八〇八年、一月。三人はガラマニアの王都へ到着していた。
 一昨年、ウィルザとサマンはこのガラマニアを中心に大陸の情報収集にいそしんだ。そのおかげもあって、二人はこの町のことならばだいたい頭に入っている。
 だが、これからは自分たちがまだ一度も足を踏み入れたことのない場所に行かなければならない。大陸の危機を回避するためには。
 アサシナの王弟パラドックと、ガラマニアの王妹ドネアとの婚約。そしてアサシナの王都移転。さらにはその新王都において、騎士ゼノビアがドネア姫を暗殺。そこから始まる第一次アサシナ戦争。
 そんな破滅へのシナリオをただ黙って見ているわけにはいかない。
 これを防ぐもっとも簡単な方法は、婚約をさせないことだ。
 だが、おそらくは世界平和という名目でガラマニアと国交を結び、その証として姻戚関係を結ぼうとしているアサシネア六世の外交術は間違っているとはいえない。もしもその婚約が破談となれば、やはり両国の関係は悪くなるだろう。
 ならばゼノビアという騎士を止めればいいのだろうか。ドネア姫の暗殺さえ防いでしまえば、それでこの一連のシナリオは水泡に帰す。
(これが役に立つんだろうか)
 ガイナスターのくれた指輪。そこにはガラマニア王家の紋章が刻まれている。そしてガイナスターがこの国の王だということは、以前に調べて分かっていることだ。
 三人は王宮へと向かう。当然、門の前で兵士に止められた。
「ここから先は立ち入りを禁止している。控えられよ」
 威厳と節度のある物言いだった。自分を高めているわけでも、相手に遠慮するわけでもない。対等という感じの話し方。悪い相手ではないようだ。
「これを」
 ウィルザは懐に持っていた指輪を兵士に見せる。
「ガイナスター国王にお会いしたい。ウィルザが来た、と伝えたら分かってもらえると思う」
「──待たれよ」
 かすかに逡巡したが、兵士は指輪をウィルザに返すと、別の兵士に何か伝えて走らせる。
(なるほど、組織の規律がしっかりと整っているな。アサシナやマナミガルよりも、そうした点ではしっかりとしているかもしれない)
 いくつかの国を見てきたからこそ、ウィルザもそういう評価ができるようになっていた。組織はすべて人だ。それも、末端にいたるまで上の考えが伝わっているかどうか、それを実行しようとしているかどうかによって決まる。
「お待たせしました。あなたがたをお客人として迎えます」
 伝言を伝えられた兵士がそのまま自分たちを案内する。
「へえ、こりゃすごいね」
 バーキュレアが感心したように言う。指輪と名前を伝えただけで王宮に入ることができるのだ。バーキュレアもマナミガル王宮には顔パスだが、その特権が彼女以外には一人もいなかったことを考えれば、こうした扱いがいかに大変なことであるかよく分かる。
「まあ、ガイナスターとは色々あったから」
「色々ねえ」
 サマンが曰くありげに言う。あまり彼のことについては今まで話してこなかったこともあり、少し怪しい視線を向けてくる。
「なんだよ」
「なんでもない」
 そんなやり取りを見たバーキュレアもにやにやと笑っている。そして、三人が門を抜けて王宮の入口まで来たときのことだ。
「ガイナスター陛下!」
 兵士が突如、直立不動の姿勢をとる。その入口に出てきていたのはガイナスター当人であった。
「ガイナスター」
 何を言えばいいのか分からなかったが、ガイナスターの方が不敵な笑みを浮かべて言う。
「遅いぞ。二年も待たせやがって。来るならもっと早くに来い」
 待っていた、と。ガイナスターはそう言う。
「でもぼくは、ガイナスターの誘いを」
「言ったはずだ。お前ならいつでも厚遇するとな。忘れやがったのか」
「いや、忘れてなかったよ。でも」
「ならいい。お前は必要なことがあって俺のところにきた。そのかわり俺もお前のことを使わせてもらう。たっぷりとな。それでかまわねえんだろ?」
 やはり、この男は話が分かる。そして、この男の懐の深さはまさに国王のものだ。そう。ガイナスターという一人の男にウィルザは確実に引かれていた。この男の下で働きたいと、私心を捨てて使えることができる人物だと、そう思っていた。
「ありがとう、ガイナスター」
「気にするな。それより──」
 ガイナスターが後ろにいた大柄の女と小柄な少女を見る。
「一人増えてるな。そっちのちびは見た記憶があるが」
 むっ、とサマンの表情が翳る。
「そっちは新顔だな。何者だ?」
「あたしはバーキュレア。傭兵をやってる。はじめまして、ガイナスター王」
「傭兵? なんだ、こいつに雇われてんのか」
「いや、雇い主はこれから決めるよ。あたしは金を出す相手に仕える主義でね」
「ははっ、ただの旅人が傭兵を雇えるわきゃねえからな。だったら俺に仕えるか? 優秀な奴に出す金は惜しまないぜ」
「考えておくよ。面白そうならあんたにつく」
「ふん。国王を相手に怯まねえ奴だ。気に入ったぜ。まあいい、まずは何か食いながらお前の話を聞かせてもらうぜ、ウィルザ。お前のことだ、何か厄介なことがあって来たんだろう?」
 さすがにお見通しか、とウィルザは苦笑する。そして答えた。
「まあね。それならガイナスターには、その厄介ごとの中身も予想つかないかな?」
 既にアサシナから話が来ているのなら、それだけで通じるだろうとかまをかける。
「お前は事あるごとに世界が、世界がって言ってたからな。今この時期にわざわざガラマニアに来なけりゃならない理由なんざ、一つしかねえ」
 ガイナスターはそう言って王宮に足を向けた。
「俺の妹のこと。そうだな」
「ああ」
 ふっ、と鼻で笑うとガイナスターは「ついてきな」と王宮の中に入っていった。
「どうやら、話は分かってるみたいね」
 サマンがウィルザの隣に立つ。うん、と頷いて答えた。
「やっぱりガイナスターは凄いな。上から物事を見ていたら、そういうことまで自然と目が行き届くものなんだろうか」
「その意味ではウィルザも一緒だけどね。誰も見えないものを、あなたは見てる」
 確かにその通りだ。未来が見えるのは自分だけ。それならば自分がなんとかこの大陸を守らなければならないのだ。
「ま、今の様子だと婚約の話が出てるのは間違いないみたいだけど、問題があるね」
 バーキュレアの台詞にウィルザが頷く。
「ああ。ガイナスターがそれを受けるつもりなのかどうか。それが一番の問題だ」







