新年明けて朝、二人はベカノに到着した。
その直後、世界記から『歴史が書き換わった』と連絡が入る。
806年 サンザカルの悲劇
大神官ミジュアはサンザカルで殺害される。助けに来た盗賊サマンはこの事件で命を落とす。
ウィルザの顔が青ざめる。
(サマンが、死ぬ?)
すぐ隣で「どうしたの?」と無邪気に見つめてくる赤い髪の少女を見る。
(駄目だ。それだけは絶対に許さない)
サマンをここから先に連れていくわけにはいかない。
サンザカル旧鉱山はこの村の奥。ベカノにいればサマンの身は安全だ。
「サマンはここに残るんだ」
「え? どうして?」
「危険だからだよ。このまま行けば──」
「死んじゃう、って?」
サマンは挑発的に笑う。
「あたしは何があっても着いていくから」
「サマン」
「大丈夫。あなたは何を見ているのか分からないけど、絶対に大丈夫だから。たとえあたしが死ぬことになるとしたって、そんなの気にしない。だって、未来は変えられるもの」
未来は、変えられる。
そうだ。自分も、グラン大陸が崩壊するという未来を変えるためにここにいるのではないか。
ならば、たった一人の命だって、守りきることができるのではないか。
「──分かった。でも、危険なことには変わりないんだからな。気をつけて」
「もちろん。死ぬつもりなんか少しもないわよ」
と、ベカノ村に入ってきたときのことであった。
村の入り口辺りで何人かの村人が話し合っている。相談事をしているようだった。
「あ、あなたは、王都の騎士様ですか!?」
自分の戦士としての格好を見てそう思ったのだろうか。盗賊で脱走犯の自分を騎士というのはおそれおおい。
「いえ、ぼくは旅の自由戦士ですけど。何かあったんですか?」
「あ、そうだったのですか。それが実は、昨日ザの神官様をお助けしたのです。今から王都にお知らせしようとしていたところです」
──なるほど。サンザカルの戦いでミケーネがおびき出されるのは、村人たちが伝えたからか。もちろんこれを伝えたら騎士団が一斉に動くのだろう。
「分かった。ぼくは王都の騎士とは知己だから、ぼくから連絡を入れておくよ。その神官っていうのは?」
「こちらです」
神官は村の宿屋に泊められていた。ウィルザたちが入っていくと、神官は訝しげな表情を浮かべた。
「お前たちは?」
「ぼくたちは旅の者ですが、サンザカルに捕われている大神官を助けようとしている者です」
「ミジュア様を」
その男の顔には見覚えがあった。世界記に書かれている顔だ。
神官ローディ
ミジュアの信頼厚いアサシナ王宮ザの神殿の副神官。
「あなたは副神官のローディ様ですね。大神官様は?」
「サンザカルの中です。我々は捕われてあの中に。別々に捕われていたのでミジュア様がどうなさっているのかは分かりませんが、おそらく」
「ミジュア様とローディ様は一緒に誘拐されたのですか?」
「私はザの神殿にいるところをいきなりでした。気がついたらあの山の中だったのです。ミジュア様もおそらくは似たようなものだと思います。その場にいたわけではありませんでしたので」
ザの神殿にいた──ということは、ゲ神の信者の仕業というのではない。何しろ、ザ神殿というのは特殊なところで、ゲ神信者は結界によって入れなくなっているからだ。
「では、いったい誰が」
「それは分かりません。ともかく早く、ミジュア様をお助けしなければ。あなたたち、私とともに来ていただけないだろうか」
「ですが、脱出されたばかりだというのに」
「ミジュア様が危険だというのに、こんなところで油を売っているわけにはまいりません。どうか、私も連れていってください」
確かに見た限りでは外傷も少ないし、動くことは十分可能だろう。ザの神官だというのならザの魔法の援護も期待できる。
「分かりました。同行しましょう」
「ありがたい! 君たちのような戦士がいてくれたなら、私も心強い。さあ、行きましょう!」
「あ、ストップ」
と、そこでじっと二人の話を聞いていたサマンが水を差す。
