翌日、二人は連絡線ユクモの入港を迎えた。
そして、その船から地上に下りてくる人々をじっと見つめる。
その中に、淡い紫色の髪をした女性の姿があった。
「お姉ちゃん!」
その女性に向かって、おもいきり元気の良い声をあげる。
ドルークただ一人の神官だというのに、特別供回りもつけずに現れた女性がこちらを向く。
サマン、とその口が動いた。
そして。
少しだけ、視線が自分の方に動いた。
「ほら、ウィルザ、いこっ!」
自分の手を引いて、その姉のところへと走るサマン。
「とと、引っ張るなサマン」
そんなにはしゃいでいる彼女の隣に並びながら、ウィルザは思う。
無理をしている。
やむをえまい。実際、ショックを受けるような話を、昨日したばかりなのだから。
「最初に言っておく。ぼくは、この世界の人間じゃない」
その台詞から始まった会話は、おそろしく重いものとなった。
最初に言われた内容について、サマンはすぐには理解ができなかった。自分の中でどうにか消化しようとしていたが、やがて首を振った。
「どういう意味?」
だが、それを嘘だの冗談だのととらえず、その言葉の意味を知ろうとするのは、さすがに自分の正体に関していろいろと考えるところがあったからだろうか。
「ぼくはもともと、この世界の人間じゃない。全くの別世界から、意識だけがやってきて、この体に憑依している」
そう言うことで、少しずつ彼女の頭がクリアになっていく。
「じゃあ、この体って」
「そう。もともと持ち主が別にいた。この体で活動していたのはぼくじゃない。トールという青年のものだ」
トール、と彼女は口の中で呟く。
「じゃあ、そのトールっていうのは」
「死んだよ」
彼女の顔が険しくなった。
「ぼくが殺したわけじゃない」
「そんなことは分かってるわよ。何があったのよ」
思いつきもしなかった、という様子で彼女が問いただす。
「イライ神殿が邪道盗賊衆に襲われるっていう話をさっきしたけど、このトールが殺されたのはまさにその前日の夜、そして結婚式の前の日の夜だったんだ。殺したのはもちろん、邪道盗賊衆だよ。神殿を襲う下見の連中とはちあわせて、それで殺されたんだ」
一言も聞き漏らすまい、と彼女はじっと耳を傾ける。
「ぼくがこの世界についたのは、ちょうどその直後だった。一番都合の良い体を捜していたぼくは、この亡くなったばかりの体を拝借することにした。そうしないと、ぼくはこの地上で生きる方法がなかったから」
「……」
サマンは右手を下顎にあてて考え込む。少しして顔をあげた彼女に「ここまではいい?」と尋ねると、小さく頷いた。
「ぼくは、この世界の崩壊を止めるためにこの世界に来た」
その前のことは覚えていない。毎回、新たな体を得る前に自分の記憶はリセットされる。いったい自分が何度世界を救ったのかということは記憶にない。
「ぼくはある程度、この世界の歴史を知っている。八〇五年の年末から数えて、ちょうど二十年後、八二五年の年末に、このグラン大陸が崩壊する。ぼくはそれを止めるためにこの世界に来た」
「二十年……」
長い時間だ、と感じただろうか。実際、自分もそう感じる。
今までもう何年生きてきたのかも覚えていない。一度世界を救った後、どれくらいの期間が経ってから再び別の世界へと送られることになるのかも分からない。
その刹那の二十年を、自分は一生懸命に生きてきた。
何度も、何度も。
「二十年後の崩壊につながる歴史の現象は一つでも食い止め、そして崩壊するという未来をぼくの手で変える。それが、ぼくの──」
生きる意味。
そう言おうとしたが、言葉が出てこなかった。
何故、自分はそれが生きる意味なのか。
それが、ふと、分からなくなってしまったからだ。
だが、サマンはそこで言いつぐんだ言葉を理解した。ウィルザの目的とか、そういう言葉で置き換えたのだろう。
「ちょっと、まだ、混乱してる」
サマンは首を振って、頭を整理している。
「うん、分からないことがあったら聞いて」
「分からないことだらけだけど。でも、そうね。お互い質問しながらの方が理解が進むのかもしれない。ええっと、どうして、っていう質問はしてもいいの?」
「どうして?」
「うん。ウィルザは、どうしてこの世界に来たの?」
「ああ、そういうことか」
ウィルザは苦笑して首をかしげた。
「分からないんだ」
「分からない?」
「うん。ぼくは過去、たくさんの世界を救い続けてきた。でも、今までにどんな世界に立ち寄ってきたのか、どうしてこんなことをしているのか、ぼくにも分からない。ただ分かっているのは、そうしなければならないとぼく自身が思っていて、ぼく自身がそうしたいと思っていることだよ」
