そうして三人は急ぎ、アサシナへの帰路についた。
 途中に現れるゲ神は三人にかかればさほどの相手というわけでもない。ただ、どういうわけかこのところゲ神が我が物顔で平原をうろつくようになった、とミジュアは言う。つまり、これが通常の状態というわけではないということだ。
 ゲ神が増えたことについて何か理由はあるのかと尋ねても、ミジュアにも分からないということだった。
 グラン大陸は八〇四年から乱れ始めた。中央の大国であるアサシナでの王権簒奪、これをもってグラン大陸に最初のひずみが現れたのだ。
「ローディが言っていたアサシネア五世、先王陛下はどのような方だったのですか」
 という質問には、さすがに困ったようにミジュアは笑う。
「暗愚な王ではなかった。ただ、王権の絶対性を信じて疑わぬお方だった。宮廷には恐怖政治がはびこり、有能な臣下は退けられた。今のアサシネア六世陛下になられてからは、そうした絶対王政はある程度緩和された。税金は下げられたし、死刑も極端に減った。暴利をむさぼっていた者たちは捕らえられ、誠実な者、有能な者が国政を担うようになった」
 つまり、なるべくしてなった、というわけだ。
「王権の簒奪が国を救った?」
「そうとも言える。文官ではカイザーやエルダス、武官ではミケーネやゼノビアといった優秀な臣を発掘したのも陛下だ。二年前のこの時期に比べて、今はとてもいい状態で国が回っている。現体制を崩すわけにはいかないのだ。だからこそ、クノン王子の生死はこのアサシナの命運を担っていると言ってもよい」
 だが、それでは腑に落ちないことがある。
 今から二十年後にグランは滅亡への道を歩む。だが今は歴史が改善されようとしている時期だ。どうしてこの時期に自分は呼び出されたのだろうか。
(世界記に聞いても教えてくれるはずないしな)
 自分の使命はこのグラン大陸を救うこと。それ以上の裏の話まで教えてはくれないのが世界記だ。
(八一〇年には第一次アサシナ戦争により、アサシネア六世は殺害される……)
 世界記にはそう記されている。どのようにして亡くなられるかは書いていないが、以後の歴史に登場しないところを見ると、アサシネア六世はこの八一〇年をもって逝去されるのは間違いない。
 これから第一次アサシナ戦争にいたるまでに起こる大きな事件は四つ。
 一つ目は東部自治区事変。ザの天使が暴走することにより、大陸の人々に不安を与えることになる。これは防がなければならない。
 二つ目はドルークとの連絡船ユクモにおいてザの神官リザーラが暗殺される。ゲ神信者によるこの事件が、大陸規模でのゲ神狩りを誘発することになる。そのような混乱を招くわけにはいかない。
 三つ目は王都移転。はたして、これがどのような意味合いがあるのか。止めるべき事案とは思えない。それに──
(八二五年、この王都アサシナの地下で巨大なエネルギーが暴走し、グラン全土が消滅する、とある。どれほどの被害になるかは分からないけど、王都に人が集まっているのは危険だ)
 そう。この王都アサシナから最も遠い場所。それが西域であり、新王都だ。なるべく遠く離れていてくれる方が結果として好都合だ。ならばこれは止める必要はない。
 そして四つ目。
(ガラマニアのドネア姫暗殺か)
 これが一番重い。そしてアサシナ敗戦にいたる直接のきっかけでもある。
 この婚約自体が中止になれば一番手っ取り早い。だが、たった一個人の要望が国政を動かす理由にならないのは当たり前のことだ。
(どうすればいいかな)
 ドネアは現在、行方不明の兄王に替わり国を治めている。歳もこのトールの体よりも若いようだ。
(ガラマニア……そうだ、ガイナスターが)
 彼から手渡された指輪のことを思い出す。ガラマニアに来ることがあったらそれを使え、と。
(……まさかな)
 行方不明の兄王。そしてこの指輪。
 だが、いくらなんでも飛躍しすぎだろう。
 盗賊団の親分が、隣国ガラマニアの国王だ、などということは。
「見えてきましたな」
 ミジュアの言葉にウィルザが顔を上げる。王都アサシナ、到着であった。
「ミジュア様」
 と、そこでウィルザは足を止める。
「ここでお別れです。ぼくはあの街に戻ることはできませんから。ぼくは、あの街ではお尋ね者ですから」
 苦笑しながら言う。そう、自分はアサシナではお尋ね者、邪道盗賊衆の一員で脱走犯なのだ。
「ふむ? だが、私の口利きならば問題はあるまい」
「そうあってほしいとは思いますが、私はこのグラン大陸を救うために、この大陸の色々なところを巡るつもりなのです」
「そうか」
 ミジュアは畏まって、丁寧に頭を下げた。
「戦士ウィルザよ。そなたのおかげで不肖のわが身と、そしてこのアサシナそのものを守ることができた。心から礼を言う」
「気にしないでください。ぼくはそれが使命ですから。もしよければ、今後ぼくがこのアサシナに来ることがあれば、ミジュア様の口利きで王宮へ入れていただけると助かります。これからアサシナは、さまざまな危機に巻き込まれることになるでしょうから」
「約束しよう。戦士の言葉に嘘はないものと信ずる」
「また、アサシナが危機を迎えたときには必ず来ます。ぼくは、このグランの騎士ですから」
 そう言ってウィルザは笑う。それはちょっとした冗談のつもりだったのだろうが、相手は真剣に受け止めたようだった。
「そなたの旅に、ザ神の導きがあらんことを。これからどうされるおつもりか?」
「そうですね、今年一年は特別何もないので、一度ガラマニアを見学してから、来年の今頃は東部自治区へ行ってみようと思っています」
「東部自治区。そこで何かが起こるということかな」
「あるいは起こらないかもしれません。人々のためにならないことなら、ぼくが防ぎますから」
「ふむ。あそこの自治区長を務めている天使使いのザーニャは私の知己だ。急がないというのなら後で紹介状を書き、ザーニャに送っておこう。そなたがいつでもザーニャに会うことができるように示唆しておく」
 ウィルザは目を輝かせた。
「ありがとうございます。今年中であれば急ぎませんので」
「確かに聞いた。ウィルザ殿、またいつか、お会いしよう」
「ええ、またいつか」
 そうして、ミジュアは一人、アサシナへの最後の徒に着く。
 それを見送ってウィルザは、ふう、と一息ついた。
「よかったの? あのままいけば、汚名は晴れるかもしれなかったのに」
 それまでじっと我慢していたのか、サマンがようやく口を開いた。
「別に、ぼくがあの街に行ってできることなんて多くないよ。それよりもぼくじゃなきゃできないことをするべきだ。ガラマニア、マナミガル、ジュザリア、東部自治区、ドルーク、行きたいところは山ほどあるんだ。サマン──」
 そして改めて、彼女を見つめる。
「ぼくは今ひとつ、地理にも疎いし、もしよければ優秀な道案内が欲しいと思っているんだ。もしよければ」
「ついてきてほしいんでしょ?」
 にっこりとサマンが笑う。
「私はかまわないわよ。あなたと一緒に行くのは面白そうだから」
「よかった。断られたらどうしようかと思ったよ」
 ほっと、ウィルザは安堵の息をつく。
「それじゃあ早速で申し訳ないんだけど、ガラマニアへ向かってくれないかな。ガラマニア各地を見てから、今年の暮れには東部自治区に入っていたい」
「OK。ちょうど街道だから、それほど大変じゃないけどね。それじゃ行きましょうか」







