「強力な結界を解くには、それよりも大きな力を得るしかないな」
 結論としてはそこに行き着く。
 マ神の結界はおそらくすさまじいものだろう。力の弱まったザ神ではおそらく相手にもならない。
「だからってねえ、人の使える力なんて、たかが知れてるじゃないか」
 バーキュレアの指摘はもっともだ。だから、別の方法を使わなければならない。
「ああ、そうだ。だからぼくが考えているのはもっと別のことだよ」
「別?」
 ミケーネが尋ねる。
「そうさ。ゲ神の王に会うんだ!」
 その意表をついた発言に、ミケーネも、バーキュレアも、サマンでさえも目を丸くする。
「ゲ神の王だと!?」
 ミケーネがありえないという様子で尋ねる。
「ああ。あのゲ神の竜が言っていた、森と石像という言葉がヒントだ。そして、今の世界で力のあるものはもう、ゲ神しかいない」
 ミケーネは頭を抱えた。
 だが、確かにレオンの言うことはもっともなのだ。少し考えればそれしか手がないということは分かる。
 今までザ神の信者として、ゲ神狩りをしてきた者としては、認められないところは多分にある。
 だが、ザ神、ゲ神を通り超えて強大な敵が現れている以上、認めざるをえないのだ。
「どこなんだい、それは」
 ミケーネよりもゲ神に対して抵抗の少ないバーキュレアが尋ねる。
「ガイナスターが率いていた邪道盗賊衆のアジト、おそらくはあの神像こそがゲの王だ」
「ガイナスターか」
 ミケーネが思い浮かべる。かつて刃を交えた相手。一度縄目の屈辱を受けた相手だ。
「分かった。これ以上ここで考えていても始まらない。とにかく盗賊の森へ行こう。ドルークからだと北にあるが、墓場街道を抜けて西にある山道から逆侵入しなければならないな」
「山道?」
「私が、ウィルザ王と初めて会った象荷車襲撃の場所だ」
「ああ──」
 と、思わず口をつきそうになって思いとどまる。
 今の自分はウィルザではないのだ。
「分かった。とにかく、その場所から逆に入って盗賊衆のアジトへ行こう。ミケーネが場所を知っているのなら案内してくれ。そして結界を破る力をもらおう」
「盗賊の森か。やれやれ、今回の雇い主は随分と人使いが荒いねえ」
 だが、暇にならないのがちょうどいいくらいの様子で、バーキュレアは楽しそうに言った。
「お姉ちゃんを連れ戻して。約束よ、レオン」
「もちろん。サマンのために、必ず連れて帰ってくるよ」
 レオンはにっこりと笑ってサマンの髪をなでた。
(本当に、随分と綺麗になったんだな)
 この少女に淡い恋心を抱かれていたウィルザはもうどこにもいない。
 だが、今のサマンの目には。
(また、ぼくの姿が映っているんだな)
 結局、どのような姿をしていても、人が惹かれるのはその内面ということなのだろうか。
(ごめんな、サマン。君の気持ちに応えられなくて)
 心の中で詫びると、レオンはリザーラの家を出た。