世界を救うこと、それが自分の使命であり、希望だ。
それは理解していた。その理由がどのようなものであれ、自分はそれ以外のことを考えたことはない──と思う。
「じゃあ、未来を知っているのはどうして?」
「それは、ぼくには未来を知る相棒がいるからだよ。サマンには見えないけど、ぼくの肩に常に一緒にいる。こいつがぼくにいろいろと教えてくれる」
「それって、よくウィルザに話しかけてた人?」
それを聞いてウィルザが驚く。
「気付いていたの?」
「一年も一緒にいたら気付くわよ。ウィルザが考えているときはいつも右を向くでしょ。そして、何かにいつも頷いていた。誰かの話を聞くようにして」
「そっか。ぼくが気付かなかったよ」
苦笑して誤魔化す。すぐに見抜かれるような動作は控えなければいけない。
「うん……だいたい分かった。じゃあ、あと一つだけ」
「いいよ」
「二十年たったら、ウィルザはどうなるの?」
それに対して、ウィルザは少し哀しげに笑った。
「また別の世界を救うためにこの世界からいなくなるよ。それは、避けられない未来だから」
半ば覚悟はしていたのかもしれないが、それでもサマンの顔が歪むのは避けられなかった。
「……馬鹿」
サマンが少し涙目になって、ウィルザの胸に頭をつける。
その想いが何かというのは分からない。
だがお互いに、この地上で最も信頼する相手に、この一年間でなれたと思う。
それなのに、必ず別れの時が来る。そのことが、痛いほどに切なかった。
第十三話
ドルークの神官
サマンが苦しむということを分かっていて、ウィルザは彼女に話した。
二十年という期限。いつか必ずくる永久の別れ。お互い、これ以上一緒にいればいるほど、情は移る。別れ難くなる。
だが、気丈にも彼女は『ウィルザと一緒に行く』と言った。
それがどのような決意を秘めたものかは分からない。だが、サマンが一緒にいてくれるなら、手伝ってくれるなら、自分はきっとこの世界も救うことができると信じている。
サマンは姉のところできゃいきゃいとはしゃいでいる。それだけ大好きな姉なのだろう。
(悪かったな、世界記)
昨日から何も話さない世界記に向かって語りかける。もっとも、用事がなければ世界記から話しかけてくることは稀だが。
『何のことだ』
(お前のこととぼくのことだよ。サマンに話してしまって)
『かまわない。それもお前が決めた未来だ』
何か少しだけ拗ねているような口調だった。だが、サマンに教えたことを憤っているというわけではないらしい。
(お前らしくないなあ。何か問題があるのなら言っておいてくれよ)
『問題というわけではない。ただ』
珍しく世界記が言いよどむ。
『気にするな。私の問題だ』
(珍しいな、お前がそんな風に言うなんて)
だが、もう答は返ってこなかった。それでこの話はおしまい、ということなのだろう。
そしてサマンがリザーラを連れてやってきた。
綺麗な女性だった。
ドルークで神官をしていて、なおかつサマンの姉という存在。いったい、彼女がどのような人生を歩んできたのか、知りたいところだ。
「サマンがいつもお世話になっております。ドルークのリザーラです」
「はじめまして。ウィルザといいます。妹さんにはいつもぼくの方が助けられています」
「うちの子のことですから、迷惑ばかりかけているでしょう?」
「どういう意味よ、お姉ちゃん」
ぷん、と少し怒った様子を見せる。
「とんでもありません。サマンにはいつも本当に、助けてもらっていますから」
心をこめて言う。するとリザーラも安心したように微笑んだ。
「そうおっしゃっていただけて幸いです。これからもサマンをよろしくお願いします」
深くお辞儀をしてくる。
「こちらこそ」
ウィルザも負けじとお辞儀を返した。
「私はこの後少し用事があるのですが、その後ユクモでまたドルークへ引き返すことになります。サマンが来ると言っているのですが、ウィルザさんもご一緒されますよね」
リザーラが積極的に誘ってくる。だが、ウィルザはここで一つ話を切り出さなければならなかった。
「はい。ですが、ご相談があります」
「相談?」
「はい。この折り返しの船に、ゲ神の信者が乗り込みます。そして、リザーラさんの命を狙ってくると思われます」
リザーラが少し表情を曇らせる。そしてサマンを見る。
既に昨夜のうちに話はしている。サマンは頷いて姉をじっくりと見る。
