(少し疲れたな。どこかで何か飲んでいこうか)
 ちょうど近くに食堂を見つける。かなり大きな食堂で、酒場も同時に経営しているようだ。
 中に入ってみると、たくさんの人が自由に歩き回っている。セルフサービスになっているようで、先に料金を支払ってその料金分の食事や飲み物を勝手に取っていくというシステムのようだ。
 変わったやり方だと思ったが、郷に入りては郷に従え、料金を支払ってチケットを受け取る。
 と、その時。
(あれは)
 少し目の前に、鋭い視線をした少女を見つける。
 彼女の視線の先には、少し裕福そうな中年男性がいた。
(赤い髪の少女?)
 年の頃はまだ十三、四といったところか。ルウよりも若い。
 その彼女が立ったかと思うとチケットを持って食事を取りに行く振りをする──と、その中年男性にぶつかった。
「あら失礼。お怪我はありません?」
「こちらこそ失礼、美しいお嬢さん」
(今のは)
「待って」
 彼女が食堂を出ていこうとする、その前に立ちはだかる。
「な、なんでしょう」
 少しおどおどとした少女の顔を見て、唐突に気付く。
 この子は、世界記の中に記されている人物だ。

サマン
盗賊を生業にしている少女。各地を転々としている。


 まだ小さい女の子だというのに、こんなことをしないと生計を立てることができないほど、この国は苦しいのだろうか。
「早く彼に返してあげるんだ。今ならまだ相手は気付いていない。落としたものを届けたということにすれば、この件はなかったことになる」
 見られていた、という諦めのような表情を浮かべたサマンは「仕方ないわね」と呟く。
「あなた、警備兵じゃないの?」
「違うよ。この国の兵士の格好ではないだろう? 僕は自由戦士だよ」
「傭兵か。ま、いいわ。少し、そこで待ってて」
 くるり、と身を翻す。綺麗にまとめられた赤い髪がぴょこんとそれについて回る。
「あ、すみません。財布を落とされたみたいですけど」
 サマンは先ほどの男性のところに駆け寄って財布を渡してくる。男の方も上機嫌でそれを受け取っていた。
 そして笑顔で戻ってきて、すぐに鋭い視線に変わる。
「これで文句はないでしょ?」
 ふん、とそっぽを向く。こうした仕草は本当に少女らしくて好感が持てた。
「ああ。そうだな、君さえよければ場所を変えて話でもしないかい? 別に今回の件についてとかいうのじゃなくて」
 この人物はアルルーナの言う道を拓く者、そして世界記に出てくる二十人の重要人物の一人。当然、この先のグラン大陸の歴史に関係がないはずがない。
「おごってくれるの?」
 斜め下から相手を観察するように見てくる少女。
「かまわないよ」
「じゃあ、近くにケーキバイキングができる店があるのよね。そっちにしましょう」
 早く、と自分の手を引いてすぐにも行こうとする。
「待てよサマン、落ち着かなくても食事は逃げないって」
 が。
 そこで、ぴたり、と相手の動きが止まった。
 どうしたのか、とウィルザが聞くより早く、彼女が尋ねてきた。
「……あたしの名前、どうして知ってるの?」
 ──しまった。
 世界記からの情報があると、こうしたところで間違いが起こる。何もかもを知っているのは便利なことなのだが、初対面の相手に知らない振りをするというのは難しいことなのだ。
「その件も含めてお茶をする、ってことでどうだい?」
 大事な話がある、という風な様子を装う。サマンは少し考えていたが「ま、いいわ」と言う。
「そのかわり、たっぷりとおごってもらうわよ」
「オーケイ。ぼくも色々話があるんだ」
 そうして、二人は場所を移動していく。
 年末の王都はにぎやかだった。あちこちに家族で歩いている姿や、男女で話している姿が見える。この辺りは商店街で、一人で買い物をしているのは少ない。新年を迎えるにあたって家族で買い物、というのは当然多いのだろう。
 だが、ここにいる二人は、男女でいながらもお互いが一人ずつだった。
 氏素性の知れない自由戦士と、盗賊を生業としている少女。
 アンバランスな組み合わせで、それでいて二人がそろっていると男女で出歩いているように見えるところが微妙だ。
「どうしたの?」
 サマンが尋ねてくる。
「いや、みんな楽しそうだなって思って」
 自分は一緒に祝う相手がいない。
 どれだけの世界を経てここに来たのかも記憶に残っていないし、ただこの世界を守るという意識だけが強い。
 だが、憧れる。
 家族。恋人。そうした自分との絆を持つ誰か。
 そんなものがほしいと思う。
(ルウはどうしているかな)
 まかりまちがえば自分の妻になっていた相手。綺麗な女性だった。何も言わずに出てきてしまったが、彼女は自分を恨んだりしていないだろうか。彼女もそうした、特別な絆を持つ誰かを求めていたに違いなかったのに。
「なにしみったれてるのよ。まるで恋人にでも逃げられたみたいじゃない」
 だが、この少女はそんな感慨も容赦なく打ち砕く。やれやれ、とまるで妹に接するかのような気持ちを抱き始めていた。
「あ、ここよここ。アサシナに来る度に一回来てみたかったんだー」
 と、彼女が入っていったのは高級喫茶店であった。
(まあ、お金は大丈夫だと思うけど)
 相手の金で高い料理を食べようとするサマンの性格に、苦笑せざるをえなかった。







