ウィルザたちが見張りを行ったその日、世界記の指示通り、ザーニャの屋敷に潜入しようとしている男を発見した。まだ若い、真面目そうな青年である。
 だが、行っていることは真面目とかいう問題ではない。天使を暴走させ、人々を苦しめようとしているのだから、性質が悪いどころの騒ぎではない。
「それ以上、動かないでもらえるかな」
 後ろから、ウィルザが剣を背中にあてる。
「な」
「悪いわね。改めさせてもらうわよ」
 そして近づいてきたサマンがボディチェックを行う。体に仕込んである武器を残らず奪い取り、壁に手をつけさせた。
「さて、聞こうか。ザーニャさんの屋敷に侵入して何をしようとしていた?」
 男は答えない。沈黙が一番効果的だということをよくわきまえているらしい。
「やれやれ。ゲ神信者っていうのはどうしてこう、頑固なのかな」
 その言葉に男が反応する。サマンも頷きながらウィルザを見つめた。
「やっぱりアレを狙ってきたってことね」
 アレ=天使の鈴。これさえ盗み出してしまえば、天使の暴走を止める手段はなくなる。
「どうしてそんなことまで」
「どうしてもこうしても、ぼくらはそのために自治区に来たわけだし」
「そうそう。別にあなたが何かミスしたとかじゃないから、安心していいわよ」
 そう。世界記の未来を見る力が凄いのであって、別にウィルザとサマンが凄いわけでも何でもない。
「一つ聞きたいんだけどさ」
 かねてからウィルザには一つの疑問があった。
 ゲ神は人間を襲う。そしてザ神とゲ神が戦いあう。ならば人間はザ神についた方がいい。これはよく分かる。
 だが、こうしてゲ神の信者を見ると分からなくなる。
 いったいどうして、ゲ神を信仰しようとするのか。ゲ神信者は自分たちを襲うゲ神をどう思っているのだろうか。
「どうして、ザ神をそんなに目の敵にするんだい?」
「なんだと」
「だって、人間にとってザ神は守り神みたいなもので、ゲ神こそ自分たちに襲い掛かってくる悪神のように見えるんだけど」
「それはお前たちが騙されているからだ。目を覚まさなければならない。ザ神の祝福を、お前達はおかしいと思わないのか?」
「どうしてだ?」
 この際だ。ゲ神信者の言い分を聞いてみたくなったウィルザはそのまま質問を続けた。
「ザ神の祝福は、ザの神官がいなければ与えられん。もし神官がいなければどうなる? 赤子は死ぬしかない。だが、ゲ神は違う。ゲ神に祈れば祝福はすぐに与えられる。ゲ神はこの世界の自然万物と一体化したもの。我々が本来崇めるべき対象はゲ神なのだ」
 なるほどな、とウィルザは納得した。確かにザ神の祝福を受けるというのは難しいところがある。妊婦は祝福を受けるために、出産が近くなると船や馬を使って神官のいる街まで移動しなければならない。最悪の場合は神官に来てもらわなければならない。いずれにしてもお金と労力のかかる話だ。それに、
(神官がいなければ祝福は与えられない。それこそ、この間のクノン王子の時のように死を覚悟しなければならない)
 そして、それを最初に言い出してきたからには、この人物は──
「君の子、祝福を受けられなかったのか」
 何も答えない。どうやら図星のようだ。
「でもそれなら一つ聞きたい。この世の中は決して正しいことばかりじゃない。それこそ祝福が受けられないのなら、一旦ゲ神に入信して、その後でザ神殿に行って入信しなおす、という手段が取れる。ザの神殿ならば、その力でゲ神の呪いすら解くことができると聞いた。そういう手段を取ることだってでいたんじゃないか?」
「お前に分かるか」
 ぎりっ、と奥歯をかみ締める。
「一度でもゲ神に入信すれば、それだけで『異端』扱いだ。たとえザ神に入信しなおしたとしても、以前にゲ神に入信したことを絶対に誰かが知っている。どこに行っても、何をしてもだ。そしてゲ神の祝福を一度でも受けたものは、もうザ神社会では生きていけない。差別を受け、職もなく、助けもなく、ただ一人で朽ちていくしかない。そんな歪んだ社会の、どこに正義があるというんだ!」
 男は一気に吐き捨てる。それが彼の心に残っていた負の感情なのだろう。そしてその感情は、きっと彼が幼いころから築き上げられてきたものなのだ。
「なるほど。君がその『元ゲ神信者』というわけか」
 それほど強いコンプレックスを受けているということは、かつてその経験があるということだ。
 確かに、このザ神社会の中でゲ神信者は普通に生きることすら難しいだろう。ザ神はゲ神を滅ぼすための神だ。たとえ入信しなおしたとしても、受けるハンディキャップは大きい。
「だから俺は、絶対に自分の子をゲ神に入信させるつもりなんかなかった。だから高い金を払ってまで神官に来てもらったんだ。それなのに、あのイライの神官め」
 イライ──この辺りで祝福を与えられる神官がいるとすれば、イライしかいない。この東部自治区の人間も、出産の時は必ずイライに行くか、ドルークから来るリザーラに祝福を頼むしかないのだ。
「何のトラブルだかしらねえが、来るのが遅れやがった。こっちは金まで払ってたのに。神官がいなければ祝福もできないザ神なんか──くそくらえだ!」
「だから、天使を暴走させるのか」
「そうだ! ザ神の間違いを人々に教えてやる。そして、この地上からザ神をすべて葬ってやる!」
「その結果、大陸に混乱がおきて、お前と同じように大切なものを失う人間がたくさん生まれる」
 男の怒声が止まる。
「分かっていながら、もうやめることができなかったというところかな」
「うるせえ……」
「君が憤るのは当然のことだ。現在のザ神システムでは救われない者が生まれるのは分かりきっている。だから今、神官の資質があるものを集め、増やそうとしている。君がこんな悲劇を起こしたくないっていうのなら、その手伝いをするべきであって、復讐するのは間違っている」
「黙れ!」
「それに、たとえどのような理由だとしても、子供の命を守るのは結局、親だ。祝福を与えるために最善の努力をしたというのなら、もしイライの神官が駄目でも別の手を打つべきだった。それこそ、イライに連れて行くという名目で村を出て、子供にゲ神の祝福を与え、その上で村の人間に見つからないようにしてイライに入り、こっそりとザ神の呪いを解いてもらうという方法だってあった。結局は、君が自分のコンプレックスにこだわりすぎたのが、君の子供の命を奪ったんだ」
 ──そう、それは男にも分かっていることだった。分かっているからこそ、こんなことをしてまでそれを隠そうとした。認められなかったのだ、自分の選択を。
「ちく、しょう……」
 がくり、とその場に崩れ落ちる。
 男は嗚咽をもらすが、それはある意味、自業自得だ。少なくとも二人はそう考えた。
 だが、次の男の言葉を聞いた瞬間、二人の体は硬直した。