第十話

グランの騎士







 クノン王子バンザイの声が、街のあちこちから上がっている。
 王都アサシナは新年の祭に加え、王子誕生ということで二重の祝いでにぎわっていた。
 だが、その中でザの神殿にいたミジュアと、それを尋ねてきた騎士、ミケーネ・バッハだけは厳しい表情だった。
「そうですか。あのウィルザという男がミジュア様を」
 ミケーネの表情は厳しいままだ。だが、ミジュアはそのミケーネをなんとか諭す。
「あの戦士は決して悪い者ではない。私の命を助けてくれ、またこのアサシナの運命をも救ってくれた。確かに盗賊の一員だったのかもしれんが、ここは──」
「いえ、ミジュア殿。私も説明が足りませんでした。それに、あの場では最善の方法と思いましたので」
 ミケーネは顔をしかめたまま答える。
「実は、私が彼を指名手配にしたのは、クノン王子をお助けするためなのです」
「というと?」
「私が捕らえられた時、彼は『アサシナのクノン王子に危機が迫っている』といいました。ですが、彼がそう言ったとき、まだ王子の命名は終わっていなかったのです」
「つまり、彼が知るはずはないということだな?」
「そうです。彼は未来を知る予言者。彼ならばクノン王子を助ける方法を知っていると思ったからこそ、指名手配にしたのです。盗賊の一員だから全力で捕らえろと言った方が、部下たちはよく働きますので。もちろん、必ず生きたまま捕らえるように指示はしておりました」
 ミケーネも『あさはかだった』とうなだれる。なるほど、と納得したようにミジュアは頷いた。
「では、そなたはウィルザに対して」
「もちろん彼が根っからの悪人だなどとは思っていません。盗賊に協力していたのは、何か理由があるからなのだろうと思っていました」
「彼は言っていた。自分はグランの騎士だと」
「グランの騎士……」
 国に縛られることなく、グラン大陸を救うことだけを考えて活動する騎士。
「そんな奇跡みたいなことがありうるのでしょうか」
「だが、彼の未来を知る能力に、あの武力。口にするだけの資質は十分にあると思うが」
「そうでしょうな。私も彼の前に捕らえられておりますゆえ」
 ミケーネは首を振った。いずれにしろ、彼とは現状で会う方法はない。彼が何を考え、何をしようとしているのか。次に会った時こそ、その全てを明らかにしてみせる。
「一年後には東部自治区へ行くと言っていた」
「東部自治区ですか。あの地はかねてより天使使いザーニャに自治権を委託していた地」
 アサシナから離れていることもあり、一定の税金を納めることによりその自治権を保障してきた地。また、ドルークとの連絡船ユクモが発着する場所でもあり、その経済的効果は大きい。
「行かれるかね?」
「いえ。信頼のおけるものを放ち、状況を静観するようにいたします。彼がどう動くのかを見ます」
「慎重だな」
「そうならざるをえません。クノン王子のことがあったばかりですから」
 確かに、とミジュアは頷く。そして思い出したように付け加えた。
「そういえば、彼は言っていたな。また、アサシナが危機を迎えた時に必ず来る、と」
 その言葉はミケーネに重くのしかかってくる。つまり、未来を知っている彼には、いつ、どのような危機が訪れるのかを知っているということではないのか。
「では、永久に会いたくないですね。アサシナが危機に陥るなど、あってほしくはありませんから」
「──確かに」
 ようやく、二人の間で安堵したかのような笑みが漏れた。






