もちろん、バーキュレアとカーリアの協力を今すぐ必要としているわけではない。このまま今は知っている仲でいられるだけでも十分ではあった。
 既にこの世界には幾人もの協力者がいる。ミジュア大神官とは決して敵同士にはならないだろう。また、神官リザーラも協力を約束してくれた。
 この二人の協力が得られれば、来たるべき時に随分と楽になるはずだ。
「なんだ、カーリアの方ばっかり見て。惚れたか?」
 バーキュレアがグラスを手にしながらウィルザに絡んできた。
「そ、そんなことないよ」
「なんだって? カーリアを見て惚れないっていうんならその目は節穴だね。あたしが男だったら何があってもリアを他の男になんか渡さないけどね」
「もう酔ったの、レア」
 くすっ、とカーリアが笑う。その仕草がいかにも『大人の女』の雰囲気がして、思わずウィルザもどきっとする。
「ふん、これくらいで酔うかよ。そっちの嬢ちゃんじゃあるまいし」
 その言葉で三人がサマンを見る。
 初めてのアルコールで既にダウンしてしまったサマンは、机に突っ伏して眠ってしまっている。
「ごめんなさいね、バーキュレアが無理に勧めたから」
「いえ、サマンも飲みたがってたし、かまわないよ」
「あなたが無理矢理に飲ませるからでしょう、レア」
「無理には飲ませてないだろ? それに、こうやって酒を知って、女は徐々に磨かれてくのさ。好きな男の前で酔いつぶれるなんて、まだまださ」
 やれやれ、とウィルザは苦笑する。どうも最近、こういう話が多い。何かみんなでぐるになって自分たちを責めているのだろうか。
「ぼくとサマンはそういう関係じゃないよ」
 あくまでも丁寧に断りを入れる。
「ぼくたちは、お互い最高のパートナーだとは思ってるけど、でもそれは好きとか嫌いとかいうものじゃないから」
 そう言うと、バーキュレアとカーリアが目を合わせる。
「……リア、どう思う、今の発言」
「女の敵ね。制裁が必要だわ」
「だな。それじゃ、身包みはぐか」
「ちょ、ちょっと待って!」
 なにやら不穏な発言が飛び出したので、慌ててウィルザは止める。
「それは二人の誤解だよ。サマンだって──」
「あんたね。本気でそう言ってるんならちょっと頭冷やした方がいいよ」
 バーキュレアは先ほどまでの和やかさを消して、冷たい目でウィルザを見つめた。
「あんたがどうかは知らない。だが、こっちの嬢ちゃんがあんたに惚れてるのは明らかじゃないか。あんたがカーリアを見るたびに、どうしようもなくてイライラしてる。それにも気付かないのにお互い最高のパートナーだっていうのかい? ふざけるんじゃないよ!」
 グラスの酒が、ウィルザの顔にかかる。
 突然の事態にウィルザはショックを受けたりするのではなく、ただ驚いていた。
「やりすぎ……と言いたいところだけれど、あなたの今の発言はちょっと聞き捨てならなかったわね」
 カーリアが微笑を薄めて真剣な瞳になる。
「あなたは気付いていないの? 彼女があなたのことを本気で想っていることを。初めて会った私やレアですら気付くくらいに一生懸命あなたを想っていることを」
 ウィルザは一度目を閉じる。

 ──そんなことは、とっくの前から分かっている。

「……でも、ぼくはサマンに応えることはできない。そのことはサマンにも伝えてあるし、それでも彼女はぼくに協力してくれている。ぼくだって」
 押し殺していた気持ち。
 徐々に彼女に惹かれていったこの一年余りの時間。彼女の一言がどれほど自分を支え、どれほど自分を助けていたか。それが信頼や友情だけではなく、恋愛という感情に発展しても何ら不思議ではない。いや、そうならない方が不自然だ。
 だが、それでも。
「いつかサマンと別れなければいけない。その時に、他の何よりもお互いが大事になってしまったら、別れがあまりに辛いものになってしまう。サマンとは、笑ってさよならを言いたいから」
 話が妙な方向へずれてきたのを二人は感じ取っていた。
 そして、先ほどまでの和やかな雰囲気がウィルザからもなくなっていた。それはサマンの件ではない。
 本題だ。
「二人に、お話があります」
 今の話に当然関係があるのだろう、と二人は頷く。
「ぼくは、この世界の崩壊を止めるための旅をしてる。八二五年、アサシナの地下に眠る巨大なエネルギーが暴走する。それを防ぐことがぼくの目的なんだ。そして、ぼくがこの世界にいられるのも、その八二五年が終わるまでなんだ」
 突然、そのようなことを言い出して疑われたりしないだろうか。
 だが、ことここまで来たらもはや止めることはできない。
「ぼくはどんなことがあってもこの世界を救う。この世界にはサマンがいるから」
 もちろんそれだけが理由ではない。だが、今となっては『サマンのいる世界を救いたい』という気持ちが自分の中の大勢を占めている。
「突然こんな話をされても理解ができないと思う。でも、この世界を助けるためには二人の協力が必要なんだ。こんな場所で申し訳ないけど、二人の力を是非、貸してほしい。どうか、よろしくお願いします」
 そう言って頭を下げる。
 話があまりに大きすぎて、何を言っているのかも理解できないだろう。
「一つ聞きたい」
 バーキュレアは戸惑った素振りもなく言う。ウィルザは顔を上げて答えた。
「なんでも」
「あたしらみたいな初対面の人間に、どうしてそんなことを言うんだ? おかしいじゃないか、そんなにあんたは誰にでも協力を求めているのかい?」
 ああ、なるほど、確かにそうだ。
 自分は急ぎすぎていた。まあ、話の流れが妙な方向に行ったこともあるが、それでも目の前にいるバーキュレアとカーリアとの間に確かな絆がほしくて、それで一足飛びに説明してしまっていた。
 彼女達は、世界記のことなど全く知らないのだから。
「そうだね。確かに今日初めて会った相手にする話じゃなかった」
「嘘だって認めるのかい?」
「嘘だと思われても仕方ないよ。でも、ぼくは本気だ。そして、ぼくは、二人に会うためにこのマナミガルまで来たんだ。あ、いや」
 少し表現を間違えた。
「本当は、カーリアに会いたくて来たんだけど。バーキュレアまでここにいるとは思ってなかったから」
「あたしが抑えで、本命はリアか」
 ふふん、とバーキュレアが笑う。
「あと十八年。その間にこのグラン大陸はさまざまな事件に巻き込まれる。疫病、暗殺、それに戦争。そうやって徐々に大陸全土が疲弊する。その最後に来るのが、大破壊。それまでに少しでもたくさんの人を殺さないようにして、危機を乗り越えなきゃいけない。多くの人の思いがそれを防ぐことができるから」







