レムヌ妃
アサシネア六世の王妃でクノンの母。物腰はおだやかだが王家のプライドは高い。ジュザリア王家の出身。
(レムヌ妃と対面か)
さすがに王族と会うとなるとそれなりに緊張もする。マナミガルではそんな緊張するような事態ではなかったし、ガラマニアでは緊張するもなにも相手が相手だった。
だが、王家のプライドだとか、他国との関係だとかが絡んでくる以上、このレムヌ妃という人物がいかにこのグラン大陸の歴史に重要な人物として位置しているかが分かる。
イブスキ王家からデニケス王家へと王朝が変わってから、アサシネア六世は柔軟外交によって和平条約を結んだ。八〇四年のことだ。そのときジュザリアからレムヌを娶り、そしてクノンが生まれた。
(……そこに、恋愛っていう要素はあったのかな)
ジュザリア国王リボルガンの妹、レムヌ。既にリボルガンは壮年の息に達しているが、レムヌの方はといえば今年でまだ二十代の前半とのこと。アサシネア六世が五十すぎだから、それは明らかな政略結婚だった。
愛のない結婚。そんなものに価値があるのだろうか。自分のことを振り返る。確かにドネア姫は美しい女性ではあったが、自分の心はサマンのもとにある。それを振り切って政略結婚をすることなどできない。それがたとえ、グラン大陸を救う方策だとしてもだ。
(レムヌ妃が何を考えているのか、知りたい)
そう、歴史というものは、この世界に住む人間が織り成すドラマだ。その中でも大きな影響力を持つ人物の考えを是非とも知りたい。それはこのグラン大陸を救うための一つの有益な情報となるはずだ。
はたしてレムヌの心はどこにあるのか。アサシナか。ジュザリアか。それとも──?
「レムヌ妃のおなり!」
謁見の間とは別にある、王家の内殿に招かれたウィルザは、その広い客間でレムヌ妃と出会った。膝をつき、顔を伏せる。
「面を上げてくださいませ。あなたは我が子を救ってくださった恩人、そうせねばならないのは本来わらわの方なのですから」
穏やかな、優しい声が広間に通る。そうしてウィルザは顔を上げた。
そこにきらびやかな服飾を備えた、高貴な女性の姿があった。レムヌ妃。アサシネア六世の妻だ。
「アサシナへようこそ、お客人。お名前をお聞かせ願えますか」
まだ自分は名乗っていなかった。もし名乗ったら、三年前の王都襲撃の一味とされる可能性があったからだ。
「はい。ウィルザといいます」
「ウィルザ」
その名前をレムヌははっきりと言い、真剣な表情でウィルザを見つめる。そして、ふっと相貌が微笑みで崩れた。
「あなたがウィルザでしたか。初めにおしゃっていただければよかったのに」
「ぼくをご存知なのですか?」
「ええ。大神官ミジュアと、そして我が子クノンを二度にわたって助けていただき、ありがとうございました。国を代表して、御礼申し上げます」
「そんな、顔を上げてください。妃殿下がそのようなことをなさってはいけません」
慌てたウィルザに、レムヌは顔を上げてまた笑った。
「不思議な方ですね。わらわと会って萎縮するでもなく、反発するでもない。それでいて、わらわには王族として振舞ってよいとおっしゃる」
「当然ではありませんか。あなたはこの国のただ一人の王妃殿下なのですから」
「名ばかりです。私はただの、王位継承者の母であるにすぎません」
だが、その言葉の影には『自分こそが王位継承者の母』であるという自負が込められている。強い女性だ。
「そなたのことはミジュアより聞いております。アサシナに危機が訪れしとき、彼は再びこの地にやってくるだろう、と。すなわち、今がその時ということなのですね?」
聡明な女性だ。そして、自分のことを微塵も疑っていない。確かに、自分の子を二度に渡って救っているのだから、その力を高く評価しているのだろうが。
「ぼくが今回、クノン王子を救出できたのは単なる偶然です。それよりも、ぼくはもっと大きな災難からこの地を守りたいと思ってきました」
「もっと大きな災難。それは、国が傾くほどのと理解していいのですね」
「いえ、妃殿下。規模が違います。それでは足りません」
遠まわしに説明される言葉に、レムヌ妃が息をのむ。
「この大陸全てに渡って、と申されるのですか」
「はい。今年、このアサシナに降り注ぐ災厄は、そのまま大陸の崩壊につながるでしょう。ぼくが何よりも優先して考えているのは、この大陸を災厄から救うこと、それだけです。この大陸から人の姿がなくなるなんていう未来は、絶対に防がなければなりません」
レムヌ妃は頭を振った。信じられない、というのだろう。
「それにしても、クノン王子は健やかに成長されたようで、お喜び申し上げます」
話を変えると、少しレムヌも穏やかな顔になった。やはり自分の子を褒められるのは嬉しいらしい。
「ええ。それもウィルザ殿のおかげです」