第十八話

再会の時







 三人は驚くほどの豪華な食事を並べられ閉口したが、ガイナスターから「あまり緊張しなくていいぜ」と、国王自らマナーなどぶっちぎりで無視して食事を始めたので、三人ともあまり深く考えずに歓待を受けることにした。
 会場になっているところはガイナスター曰く『それほど大きくないところ』だそうだが、どう見ても何十人かでパーティができそうなスペースがある。
「まあまずはお前の話を先に聞かせな。話はそれからだ」
 ガイナスターが言うので、食事をしながら説明がされることになった。
 ドネアとパラドックの婚約の話が進んでいるが、アサシナ側ではそれを歓迎する立場の人間と、反対の人間がいる。それがドネア暗殺を企んでいる。そしてもしそのようなことになればアサシナとガラマニアは戦争になる。それだけは防ぎたい、とウィルザが伝えた。
「戦争は俺にとっては願ったりなんだがな」
 ガイナスターが意地悪そうに言う。だが、ウィルザはそれを看破した。
「駄目だよ、ガイナスター。顔が笑ってる。君は自分の妹の命を道具にしてまで戦争を起こそうとは考えていないはずだ」
 ふん、とガイナスターは笑った。
「まあ、アサシナからその話が来ているのは確かだ。よっぽど気は確かかと思ったがな。これを勧めてる歓迎派って奴は、誰よりもまずアサシネア六世だぜ」
 国王自ら。ウィルザは顔をしかめる。
「自分の弟に良縁が来るから?」
「違うな。あの男は血生臭い政権交代を演じて起きながら、考え方はどこまでも平和主義だぜ。そして平和のためなら誰の血だって流すことができる。優秀な男だ」
 アサシネア六世。何度か話は聞いているが、ガイナスターも高い評価を与えているようだった。
「じゃあ反対派は?」
「王弟のパラドックって奴だな、おそらく」
 ガイナスターの言葉に棘があった。今の言葉が意味するところは、つまり。
「……国王が、弟に強引に結婚させようとしている?」
「ってことだ。パラドックって奴はとんでもない好色で、女をとっかえひっかえだそうだ。んな奴のところにドネアを出せるか」
 どうやらガイナスターは、一人の兄として妹の幸せというものを願っているらしい。それを聞いてウィルザは安心した。
「それこそお前みたいな奴が妹と結婚して、ついでに俺のかわりに政治とかしてくれると助かるんだがな」
「随分とぼくは君にほれ込まれているんだね。でも、ごめん。その話には乗れないよ」
「ああ。だが、いずれにしたってこの縁談は破談だ。みすみす殺されると分かってて、妹を嫁に出すわけには──」
「いえ、お兄様。私は参ります」
 ──と、その四人しかいないパーティ会場に別の声が響いた。
「ドネアか」
 入口に豪華な絹の服を着た女性の姿。緑色の長い髪。額に輝く銀のサークレット。子顔で、つぶらな瞳。
 一瞬、ウィルザはその美しさに目を奪われた。
「はい。お客様、はじめまして。ドネアでございます」
「はじめまして。ぼくはウィルザ。こちらはサマン。こちらはバーキュレアです」
 ドネアは一礼すると、兄の隣の空いていた椅子に腰かける。
「遅かったじゃねえか」
「はい。お兄様が初めてご友人を紹介してくださるということですから、たっぷりとおめかしをしてまいりました」
 微笑みながら言う。茶目っ気もある可愛らしい女性だった。
「話を聞いていたのか」
「今参ったばかりですので、最後の方だけです。暗殺されるかもしれないというのは、別にこの国にいようと、どこにいようと同じことです。王家の者は常に命の危険と隣り合わせであると、私は教わりました」
「まあな。だが、明らかに自分から危険に飛び込む必要もないだろう」
 静かだが、余人を加える隙を見せない兄妹喧嘩が始まった。
 その言い合いというか話し合いというか、その様子を見ながらサマンがこそっと呟く。
「綺麗な人だね」
 素直に感心したらしい。そうだね、と応える。
「あんな綺麗な人を暗殺するなんて、間違ってる」
