かつて、王都移転の際、旧王都に残るという者は一人として認めなかった。それが故アサシネア六世の方針だった。
 先王は知っていたのかもしれない。この旧王都に潜む者が何だったのかということを。
 それはレオンにしても同意だった。この旧王都には一人も残ってほしくない。そうでなければ、この旧王都に潜む力が暴走した時に被害を受けることになる。
 この場合の被害というのは、イコール死だ。
 死者は一人でも減らしたい。だから、新王都の場所は旧王都から最も遠い西域のはずれに置かれた。そこはガラマニアやマナミガルと近い場所ではあったが、旧王都のエネルギーから逃れる最善の場所だった。
 そして、今。
 このアサシナ旧王都に、レオンたちがやってきた。
「ゲの王よ、ぼくに結界を破るための力を!」
 門の前で宣言すると、確かに結界が破られる音が響いた。
「さすがゲ神の王の力だ」
 ガイナスターが満足そうに言う。ミケーネが少しだけ悔しそうだった。
「急ごう」
 レオンが言うと、その隣にバーキュレアが立った。
「急ぐのはかまわないけど、周りを見ることも大切だよ。ここは奴らの巣窟なんだろ、罠が仕掛けられてるかもしれないんだ。慎重にね」
「ありがとう、バーキュレア」
 仲間の意見はしっかりと聞く。それがレオンの姿勢だ。決して自分勝手な行動は取らない。
 ──それは、世界記を失ったことによる変化だろうか。
「みんな、寄りたいところがあるんだけれど、いいかな」
「ああ、分かっている」
 レオンが尋ねると、ミケーネが答えた。
「アルルーナのところだろう?」
「ミケーネに隠し事はできないな」
 その名前が出ても、ガイナスターとバーキュレアには何のことか全く分からない。
 行けば分かる、とだけ伝えられて向かった再臨の部屋は、墜落の影響も全くなくアルルーナも無事だった。
 色のない彼女の瞳が開かれ、優しげに微笑んだ──彼女が微笑んだのを見たのはこれが初めてのことだった。
『お久しぶりです、レオン』
 ザの人型天使、アルルーナ。
 今までも何度も相談にのってもらっていたが、ゲ神の信者となってもそれは変わらない。何しろ、彼女と最初に出会った時、自分はゲ神信者だったのだから。
「久しぶり。また会えて嬉しいよ。君の言った通り、道は目の前にあった。そして、今もぼくはその道の途中だと思う」
『はい。あなたの選択は正しいです。ゲ神の二度目の力を得られたのですね。あなたはあなたの信じる道を進んでください』
「やはり、あの船が落ちたのは、緑の船の神殿が解放されたからなのかい?」
 三つ目の神殿が解放された。それが空を行く人々の船に影響を与えたのだとしたら。
『間違いではありませんが、正解でもありません。解放されたから船が落ちたのではありません。船は解放されたので落ちてきたのです』
 その言葉の言い回しがどう異なるのか、レオンには判断がつかない。
『あなたの信頼できるパートナーならば、それが分かりましょう』
「けど、世界記はまだ、奪われたままだ」
『急いで事を仕損ずるより、慎重に物事を成した方がうまくいくときがあります』
「励ましてくれているのかい?」
『おかしいですか? 私にとって唯一の友はあなただけ。この十何年間かは、あなたの存在が私を喜ばせてくれていました。少しくらいはあなたの役に立ちたいと思います』
 そう言ってもらえるだけでも、レオンとしては嬉しい限りだ。
「ありがとう、アルルーナ」
『王宮の中庭に落ちた船の中深くに、あなたの探している人がいます』
「重ねてありがとう。今度、お礼をしないとね」
『お礼ならば、また私に会いに来てください。それが私にとって、一番の慶事となりましょう』
「分かった。じゃあ、また今度」
『はい。また会える日を楽しみにしています。今度は世界記も一緒に』
「ああ。約束するよ、アルルーナ」
 彼女とよく話をしたのは、まだ王都が移転する前のことだ。
 だが自分は、新王都に移ってからも、また国王になってからも、事あるごとにアルルーナのところには顔を出していた。
 アルルーナは人を選ぶ。よほどのことがない限り託宣は行わない。
 そしてレオンは唯一、足を運ぶたびに託宣を授ける相手であった。
「ザの天使か」
 再臨の部屋を出て、ガイナスターがいまいましげに言う。
「何者だ、あの天使は」
「さあ。でも、彼女は他の天使と違って、自分の意識をもっている天使だよ。今まで何度も助けてもらってきた」
 それを聞いてもガイナスターは表情を変えなかった。
「さ、行こう。目指すは王宮中庭だ」
 レオンが先頭に立ち、バーキュレアが続く。
 頭をかいたガイナスターがミケーネに尋ねた。
「あいつ、何者だ?」
 ミケーネは首を振って答えた。
「分からない。だが、頼りになる仲間だ」
「ふん、相変わらず単純な男だ」
「私に限らず、お前もその単純な男だと思うが、違うのかな」
 ガイナスターは言われてもう一度、ふん、と笑った。






