だった。あの東部自治区で初めて会ったときのことをよく覚えている。とても女らしくなった。綺麗になったと思う」
突然何を言い出すのかと思えば、ミケーネは真剣にサマンを誉めていた。
「あ、ありがと」
彼女も突然の誉め言葉に、動揺すら一瞬忘れて照れる。
「だが」
ミケーネがさらに言葉を続けようとすると、サマンは首を振った。
ミケーネが何を言いたいのか、おそらく彼女にも予想がついたのだ。
「何を言いたいの、聞きたくないよ」
「ずっと以前、私もリザーラ殿にお会いしたことがあるのだが」
「聞きたくないって言ってるでしょ!」
そう、だ。
クノンやファルは年を追うごとに大きくなり、サマンやドネアはさらに美しくなり、ミケーネはかつての若き騎士団長から大陸を代表する威厳ある人物に成長した。
だが。
「リザーラ殿は、いっこうに年を取った気配がないのだが。もしかして──」
「ひどいよ!」
サマンはその顔に涙を浮かべてミケーネにくってかかった。
「ひどいよ、お姉ちゃんは、お姉ちゃんなんだよ! ひどいよ!」
──人型天使。
アルルーナがそうであるように、リザーラもまた年を取らない、永久に変わることのない天使だと、ミケーネは言うのだ。
だが、それは共に暮らしてきたサマンの方が疑いは強かったのだろう。
幼いころは、母同然の年の差だったのに、今ではまるでサマンの方が年上であるかのような。
「サマン」
「……ひどいよ」
ぐすっ、と泣き崩れる。
──こんな、女性だっただろうか。
初めて出会ったときは、とにかく世間に対して必死につっぱって、自分一人ででも生きのびてやろうというような、そんな若々しさすら感じた。
だが、今、ここにいる人物は、肉親の事実に動揺するただの弱い女性だ。
最後に、もう一度だけ、彼女はミケーネの胸を叩いて、床に崩れ落ちた。
「すまなかった、サマン。リザーラ殿は我々が必ず連れ戻す」
こんなときに言う言葉ではなかった。
リザーラがいなくなった時に、サマンも動揺しているだろうに。
「サマン」
泣き崩れた彼女の肩をレオンが軽く叩く。
「任せておけ。ミケーネの言うとおり、必ずぼくたちがリザーラさんを取り戻す」
「レオン……」
ごし、とサマンは涙を拭いて、へへっ、と笑った。
「泣いてるアタシは、アタシらしくなかったね」
いつもの彼女らしい、人を小馬鹿にするような笑みが戻ってきた。
それを見たレオンは、可愛いな、と素直な感想を持った。
ドネアのような美しさとは違う、人間の持つ感情がそこにあふれている。
「ひとまず、話は済んだのかい?」
バーキュレアがひととおり話に決着がついたのを見計らって会話に加わる。
「ああ。これからどうするか、考えないとな」
神殿の封印が解かれ、もはやザの力は極限まで落ちた。
ケインの張った封印の奥、そこにマ神がいる。
封印を解くためにレオンは、力あるものを頼る。
そこでレオンは、一つの再会を果たすことになる。
「旅人よ。久しぶりだ。汝、我が力を望むか」
次回、第三十五話。
『二度目の儀式』
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