 どうやらサマンはその未来に憤っているらしい。多少、私情が見えるが。
「お兄様が断っても私は行きます。今、ガラマニアには国力豊かなアサシナと戦う力などないことはお兄様もご存知のはずです。それに、私一人が我慢すればアサシナとガラマニア、両国の間に平和が訪れる。どのみち私は自分の願い通りの結婚などできません。それならこの命、有効に活用するべきです」
「あのな、誰がそんなこと決めたよ。俺なんか自分の好き勝手に全部決めてるぜ。お前だって自分のことを考えていいんだ。俺たちが王家に生まれたのは俺たちが生まれたかったからじゃねえ。オヤジとオフクロが勝手に生んだせいじゃねえか」
「先王陛下と、先皇后陛下です。お兄様」
「だったら俺のことも国王陛下って言えよ」
「そんな呼び方をするなと言ったのはお兄様ではありませんか!」
 面白い、この兄妹。
 素直にウィルザはそう思った。ガイナスターが強気に出ない会話をしているというのも新鮮だし、あのガイナスターに正面からぶつかって五分に渡り合うこの妹もたいしたものだ。
「なに、別にお前が行こうが行くまいが、平和なんざ作れるもんだし、たとえお前が向こうにいようが俺は戦争は起こすぜ。なら行くだけ無駄だ。それよりドネア、この男なんかどうだ。俺のお勧めだ」
 振られてドネアがウィルザを見つめる。そうしてようやく、彼女はウィルザという男性を認識しようとしたらしい。
 まじまじとドネアはウィルザを見つめる。その黒い瞳に見つめられていると、わけもなくウィルザも動悸が早まる。
「いえ、お断りします」
「なんでだ」
「だって、サマンさんに申し訳ありませんもの」
 またそういうことを言う。ウィルザは心の中でがっくりとうなだれた。だから、たとえ自分がサマンをどう思っていたとしても、それを伝えるつもりは全くないというのに。
「でもあたしは、王様に賛成です」
 すると、振られたサマンの方が口を挟んだ。
「好きな人以外と結婚したって、絶対に後悔します。それだったら、結婚なんてしない方がいい」
 強い口調だった。
 初めてあった、それこそ身分違いの相手に、大した口の利き方だった。だが、ドネアは咎めるようなことはしない。無論、ガイナスターもだ。それは、サマンが本当にドネアのことだけを考えているのがしっかりと伝わったからだ。
「す、すみません! あたし、失礼なことを──申し訳ありませんでした!」
「いいえ。サマンさん、ありがとうございます。私のことをそこまで真剣に考えていただいて」
 ドネアはその素敵な笑顔をサマンのために向けた。その微笑に、サマンが顔を赤らめる。
「お兄様。今日の話はここまでにいたしませんか?」
「ああ? 別に構わんが、どうした」
「私、もう少しサマンさんとお話をしたいと思います。私、同世代の方と話す機会も少なかったですし、外のこととかあまり知りませんから」
「え!? で、でも」
 サマンが動揺した様子で、助けを求めてウィルザを見る。だが、決してそれは助けにはならなかった。
「かまわないよ。もうガイナスターにも会って話はできてるんだし、ここからは急ぐこともないから、ドネア姫とゆっくりしてくるといい」
 さすがに王侯貴族と話す機会などないサマンは動揺を隠し切れなかったが、そこはドネアの方から積極的に「お許しも出たことですし、まいりましょう」と彼女を連れ出していく。困ったサマンの表情がやけに印象的だった。
「あいつ、よっぽどお前とあのちびのこと、気に入ったみたいだな」
 ガイナスターが感心したように言う。
「どうして分かる?」
「妹だからな。それに、理由をつけて断ったのは今回が初めてだ。あいつ、じっくりとお前のこと検分してたぜ。惚れたかまでは分からないが、いい印象を持ったのには違いないな」
「ぼくは誰とも結婚するつもりはないよ」
「やれやれ。今にちびからも見放されるぜ」
「それは大丈夫」
 ウィルザは苦笑しながら答えた。
「ぼくらはお互いのことは、誰より分かってるから」






