一人で牢の中に入っていると、色々なことを思い出す。
 この一年半の間にもさまざまなことが起こっていた。それを思い返し、そしてこれから何をしていかなければならないか、それを考えるだけでも十分に有意義な時間になる。
(世界記、エリュース女王の暗殺は)
『問題ない。歴史は元に戻った。エリュース女王に危害が発生する危険は現時点でなくなった』
(よかった。暗殺者は?)
『捕まっていない。君の好判断だ。マナミガルとアサシナの関係はこれまでも変わらない。だが、不審の目にはなるかもしれないな』
 やはりここは、エリュース女王をどうにかして説得するしかないということだろうか。
(だいたい、どうしてエリュース女王はそんなに男が王宮に入るのを嫌うんだ?)
『現実と未来のこと以外のことは私は知らない』
(だよな。ごめん、余計なことを聞いた)
 それは自分で調べるしかない、ということだ。だがもしそのことが分かるなら、エリュース女王を逆に味方にすることができるチャンスなのかもしれない。
(そうだよな。アサシナを中心に、ガラマニアとマナミガル、それにジュザリアが協力しあうことができれば、この大陸の崩壊は防げるかもしれないんだ)
 理想は、その地下に眠るエネルギーをうまく封印することだ。それができれば自分の仕事は完結したと言ってもいい。
 だが、うまく事が運ぶかといえば難しい。まずは王都アサシナにいる市民たちを避難させなければならない──
(そうか。都合のいいことに王都は移転で空になるんだったな)
 来年には王都の移転が始まる。それと同時に、アサシナ王弟パラドックと、ガラマニア王女ドネアの婚約、そしてドネアの暗殺が起こる。
(問題はその最初の危機をどう乗り切るか、か。ガイナスターに会うことができればいろいろと話もできる。とにかくその話が上がってからだと遅い。婚約成立が来年だから、今は水面下で動き始めている時期。成立するより前に、できれば今年中にガラマニアに行くべきだよな)
 この事件が片付いたら、すぐにガラマニアに向かうべきだろう。
 できればジュザリアのリボルガン王とも話をしてみたかったが、この国はあくまでもマナミガルやガラマニアの動向に合わせて動く国だ。放置しておいて今は問題ない。
 問題は、ドネアの命を餌にしてまで、ガイナスターが戦争を望むかどうか、ということだ。
 そうではない、と信じたい。
 そのためにもマナミガルの協力は必要だ。
(マナミガルがアサシナにつくとしたら、ガイナスターも決して無理はしないだろう)
 ガラマニア一国ではアサシナに対抗することはできない。あくまでも正面からガラマニア、背後からマナミガル、この二国の協力あってこそ、ガイナスターは戦争を決断することができるのだ。
 カーリアやバーキュレアと知り合えたのは嬉しいことだったが、問題はまだしっかりとした話し合いができていないことにある。しかもエリュース女王の信頼を得ることができなければ、この牢から出ることもかなわない。
(その場合はサマンに助けてもらうしかないけれど、カーリアやバーキュレアの協力は得られないだろうな)
 話もせずに逃げ出したのでは信頼は得られないだろう。サマンが助けに来る前に話をしておきたい。
 もちろん話をしたいという希望は伝えてある。カーリアも、女王を助けたという恩は感じているはず、決して自分を無碍にすることはないだろう。
 問題は、そこでどう話をするか、ということだ。