第十六話

女王と騎士







「何だかまだ話が見えてこないね。それで、どうしてあたしらに話がつながるんだい」
 バーキュレアが少しずつ興味を示し始めた。一方『本命』と言われたカーリアは慎重にウィルザの様子を監視している。
「ぼくはその未来をある程度知っているんです。知っているから変えようとしている。そして実際、いくつかの未来を変えてきました。ザの大神官ミジュアやクノン王子、神官リザーラの命を助けたりしました。いくつかの事件を未然に防ぎました。そしてそうした人たちから協力を取り付けることもできています」
「今度はあたしらの番だって?」
「カーリアとバーキュレアには、本当はもっとずっと後に会うことになるんだ。マナミガルはしばらく平和だから。このグラン大陸の歴史に影響を与えることができる人物は限られている。二人はその数少ない人間なんだ。二択の問題で悪いけど、二人は戦争で人が死ぬのは好きかい? ぼくは絶対に嫌だ」
 二人は目を合わせる。
「止められるものなら止めたい。少しでも多くの人を救いたい。そう思うのはぼくの傲慢だろうか。そうかもしれない。でも、ぼくは」
「少しいいかしら」
 カーリアが口を挟んだ。
「どうぞ」
「気になっていたのは、あなたがどうしてそのことを知っているか、ということなんだけど」
「サマンにもまったく同じことを聞かれた。そしてサマンは──今でこそその理由は知っているけど、しばらくの間は理由も知らずに、ぼくに協力してくれていた。あまりにも突拍子のないことで、信じてもらえるなんて、これっぽっちも思ってなかった」
「教えてくれるつもりはない、ということ?」
「それは──」
『ウィルザ』
 その瞬間、世界記から声がかかった。
(どうした?)
『歴史が書き換わった』
 突然のその言葉に、ウィルザは眉をひそめた。

807年 エリュース暗殺
警備の手薄になったマナミガル王宮に暗殺者が侵入し、エリュース女王が暗殺される。犯人はアサシナ王国のものであることが分かる。

807年 マナミガル戦争
エリュース女王の復讐戦として、騎士カーリアがマナミガルをまとめて戦争を起こす。アサシナは騎士ミケーネバッハが軍を率いて戦うが、戦況は膠着する。

807年 ガラマニア介入
手薄になった王都アサシナをガラマニアが急襲する。アサシネア六世、レムヌ王妃は捕らえられて処刑。クノン王子は流刑。王弟パラドックはわずかな兵とともに建設中だった新王都の西域へ逃れる。