「すみません、副神官様。ちょっとウィルザと二人で話をさせてください」
「え、ええ」
ローディはきょとんとしてその場に残り、サマンとウィルザは宿屋の外まで出る。
「ど、どうしたんだよサマン。いきなり」
「しっ」
サマンは辺りをうかがって──そして、いきなりウィルザの首に抱きついてきた。
「さ、サマン!?」
「黙って。いいから。静かに。あいつ、こっちを監視してる。耳元で、あたしにだけ聞こえるように話して」
「え?」
つまり、サマンのこの行動は相手──ローディを油断させるための行動、ということか。
ならば相手に誤解させるように、少し身をかがめて軽くサマンの体を抱く。
「どういうことだい?」
「ミジュア様の誘拐犯、今のローディって神官だよ」
「な」
さすがに驚きで声も出ない。
「どうして」
「一緒に捕まったんじゃないのに、ずっと気を失っていたのに、どうしてミジュア様が捕まったって分かるの?」
──確かに。
だが、それを言うのなら盗賊の会話を聞いていたりとか、もしくは何か証拠となるものを握っているのかもしれない。逃げ出す時にミジュアの姿を見たのかもしれない。
それも、全ては憶測だ。
「もしそうだとしたら、何が目的で? まさか、大神官の座を狙ってとか──」
「もしそうなら、もうとっくにミジュア様は殺されてるわ」
その通りだ。別にわざわざ助けに行くだとか、そんなことをする必要はない。それに、世界記にもここで戦いがあるという記述がされているのだ。もしローディ一人での単独犯だとしたらつじつまがあわない。
「ミジュア様は生きてアサシナに帰す。でも、今、この時期にアサシナにいられるとまずい理由があるのよ」
「今?」
もう、とサマンは気付かないウィルザに少し怒ったように言う。
「あなたが言い出したことよ。決まってるでしょ、クノン王子に祝福を上げられなくなる、ってことよ」
第八話
サンザカルの悲劇
「そんな」
ウィルザは戸惑いを隠せなかった。
何故クノンを殺さなければならないのか。殺して誰が得をするというのか。それに、クノンが死ぬことでローディは何か得をすることがあるのか。
「だいたい、サマンは何をもってローディが犯人だと、犯人の一味だと考えたんだい?」
「決まってるじゃない。一度捕らえた人質をそんなに簡単に逃げさせるような奴らなら、初めから誘拐なんか成功するはずないもの。本当にローディが誘拐されたっていうのなら、絶対に逃げられないところに閉じ込めて見張りもつける。そうしないとおかしいもの。それに人間っていうのはおかしくて、苦労して脱出してきたのならそのことを話したがるものなのよ。それこそミジュア様のことはそっちのけにしてでもね。そんな様子が見られないのは、脱出したっていう事実がないからよ。よっぽど追及しようかと思ったけど、泳がせる方がいいかなとおもって黙ってた」
自分よりも歳若いこの少女は、思った以上に様々なことを考えている。本当に驚かされてばかりだ。
「じゃあクノン王子を殺して得をするのはいったい?」
「それは分からないわね。でも、ローディは見張っておく必要があるわ。ウィルザはミジュア様を見つけ出すのに力を注いで。あたしはあいつを見張る役に徹するから」
「分かった。万が一の時は」
「うん。なるべく殺さないようにする」
冷たく言い放つサマンだったが、その覚悟の決め具合は信頼に値する。
「助かるよ。ぼくはどうしても目の前のことをすぐに信じてしまうから、サマンみたいにきちんと物事が見られる人がいてくれて、本当にぼくはありがたく思っている」
「気にしなくていいわよ。だいたい、放っておいたらあたしだって危ないんだから、こういうのはもちつもたれつよ」
「ありがとう。でも、さっき言ったことだけは忘れないようにしてくれよ」
さっき? とサマンは首をかしげる。
「危なくなったらすぐに逃げるってこと」
「逃げたりはしないわよ」
あっさりとサマンは言う。
「サマン」
「だって、あなたが守ってくれるもの。そうでしょ?」
あっさりと、ごく自然に当たり前のように、彼女はそう言う。