「これは」
 墜落した、空を行く人々の船。それは王宮中庭を完全に占拠していた。
 いや、墜落して占拠するというその言い方はおかしい。これは墜落というよりも、不時着というべきだろうか。
 機体はあちこちが壊れているものの、全体の形そのものが破壊されているわけではない。修理すれば再び空を行くこともできるのではないだろうか。
「でかいな、これは」
 ガイナスターも驚いて言う。機体の一部は王宮を押しつぶしていた。かなりの大きさだ。
「とにかく、船の中に入ろうじゃないか」
 バーキュレアが銃で扉らしいところを撃ち抜く。扉が破壊されて、中への通路が現れた。
「乱暴な女だ。ルウの足元にも及ばん」
 ガイナスターの呟いた言葉が、何故かレオンには嬉しく感じられた。
(ガイナスターとルウは、それでも相手を想い合っているんだな)
 ルウの所在はしれないが、この戦いの全てが終われば無事に再会することもできるだろう。
「おっと、いきなりかい」
 バーキュレアが舌なめずりする。入口すぐの場所に二体のザの天使がいた。四本足でキャスターがついて自由に移動できるようになっている、犬のような格好をした機械。犬と違うのは頭に目鼻がついているかわりに砲身がついていることだ。
 ザの天使の中でもその凶暴性のために堕天使とされた『忘れ機関』であった。
「散開!」
 レオンの言葉で四人が跳ぶ。遅れてマシンガンの弾がその場所をなぎ払っていった。
 バーキュレアとミケーネの銃が逆に忘れ機関に放たれる。相手の体にあたったことを確認しながらレオンとガイナスターが距離を詰めて、それぞれ首を落としていった。
「あっけないものだな」
 ガイナスターが笑いながらいった。相変わらず剣のキレが冴えている。
「やっぱり君は頼りになるよ、ガイナスター」
「ふん。まるで以前から俺を知っていたかのような口ぶりだな」
 まずかっただろうか、と思ったが彼は「まあいい」とそれ以上は追及しなかった。
「さっさと行くぞ。くだらない仕事は早く終わらせるに限る」
 国王として仕事をしてきた男だから言える言葉だろうか。レオンも全く同感で強く頷いた。







第三十六話

空を行く人々の船







 四人は飛空船の奥へ、さらに奥へと進んでいく。
 そして、最後に長い廊下を抜けて、たどりついた場所。
 そこに、『ウィルザ』とリザーラがいた。
「ようこそ。アサシナ帝国の政庁へ」
 にやりと笑いながら言うウィルザはさらに不気味さを増していた。
「ここが政庁だと?」
「そうだ。しかし、申し訳ないが、私たちは失礼するよ」
 いつしか、国王の一人称が『ぼく』から『私』に変わっていた。たとえ国王となっても常に『ぼく』と言いつづけていた優しい人物はどこにもいない。
 いや──目の前に、いる。
「レオン」
 後ろにいたリザーラが声をかけてきた。
「いいえ」
 リザーラは、レオンを真っ直ぐに見て言った。
「あなたの本当の名前は、ウィルザ」
 その言葉で、同行していたミケーネとガイナスターが動揺の声をあげた。
「何!?」
「何を言っている?」
 ミケーネとガイナスターがレオンを見る。バーキュレアだけが「なるほど」と呟いて頭をこりこりとかいた。
「私の探知装置で最初から分かりました」
 その言葉に、レオンは彼女と再会した時のことを思い出した。