第六話

赤い髪の少女







「んで? どうしてあたしの名前を知っていたのか、まずはその辺りから吐いてもらいましょうか」
「取調べみたいだね」
 ウィルザは苦笑してコーヒーを飲む。サマンは一口サイズのケーキを皿いっぱいに載せて笑顔で次々に食べていく。
「話を少し省略するけど、ぼくはこの街でやらなきゃいけないことがある」
「ふうん?」
「で、その際にアルルーナっていう人型天使に会ったんだけど、知ってるかな」
「ええ。あの道を示してくれるっていうザの天使でしょ?」
「ああ。そのアルルーナに君のことを教えてもらったんだ」
「あたし?」
「そう。ぼくの道の先には君がいるって。だから、探してた」
 間違いではない。ただ、アルルーナは名前まで教えたわけではない。だが、そんなことを一々確認することは不可能だし、全部アルルーナのおかげにしてしまえばいい。
「じゃ、あなたがこの街で何をしたいのかっていうのは?」
「それを言わないと駄目かな」
「そりゃそうでしょ。何の答にもなってないもの」
 ふうふう、と熱い紅茶を冷ましながらサマンが追及してくる。
「あまり大きく広めてはほしくないんだけど」
「いいわよ」
「もうすぐ、この国の大神官が誘拐される。それを止めるのは多分無理だから、何とか助けたいと思っている」

805年 大神官誘拐事件
王都の大神官ミジュア、王宮神殿にて忽然と姿を消す。


「大事ね」
 だがサマンは、自分にはあまり関係がないという風な感じでまたケーキを食べる。既に半分以上食べているというのに、そのスピードは全く衰えていない。
「大事なんだ。もうすぐ王子も生まれる。そうなると祝福が与えられずに死んでしまうことになって、グラン大陸そのものが混乱するんだ」
「そうね。この王都アサシナで祝福ができるのは大神官だけって聞いたことがあるわ。ドルークやイライにはそれぞれ祝福ができる神殿も神官もあるけど、アサシナはザ神の本神殿があるのに、どうしても人が少ないっていう話だし」
「詳しいね」
 正直驚く。神殿の内部事情をどうも詳しくしっているようだがサマンは「まあ、旅していれば自然と耳に入る情報もあるわよ」と当たり前のような顔をしていた。
「それで、誘拐するのはどういった連中?」
 それは邪道盗賊衆──と言おうとしたが、ふと奇妙な矛盾に気付く。
(王都襲撃は失敗するのに、邪道盗賊衆が大神官を誘拐できるはずがない)
 そうだ。ストレートに結びつけて考えるのはまずい。それにザ神殿から誘拐されるのだから、それは王宮内部に手引きする者がいたということにはならないか。
「いや、何者かは知らない。でも本拠地は分かっている。ベカノ村のサンザカル旧鉱山だ」
「ベカノ? 随分寂れたところね」
「知っているのかい?」
「この稼業してれば地名には詳しくなるわよ。アサシナから南南東、ちょうど丸一日の距離ね」
 それなら先手を打って先にサンザカルへ向かってしまった方がいいだろうか。だが、ガイナスターをどうする。このままだとガイナスターは王都騎士団に捕まってしまうのではないか。恩のある相手を見捨てていくのもしのびない。
(サンザカルか)
 どのような事件だったのかを確認するため、ウィルザは意識を世界記に合わせた。