 ウィルザは待った。
 密室は時間の経過を忘れさせる。世界記がいなければ日にちがたつことすら分からなくなるところだったが、思考と睡眠の繰り返しの中で、時間感覚を失わないように気をつけていた。
 そして、その時が来る。
 牢屋の入口が開き、誰かがやってくる気配がある。
 サマンではない。それは足音で分かった。
 そしてかすかに鎧の軋む音。だとすればもう、相手はわかりきっている。
「カーリア」
 目の前にきた美しい女騎士に、ウィルザは微笑みかけた。
「……随分、髭が伸びたのね」
「まあ、三日もここに入れられてたから」
 顎を触るとかなりざらざらする。あまり見ていて心地よいものではないだろう。
「いろいろと聞きたいことがあってね」
「だと思うよ。でも、カーリア。もしもそれが、女王の命令で探ってこい、ということならぼくは何も言うことはないよ」
 先手を打つ。この状況は既に頭の中で想定されていた事態だ。
 エリュース女王がカーリアに命じて、自分から洗いざらいすべて話させる。その任務を課すことくらいは当然のごとく予想がつく。
「でもウィルザ、話をしてくれなければ私たちはあなたを信頼することもできないわ」
「うん、ぼくもカーリアには信頼してもらいたい。でも、カーリアが自分の意思ではなく、女王の命令で来ているっていうんだったら、ぼくだってカーリアを信頼することはできないんだ。ぼくは、君自身に信頼してもらいたい。ぼくはそんなに、信頼できない人間かい?」
 カーリアは言葉に詰まった。
 当然、彼女としては女王の命令どおりに、自分の素性や目的を洗いざらい吐かせたいのだろう。だが、いずれにしてもウィルザは自分の素性など話せるはずがない。そんなものは存在しないのだから。
「私は一個人である前に、マナミガルの騎士だ。女王陛下に背くようなことはできない」
「ぼくに協力することがマナミガルにとってマイナスなの? ぼくは女王陛下の命を助けた。そのぼくを信頼できない?」
「そうじゃない。でも、」
「カーリアは逃げようとしている。ぼくという不可思議な、理解のできない存在を前に、自分でどうしていいか分からなくなっているんだ。ぼくの言うとおり、暗殺者はいた。それこそカーリアならこう思ったりもしているんだろう。もしかしたらあの暗殺者とぼくとは裏で協力していて、ぼくがカーリアに近づくための手段にしたのではないかとか」
「そ、そんなこと──」
 だが、顔にはっきりと出ていた。一言で言うのなら、不審。未来のことを知っているというより、自分の望む未来を用意していた、というのなら話は早い。
「自分からその話をするというのは、諦めたということ?」
 逆に動揺をしまって話を切り出してきた。ウィルザは微笑んで答える。
「サマンには聞かなかったのかい?」
「聞いたわ。でも、だいたい言うことはあなたと同じ。それよりあなたと話した方が物事がはっきりするって、何度も言われたわ」
「だろうね。ぼくはサマンにだって言えないことはいくらでもある。未来のことは軽々しく口にするものじゃない」
「一つ、いいかしら」
 カーリアが言葉を選びながら尋ねる。
「あなたは未来の、それこそ八二五年のことが分かっている、そう言ったわね」
「ああ」
「それなのに、女王陛下の件については、あの場で気が付いたみたいだった。その違いがあるのはどうして?」
 なるほど、確かに矛盾がある。ウィルザの言葉を正しく読み取っていけば、その矛盾には気が付く。
 だが、それを差し引いてもカーリアがウィルザを不審に思いきれていないのは、エリュースを助けようとするウィルザの姿が本気だったということを、目の前で見て分かっているからだろう。
「それは、カーリア個人としての質問だよね」
 確認を取る。カーリアは力強く頷く。
「もちろん。だって私は女王陛下からは、あなたがどこのスパイなのかを割り出せとしか命令されてないもの」
 もちろんそれが真実かどうかを確かめるすべはない。だが、その論法は自分も同じだ。そして彼女は十分に信頼できる人物だ。それを知っているからこそ、自分はこのマナミガルに来たのだ。
「ぼくはサマンにだって教えられることとそうでないことを区別している。だから、問題ない程度にしか教えられないけど、かまわないよね」
「ええ、疑問を解消してくれるのなら」
「大丈夫」
 ウィルザは微笑んで答えた。