 墓場街道を抜けて、山道を逆にたどり、そして盗賊のアジトへ。
 レオンがその懐かしさを感じる間もない、アジトに入った瞬間のことだった。
「な、なんだ?」
 周りが暗くなっていく。
 そして、奥から叫び声が聞こえた。
「うおおおおおおっ!」
 あれは。
 あの男は。
「ガイナスター!」
 ミケーネが叫ぶ。
 ゲ神の神像の前にいる男はまぎれもない、あの薄い水色の髪にふてぶてしい表情はかつての彼──多少、歳はとっていたが、盗賊の親分をしていたときの彼、そのものであった。
「ミケーネ?」
 一触即発、になるかと思いきや、ガイナスターはため息をついて首を振った。
 争っている場合ではない、というのは彼の方でも同じだったらしい。
「そいつらは?」
「俺はレオン」
 レオンは感無量という気持ちで告げた。
 ガイナスターなら。
 ガイナスターなら、自分がウィルザからレオンに変わったのだということを告げても、きっと信じてくれるのではないか。
 そんな気さえしてくる。
「あたしはバーキュレア。こっちのレオンに雇われている傭兵さ」
「ふん、ミケーネ、ここに来たということは、ゲの力が必要になったか」
 ミケーネは肩をすくめた。まさにその通りだ。ザの力が弱まっている以上、ゲの力でなければマ神は倒せない。
「ガイナスター。お前こそこんなところでいったい」
 するとガイナスターは首を振って答えた。
「ガラマニア、マナミガル、ジュザリア、これだけの力を結集しても奴を、ウィルザを倒すことはできなかった」
 敵視されていたのだろうか。
 かつて、この盗賊の森で一緒に盗賊をやっていた仲間が、かたやガラマニアの王、かたやアサシナの王となった。
 自分の部下だった男が、自分の国よりも豊かなアサシナを治めているのだ。
(疎まれても仕方がない、か)
 ガイナスターにしては随分狭量なことだとも思うが、それも人間の感情の一つだろう。
「あの時、誰もがアサシナが滅びると思った。しかし、三国軍は突然に撤退してしまった。いったい、あのとき何があったんだ?」
 その話はレオンも聞いてはいない。三国軍は敗れたと聞いたが、世界記では『突然撤退した』という記述だったはず。
「あの時」






 王宮まで詰め寄ったガイナスターはウィルザに詰め寄っていた。
「貴様、どういうことだ!」
 だが、その男がまるで雰囲気が変わったことに気付いていた。
 以前までの柔和な彼ではない。どこか、奥深いところで変化してしまったかのような、決定的な違い。
 殺気、ではない。魔気、というべきか。
 どす黒い瘴気のようなものが彼を包んでいるのが見えたような気がした。
「別に不思議はない。弱者は強者に飲み込まれる、ただそれだけのことだ」
 虫ケラを見るかのような目。
 かつてのウィルザは、そんな目をしたことなど一度もない。
 ガイナスターの言い分に対し、それをなんとかかなえようと、たとえお互いが国王となっても同じように接してきたウィルザ。
 その姿は、どこにもなかった。
「なんだと、随分と強気じゃないか。あの黒い服の男と兵士たちは、私のために動いているんだぞ」
 この時、黒童子たちはガイナスターの部下として動いていた。だが、それすら罠だったことに気付かなかった。
「ふふ、ふふふははははは! 面白いことを言う」
 その時、自分の配下だった男たちが、一斉に殺気を自分に向けたのが分かった。
「切り札はこういうふうに使うものだよ、黒童子!」
 黒い服の男たちは、一斉にガイナスターに飛び掛った──







第三十五話

二度目の儀式







「……というわけさ」
 全てはウィルザの掌の上だった、ということを悔しそうに語るガイナスター。何とか落ち延びるので手一杯で、軍を率いることなど不可能だった。
 求心力を失った三国軍はどうすることもできず、そのまま国に帰る他はなかった、ということだ。
「今、この世界はウィルザ王が復活させようとしているマ神によって滅ぼされようとしている。もうザ神だゲ神だとこだわっている時ではない」
 ミケーネが断言する。
「そうは言うが、お前たちに大いなるゲ神の力は扱えまい」
 確かに、それが現実だ。バーキュレアもミケーネも、ザ神の加護を受けているのだ。
「俺ですら今以上の力を得ることは不可能だったのだ」
 つまり、ガイナスターはさらなる力を求めてゲ神の王の助力を得ようとしたのだ。
 だが、ガイナスターにはそれができない。
「かつて」
 ガイナスターはゲ神像を見ながら言った。
「たった一度の儀式で、この神像の力を受け継ぐ事に成功した男がいた。その男なら、このゲの王の最後の力を得ることができるかもしれないがな」
「では、その男に頼んで協力してもらえば!」
 ガイナスターは、それが無理だと分かっている。
 何しろ、それを成功させたのは他でもない。
「無理だ。その男は今、アサシナの王として君臨している」
「まさか、ウィルザ王が!?」
 ミケーネも知っているはずだ。かつてウィルザがゲ神の加護を得ていたということを。
 だが、真実は異なる。
 その儀式を成功させた人物は今、この場所にいる。
「ガイナスター」
 黙り込んでいたレオンが、その人物に声をかけた。
「もしゲ王の力を受けることに失敗したらどうなる?」
 ある程度予測はできている。
 かつて、ゲ神の呪いを目の前で見たことがあるからだ。
「死ぬか化け物に成り果てる」
 予想通りだった。
 だが、何事もやらずに諦めるよりは、やって後悔する方がいい。
「ぼくにやらせてくれ」
 レオンの言葉に、ミケーネが驚く。
「レオン」
 バーキュレアが肩を竦めた。やれやれ、と声に出す。
「成功の見込みは薄いぞ」
 ガイナスターは止めるつもりすらない。だが、相手の覚悟が知りたいのだろう。真剣な表情で尋ねてくる。
「やるしかない」
 レオンも真剣であった。
 かつて、このゲ神の儀式を一度でクリアした者としては、自分しかこの試練に挑戦できる者はいないという自負もある。
 だが、それ以上に。世界記を奪われ、この世界を破滅に導こうとしている男がいる。それを止めることが今の自分にできる唯一のことだという自覚がある。
 レオンはゲ神の神像の前に立った。
 そして、両手を掲げて祈る。
「ゲの王よ。あなたの最後の力を、私に与えてほしい!」
 直後。
 レオンの周囲は、暗闇に包まれた。