806年 サンザカルの戦い
大神官ミジュアはサンザカルにいることが確認される。騎士団が突入するが、ミジュアは既に死亡していた。騎士ミケーネバッハはこの戦いで命を落とす。

806年 クノン王子死亡
クノン王子、大神官の祝福を受けられずに死亡する。


 騎士ミケーネが死亡。だが、そもそもサンザカルへミケーネが行かなければその未来は変えられるのだろう。そして手早くミジュアを救出にいけば、ミジュアもクノンも助けることができる。
(待てよ。ミケーネの名前はどうして出てくるんだ?)
 ミケーネは盗賊たちに捕まっているはずだ。それがこの場面で名前が出てくるということは──
(ミケーネは盗賊の王都襲撃を知っている。つまり、騎士団によって救出されたミケーネが盗賊を一蹴するということか)
 まずい。
 だとしたらミケーネは自分の顔を見知っている。このままこのアサシナに残っているのはきわめてまずい。
「ありがとう、サマン」
「ふにゃ?」
 最後のケーキを口に頬張ったサマンは不可思議な声を上げる。
「これ、代金。ゆっくりしていっていいから」
「あ、ありがと。あなた、どうするの?」
「まずは街からでる。その後はベカノを目指すよ。ありがとう、確かに君は道を拓く少女だった」
「ま、待って」
 立ち上がっていこうとする自分を一度彼女は引き止める。
「あなた、名前は?」
 そうだ、そんなこともしていなかった。苦笑して答える。
「ウィルザ」
「ウィルザ……うん、また縁があったら会いましょ」
「ああ。その日を楽しみにしてるよ」
 微笑みかけると、少しだけサマンの顔が赤くなったようだった。そしてウィルザは喫茶店を出る。
(さて、ミケーネが王都に戻ってくる前に出ていかないとな)
 一日の距離をこれから移動するのは確かに大変なことだが、それでもやらなければならない。このグラン大陸を救うためには。
 そして、ウィルザが王都の門をくぐろうとしたその時だった。
 突然、前後に王都の騎士団が現れて道を塞ぐ。完全に逃げ道を塞がれた。
「捕らえろ!」
 騎士団が一斉に自分に襲い掛かってくる。多勢に無勢。さすがに十人以上の騎士を相手に勝ち目があるはずがない。
「くそっ」
 抵抗しようにも、これだけの人数相手に戦ったら即座に殺されるのが落ちだ。
「捕まえたぞ、邪道盗賊衆め!」
 四方から槍をつきつけられたウィルザは観念するしかなかった。






 こんなことをしている場合ではない。
 王宮の牢屋に捕われていたウィルザは悶々としていた。一刻も早くベカノに向かわなければならないというのに、自分はこうして牢屋の中にいる。
 歴史を修正しなければ、グラン大陸そのものが崩壊する。それだけは避けなければならない。
 だが、脱出しようにもその方法が分からない。加えて自分は地理に不慣れだ。
(どうすればいいんだ、くそっ)
 こういう場合の世界記はあてにならない。全ては自分の選択なのだ。グランが滅びるかどうかは全て自分の決断と行動にかかっている。
 そうして、しばらくしてからのことだった。
 気付けば、牢屋の前にいた兵士たちが何故か倒れこんでいた。
『息を止めて』
 誰か分からないが声が聞こえる。だが、そう言われても突然では困る。言われてからぴたりと止めたが、これが苦しい。
 やがて、カチリと鍵の開く音が聞こえた。
『こっちよ、早く!』
 暗闇の奥から声が聞こえる。息をしないように気をつけてその声のする方へ向かう。
「もう、息してもいいわよ。こっちが風上に当たるから」
 はあっ、と大きく息を吸い込む。
「助かったよ」
 そして自分を助けにきてくれた相手を見て微笑んだ。
「まさか君が助けに来てくれるとはね、サマン」
 ふふん、と少女は勝ち誇ったように微笑んだ。







サマンに救われたウィルザは王宮を脱出する。
歴史は大きく変化を見せ、誰も知ることのない未来がつむがれ始める。
現れる黒い影。そして、サンザカルに待つ事件。
新たな20年が始まろうとしていた。

「あなたが守る未来を、私も見たい」

次回、第七話。

『アサシナの黒い影』







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