国王の一日は朝から忙しい。とはいえ、ガイナスターの場合は重要な政務を軒並み部下に放り投げる傾向が強いため、結構のんびりと朝を迎えることができる。
 昨夜はルウの様子がおかしかった。何がどうとは言えないのだが、何か悩んでいる様子なのはすぐに分かった。もともとこの国に来た経緯が経緯なので、ガイナスターもあまり強く相手を束縛することはなく、この王宮で自由にさせていた。まあ、自由にさせていたら何故かルウは妹のドネアに協力して政治などを普通にこなしていたりするのだが。
 そのルウが、朝になると同時に自分に話があると言ってきた。彼女の方からそう切り出すのは珍しいことだった。もちろん特別忙しいわけでもないガイナスターに否があるはずもない。
「で、なんだ?」
 自分の妻だからといってその態度が変わるわけではない。ただ、心をかけていることはルウにも伝わっている。だからこそルウも国王の求婚を最終的には受けたのだ。
「トールに会いました」
 その言葉は、ガイナスターを強く驚かせた。
 結婚を断り続けていた理由が、その男だ。かつての婚約者を見つけるために旅をしている。だからガイナスターの求婚を受けることはできない。何度も何度も断り続けた。もっとも、最終的には彼女も折れて、求婚を受けたのだが。
「どこにいやがる。俺がぶったぎる」
 だからこそガイナスターにしてみればその相手の男というのは、嫉妬を向ける最大の相手であり、同時に最愛の妻を苦しめる憎悪の対象でもある。いい感情を持たないのは当然のことであった。
「ウィルザ、なんです」
「なに?」
「陛下の友人のウィルザこそ、私が求めていたトールだったのです」
 ──さすがに、ガイナスターも思考力を奪われた。
「あー……もう一回頼む」
 さきほどまでの殺意はどこへやら、この国王にしてみると珍しくパニックに陥っているのが分かる。ルウはそれを見て『やっぱりこの人は可愛いところがあるなあ』などと思いなおしていたりしたのだが。
「あのイライの村、陛下が襲撃をやめたのが一人の戦士、ウィルザとの交渉の結果だということは以前におうかがいしました」
「ああ、言ったな」
 まだ国王の求婚攻撃が始まる前、ガイナスターがルウに出身を尋ねたところ、イライという名前が帰ってきたので、そのまま勢いで話したのだ。自分たちは以前、そのイライを襲撃しようとしていた、と。そしてそれをやめることになったのがウィルザという旅の戦士を仲間に加えたからだと。そのウィルザという人物は自分をよく理解してくれる友人だと。
「結婚式の前日、トールは村を抜け出したのです。そしてウィルザと名前を変え、陛下のもとへ行かれたのです。そして仲間になれという陛下のご命令に従い、ウィルザは陛下と同行することになり、村に帰ってくることはなくなったのです」
 昨夜、ウィルザがどうしてイライの村からいなくなったのかということを改めて尋ねると、今度はきちんと答が返ってきた。おそらく二人とも冷静になったからこそ話し合うことができたのだろう。
「じゃあ、あいつは俺に同行するために、お前を捨てたってわけか……」
 つまりウィルザの都合など全く関係なしに、強引に連れていった自分にも責任があるということだ。
(水くさい奴だ。それならそうとはっきり言えばいいものを)
 それにしても女の趣味まで同じだったとはおそれいる。やはりウィルザと自分はどこか共通するところが多分にあるのだろう。
「で、お前はどうしたいんだ」
「ウィルザの心の中に、既に私の居場所はありません。そして、昨日彼と話したときに私の心の中からもようやくトールがいなくなりました」
 まずはっきりと自分の立場を述べるルウに、ガイナスターの顔が険しくなる。
「そんな簡単に割り切れるものなのか?」
 そう尋ねてくるガイナスターに、ルウはにっこりと微笑む。
「私がいなくなるかもしれないと、不安なの?」
 突然くだけた口調に変わる。この話し方は王妃のものではない、いつもの町娘のものだ。そしてルウがガイナスターと初めて出会ったときのものだ。
「ば、馬鹿いえ」
「無理しなくてもいいのよ、ガイナスター。あなたが甘えられる場所は私だけなんだから」
 ルウは近づくと、彼の頬にかるく口紅をつける。
「ちっ……」
 ルウに振り回されていることに気付いたガイナスターが苛立ちを隠せずに舌打ちする。
「ガイナスター。あなたに相談があるの」
「なんだ」
「この大陸の未来について」
 ガイナスターは顔をしかめる。そういう台詞はルウではなく、むしろウィルザのものだ。
「昨日、ウィルザと何を話した」
「いろいろなことよ。彼が私を捨ててガイナスターのところに行ったのも、その後彼がこの世界を救うために何をしてきたのかも、いろいろと話を聞いたわ。このグラン大陸が、いつか滅びてしまうかもしれないということも」
「グランが滅びるだと?」
 鼻で笑ったような態度をガイナスターが取るが、ルウは真剣そのものだった。
「私も気付いてた……このグランに何かが起こっているというのは。でも私はトールのことばかり考えていて、その事実から目を背けていた。ガイナスター。私があなたと出会い、妻となったのも多分、大きな意味があるんだと思う。ガラマニアとアサシナの戦争、これだけは防がなければならないわ。私は多分、その職責を世界から担わされているの」
「随分とウィルザに感化されたみたいだな」
「あなただって分かっているはずよ、ガイナスター。あなたがたった一人認めた友人なんですもの。彼が嘘をつくかつかないか、それは私よりもあなたの方が分かっているはず」
「ふん」
 ガイナスターはつまらなさそうにするが、確かに彼女の言う通りだった。彼は決して嘘はつかない。あの王都襲撃の時も、彼は失敗すると言っていた。その通りになった。そして自分を捨てて動くことができるのは、結婚を棒に振ったことからも証明されている。
「俺にどうしろって言ってるんだ?」
「これは、ウィルザにも話していないことなんだけれど、今回の婚約について、一つ切り抜ける方法があるんです」
「ふん、もしかしたら俺が考えていたことと同じかもしれねえな。まあいい、言ってみろ」
「はい。実は──」







