年が明けて、ウィルザはついにこの町に戻ってきた。
王都アサシナ。八〇五年の末に来てから、丸三年が経過している。一度来ただけの街並など覚えてはいないが、さすがに新王都への移動が進んでいるだけのことはあって、人通りはかなり少なくなっている。
ドネア暗殺のくだりがなくなってからの歴史の変化たるや──もはや、ウィルザの想像の域をはるかに超えていた。そして同時に、この王都アサシナに来ることが必要不可欠となった。
なにしろ──この記述だ。
809年 アサシネア六世暗殺
アサシナ国王アサシネア六世が、マナミガルからの使者カーリアによって暗殺される。
809年 カーリア処刑
アサシネア六世を暗殺したカーリアが旧王都にて処刑される。
無論、カーリアは理知的で冷静な女性だ。アサシネア六世暗殺など、間違ってもするはずがない。だから、考えられることは二つだ。
一つは、マナミガル女王エリュースに命令され、拒否できなかったというもの。
もう一つは、これが濡れ衣だということだ。
だとしたらカーリアがこの新王都に来るまでにアサシネア六世に何とか接触し、この大陸のことや色々なことを話し合い、そしてこの暗殺劇を止めなければならない。
だいたい、この記述はおかしいところが多い。
(直系のクノン王子がいるのに、王弟のパラドックが王位に就くなんておかしい。クノン王子を国王とし、パラドックが摂政となるのなら分かるけど)
だとしたらこの暗殺劇が何を意味するかは自然と見えてくる。というより、この暗殺を通してこの先の世界記を読んでいけば、得をしている人物はただ一人だ。
(パラドック──まだ会ったことはないけど、ぼくの考えている通りの人間だとすれば)
自分の兄を手にかけて、自ら王位に就く。そんなことを考えているのに違いない。
そのパラドックは既に新王都にいる。半分以上の市民たちも既に移動が終わった後だ。新王都への移転は着々と進んでおり、国王アサシネア六世ももうあと何ヶ月かでこの王都を去ることになる。
その前に、会わなければならない。
(ミジュア様に手引きしてもらうのが一番だな)
ザ神殿に行けばそれも可能だろうが、問題はドネアだ。ドネアはゲ神信者なので、ザ神殿に入ることはできない。
そして──ウィルザには、この王都アサシナで、もう一人、会いたい人物がいた。いや、人物と言っていいのだろうか。
「みんなは、宿屋で待っててもらえるかい。ぼくは少し用事があるから」
そう言い残してウィルザは一人、アサシナの街に出る。
さすがに三年前の邪道盗賊衆の王都襲撃の際、自分が捕らわれていたなどということは既に遠い記憶の彼方だ。巡回の王都騎士団も、ウィルザには全く目もくれない。少しだけ残っていた不安が解消され、ゆっくりとウィルザは歩む。
彼が会いたかった相手。
それは、この──ひっそりとした屋敷の中にいる。
中に入ると、そこは三年前と全く変わらない。床をひしめく無数のコード。時折生じる蒸気音。
その中にいる『彼女』の姿を見かけて、ようやく微笑みを見せた。
「久しぶり、アルルーナ」
声をかけると、その『人型天使』はゆっくりと目を開いた。
『お久しぶりです、不思議な相をお持ちの方。随分とその身体にはなじんだようですね』
──前回はそんなくだけた会話をしただろうか。お互い単に事務的なことしか言わなかったような気がする。
「まあね。でも、本当にありがとうアルルーナ」
『何故感謝するのですか』
「ぼくとサマンを引き合わせてくれた。君のおかげだ。君のおかげで、ぼくは何よりも変えがたい宝物を手に入れた」
『私は道を示したにすぎません。その道を歩んだのはあなたです』
「そうかもしれない。でも道を示してくれなかったらその道に気付かなかったかもしれない。だから、ありがとう」
少し間が空く。
『あなたは優しいですね、ウィルザ』
アルルーナから、温かな空気が伝わってくる。
『ですが、あなたの優しさは、赤い髪の少女を苦しめることにもなります。どうぞ、恋人を優先することを忘れないでください』
「ありがとう、心配してくれて」
『いえ、ウィルザ。私にとってもあなたは大切な友人だと思っています』
人型天使が、ここまでのことを言うとは。
「光栄だよ、アルルーナ。ぼくだって君とこうして話せたらと思っていた」
『私はこの場から動けません。あなたの供をすることはできません。ですから、私のもう一人の友人に、あなたのことを託すことにします』
「もう一人の友人?」
『いずれ、あなたの前にまた現れるでしょう。ですが、今は先に行うことがあるのですね?』
本題だ。表情を戻してウィルザは頷く。
「教えてほしい、アルルーナ。ぼくは、アサシネア六世に会うことはできるかい?」
『道はあります』
託宣が、くだる。
『その道の先に、小さな男の子がいます。あなたに縁のある人物です』
「小さな男の子?」
少年の知り合いなど自分にはいない。だが、縁のある人物ということは──
「クノン王子?」