807年 新アサシナ王国建国
パラドックが初代の国王となるが、その勢力はアサシナ王国の時の十分の一ほどでしかなかった。


「そんな!」
 突然立ち上がったウィルザに、二人が驚く。
「何があったの?」
 と、その時には隣で眠っていたはずのサマンが目を覚ましていた。何か異変があったというのは彼女にも伝わったらしい。
(どうしてこんなことになった?)
『君が原因だ』
(ぼくが?)
『そうだ。もし君が今日この場にいなければ、カーリアは王宮にいた。だから事件を未然に防ぐことができていたから、この事件は起こらなかった。君の行動は、良かれ悪しかれ、大陸の未来に影響を与える』
(ぼくが原因……)
 そこまで考えたことはなかった。とにかく自分が行動さえしていればすべてはうまくいくと思っていた。
 だが、行動した結果が悪い方向に出てしまうのでは問題外だ。
「カーリア、今日の本来の警備の予定──いや、直接エリュース女王のところへ行った方が早い!」
「ど、どうしたの」
「エリュース女王が暗殺される!」
 他の客に聞こえないように、だが二人の耳にはっきりと届くように鋭く言う。
「なん……ですって」
「一刻を争う。王宮へ案内してくれ!」
「でも、王宮に男性は──」
「そんなことを言ってる場合じゃない! 人の命がかかってるんだ! 後でいくらでも罪ならかぶる! だから今は女王を!」
 その突然の変化、ただならぬ様子にカーリアも「分かった」と頷いた。
「レアも」
「分かってるさ。こんな場所だから、得物がちょっとよくないけどね」
「急ぐぞ! 立てるか、サマン」
「もちろん。でもウィルザ、マナミガルで事件なんて起きる予定は」
「ああ、なかった。歴史が変わったんだ」
「分かった。じゃあ、急ごう」
 そして、四人は実際に飲食した量以上に代金を置くと、急いで王宮へ向かった。
 エリュース女王暗殺から、アサシナの崩壊へとつながる危険な未来。
(アサシネア六世は、ぼくの考えとほぼ同じ方向へ未来を動かしてくれる大切な存在だ。決して死なせるわけにはいかない。それに、戦争なんか起こさせない。絶対にだ!)
 そして四人は王宮へたどりつく。
 途中、男であるウィルザが同行していたので門番に止められそうになったが、カーリアとバーキュレアの二人が「特例だ!」と押し切り、そのままエリュース女王の部屋へ向かう。
(間に合うか?)
『ぎりぎりだ。露見するのが本当に直前だったから、危険だったがな』
 そのまま護衛の制止を一括し、女王の寝室に突入する。
 その中に忍び込んでいた、一人の暗殺者。
「カーリアだと? 今日は非番に変わったはず」
 暗殺者は奥の部屋から侵入してきたらしく、取って返して逃げる。
「逃がすか!」
 カーリアとバーキュレアが暗殺者を追う。
(もし、ここで暗殺者を捕らえたら──)
 おそらく正体が割れる。そしてアサシナが暗殺者を放ったのだということが露見する。
 そうなれば結局、マナミガルとアサシナの仲が悪くなる。
(逃がさないと駄目か)
 暗殺者を殺すことも許されないというのは、なかなかに難しい。
「カーリアは残れ! 女王陛下をそのままにしておくつもりか!」
 その言葉にカーリアの足が止まる。
「バーキュレアは男を追いかけてくれ。カーリアは女王陛下を別室に。それから部下の人たちとサマンと協力して、この部屋に何か仕掛けられてるものがないかどうかを調査してくれ」
 的確な指示に、それぞれ頷く。
(大丈夫、暗殺者を捕まえるのはカーリアの役目だった。カーリアを別の役にしてしまえば、暗殺者を逃がすことはできる)
 ウィルザはそう見越して適材適所の配置をした。このまま男を放置してしまえば自分まで疑われる。バーキュレアに追わせたのは、王宮に不慣れな彼女では暗殺者を捕らえることができないだろうと見越してのことだ。また、カーリアでなければ今日の出来事を女王陛下に伝える役目がいなくなる。そしてこの部屋を調査するのならサマンがもっとも相応しい。
「そのほう」
 エリュース女王が、夜着でベッドに腰かけたままウィルザをにらみつけた。
「何故、男がこの王宮に」
「申し訳ありません、陛下」
 だが、答えたのはウィルザではなくカーリアだった。
「暗殺者が忍び込んだとのこと、彼の助言で気付いたものです。そのまま彼をここまで同行させました、私に責めがあります」
「状況は分かっている」
 エリュースは厳しい視線をウィルザに向けている。
「だが、禁を犯してはならぬ。カーリアよ、お前が自分を責めるというのであれば、この者を牢へ入れよ」
「ですが、彼は──」
「カーリア、ぼくなら構わない」
 ウィルザは微笑んで言う。
「君の立場が悪くなる方がぼくは困るよ。君にはこの国の騎士隊長でいてもらわないといけないんだから。それにさっきも言っただろ、罪ならいくらでも受けるって。とにかく君は女王陛下を別室に。牢には他の人に連れていってもらうよ」
「ウィルザ」
 隣にいたサマンが心配そうに袖を握ってくる。その彼女の頬にそっと口付ける。
 そう見せておいて、囁く。
「万一の時は、頼む」
「──分かった。なるべく早く、助けるから」
 それだけで通じるというのが嬉しい。本当に、彼女は自分のベストパートナーだ。
「それじゃあ、ぼくを牢に連れて行ってください」
 ウィルザは両手を後ろ手で縛られ、そのまま牢へと連れていかれた。







捕らえられたウィルザは、久しぶりにゆっくりと考える時間が与えられた。
これからの大陸をどうするべきなのか。そして最初の正念場である来年が迫る。
カーリアとの会話の中で、ウィルザは一つの決断を行う。
そして、彼らの旅がまた一つ、彩られることになった。

「好きだよ。この世界中で、誰よりも」

次回、第十七話。

『盗賊と騎士』







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