第二十話

傾く天秤







 一方、ウィルザといえば、サマンの部屋にやってきていた。ドネア姫とどのようなことを話したのかを確認するためなのだが、それよりも自分がルウと再会した苦しみから逃避しようとしているのかもしれないとは意識していた。
「サマン」
 扉をノックすると、何も答はなく、その代わり静かに扉が開いた。
 そこに、体調が悪そうな彼女の顔があった。
「……具合、悪いのかい?」
 明らかにいつもと違う彼女の雰囲気に驚いたウィルザが慌てて彼女を気遣う。が、その心遣いにサマンは笑った。
「大丈夫。ちょっと色々あっただけ。入って」
 客室とはいえ、随分と広い。ベッドやテーブル、椅子といったものを置くだけだというのに無駄にスペースを利用している。家一軒分くらいの広さがあるのではないだろうか。
「色々あったって──」
「あ、うん。別に何でもない。ウィルザには関係ないことだから」
 そうした答え方が実のところ一番堪えた。自分にとって最も信頼できる相手に『関係ない』と言われるのは辛い。
「なんだよ、それ」
 思わず声を荒くしていた。
「サマンにとって、ぼくはそんなに頼りないのかい? それとも、ぼくが聞いたら都合の悪いことでもあるのかい?」
「そんな」
 サマンは自分の言葉で相手を傷つけたということに気付き、動揺していた。だが、ルウの件で最初から冷静ではなかったウィルザはそれに気付かない。
「ぼくはサマンのことを信頼していたからぼくのことを話したのに、サマンは悩みがあってもぼくに話してはくれないの?」
「そうじゃない。そうじゃ……」
「何が違うっていうんだよ」
 徐々にウィルザの声も荒くなっていく。おかしい。そんなことを言いたくて来たわけじゃないのに。
「確かにぼくだって、ずっとサマンに隠し事をしていた。ぼくばかり話したからって、サマンもすぐにそうしろなんて言える立場じゃない。でも、そんなにサマンが苦しそうにしているのに、話してもくれないなんて、信じてもらえないとぼくが思っても不思議じゃないだろ!」
「だったらどうしろっていうのよ!」
 サマンが悲痛の叫び声を上げる。もう、止まらない。
「昨日、あなたとルウさんが話しているのを見た。ウィルザがルウさんのことを何とも思ってないのは知ってる。でも、あんな場面を見せられて、私が冷静でいられるはずがないじゃない!」
 さすがにその言葉を聞いたウィルザは言葉をなくす。
「ごめん。覗き見とか、そんなつもりじゃなかった。でも、目に入っちゃったんだもん……」
「ぼくは、ルウとは何でもないよ。誤解しなくても」
「してないよ。ウィルザが私のことを信じてくれてるのも分かってる。でも、でも、嫌だったんだもん。ルウさんがウィルザに抱きついているのが嫌だったの!」
「サマン」
 既にサマンの目には涙が浮かんでいる。
 ウィルザとトールは別人だ。それははっきりと分かっている。そのことを知らずにルウはかつてのトールとウィルザを重ね合わせている。身体は同じなのだから当たり前のことだ。
 ウィルザがルウのことを見ていない。それは分かっている。だが、それでもウィルザと他の女性が一緒にいるということが、これほど自分を辛くするのだとは思っていなかった。
 こんなに嫉妬深いとは思わなかった。そして、その感情はどうすることもできない。
 何故なら、ウィルザはいつか、いなくなってしまうからだ。
「ウィルザ」
 これ以上、言ってはいけない。
 今まで、二人で必死に守ってきたものが、崩れる。
 崩れてしまう。