『その子の母は、大神官ミジュアからあなたの話を聞いております。あなたの味方になってくれるでしょう』
「レムヌ王妃が……」
道が、拓けた。
「ありがとう、アルルーナ」
『これで三度目ですよ、ウィルザ。でも、その言葉はありがたくいただいておきます。またいらしてください。その日を楽しみに待っています』
「ああ。今度は何もない時に来るよ。君とゆっくり話したいから」
『いいえ』
だが、彼女ははっきりと否定する。
『私は道を示すのが役割。道を必要としない者の問いかけには応えられないのです。ウィルザ、たとえあなたであっても』
「そうか……」
『ええ。ですから、何かあったときには私のところへ顔を出してくれれば、あなたの道を示しましょう。それに、あなたがもし、自分ひとりではどうしても解決できないことで悩むのであれば来てください。道は必ず、どこかにつながっているのでしょうから』
「分かった。これからアサシナに居続けるかどうかはまだ分からないけど、必要になったときに顔を見せるよ。次に話せるのを楽しみにしている」
『はい。ありがとう、ウィルザ。私の友人──』
そして、彼女は目を閉じた。そしてもう、自分の言葉に応えることはない。
「アルルーナ」
そっと、ウィルザは彼女の頬に手をあてる。その肌は冷たく、血の通わないものだ。
「また会いにくるよ。ぼくと同じ悲しみを抱えているひと──」
そう。
自分がどれだけ、恋人や仲間に支えられていたとしても。
結局は、自分はこの世界の人間ではない。いつかは還らなければならない。
その『他の誰とも違うという孤独』は、抱えている者にしか分からない。
その孤独を分け合えるのは、アルルーナだけなのだ。それは決してサマンやドネアでは埋められないものなのだ。
第二十二話
風の街
ウィルザがアルルーナの屋敷を出て、一分もしないうちのことだった。
視線を感じる。誰かが自分を見ている。それをはっきりと感じた。
振り返った視線の先にいたのは──三年前にも出会った、黒いローブの男であった。
「久しぶりだね」
黒いローブの男は口元だけを笑わせて近づいてくる。
「ケインか」
この男の正体は知れない。が、このグラン大陸の命運に何らかの形で関わっているのは間違いない。世界記から感じられるこの男への評価は──警告。
「あまり、歴史に干渉しないことだ。栄えるも滅びるも、それは自然の摂理」
「じゃあ、人が死ぬのを見殺しにしろっていうのか」
「人はいずれ死ぬ。その運命を変えることはできないよ」
「だが、戦争や災害で死ぬくらいなら、誰しも安らかに亡くなる方がいい。そういう歴史であってほしい」
「……ふん」
平行線、と感じたのだろうか。ケインはそのまま踵を返していった。
「何者なんだ」
『分からない。だが、不穏な男であることは確かだ。気をつけろ』
「分かってる」
歴史に干渉するな──それは、グラン大陸が滅亡することを見過ごせ、というのと同じだ。
それだけはできない。自分は世界を救う、それだけを目標に生きてきたのだから。
(それじゃあ、どうにかしてクノン王子と会わなければな)
気持ちを切り替える。ケインが何をしようとしているにしろ、今の自分ができるのはただ一つ。アサシネア六世に会うための努力をすることだ。
アサシネア六世は、およそ自分がそうしてほしいと思うことをそのまま実行してくれる国王だ。混乱を招くイブスキ王家を滅ぼしてデニケス王朝を築いた。ガラマニア、マナミガル、ジュザリアとの平和協定を結んだ。そのジュザリアからは王妃レムヌを招き、クノンが生まれた。新王都への移転もそうだ。もしアサシナが王都のままであったならば、いつか来るアサシナの地下エネルギーの暴走がたくさんの人命を奪うだろう。この王都から最も遠い西域への移転はいずれ人々を救うだろう。
(この国王がいればグラン大陸の未来は十分に拓ける。だからこそ、暗殺なんてさせない)
パラドックが暗殺するのだとしたら、おそらくはカーリアがこの国を訪れた時に始末し、その濡れ衣を着せるという方法を取るのだろう。そのままマナミガルとの戦争に持ち込むことができれば一石二鳥だ。
(それとも、もしパラドックが本当に国王陛下を暗殺しようとしているのなら……)
あまり好ましい方法とはいえないが、逆にパラドックを殺すという方法もあるのだ。だが、人を生かすために人を殺すというのは、よくない。その方法は最後の手段でなくてはならない。他に解決できる方法があるのならそうしなければならない。自分は神でも王でもないのだ。
その時だった。
「おい、てめえっ!」
後ろから突然声がかかる。それも、かなりの喧嘩口調だ。
振り返ってみるとそこに三人ほどのゴロツキがいた。いずれも息を切らせている。
「何?」
「このあたりで、小さいガキを見なかったか」
「いや?」
──だが、その言葉で当然ウィルザの頭には先ほどのアルルーナの言葉が蘇る。
「ちっ……おい、手分けして探せ!」
男たちはそのまま三手に別れて行動した。
(どういうことだ?)