「ちくしょう。なんだって、イライの野郎は、結婚式から逃げやがったんだ」

 二人の顔が青ざめたのを、この男は崩れ落ちていたために見ることはなかった。
「結婚式が無事に終われば、神官はそのまま俺のとこの村に来るはずだったのに、なんで、なんで……」
「……世の中にトラブルはつきものだよ。それに、そこで子供の命を助けたかったのなら、やはり君は先にゲ神に入信させて、命を繋ぎとめておくべきだった」
 ウィルザは声が震えないように気をつけながら、それだけを伝えた。
「ちくしょう、ちくしょう……」
 だが、その泣き崩れる男の背中を見ながら、ウィルザの体は震え、唇は固くかみ締められていた。その姿を見て、サマンは言葉をかけたいのに、何も口にすることができなかった。







第十二話

思わぬ余波







 ザーニャに男を引き渡し、部屋に戻ってきたウィルザはそこが限界だったらしく、ベッドに到着するよりも早く床に崩れ落ちた。
「ウィルザ」
 冷たいおしぼりが用意されていたのは助かる。サマンはそれを手に取ると、汗びっしょりの彼の顔をふく。瞳はかすかに濡れていた。
「ぼくの、せいだ」
 声が震えている。そんなことない、とサマンは言う。だが、その言葉は彼に届かない。
「ぼくの身勝手な行動が、大切な命を奪い、余計な騒動を引き起こそうとしていた……!」
「そんなことないっ!」
 サマンはウィルザの頭を抱きしめると何度も「ウィルザは悪くない」と繰り返す。
「ウィルザだって、結婚式をあげられなかったの、後悔してるんでしょ? 確かに子供のことは可哀相かもしれない。でもそれはウィルザの行った通りだよ。あの男の人が自分の子供が大切なら、ゲ神でもなんでも入信させるべきだったんだから」
「でも」
「いいから聞くのっ!」
 サマンはウィルザの言葉を制して、一度深呼吸する。
「あのね? 確かにウィルザは結婚式をやめて、それで色んな人に迷惑をかけた。あの男の人の子供も殺したかもしれない。それは事実」
 サマンの腕の中で、ウィルザの体が跳ねる。
「でもね? そのおかげで、たくさんの人が助かってるんだよ? ウィルザはウィルザにしかできないことをしてるの! あの男の人は、自分にしかできないことをしなかったの! だからウィルザは悪くないっ! 悪くないんだからあ……」
 逆にサマンの方が泣き出していた。
 大陸のため、人の命を救うために活動している彼にとって、自分の行動が誰かの命を奪っていたなど、とても耐えられることではない。それがサマンには分かった。
「ぼくにしか、できないこと、か」
 少しだけ落ち着いたのか、サマンの腕の中でウィルザが呟く。
「そうだよ。あたし、知ってるもの。ウィルザがどれだけがんばってるか。ウィルザがどれだけこの大陸を助けようと思っているか。そのウィルザのせいで誰かが死んじゃうなんてこと、絶対にない! あたしがそれを知ってるんだから!」
 言い切ってしまうサマンに、ようやく力が戻ってきたウィルザが思わず吹き出して笑っていた。
「なっ、なによー。笑うことないでしょ」
「いや、ごめん。ありがとう、サマン」
 そして、ウィルザはその腕を彼女に回す。
「え、え?」
「ごめん。もう少しだけ、甘えさせて」
 気持ちは切り替わってもまだ整理ができていないのか、ウィルザはサマンをそのままの体勢で抱きしめる。仕方ないなあ、とサマンも呟き、彼の頭を撫でた。
「もし……」
 しばらくして、ウィルザが呟いた。
「ぼくが未来を知らずに、あのまま結婚式を挙げていたら、僕は死んでいたし、村の人たちも皆殺しになった。神官様も殺されていた」
「え?」
 驚いたサマンが思わず聞き返す。
「イライ神殿が、邪道盗賊衆に襲撃されるはずだったんだ」
 さっ、と顔が青ざめる。もしもそんなことになれば、イライの神殿は当然跡形もなくされる。そうなればこの辺りの子供たちは誰も祝福を受けられなくなる。