「好き」

 ──均衡が、崩れる。
「好き。大好き。もうこの気持ちが止まらないの。ずっとウィルザと一緒にいたい」
「サマン。駄目だよ、ぼくは……」
「分かってる!」
 大きな声を出して、サマンはウィルザにしがみつく。
「じゃあどうしろって言うの? あなたの傍にいて、あなたを見て、長くいればいるだけ、気持ちはどんどん強くなるのに、何も言うことができなかった私の気持ちはウィルザには分からない!」
「分かるよ」
「分からないわよ! 分かってないから、ウィルザは私の悩みを理解しないで暴こうとしたんでしょ!? こんなこと言ったってどうにもならないって分かってたから、何も言わなかったのに! 強引に言わせたのはウィルザなのに! 私がどんなに苦しんで、悩んで、辛くたって、ウィルザになんか関係ない。だって、ウィルザはいつかいなくなるんだもの!」
「分かるよ」
「分からないわよ!」
「分かるよ。ぼくだって、同じだ」
 優しく、ウィルザはその泣きじゃくる子を抱きとめる。
「ウィルザ……」
「ぼくだって、何度君に心の中で『愛してる』を言ったか分からない。でも、ぼくがどれだけ君を愛していても、その時になればぼくは」
「だったら、どうしてそんなに優しくするのよ……優しくしないでよ……」
 サマンが力強く抱きつく。ウィルザもまた、彼女がそれを望んでいると悟り、強く抱きしめた。息もできないくらいに。
「なんでこんなに好きにさせるのよ。もう、諦めることなんてできないよ……」
「ぼく、だって」
「残されるのは私なの。あなたはいなくなり、私だけがこの世界に残される。世界が救われたって、あなたがいない世界に生き残っても何の価値もない」
「サマン」
「そうよ。あなたのいない世界なんていらない。私が全力をつくしてあなたのためにがんばって、その結果私の一番好きな人を取り上げられるなんて間違ってる。私はあなた以外何もいらないんだからっ!」
「サマン。駄目だよ、そんなことを言っては。ぼくは、サマンがこの世界で幸せに暮らせるように、この世界を救いたいんだから」
「あなたのいない世界に幸せなんかないわよ!」
 サマンはもう、感情だけが先に走っていて、言いたくないことを口にしてしまっている。それが本心からではないことは、逆に冷静になったウィルザには分かっていた。
 だが同時に、それが彼女の強い願いであることも分かっている。
(どうすればいいんだ?)
 どうすることもできないのは分かっている。だが、この女性と一緒にいたい。ずっと永遠の時を過ごしたい。
(過去にもぼくは、同じように思ったことがあるのだろうか)
 こうして女性に泣かれるたびに、自分はその恋を諦めてきたのだろうか。
 自分はこの先、何度同じように諦めなければいけないのだろうか。
「……思えば、たった二年でお互い、随分好きになってしまったんだね」
 拘束を緩めて、彼女の目を親指で拭う。
「何よ、いきなり」
「君と出会って二年。ぼくは君への想いをどうすればいいんだろうかって、そればかり思ってきた気がする。でも、それじゃ駄目なんだよな。ぼくはもっと、君のことを考えて生きればよかった」
 涙目のサマンが、言っていることの意味が理解できないという様子でウィルザをじっと見ている。
「あと十八年。いや、あと十七年と十一ヶ月」
 ウィルザは真剣な目で、彼女の瞳を覗き込む。
「その先に待っているのが『別れ』だとしても、ぼくと一緒にこの残りの期間を歩んでくれる気持ちが、サマンにあるかい?」
 その綺麗な目が大きく見開かれる。
「そ、それって……」
「告白って言っていいのかな。でも、最後には君を悲しませることになる。それでも君が、ぼくと一緒にいることを望んでくれるのなら」
 瞬きをするたび、彼女の瞳から涙が零れていく。
「当たり前じゃない。私、ウィルザの傍以外に行くところなんてないんだから」
 にっこりと、がんばって笑顔を見せるサマン。その様子が、いつになく愛おしい。
「嬉しい……ウィルザにそんなこと言ってもらえるなんて、思ってなかった」
「サマン」
 また彼女の涙を拭う。そして、彼女が目を伏せた。
 ウィルザも目を閉じて、唇を合わせる。
 ぬくもりが伝わる。お互いの愛しさを感じる。
 触れただけなのに、その幸せが身体の中にみなぎる感じがする。
 少しの接触の後、二人は離れて目を開けた。
 お互い、顔が真っ赤だった。
「えへへ。キス、しちゃった」
 泣きながら笑う彼女が、ますます愛しかった。