『旅人よ。久しぶりだ。汝、我が力を望むか』
 レオンは心の中で、望む、と答えた。
 自分の中では、ゲ神もザ神もない。ただグラン大陸を救うことだけが望みなのだ。
『汝に我が力の全てを渡そう』
 そして、輝きと共に、暗闇が取り払われた。

 その光景を見たガイナスターは、信じられないというように首を振った。
 そう、それはありえないことなのだ。誰よりもゲ神に近い、ゲ神信者として活動してきたガイナスターにとって、一度で儀式を終わらせられることなど、本来ありうるものではない。
 それを見たのは、これで二度目。
 何者だ、という不審を抱いても当然だった。
「大丈夫かい?」
 バーキュレアが尋ねてくる。
「ああ、なんともない」
 レオンは笑ってバーキュレアに答えた。
「ゲ神の王の力を受け継ぐとは、何という精神力だ」
 ガイナスターがようやく正気に戻って話し掛けてきた。
 その、直後
『旅人よ、お前はもう一度』
 ゲの王の言葉が、確かに聞こえた。それはレオンだけではない。
 ガイナスターにも、バーキュレアにも、ミケーネにも聞こえた。
『私の炎の海を……最後の希望の、この世界を……頼んだぞ……』
 そして。
 神像の前に燃え上がる炎が消えた。
 それは、ゲ神の王の意識が途切れたことを意味した。
「王よ! ゲの王よ!」
 ガイナスターは叫ぶが、もはや王は答えない。
 ゲ神の王は、入寂されたのだ。
「ミケーネ、バーキュレア。さあ、時間がない。早く旧王都に、墜落した船に行こう!」
 頷く二人。そして、もう一人。
「待て。俺も行こう」
 ガイナスターが鋭い視線で答えた。
「やられっぱなしは性に合わんのでな」
 それは、レオンもよく知っている。
 誰よりも強く、上に立つ者として君臨する。
 それが、ガイナスターだ。
「ああ、分かった。ガイナスター、歓迎するよ」
 そう。
 レオンは心から歓迎している。
 この世界で、初めて共に行動した仲間。多少、扱いづらいところもあるが、この人物をレオンは非常に気に入っていたのだ。
「レオン、こんな奴を信用しては」
「ミケーネ。ザ神もゲ神もないと言ったのはお前だぞ?」
 逆にレオンから言われて、ミケーネは言葉も出ない。
「確かに」
「というわけだ。よろしくな」
 にやりと笑って、ガイナスターがミケーネに言う。やむをえんな、とミケーネも答えた。
「さあ、旧王都へ急ごう!」






 世界滅亡まで、あと六年。







一行はガイナスターを加え、アサシナの旧王都へ向かう。
静かで、そして整然とした街並。だがその奥に邪念が渦巻く。
その奥の『政庁』に待つのは無論、ウィルザの姿をしたケイン。
そしてその隣には、美しき聖女がいた。

「もしもの時はあの子を、サマンを頼みます」

次回、第三十六話。

『空を行く人々の船』







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