「とんでもありません。アサシネア六世陛下とレムヌ妃が手塩にかけてお育てになったからこそです。ぼくはほんの少しだけお手伝いをしたにすぎません」
レムヌはまた複雑な表情に変わる。クノンのことを褒められるのは嬉しいが、それ以外の感情がそこに混ざっている。
「何か、ご心配ごとでもおありですか」
「いえ、そうではないのです。あの子が成長してくれるのは嬉しい。ですが、今日のように突然さらわれるということもあるのです。今までは未遂ですんでいましたが……」
それが心配の種だということらしい。
「たびたび起こっていることなのですか?」
「ええ。何故クノンがこのような目に」
「問題は何故ではなくて、誰、の方でしょう」
そう言葉を返すと、レムヌの目が鋭く細まる。
「そうですね。わらわもそれは分かっているのですが」
「相手が相手だけに、口を出すこともできないというところですか」
レムヌはくすりと笑った。
「そなたは本当に、未来をよく知っているようですね」
「いえ、クノン王子が狙われているということは本当に知りませんでした。ですから、ぼくが分かったのは単なる推理からです。クノン王子が亡くなって喜ぶ人間はたくさんいますけど、一番の利益をこうむる人が犯人だと考えるべきでしょう」
「ええ。いやなものです。身内で生々しいことを」
王弟、パラドック・デニケス。
そう。それが何よりも可能性が高い。クノンさえ死んでしまえば、病弱なアサシネア六世のこと、すぐに次の国王の座が手に入ると思っているに違いない。
「今や、陛下とパラドック殿下の確執は修復できないほどに亀裂が入っております。これを解決するには、一度大きく取り壊しをしなければならないでしょう」
「国王陛下は、パラドック殿下について何とおっしゃっているのですか」
「構うな、と。さすがにパラドック殿下でも、暴挙に出ることはしないだろうと達観しておられるのですが」
だが現実にクノンを襲い、命を奪おうとしている。
「レムヌ妃はどうされたいと考えておいでですか」
核心に近いことを切り出してみる。
「どうされたい、とは?」
「この国のこれからを考える時に、どのような政治体制であれば最もうまくいくのか、ということです」
それがかなり危険ラインに踏み込んでいることをウィルザは理解していた。だが、ここを確認しなければ他の行動が一切取れなくなる。ウィルザは覚悟を決めた。
第二十三話
光の宮
「ウィルザ殿。その言葉からわらわが類推することは二つあります」
「はい」
「一つは、パラドック殿下を亡き者にする、と。これはいいです。ですが、もしかしてウィルザ殿はもう一つのお考えに立ってわらわに質問をしておいでですか」
「といいますと」
「隠さなくてもよろしいでしょう。わらわも自分の立場は心得ている故。すなわち、パラドックが王権の簒奪に失敗、そして国王陛下も崩御されたとしたら、王位継承権者はクノンのみ。クノンが王となり、わらわが──ひいてはジュザリアが後ろからアサシナを操る。そんなことを考えておいでか」
ウィルザは答えない。答えられるはずがない。自分の質問にレムヌは鋭くくらいついてきた。さすがに王家の人間というべきだろうか。相手が隙を見せたところを的確についてくる。
「ですが、それがそなたの考えだというのなら、杞憂であると答えておきましょう」
「杞憂、ですか」
「ええ。勘違いをされては困ります。わらわは心の底から、国王アサシネア六世陛下を愛しておりますから」
さすがに、それにはウィルザも言葉を失くした。
親子ほどに年の差がある相手を臆面もなく『愛している』と言えるのは、並大抵の度胸ではない。
「政略結婚というわけではないのですか」
「世間では、ジュザリアがアサシナの圧力に屈して、わらわが人身御供のようなものとしてアサシナに嫁がせられたと思われているようですね」
くすくすとレムヌが笑う。そうしたところはもう、高貴な女性というのではなく、ただの一人の綺麗な女性でしかなかった。
「わらわは幼い頃から、アサシネア六世陛下、当時のデニケス将軍を恋い慕っていました。どちらかというと、わらわの方が格上で、将軍の方がただの一貴族という形でしたから、結婚などできるはずもありませんでした。降嫁することになりますから」
「はい」
「ですが、デニケス将軍が国王になられたと聞いて……わらわは兄上にアサシナと和平を結ぶことを提案しました。そして、わらわが両国の架け橋となるために、アサシネア六世陛下に嫁ぐと申し出たのです」
「そうだったのですか」
「ですから今ほどわらわは幸せなことはありません。愛する人との間に子供が生まれて、これほどの幸せを生涯味わうことになるとは思っておりませんでした。感謝します、ウィルザ殿」
「いえ」
そう答えながら、ウィルザは世界記に話しかける。