 そうして、客室を一人に一つずつ与えられ、さらにいくつかの立ち入り禁止区域を除いて王宮内で三人はフリーパスとなった。
 ウィルザはこの王宮のこともじっくりと見ておこうと考えて中を見学して回る。バーキュレアは疲れたから休むといったので久しぶりの単独行動だ。
(さて、どうしようか)
 まずはガイナスターに会わなければという気持ちでガラマニアまでやってきたが、ことはそう単純ではなかった。ガイナスターはアサシナとの平和を望んでおらず婚約には反対、一方でアサシナとの平和を望むドネアは婚約に賛成なのだ。その気持ちがどうであれ、だ。
 だが、その二人の考え方をそのまま進めていくと、結果は反対のものにたどりつく。婚約をしなければガイナスターの望まない方向=平和へと進み、婚約をすればドネアの望まない方向=戦争につながる。
 このボタンの掛け違えを、どこで修正すればいいのだろう。

 そんなことを考えて庭に出る。日は西に傾き、草花に赤い光が落ちている。
 その庭に、一人の女性がたたずんでいた。貴族の服。かなり高貴な女性のようだった。
 蒼い髪が、夕陽に映えていた。
(蒼い髪、か)
 ふと、頭をよぎる。ほんの一時だけしか会うことができなかった少女──
 その女性が、人の気配に気付いて振り返る。
「え……」
 その顔が驚愕に彩られた。おそらく、自分も同じ顔をしているだろう。



「トール?」



 その名を知る者は多くない。せいぜいが、イライの村にいる者のみ。
 どうして、ここに。
 ウィルザの頭の中は、混乱に満ちていた。



「ルウ……」







ガラマニア王妃、ルウ。その事実が再びウィルザを苦しめる。
揺れ動く感情。ドネア、サマン、ルウ、そしてウィルザ。
それぞれの思いが交錯し、そして物語は次の展開へと動き出す。
八〇八年──その年は、グラン大陸にとって吉となるのか、それとも凶となるのか。

「そんなの、最初からそうだった」

次回、第十九話。

『見えない出口』







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