第十七話

盗賊と騎士







「陛下。かの男が逃亡いたしました」
 カーリアは膝をついてエリュース女王に報告する。だが、その様子にエリュースは目を険しくするばかりだった。
「まことか?」
「は。一緒にいた盗賊の女が手引きした模様」
「ふむ。国家機密が漏れているというのでなければ問題はない。その点は──」
「大丈夫です。信頼のおける私の配下が常に見張っておりました。重要なところへの立ち入りは認めておりません」
「ならばよい」
 既に終わったことと思っているのか、エリュースは関心なさそうにそれでその一件を終わりとした。
「今回の一件は不問とする。下がってよい」
「は。申し訳ありません」
 そうして女王の間を辞退してから、カーリアは思った。
 不問にするとは一体、何のことだったのか。
 全てを分かって言っているのだとしたら、とカーリアは背筋が震えた。






「それにしても、よくカーリアさんが逃がしてくれたよね」
 マナミガルからアサシナへ戻る道の途中でサマンが話しかけてくる。
「まあ、説得が功を奏したっていうところかな」
「どうやってカーリアさんを説得したの?」
 サマンが当然のように聞いてくる。ウィルザは苦笑して答えた。
「何も。ただ、ずっと話していただけだよ」
 結局のところ、人が人を信じることができるかどうかは、そこに真実や嘘があるかどうかではない。話している中で、相手のことが信頼できるかどうかという、それだけのことだ。
 カーリアは聡い女性だ。自分が大切なことを隠していたとしても、自分の言っていることが真実であるかどうかなど、会話をしていればきっと分かるだろう。
 会話とはコミュニケーションの最大の手段だ。しっかりと相手と話し合いができれば、相手を拒否したりしなければ、きちんと気持ちは通じるし、相手のために何かしてあげたいと思うようになる。
 自分はカーリアを信頼していた。何がどうということはなく、世界記に載っている人物の中で、これほど信頼できる記述はなかった。
『エリュース女王の信頼が厚く、義理堅い性格』
 国王に信頼されるということは、それだけ真面目な性格をしているということだろう。それにバーキュレアとの会話を見ている限りでも、他人から好かれる人物であるということも分かる。そして義理堅いとはっきり評価されているということは、一度でも相手に心を許せばその人物のためにならないようなことは決してしない。
 だから会話をして、気持ちが通じればそれで十分だったのだ。ある意味、今回の目的は完全に達成した。カーリアの知己となり、将来彼女の助けを借りることができればそれでいい。
「サマンに教えてもらったんだよ」
「へ? あたし?」
「ああ。サマンが何度もぼくに話しかけてきて、ぼくに気持ちを伝えてくれて、それでぼくも、サマンに色々なことを話すようになったんだ。やっぱり、話すっていうのは大切なことなんだ。それをサマンから教えてもらった。サマンがいなかったら、うまくカーリアと話すことはできなかったかもしれない」
「……褒められてるのかなあ、あたし」
「これ以上ないくらい褒めてるよ。でもそのかわり、ぼくはマナミガルでは前科者ってことになるけどね」
「マナミガルでも、でしょ」
 サマンの言葉に思わず吹き出す。確かに自分はアサシナでも前科者だ。何しろ脱獄しているのだから、次に捕まったら死刑は免れないだろう。
「いいんじゃない? 別にマナミガルに来なきゃいけないようなことはそうそうないんでしょ? 舞台はアサシナが中心なんだから」
「まあね。逆に言うと、これからの戦いが正念場ということになる。絶対にガラマニアとアサシナを戦争に導くわけにはいかない。ドネア姫の暗殺は絶対に止めないと」
 その前に婚約自体がなくなってしまえばいい。それが一番手っ取り早い方法だ。
 だがアサシナがもしも武力を背景に婚約を強制してきたらどうなるか。その辺りの判断は非常に難しいところだ。
「早くガイナスターに会わないとな」
「あの盗賊の親分ね。いい加減国に戻ればいいのに」
「全くだ」
 そうして進んでいくと、やがて前方に大きな体格をした女性が自分達を待ち構えていた。
「やあ、バーキュレア」
 呼ばれた大女は親指を立てて自分達を迎える。
「無事に脱出できたみたいだね。よかったよ」
「まあ、カーリアさんが助けてくれたからね。バーキュレアはどうしてここに?」
「あんたのその、未来を知っているっていう能力に、一つ聞いてみたくてね」
 バーキュレアは本気の表情で尋ねた。
「あたしは傭兵だ。戦場で死ぬ覚悟はできている。あんたの未来に、あたしはいつどこで死ぬことになってるんだい?」
 ひどく直球な質問だった。だが、その質問に答えることは間違いなく彼女の未来を変えることになる。