『あなたは誰? ミジュア様は中にいらっしゃるの?』
『リザーラ。落ち着いてください。ミジュア様にお怪我はありません』
『あなたは……』



 確かにあのとき、じっと見つめてきたリザーラは何かを言いたそうにしていた。
 だがまさか、既に彼女に見破られていたとは。
「探知装置。やはり君は」
 彼女は首を振った。何も言わなくてもいい、ということだ。
「ミケーネ様」
 リザーラは真っ直ぐに元騎士団長を見つめた。
「あなたの隣にいる人こそ、あなたの主、アサシナ王、ウィルザ陛下です。この男、ケインにより体を奪われていたのです」
「リザーラ、余計なことを!」
 突然のリザーラの謀反に、ケインが顔をゆがめる。
「そんなばかな」
 だが、突然そんなことを言われても、ミケーネの動揺がすぐに解かれるわけでもない。そのミケーネに、リザーラは続けて言う。
「あなたにならわかるはずです。その人の考え方、行動、そして、人の心の形はいつわれないはずです」
 そこまで断言されては、さすがのミケーネも何も言い返すことはできない。
「リザーラ、行くぞ!」
 ウィルザの姿をしたケインは、それでもリザーラを罰するようなことはせず、彼女を呼びつける。そして、飛空船のさらに奥から脱出しようとした。
「待ってくれ、リザーラ!」
 伝えなければいけないことがある。
 君のことを、泣いてまで心配した一人の少女のことを。
「さようなら、ウィルザ。もしもの時はあの子を、サマンを頼みます」
 だが、彼女はそう言うとケインの後をついていった。
 二人が立ち去った後で、当然ながら三人の視線はレオンに注がれた。
 奇妙な沈黙を破ったのは、一番付き合いの長いミケーネであった。
「レオン、どういうことだ?」
 ふん、と不敵な態度でガイナスターも睨みつけてきた。
「説明してほしいな、レオンよ」
 バーキュレアは何も言わない。だが、意味ありげな視線をレオンに注いでくる。
「今はまだ言えない」
 レオンは首を振って答えた。
「確かにぼくはみんなには言えない秘密を持っている。でも、ぼくはこの世界を、救いたいだけなんだ」
 その言葉に偽りなどない。ミケーネはさらに追及をしたそうだったが、ガイナスターがそれを止めた。
「ミケーネ、ともかく今は奴らを追う方が先だ!」
 頷いた四人は飛空船の奥にある転移装置に飛び乗った。






「ここは?」
 突如、吹き込んでくる風に、一瞬呼吸が止まる。
 見わたす限りの空の真ん中。
 地面がはるか下に見えた。
「いったいどこだ?」
 空に浮いた、庭。
 道だけが、空の中に浮いている。
「空中庭園……みたいなものかな」
 全く、理解のできない現象が次々に起こる。
 さすがにガイナスターもミケーネも、この突然の環境の変化には戸惑ったようだった。
「へえ、随分と見晴らしのいいところだね」
 バーキュレアだけが一人悠然と立って地上を見下ろす。
「バーキュレアは平気なのかい?」
「高いところかい? ああ、気持ちいいね」
 そう言う彼女は本当にその景色を楽しんでいるように見えた。レオンはふと気になって、彼女に尋ねる。
「なあ、バーキュレア」
「なんだい」
「さっき、君はぼくのことを何も尋ねなかったけど、気にはならないのかい?」
「なるさ。当たり前じゃないか」
 バーキュレアはさらっと言って笑う。
「でもね、アタシにとっちゃあんたは雇い主さ。それ以上じゃない。雇い主として信頼しているから、あんたがレオンだろうがウィルザだろうがかまわないのさ」
「そうか」
「そうさ」
 レオンも苦笑した。そう言ってくれると助かる。
 今の言葉は、一聞すると薄情なことを言っているような気もするが、実際はそうではない。彼女は自分を気遣って、今のままの自分でいいと言ってくれているのだ。
「ありがとう」
「気にしなくてもいいさ。お礼を言うくらいだったら、報酬に上乗せしてくれよ」
「分かった」
 どこまでも彼女らしい言い分に、思わずレオンは微笑んだ。
 と、そこへ。
「誰だ?」
 一人の人間がやってきた。いや、人間と言っていいのか。
 髪も肌も青い、一枚の絹布で体を覆った男が近づいてきた。

「ああ、レオンさん。お久しぶりです。と言っても分からないでしょうが」







空中庭園。その地を統べる長老とレオンたちは出会う。
これまでの歴史と、これからの歴史。
そして、マ神を制御するための鍵を手に入れるために。
レオンたちは、新たな場所へ旅立つ。

「久しぶりだな、レオン」

次回、第三十七話。

『最果ての地』







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