「一つ聞きたかったんだけど」
 旅の途中、サマンが尋ねてきた。
「なんだい?」
「会った時からずっと、あなたはこの世界、グラン大陸っていう言葉を使ってたわよね。この世界を救うんだって」
「ん、ああ」
「あなたが未来を知っていたり、グラン大陸を救わなきゃいけないっていう理由は、教えてはくれないものなの?」
 それは言うわけにはいかない。
 自分がこの世界の人間ではなく、異世界から来たものであるなどということは。
「悪いけど」
「まあ、教えてもらえるとは思ってなかったんだけど」
 そう答えることが予想済みだったのか、サマンは食い下がってくることはなかった。
「でもさ、そうしたら教えてほしいことがあるんだけど、今後いったい、どんなことが起こるの? あなたはどんな未来を見てるの? それも教えてくれないの?」
 微妙な質問だった。いったい何が未来を変えることになるかなど分からない。できるだけ未来のことは口にしない方がいいのは間違いない。
「それも言えないの?」
「あまり言わない方がいいっていうのは間違いないよ」
「それもあなたの予言の一つってわけか」
 サマンは、うーん、と頭を押さえて唸る。
「僕も君に聞きたいな、サマン」
「ん? 何を?」
 自分が尋ねられるとは思っていなかったのか、サマンはきょとんとして見返してくる。
「どうして、ぼくなんかに着いてきたのかなって。ぼくに着いてきてもいいことは何もないはずなのに」
「ん。ま、それはそうなんだけど。でもあたしもこれで結構他の人よりも世慣れてる自信があるのよ。そのあたしが、あなたを見切れないのが少し悔しいのかも」
「見切る?」
「うーん、その人の奥底っていうのかな。あたし、だいたい出会った人の奥の深さが分かるんだ。あのローディが怪しいと思ったのも、確かに偶然にしては出来すぎだって思ったのが一番の理由だけど、簡単に底を見破ることができたからだもの。それにひきかえ、あの途中であった、ガイナスター? あの人はすごい深くまで考えてる人。あなたはそうじゃない。浅くも深くもない。底が見えないの。次元が違うって言った方がいいのかもしれない」
「それは褒められているのかな」
「ううん。褒めてない」
 真剣な表情でサマンが見つめてくる。
「あなたはこのグラン大陸を本当に救うことができるくらいの人物か、それとも反対にこのグラン大陸を崩壊に導くことになるかもしれない、そんな人なのよ」
「それはまた、すごいな」
「うん。だから監視しなきゃ、ね?」
 少女はにっこりと笑う。
「あなたと一緒なら退屈しないだろうなって思ったのも本当よ? でも、一番の理由はあなた自身に興味があったから。それじゃいけない?」
「いや、悪くはないよ」
 ウィルザは苦笑して首を振った。
「それじゃ、行こうか」






 グラン崩壊まで、あと十八年。







東部自治区の事件は事前に封じ込めることができる。
そう考えたウィルザはサマンとともに天使使いザーニャのもとを訪れていた。
動き出す歴史と、崩壊の未来を止めようとするウィルザ。
その彼を助けようとする女性の姿が、常にその傍にあった。

「でもね、あたしもあなたにはやっぱりありがとうって言いたいな」

次回、第十一話。

『東部自治区事変』







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