(今の話、嘘ではないのかな)
『本心だろうな。少なくとも私の記述の中に、レムヌ妃からアサシネア王への悪感情を感じる文はどこにもない』
(そうか)
なら、レムヌ妃は味方だ。
このグラン大陸を救うために、協力をしてもらわなければならない。
「では妃殿下。ぜひお願いがあります」
「なんなりと」
「この国を襲わんとする災厄から守るために、妃殿下の協力を賜りたいのです」
「無論です。この国のためならばわらわはどんなことでもしましょう」
「ありがとうございます。では、心してお聞きください」
ウィルザは礼をしてから説明した。レムヌも次の言葉を警戒して身構える。
「国王陛下が、暗殺される可能性があります」
それで表情は変わらなかった。その可能性が既に頭の中にあったからだろう。
「いつごろ、どのように」
「まだはっきりとは分かりません。ですが、マナミガルからの使者、カーリアにその暗殺の罪を着せるというシナリオだけが分かっています」
「他国の使者に国王を殺させ、次の国王が即位と同時にマナミガルに宣戦する……」
「そうなります。これだけは絶対に防がなければなりません。そうしなければマナミガルに被害が出るとか、アサシナが混乱するとか、そういう次元の話ではなくなります」
レムヌも与えられた情報を整理するように、しばし目を閉じた。そして次に目を開けるとウィルザに尋ねる。
「わらわは何をすればよろしいか」
「まず、ぼくを国王陛下にお引き合わせ願えますか。そうすれば、この国のこと、この大陸のことを話すことができると思います」
そう、アサシネア六世とはずっと話したいと思っていた。彼の打つ政策は、この大陸を守るために必要な政策そのものだった。
和平条約を結び、混乱を防いだ。
ガラマニアと姻戚関係を結ぼうとした。もっともこれは逆の結果をもたらすことになるので、ウィルザが機転をきかせて婚約を防いだが。
そして新王都の移転。被災地になる予定のアサシナ王都から最も離れた場所に人々を『避難』させた。そう、新王都、西域はもっとも交通の不便な場所。そのようなところにわざわざ人々を移動させたのは、将来この都で起こる災害から人々を救うため以外の理由はない。
「ぼくは、アサシネア六世陛下に会わなければいけないんです」
その思いは強くなるばかりだった。もしアサシネア六世に会って、この大陸の未来を話すことができたらと、ずっと思っていた。
「分かりました。今日にでもお引き合わせいたしましょう」
レムヌはそれほど引き合わせることに深い意義など感じていなかったのかもしれない。だが、これはウィルザにとってはこれ以上ないくらいに嬉しいことだった。
「ありがとうございます。感謝します」
「かまいません。それがこの大陸を救うことにつながるのならば、こちらの方がそなたに感謝せねばなりません」
「いつ、お会いすることができますか」
少しレムヌは考えて答える。
「おそらく今夜にでも。ウィルザ殿はお一人か?」
「あ、いえ。宿に仲間を待たせています」
「では、一度戻られるとよい。仲間も心配するでしょうから。こちらから迎えの使者を送ります」
「分かりました。ありがとうございます」
「その前に確認しておきたいのですが、国王陛下の暗殺は、それこそ明日明後日というわけではないのですね?」
確かに、このわずかな時間で暗殺がされたとしたら元も子もない。
(世界記)
『記録では五月。だが、君が動けば歴史も変わる。早まったとしてもおかしいことはない』
安心はできない、ということか。
「正直、安心はできません。常に護衛の騎士をつけておくことが必要かと」
「分かりました。そなたの言うことを信用しましょう。護衛には──」
「ミケーネバッハが適任だと思います」
そう、彼なら信頼がおける。世界記の記述の中でもっとも頼りになりそうな人物だ。
「騎士団長ミケーネか。分かった、そのように取り計らおう」
「ありがとうございます」
ウィルザは宿に戻ってくると、女性陣三人の冷ややかな視線を浴びた。こんなに遅くまでいったいどこに行っていたのか、という視線だ。
「遅くなってごめん。ちょっとこれから相談があるんだけど、いいかな」
そしてウィルザは三人のいる部屋に入って、声をひそめて話し出した。
「今日これから、アサシネア六世陛下に会う。そして、陛下が暗殺されるのを、絶対に防ぐ」
ウィルザはついに、アサシネア六世と対面する。
この国の、この大陸の未来が二人の間で話される。
そして四ヵ月後に迫った国王暗殺事件を防がなければならない。
ウィルザたちが取る手段とは──
「かしこまらずともよい。そなたとはこれから共に動かねばならぬのだからな」
次回、第二十四話。
『黒の夢』
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