822年 マナミガル制圧
アサシナ教化国はマナミガルに侵攻する。圧倒的なアサシナ教化国軍によりマナミガルは滅亡する。この戦いでマナミガル騎士団は壊滅、傭兵バーキュレアが戦死する。エリュース女王は王宮内で処刑される。

 だが、そんな未来はごめんだ。アサシナ教化国など作らせない。平和なグラン大陸を必ず実現してみせる。
「確かに今の段階だとバーキュレアはいつかどこかで死ぬことになる。でも、ぼくは絶対にそんな未来を作らない。約束するよ。バーキュレアは、この長い戦いを最後まで生き残るんだって」
「未来は変えられる、かい?」
「ああ。それをぼくは、やっぱりサマンに教えてもらっているから」
 サマンが死ぬ未来を変えたのは自分であり、そしてサマン自身だ。
「未来は変えられる。だからバーキュレア、一人でも同じ想いを持っている人がいてくれれば、もっといい方向に未来が変えられるはずだ。だから、協力してくれないか」
「悪いけどね、あたしは金がすべてだからさ」
 バーキュレアは肩をすくめた。そうか、としかウィルザは言わなかった。
「だからまあ、しばらくはあんたたちについていくことにした」
 話がつながっていない。ウィルザとサマンは同時に視線を交わす。
「あんたたちについていけば、自然と戦いのあるところに行きそうだからさ。マナミガルだともう戦いらしい戦いはしばらくなさそうだからね。アサシナかガラマニアに河岸を変えようかと思っていたのさ。まあ、リアの手前、なかなか移るわけにはいかなかったんだけど、あんたたちについていくっていう名目で出ることにしたのさ」
「同行者、ってわけか」
「そういうこと。ま、戦いになったら協力するのもやぶさかじゃないさ。あんたたちは見てると面白いからね」
「面白い?」
「ああ。聞いたよ、リアから」
 にやり、とバーキュレアは笑った。それでいったい何の話を聞いたのか、ウィルザには容易に想像がついた。
「ごめん、降参」
 白旗を上げるのは早かった。
「何の話?」
 気になるのか、サマンが横から口を挟んでくる。
「いや、カーリアと話してたときにさ」
「バーキュレア。それ以上言うならこの場で決闘を申し込む」
「というわけなんで、あたしも決闘はごめんだからね。悪いけどあとはウィルザに聞きな」
「んー、でもウィルザが秘密を教えてくれたことって滅多にないもん」
 当たり前だ。言えるはずがない。こんな大事なことは。






 ウィルザは最後にカーリアと話した時のことを思い返した。
 あれほど素直に自分の気持ちを口にすることができたのは初めてだったかもしれない。
『最後に聞きたいんだけど、あなたはサマンのことが、好きなの?』
 これはカーリアが自分を信頼するかどうかの、最後の関門だった。とてもとても高いハードルだった。
 これを超えなければ協力はしてもらえない。それが分かっていただけに、自分も観念して応えた。

『好きだよ。この世界中で、誰よりも』

 たとえそれが、相手に伝えられなかったとしても。






 グラン崩壊まで、あと十七年。







ガラマニア──アサシナと同じく、このグランの命運を握るもう一つの国。
その国王ガイナスターに会うべく、三人は北の大国へとやってくる。
八〇八年から始まる破滅のシナリオ。
ウィルザは、ドネア暗殺を防げるのか。

「好きな人以外と結婚したって、絶対に後悔します」

次回、第十八話。

『再会の時』







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