 ──だが、二人をめぐる物語は、まだこれで終わるわけではなかった。






「邪魔するよ」
 突然部屋の中に入り込んできた男に、二人は飛び上がって驚く。
「……いいところを、申し訳ないね」
 絶対、わざとそうしたのだろう。相手からも敵意を感じる。ウィルザは睨みつけるようにその男を見た。
 サマンは見られたのを恥ずかしく思ったのか、奥の方に引っ込む。はあ、とウィルザはため息をついた。
「久しぶりだね、タンド。こっちの様子が分かっているなら、もう少し遠慮してほしかったよ」
「そういうわけにもいかん。陛下からのお達しだからな」
 そのうろんな男、タンドはゲ神の法衣をまとい黄金の仮面をかぶっている。邪道盗賊衆の一員としてガイナスターに重用されていたが、要するにガラマニアの神官だったということだ。
「ガイナスターから?」
「そうだ。ウィルザ、お前は陛下に協力すると言ったな。陛下がお前に協力するかわりに」
「ああ」
 なにやらとんでもないことをガイナスターは考えたのか、ウィルザは心して聞く。サマンも奥の方からこちらの会話をじっくりと聞いているようだった。
「アサシナとの婚姻は断ることにした」
「ふうん」
「その理由として、姫様には以前からの婚約者がいることにした」
 何か、いやな予感が全身を襲った。
「まさか、その相手って」
「そうだ。私としても不本意だがな」
 仮面の奥から、タンドが睨みつけてきた。
「相手は貴様だ。まさか断ることはしないだろうな。お前は一度ガイナスター陛下の元を去り、迷惑をかけた。その上でお前は陛下に協力してほしいと願い出てきたのだ。これで陛下を裏切るようなことがあれば、そのときは陛下が許しても我らガラマニアの民全員がお前を許さぬ」
 ──二人が、愕然となる。
 いったい、ガイナスターは何を考えているのか。だいたい、ドネアはそのことを承知しているというのか。そもそも自分の意見を全く聞かずにどうしようというのか。
 その、直後。
『歴史が書き換わった』
 いつものあのフレーズが、ウィルザに語りかけてきた。

808年 婚約発表
ガラマニアのドネア姫が、以前から婚約者がいることを明らかにする。挙式は翌年行うとガラマニア国王の名で発表される。









ついにお互いの気持ちが通じ合ったウィルザとサマン。
だが、二人の前に新たな難題が立ちふさがる。
二人の関係はどうなるのか。そして、ドネアとの婚約は。
物語はさらに加速し、次の展開へと動きを見せる。

「姫様の了解を得てからだけれど、一つだけ考えがあるの」

次回、第二十一話。

『誓いの手紙』







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