自分の直感が正しければ、この件にはクノンが絡んでいるはず。
(誘拐、か?)
いずれにしても、その小さいガキがクノン王子を意味するのだとしたら、今現在でクノン王子の所在が分からないということだ。
ならば、誰よりも早く自分が見つけなければならない。
(どこに──)
この辺りで隠れるところといえば、と辺りをきょろきょろと見回す。
「いたぞ!」
が、それよりも早くゴロツキの一人が叫んだ。その声と同時に、こちらに向かって男の子が一人駆けてくる。
(クノン王子?)
三歳ほどの少年が、自分に向かって飛び込んでくる。たちまち、先ほどの三人に取り囲まれた。
「おい、さっきの兄ちゃん。その子供を寄越してくれねえかな」
もちろん断れば実力行使に出る、という様子だ。
「大人が三人で、一人の子供を追い掛け回す。その理由を教えてくれれば、いいよ」
だが、毅然とした態度で言うウィルザに、男たちはたちまちナイフを構えた。
「もう一度だけ言うぜ。命が惜しけりゃそのガキを置いてけって言ってんだよ!」
「君、少し目を瞑ってて。ぼくがいいっていうまで、開けたら駄目だよ」
ゴロツキを無視して子供に言う。子供は言われるままに一生懸命に目を閉じた。直後、
「クラック!」
正面の男にザの魔法を放つ。そして剣を抜いて、右にいた男の剣を弾き、蹴り飛ばす。
「やろうっ!」
最後の男が襲いかかってくるのを冷静に回避し、剣の柄で相手の後頭部を打つ。さすがに王都で刃傷沙汰はまずい。
三人を転がしたところで、ウィルザが「いくぞ!」と少年に声をかける。ぱっと目を見開いた少年を抱き上げ、まだ立ち上がることができない三人を後に、一気にその場を離れる。
随分離れたところで小屋の影に身を隠し、ふう、と息をついた。
「ひとまず、大丈夫かな」
男たちが追ってくる様子もないので、ウィルザが少年を下ろして呼吸を整える。
「たすけてくれて、ありがとう」
「いいえ、どういたしまして、クノン王子」
すると少年は、大きく目を見開いた。
「ぼくをしってるの?」
「まあ、一応」
「じゃあ、しろまでつれていってくれる?」
「もちろん」
「ありがとう」
ぱっ、とその顔が明るくなる。それにしても、三歳にしてはしっかりとした話し方をする。それだけ城での教育が優れているのだろうが、それについてこられるクノン王子の才覚もあるのだろう。
(立派に育ったんだな、王子)
再びウィルザは王子を抱きかかえると、ゴロツキがいないかどうかを確かめてから路地に出る。
城まではそれほど遠くない。なんとかなるだろう。
自然と足は急いだが、それでも途中に妨害が出ることはなかった。無事に城までたどりつく。
「クノン王子!」
すると、その門番二名が全力で駆けつけてきた。どうやら既に戒厳令か何か出ていたのだろう。城内外を問わず、全力で捜査していたのに違いない。
門番二名は、王子を抱きかかえている自分に対して槍を突きつけてきた。
「王子を放せ!」
──この状況を見て、自分が人攫いだとでも思われているのだろうか。そうされると思わず悪役の振りでもしたくなるのが人情というものだが。
「どうぞ、王子」
ウィルザは大人しく王子を放す。直後、門番の片方が王子を抱きかかえ、もう一人が自分の喉元に槍をつきつけた。
「どういうつもりだ、何故王子を攫った!」
(馬鹿か、こいつは)
人攫いが王子を返しにくるとでも思っているのだろうか。自分が王子を助けたとは思わないのか。
「やりをおろせ!」
だが、援護は王子本人から出た。
「ですが、王子」
「このひとはぼくをたすけてくれたんだ! このひとをははうえにあわせる! あんないしろ!」
「は、はっ! 失礼をいたしました!」
──どうやら、この王子はなかなか機転がきくらしい。それも、助けた相手に対して強い恩義を感じているようでもある。
「ご案内します」
態度の変わった兵士が、ウィルザとクノンの前に立って、廊下を歩き出した。二人はそれについていった。
混乱の一年が幕を開けた。
世界記の内容が、かつてないものへと変化を遂げる中、
ウィルザは、この国で新たな知己を得る。
それは、高貴な、そして王家のプライドを持つ、麗しい貴婦人であった。
「この国のためならばわらわはどんなことでもしましょう」
次回、第二十三話。
『光の宮』
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