(やれやれ)
全くもって、この少女にはかなわない。自分のことを当然のごとく信頼し、微塵も疑っていない。
「サマンはぼくのことを怪しいとは思わないのかい?」
「思うわけないじゃない。こんな不器用に生きてる人をどうやって疑えっていうのよ」
「きみを騙しているかもしれないのに?」
「それはないわよ。だって、あたしがあなたについてきてるんだもの。あなたがあたしに取り入ろうとしているんじゃない。でも、ローディは違う。あの場面で都合よく逃げてきたなんて偶然をあたしは信じない。今までにそんな偶然、生きてきて一度もなかったもの」
きわめて現実主義的で、幸運というものに頼ろうとしないサマンの人生観がそこにある。
「分かった。じゃあ、ローディのことは頼む」
「うん。それじゃ、サンザカルに行きましょ」
頷いてからウィルザはサマンを離す。
「ふうん」
そしてサマンは改めてウィルザを見上げた。
「どうした?」
「いや、結構背が高いんだな、って思っただけ」
そりゃあ少女と青年とでは違いすぎるだろう、とは言わなかった。それは彼女を傷つけるだろうと思ったから。
そして、三人はサンザカルへ向かおうとした時のことだ。
宿屋の外で、まだ小さな女の子が一人、彼らを出迎えていた。
明らかに自分に用があるという様子だ。
「どうかしたのかい?」
こちらから尋ねる。すると、女の子が近づいてきて、その場でしゃがみこんだ。
「騎士様」
騎士じゃないんだけどな、とウィルザが心の中で思うが口には出さない」
「どうか、兄をお救いください」
たどたどしい言葉づかいで、ようやくそれだけを口にする」
「お兄さんがどうしたんだい?」
「兄はゲ神にとりつかれて。まさか、大神官様を誘拐するなんて」
ローディの表情が変わる。が、それを制して彼女の話を聞くことにした。
「君の名前は?」
「私の名前はファル」
ファル
イブスキ王家の生き残り。アサシネア・イブスキの妹。優しい心の持ち主で兄思いである。
(ファル──ということは、今回の誘拐事件の犯人はアサシネア・イブスキということか)
イブスキ
現アサシナ王によって滅ぼされたイブスキ王家の生き残り。現在は行方不明。
「君のお兄さんは──」
「戦士どの! 子供に付き合ってる暇はない! ともかくサンザカルへ急ぎましょう! 今は大神官様の救出が先です!」
ウィルザの言葉を遮ってローディが声を上げる。それに驚いたのか、少女は走り去っていく。
(どうやら、決まりだな)
視線をサマンに走らせる。サマンも同じことを考えたようだ。
つまり、アサシネア・イブスキのことを表に出さないようにした、ということなのだろう。そして、ローディ自身が犯人であるということも。
(犯人はアサシネア・イブスキ。現アサシナ王によって滅ぼされたイブスキ王家の生き残り。だとしたら、ローディはどうしてイブスキに仕えているんだ? イブスキ王家に忠誠を誓っているということなのか?)
イブスキ王家の目的がクノンに祝福を与えないことだとするならば、現時点でほとんど目的は達成されている。今から急いで戻ればクノンの無事は確保できるが、時間が経てば経つほど助かる見込みが失われていく。
(サマンの言う通り、大神官を助けるというのならば、あえて妨害をしてくることはないだろう。だったらこっちとしては急いで救出するのが先か)
ここはローディの手の内に入るとしよう。だが、結果として時間を短縮できるのならそれでいい。
三人は、サンザカル旧鉱山へと向かった。
ついにミジュアを誘拐したイブスキと対峙するウィルザ。
だが、イブスキに忠誠を誓ったローディがその前に立ちふさがる。
何故忠誠を誓うのか。彼は何を求めているのか。
すべては、先王の時代から仕組まれていたことだった。
「早く行こうよ。クノン王子がミジュア様を待ってるんだから」
次回、第九話。
『王家への忠誠』
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