王妃からウィルザの宿に人が派遣され、今晩王都の中の小さな居酒屋に来るようにという指示があった。
 城内ではなく城下で会うとはなかなか粋なことをする。それにしても国王といえば警備も厳重になるはずなのだが、大丈夫なのだろうか。
「今の六世陛下に変わられてから、アサシナは大きく変わりました」
 そう言うのはドネアだ。
「正直、私たちもアサシナのやり方には手を焼いていたのです。アサシネアイブスキ五世陛下は戦争と混乱を好まれる方でした。私たちはなんとしてでもアサシナを倒さなければならないと考えたのです。
「私たち、というのはつまり」
「はい。ガラマニアをはじめ、マナミガル、ジュザリアの三国連合軍です」
 それが八〇四年までの歴史。だがここに、デニケスというアサシナの将軍がクーデターを起こし、自ら皇帝となり、国を改革していった。諸外国とは手を結び、国内の治安に全力を注いだ。このままならば後生必ず名君と呼ばれる人物になるだろう。
「平和協定が結ばれてしまったために、兄は邪道盗賊衆を作ってアサシナ領内の治安を乱そうとしたのですが……」
「それもうまくいかなかった。というより、ここまでの六世の政治はことごとくアサシナ、そしてこのグラン大陸の未来を良い方向へ変化させている」
「はい。隣国としてはそれもまた脅威です。他国に牙を向く隣国は危険ですが、栄える隣国は脅威です」
 それが国を率いる者としての素直な考え方というものだろう。他国が栄えれば相対的に自国は衰える。隣国が栄えていくのを手放しで喜ぶ国は存在しない。
 そうして四人は指定された時間よりも三十分早く現地に到着した。本当に、どこにでもある粗末な居酒屋だった。こんな場末に本当に国王が来るのだろうか。
「今日は貸切だよ」
 壮年の人物が声をかけてくる。
「すみません。ぼくは今日ここで、人と待ち合わせをしているんです」
「名前は?」
「ウィルザといいます」
「ああ、そうでしたか。いらっしゃいませ。どうぞこちらへ」
 カウンタになっている席と、それから小上がりがある。店の主人はカウンタ席に案内した。
「いいのかい?」
「いいんじゃないかな。事情は伝わっているみたいだし」
 バーキュレアに尋ねられたが、あまり気にすることなくウィルザはその席につく。
「何にする?」
「いえ、もうお一人いらっしゃる予定ですので、その方が到着されるまで待ちますから」
「いえ、その方は多分遅れていらっしゃいます。多忙な方ですので」
 あえて名前を伏せて言う店の主人に、随分とつきあいがあるのだなと納得する。
「ですから、先に食事をとのことですので」
「そうでしたか」
 まあ、国王ともなれば朝から晩まで、下手をすると寝る暇もなく忙しく働いているのだろう。
「では、御厚意をお受けいたします。ぼくの連れの三人に料理をお願いします。ぼくはお茶だけで」
「お茶だけ?」
「はい。今日は、あまり食べるという気分ではありません。これから大切な話がありますから」
 ふむ、と主人は頷いて、丁寧な動作で茶を差し出した。
「お嬢さんがたは、何になさいます?」
「悪いけど、アタシは飲ませてもらうよ。大一つ。それから肉と魚」
 さすがは豪快なバーキュレアだ。注文に容赦がない。
「私はお酒はいりません。ウィルザ様と同じお茶をください。それから、軽く食べられるものを」
「あいよ。そっちは?」
 サマンはじっくりとメニューを見てから、一品ずつ注文を頼む。
 職人の動作で次々に料理が作られていく。目の前で作るので、その工程をゆっくりと見守る。さすがに手馴れたものだった。そうして次々に料理が出てくる。サマンもバーキュレアも、そしてドネアも舌鼓を打った。
「ほら、ウィルザも一口くらい食べたら」
 サマンが勧めるが、ウィルザは首を振った。
「国王陛下が忙しい時間を割いて来てくださるんだ。到着されるまでは食べないよ。あ、別にサマンに食べるなって言ってるわけじゃないからいいんだ。ただぼくは、陛下と話すにあたって心構えをしっかりとしておきたいだけだから」
 さすがに勧められたのを断られると、サマンとしても不愉快そうだった。それを見た店の主人がにこやかに笑う。
「お心構えはたいしたものですが、そんなに緊張していても話せるものも話せなくなりますよ」
 す、と主人は酢の物を差し出す。
「これは」
「通しみたいなものですが、滅多には作らないんですよ。この味が分からないようでしたら緊張しすぎてるってことです。ためしに食べてみてください」
 さすがにそこまで言われては引くわけにもいかない。ウィルザは何かの魚のマリネを口にする。
「──美味しい」
 素直に口に出る。それを聞いて主人も綻んだ。
「その素直さが大切ですよ。時にはリラックスして臨むことも大切だ」
 主人がまっすぐに自分を見つめてくる。
 そしてようやく、自分もその主人の顔をじっくりと見つめた。
「あ」
 思わず間抜けな声を上げてしまっていた。そしてただちに立ち上がり、その場に膝をつく。
「国王、陛下」
 えっ、と三人の女性が驚いて店の主人を見る。やれやれ、と主人は頬をかいた。
「よく分かったものだ。これでも変装は完璧なつもりだったのだが」
 表情を元に戻した主人──国王アサシネア六世に、一気に威厳が戻ってくる。
「そなたがウィルザか」
 既に壮年の国王が手を置く。もはや演技をする必要がないということなのだろう。
「もう料理はできておる。今日はゆっくりと話をしよう」
 そうだ。ここに並んでいる料理はすべて、国王が今目の前で作ったものだ。
「おそれおおいことです」
「気にせずともよい。これは余の唯一の道楽でな。ただ残念なことに誰も付き合ってくれるものがおらん」
 国王は大変残念な様子で言う。それを聞いたバーキュレアが改めて肉を口に運んだ。
「うまいね」
 バーキュレアは相手がエリュースだろうがドネアだろうがガイナスターだろうがアサシネア六世だろうが、自分のスタイルを変える気はさらさらない。
「国王より料理屋をやった方がいいんじゃないかい?」
 国王に対してタメ口をきくバーキュレアに、アサシネア六世は豪快に笑った。
「全くだ。余もそう思うぞ、戦士」
 どうやら国王はバーキュレアをいたく気にいったらしい。随分と気さくな王様だ。
「さあ、お主もいつまでそうしておる。席につけ。今日は話すことがたっぷりとあるのであろう?」
「はい」
 促されて席につく。それにしてもまさか、国王とこのような形で話をすることになろうとは。
 だが、いずれにしてもこれはチャンスだ。このグラン大陸の未来を話すには。
「実は、私は」
「この大陸を破滅から救うために動いている、と言いたいのだろう?」
 先手をうって国王が言う。
「そうです。では、陛下もその件についてはご存知でしたか」
「無論だ」
 国王もカウンターの向こうで椅子に座った。
「このアサシナ地下に眠るといわれる『ザの神の力』。それはグラン大陸を崩壊させるだけのエネルギーを持つものだ。あれが近い将来、暴走する」