「あなたが言うのなら間違いはないのでしょうが」
ウィルザを見ながらリザーラが答えた。
「だからといって、ドルークに戻らないわけにはいきません。向こうではもうすぐ出産の妊婦がいるのです。今回どうしても東部自治区に来なければなりませんでしたが、一刻も早く戻って、祝福をあげられる準備をしておかなければなりません」
祝福。それがなければザ神の信者として生きていくことはできない。グラン大陸全土にわたって神官の数が足りていない。だからこそ、神官は簡単に任地を離れるわけにはいかない。
逆に言えば、いつも神殿にこもっている神官が外に出たとき、それはゲ神信者にとって格好の暗殺の機会となる。
「簡単に実行するとしたら、ウィルザさんならどういう手段をとりますか?」
リザーラの質問に対し、ふと考え込む。暗殺、とばかり世界記から聞いていたので、まずはリザーラの傍から離れなければ大丈夫、と考えていたが。
「たとえば、リザーラさんごとユクモを沈めてしまう、とか」
「そうですね、私も同じことを考えました」
最悪の場合はそこまで考えて行動した方がいい、ということだ。確かに、暗殺を止めただけでは安全とはいえない。
(ユクモがなければ、ドルークは陸の孤島となる)
やすやすとそのようなことをさせるわけにはいかない。
「分かりました。まずは乗船する乗客と水夫たちのチェックを行います。いずれにしても襲ってくるのは出航後になるでしょう」
「分かりました。では出航までに私は用事を済ませて参りますので。サマン」
「なに、お姉ちゃん」
「私のことは大丈夫だから、あなたはウィルザさんを助けておあげなさい。それがあなたの役目ですよ」
「え、でも」
「いいから」
ぽん、とサマンの肩を叩く。
「私が無事に帰れるように、準備をしておいて」
そう聞いて、サマンは大きく頷いた。
「分かった。任せておいてよ」
そしてリザーラは微笑むとウィルザに向かった。
「ゲ神の信者であるあなたからそのように言われるとは、全く思い及びませんでした」
分かっていたのか、とウィルザは苦笑する。
「信者といっていいのか。確かに祝福はゲ神に授かってますけど」
「ですがそれでは、ご不便でしょう。ドルークに戻ったら私からウィルザさんに祝福をさしあげます。ザ神の信者である方が便利でしょうから」
「ありがとうございます」
堂々とした物言いにウィルザは感銘を受けていた。
(不思議な女性だな)
女性らしさを感じさせながらも、何かが違う気がした。
美しさはそれこそ、百人が百人とも美人だと言うだろう。だが、その絵画的な美しさが、どこか人間らしさを感じさせなくしている。
「それでは、失礼いたします」
リザーラが一礼して立ち去っていく。
その後姿を見送ってもまだ考えていたウィルザの頬を、サマンがつねった。
「いつまでお姉ちゃんに見ほれてるのよ」
「痛いって。それに、見ほれてたわけじゃないよ」
「じゃあ、何よ」
「綺麗だけど、なんだか……」
うまく言葉にできない。特に家族であるサマンの前では口にしづらかった。だが、その言いづらそうにしているウィルザを見て、サマンの表情が徐々に変わっていった。
「なんだか、リザーラさんは──」
「ごめん、ウィルザ」
サマンはウィルザの口に人差し指をあてた。
その顔が、少し辛そうに微笑んでいる。
「私ね、お姉ちゃんが大好きなんだ」
何を言いたいのか分からなかった。それに、こんな苦しそうな表情をする理由も。
「だから、今ウィルザが感じたことは、心の中にしまっておいて」
何を言わせたくなかったのか、ウィルザには分からない。
だが。
(……世界記。お前の記述には、二人が姉妹だって、書いてなかったんだよな)
心の中で尋ねる。世界記からは『そうだ』と返答があった。
つまり──二人は血のつながった姉妹ではない。何か、秘密がある。
「分かったよ」
ウィルザは苦笑しながら彼女の手を解いた。
「でも、ぼくがサマンに相談したように、サマンも相談事があったらぼくに言えよ」
「うん、もちろん」
そう言って笑う。やっぱり、サマンには笑顔が似合う。
「それじゃ、さっさと探しましょうか。そのゲ神信者を」
「そうだね」
そして、二人はユクモに乗り込んだ。
ドルークは最果ての地。陸の孤島である。
連絡線ユクモだけがドルークへの唯一の道。
これを破壊させるわけには、当然、いかない。
だが、ユクモを破壊しないということも、それで一つの問題となるのだった。
「あたしの盗賊の腕前、忘れてるでしょ」
次回、第十四話。
『ザ神の洗礼』
もどる