問題は、起こる前に片付ける。それがこの大陸で自由に行動できるウィルザの基本方針だった。
 東部自治区事変も結局問題にならないまま世界記からその記述も削除された。そして神官リザーラ暗殺もそういうふうに事前に決着をつけられるのが一番だ。
 要するにゲ神信者を見分けることができればいいのだが、さすがにそれは一筋縄ではいかない。東部自治区とドルークをつなぐ唯一の道、そのユクモに乗船する人数はきわめて多い。
 そのような辺境の地でありながらドルークから人が絶えないのは、その産業が一つの理由となっている。
 ドルークでは、銀が取れるのだ。
 その銀を交易にも使うし、優秀な職人であればその銀を使った武具やアクセサリーなども作る。その量が莫大なだけに、ドルークという地域は今でも人が絶えないのだ。
 その交易を独占しているのがザーニャだ。
 もともとドルークとの間に広がる内海について船を出すことができる独占権を持っていたのが初代の東部自治区領主であった。そしてユクモ一隻だけに交易をさせ、ユクモに乗って商売をする者には莫大な税金をかける。しかし、商売とは関係なくユクモに乗るだけならば、正規の船賃だけで移動できる。
 そのシステムはずっと変わっていない。そして何百年と産出され続ける銀のおかげで、ドルークも東部自治区も繁栄していられるのだ。
 従って、この連絡線ユクモに乗船する者は非常に多い。単純な商売だけではない。人々の生活の足にもなっているのだ。利用者が少ないはずがない。
 話を戻そう。
 だからこそ、その船の中にゲ神信者がいたところで気付くはずがない。何百人のうちの一人を見つけるというのは難しいし、だいたいウィルザからしてゲ神信者なのだ。ゲ神信者のすべてが暗殺者は騒動の元になるというわけではないのだ。
 一番分かりやすいのは、爆発物なんかを持ち込んでくる者がいれば一番だ。一撃で見破ることができる。だが、そうでないとしたならばどうすればいいのか。やはりリザーラを囮にするしかないのだろうか。
「ねえ、ウィルザ」
 隣にいたサマンが、小声で話しかけてくる。
「どうした」
「そのまま顔を動かさないようにして、目だけで今乗船した奴を見て」
 ちらり、と視線を動かす。そこには一人の男性客がいた。大きな荷物を持っている。普通にしてはいるものの、周囲に気を配っているかのようにも見える。視線がぶつかる前に逸らした。
「あの黒い鞄を持ってる?」
「そう。あいつよ、多分」
「確かに不審な感じはするけど、どうして」
「ウィルザ、あたしの盗賊の腕前、忘れてるでしょ」
 忘れるも何も、この一年間世話になりっぱなしだ。そんなはずはない。
「つまり、断言できるものがあるんだな」
「そうよ。あれだけ挙動不審だと明らかね。あれ、素人よ。プロなら気配を感じさせないわ。逆にそうした奴の方が見分けるのは簡単なんだけど。普通を装うっていうのは難しいから」
「でも、今の奴は装う素振りも見せてない」
「だから素人なのよ。本気でお姉ちゃんの命を狙ってるプロがいるんだったら、私なら乗り込んで暗殺しようなんて思わない。海にいるゲ神にユクモを襲わせて壊す。それですむもの」
 なるほど、そんな手もあったか、と頷く。
「で、どうしたらいい?」
「一人だけとは限らないから、私はここでまだ見張ってる。ウィルザは、」
「了解」