「ぼくはそれを食い止めるために、単身盗賊のアジトに向かった。そこでぼくが盗賊団に入るかわりに村を襲わないという契約を、ガイナスターと交わしたんだ。だから、ぼくが結婚式を挙げていても結果は同じだったんだ。イライの神官が、彼の村に行くことはなかった」
「そっか……」
「でも、もう少しぼくが早くに、そのことを知ることができていたら、違ったんだろうね。でも、それはぼくには不可能だ。あのタイミングじゃなきゃ、分からないことだったから」
 時間を選ぶことはできない。八〇五年の末でなければ自分がこの世界に来ることはできなかった。そして、自分の力では結婚式をやめさせることはできなかった。
 だから、これが最善の道だ。そのことは全く疑っていない。
「女の子を泣かせても、女の子が死ぬよりはいいって思ったの?」
「ルウ──その子のことだけじゃないよ。ぼくは、この世界の人たちを、誰も殺したくはないんだ」
 ローディが死んだところをサマンは思い出す。そうだ、たとえ敵だったとしても、ウィルザという青年にかかれば守るべき対象なのだ。
「でも……でもきっと、ぼくがうまく行動していれば、防げた悲劇はあった。それは確かなことなんだ。それを考えると……」
「だから、何回も言ってるけど、ウィルザは悪くない」
「うん。ありがとう。でもね、その言葉に甘えることはいけないと思うんだ」
 ようやく、ウィルザの言葉に力が戻ってきた。
「仕方がない、最善の道、そんな言葉は後からいくらでも言えるし、大切な人を失った相手にそんな言葉は無意味だ。本当に考えに考えぬいて、どうしようもないくらいまで全力を尽くしたのか。そこまでやって駄目だったのなら、後悔することはない。でも、ぼくはまだあの時、できることがあったはずなんだ」
 書き置きを残したり、もしくはルウは聡明な女性だ、相談すれば協力してくれたかもしれない。
「ぼくが自分ひとりで何とかしようと思ったから、こんな結果になった。もっと周りの協力をあおげばまた違う展開があったかもしれない」
「そうだね」
「だから、サマン」
 ん? とサマンはウィルザの顔をのぞきこむ。
「サマンに未来のことを教えたい。サマンが協力してくれるのなら、サマンがずっとぼくと一緒の未来を見てくれるなら。ぼくのたった一人の、仲間として」
「ウィルザ」
「サマンには余計な荷物を背負わせることになるのは分かってる。サマンに苦労なんかさせたくはない。でも、ぼくは絶対にこの世界を守りたいし、一人でも多くの人を助けたい。もしもサマンが、同じように思ってくれるのなら」
「当たり前じゃない」
 あっさりとサマンは答えた。
「あたし、とっくにその覚悟ができてるから、あなたについてきてるのよ?」
 それを聞いて、ウィルザがまた苦笑した。
「そっか」
「そうよ。全く、それくらいのこと、少しは気付きなさいよね」
「うん。確かにそうだ。サマンはいつも、ぼくと一緒にいてくれてたのにね。ごめん」
「いいわよ。でもこれで、ようやくあなたに少し認められたってことになるのかな」
 だが、次の瞬間、二人は真剣な表情になる。
「──これから話すこと、絶対に他言無用」
「分かってる」
「未来のことを知っている人間は多くない方がいい。未来を大きく揺り動かすことになりかねないし、ぼくらがずっと協力していればそれで済む話だ」
「そうね」
 そして、問題の第一声が、ウィルザから放たれた。

「最初に言っておく。ぼくは、この世界の人間じゃない」







連絡船ユクモが東部自治区に到着する。
ドルークの神官リザーラと最初の対面。
ゲ神とザ神。相容れない二つの存在が火花を散らす。
ウィルザは、この世界をどのように変えていくのだろうか。

「私ね、お姉ちゃんが大好きなんだ」

次回、第十三話。

『ドルークの神官』







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