 あの男を検分するのが自分の役割だ。
 つかずはなれず、その後ろをついていって、客室に入るところで一気に間を詰める。
 男は油断をしていたのか、ウィルザが近づいてくるのに気付かなかった。そしてウィルザは「動くな」と相手を後ろから制する。
「動けばどうなるか、分かってるな」
「な、な……」
「鞄を置け」
 相手の男はゆっくりとその鞄を床に置く。
「壁に手をつけ」
 言われるがまま、男はその通りにする。そして慎重に、ウィルザはその鞄を開いた。
 その中にあったのは、まぎれもなくゲ神、爆発球根。
「これをどうするつもりだった?」
「……」
 だが男は無言だ。素人とはいえ、ここで何も言わないのは褒めるべきだろう。
「全く、ゲ神信者っていうのはどうしてテロに走るんだろうな。自分たちの不当性が高まるばかりで、何にも解決にはつながらないっていうのに」
 ガイナスター率いる邪道盗賊衆もそうだったし、東部自治区事変を起こそうとしていた男も似たようなものだろう。
「……お前も、ゲ神信者ではないのか?」
 ようやく男がそれだけを口にする。よく自分がゲ神の加護を受けていると気付いたものだ。
「形だけみればそうかもな。だが、ぼくはゲ神の力をそんなことに使ったりはしない。この世界が少しでも住みやすくなればと思っている。君は違うのか?」
「ゲ神信者の住みよい世界になるためには、リザーラは邪魔だ」
「誰がお前にそれを言った?」
 ゲ神信者のためにリザーラを暗殺する。そんなことが素人に思いつくはずがない。それにこの爆発球根。これを素人が手に入れられるはずがない。
 つまり、バックに誰かがいる。そういうことなのだ。
「……黒い──」
 だが、次の瞬間、男が痙攣を始める。
「どうした?」
「あ、ぐっ……」
 徐々にその身体が青ざめていき、男は血を吐き出す。
「なっ」
 そして、気付いた時には手遅れだった。
 男は既に息をしていない。何があったのかは分からないが、リザーラ暗殺を企んでいた男が死んだということだけは分かった。
『リザーラの暗殺は防いだ』
 世界記からの声がする。
『世界記。この男に起こったこと、お前にわかるか?』
『呪いだ』
 世界記はすぐに返答した。
『呪い?』
『雇い主のことを話そうとすれば死が訪れる。そういう呪いがかけられていたのだ』
『そんな』
 つまり、この男は黒幕にとっては使い捨てだったということだ。
 そして。
(黒い……か)
 その色だけで思い出すのは八〇五年の末に出会った男だった。
 黒いローブの男、ケイン。
「歴史にさからうな、か」
 自分は真っ向から逆らっている。滅亡の歴史など真っ平だ。
(いつか、正面から戦うことがあるかもしれないな)
 ウィルザは爆発球根の入った鞄を手にするとサマンの下へ戻った。世界記から記録が削除されたということは、他に誰かがリザーラを狙っていることはない。
 サマンと合流し、この爆発球根にしかるべき処置を行い、そしてリザーラと共にドルークへ行く。
 そして。
(東部自治区の、自治権返上のために少し働かないとな)
 緑の海、墓場街道の開通。
 ドルークの銀の独占交易権さえなくなってしまえば自治を保つための金蔵がなくなる。そうすれば自治を返上せざるをえなくなる。
 グランの未来のためには東部自治区の自治権はない方がいい。これはいい機会だった。







第十四話

ザ神の洗礼







「大いなるザの神よ、あなたの力をこの者に与えたまえ」

 ドルークにつくと、すぐにリザーラはウィルザに祝福を与えた。
 リザーラの家。ザの神殿ですらない場所で祝福を与えるのは難しい。ゲ神信者ではない赤子であれば、祝福だけを与えて後日神殿で登録を行うことはできる。だが、既に一度ゲ神信者となっている人物に祝福を与えることは、大神官のミジュアですらできないに違いない。
「すごいですね。ザの恩恵をここまで使いこなせるなんて」
「ザ神様のたまものです」
 綺麗な笑顔を浮かべてウィルザを見つめてくる。
「これからウィルザ様はどうされるおつもりですか?」
 そして、リザーラの家でサマンも交えて三人で茶など飲んでいる。まったくここ数日の忙しさが嘘に思えるくらい、のんびりとした時間だった。
「そうですね。今年はもうやることもないですし、一度マナミガルへ行こうかと思っています」
 ドルークの西の山脈を越えればマナミガルだが、そちらは道が開通されていない。途中までは銀鉱の関係上発達しているが、その山を越えるルートはいまだに開拓されていない。ドルークから出られるルートは連絡線ユクモを使うだけだ。
 そうでなければ、北東の緑の海。ここを抜けるしかないわけだが。
「緑の森を抜けられるのですか?」
「ええ。あそこの堕天使を倒してドルークとアサシナ本国とをつなげる。それができればドルークはさらに発展すると思いますし」
「ですが、あそこの堕天使は非常に強いのです」
「知っています。アサシナ騎士団ですらかなわなかったという話ですから」
 そのあたりもサマンがすべて調査済みだ。およそ、世界記に書かれている人物や出来事についてはほぼ網羅したといってもいい。
 もちろん行動は近くに起こるものから行っていくわけだが、それでも情報の数が多いにこしたことはないのだ。
「あなたなら倒せますか?」
「倒したいですけどね。実際、これから緑の海に乗り込むわけですから、倒せなければ自分が逆にやられます」
「サマンは一緒に行くの?」
「もちろん」
 サマンは迷わずに言った。その返事を聞いて、少しの間リザーラは目を伏せる。
「私はザの神官。未来のことは分かりませんが」
 リザーラは真剣な瞳でウィルザを見つめた。
「どうかこの子を、よろしくお願いいたします」
「とんでもありません。本当にぼくの方がお世話になっているくらいなんです。それに、危険な目に合わせてしまうのもぼくのせいなんです」
「でも、この子はあなたのお傍にいられるのが幸せなようです」
 サマンが顔を赤くして俯く。
「あなたの身に何があるのかは分かりませんが、どうかザ神の祝福があなたにあらんことを」
「ありがとうございます。リザーラさん、こういうのもなんですけど、一つお願いがあるんです」
 この女性なら大丈夫だろう、とウィルザは見越して話を始めた。
「この大陸はまもなく、大変な事態に巻き込まれます。そのときはリザーラさん、あなたの力を貸してほしいんです」
「私の?」
「はい。あなたの神官としての力、そして人望。いずれもこのグラン大陸を助けるために必要なものです。どうかぼくに力を貸してください」
 リザーラは相手の反応をじっと探っているようにしていた。
 この女性はどことなく謎めいている。サマンとの関係がどうというわけではない。この女性自身に何か得たいの知れない力を感じる。
(世界記にも、いくつかの特殊な能力があるって書いてあったんだよな)
 確かにゲ神の祝福ある者にザ神の祝福を与えるなど、生半可な力であるはずがない。
「分かりました」
 リザーラはしばらく考えた上で答を出した。
「私の力がお役に立つのでしたら、喜んで従いましょう」
「ありがとうございます」
「ですが、一つだけ確認をさせてください」
 少しだけ視線が険しくなる。
「あなたがサマンに近づいたのは、私と接触するためだったのですか?」
「お姉ちゃん」
 サマンが口を挟もうとしたが、リザーラは手で制する。相手の反応を見たいのだろう。
「正直に言いますと、サマンから話を聞くまで、リザーラさんとサマンが姉妹だったなんて知らなかったんです」
 苦笑しながら答える。
「サマンの身に何があろうと、ぼくにとってサマンは大切なパートナーです。サマンがいなければ、今ぼくはこうしてここにいなかった。ずっと仲間でいたいと思っています」
「そうですか」
 ほっと安心したようにリザーラは微笑む。
「それはサマンを女性として見ている、ということですか?」
 女性として。
 確かにときどきサマンにどきりとさせられるところもあるのだが、さすがにまだ年若いし、そういう対象として考えたことはなかった。
 だが。
(あと、二、三年もすればサマンはすごい美人になるんだろうな)
 はつらつとしたエネルギーあふれる体に、女性の色香まで漂わせるようになったらサマンは無敵ではないだろうか、とすら思える。
「そこまで考えたことはなかったですけど……」
「脈がないというわけではないようですね。良かったわね、サマン」
「お姉ちゃん」
 はあ、とサマンはため息をついた。
「誤解しないでおいてほしいんだけど、あたしも別にウィルザのことをそう思ってるっていうわけじゃないから」
「そうなの?」
「決まってるじゃない。それに、ウィルザには元婚約者がいるっていうし」
「元だよ。別に今でも婚約者っていうわけじゃない」
「でも未練があるんでしょ?」
「サマン」
 頭を抱える。その二人のやり取りを見たリザーラがまた微笑んだ。
「分かりました。今後ともサマンをよろしくお願いします」
 その言葉にどのような意味が込められているのか聞きたかったが、答が分かっていたので聞かなかった。
(女性、か)
 ルウのような美しさをサマンに感じないかというと、そういうわけでもない。
 ただ、自分にとってサマンは妹のような──そう、家族のような関係であるというのが正しいのだろう、きっと。
 サマンも同じように自分のことを思っているのだろう。
(それでうまくいってるなら、それでいいんだよな)
 それ以上考えようとする気持ちが何故かそがれたウィルザは、その件についてそれ以上考えることをやめた。







ウィルザたちは、遠い未来のための布石をうつ旅に出る。
来年の事件は今動いてもどうにもならない。
それならば、はるか未来のために必要なことをするべきだった。
二人は──アサシナでも、ガラマニアでもないところを次の場所に定めた。

「……子供だしなあ、あたし」

次回、第十五話。

『傭兵と騎士』







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