第二十四話

黒の夢







「やはりご存知でしたか。何故この豊かな中原を捨てて、辺境の西域に王都を移すのか。それを考えた時に出てきた答は『陛下が王都から離れたがっている』という結論に達したのですが」
「ふ、未来が見えておるものはやはり目的が見えるようだの」
 来たる崩壊の日に、アサシナから溢れるエネルギーはまずアサシナをすべて消滅させるだろう。当然そこに住む民衆も同じだ。
 だが、西域ならば。王都から離れたところならば、たとえそのエネルギーの余波を受けたとしても、全滅は防げるのではないだろうか。
 それに。
「国民がいない方が、監視をするのに好都合だということもあります」
「優秀だな。カイザーのかわりに余の片腕として働いてほしいくらいだ」
「とんでもございません」
 丁寧に固辞する。さすがにガイナスターの誘いを蹴ってアサシネア六世に仕えたとしたら、あの友人が何を言うか分かったものではない。
「いずれにしても、未来のことを知る者は少ない。余の他には大神官ミジュアがうすうす気付いてはいるようだが」
「陛下も正確にいつ暴走が起こるかということをご存知ではいらっしゃらない」
「余は神ではないからな」
「ですが、神ならざるぼくはそれを知っています」
 国王は顔をしかめた。
「八二五年の末。地下のエネルギーが暴走し、グラン大陸は、消滅します」
「消滅、だと」
「はい。陛下が西域に民衆を移されるのは施政者として素晴らしい判断ではありますが、このグランにいる以上、災厄から逃れることはできません」
「ふむ……」
 さすがにそう言われると国王も表情が険しくなる。
 崩壊という未来から逃れるのは難しい。だが、それを回避することははたして不可能なのか。
「我が子、クノンの命を救ってくれた恩人よ。そなたはその未来を変えることができるのか?」
「未来は変えられます。そしてぼくは、その未来を変えるためにここにいるんです」
 はっきりとした口調に、国王が強く頷く。
「余も同じ考えだ。われわれはどうやら、この大陸を守るための同志ということだな」
「光栄です」
「かしこまらずともよい。そなたとはこれから共に動かねばならぬのだからな」
「ですが」
「それよりもだ」
 国王がその威厳のある表情に少し笑顔を見せた。
「他にまだ余に伝えることがあるのだろう? 我が弟のこととかな」
 先に仕掛けてきたか、とウィルザは身構える。
「ご存知でしたか」
「王妃から聞いた。というより、感づいていたことではあったがな。あれに婚姻をさせようとしたのも、隣国との関係を深める狙いと同時に、家庭を持てば無謀なこともしまいという狙いがあったからだ。すまなかったな、ドネア姫。アサシナの問題に、姫を巻き込む形となってしまった。だが、あなたが生きていてくれてよかった」
 ずっと黙っていたドネアが驚いてかしこまる。自分のことは気付かれていないと思っていたのだが。
「すみません、ご挨拶が遅れました、陛下」
「気になさらなくともよい。姫が病死されたと聞いて、都合が良すぎると思ったのは確かだ。ただ、まさかこうして出奔されて、しかもこのウィルザと一緒に行動しているとはさすがの余でも想像がつかないことではあったが」
「私はアサシナに嫁ぐことを敬遠したのではないのです、陛下」
 六世は首をかしげた。
「つまり、ドネア姫は暗殺される可能性があったということです、陛下」
 ウィルザが続けた。それを聞いた国王が驚いた様子を見せる。
「姫を殺して利益を得るものなど、この国にはおらぬぞ」
「そうです。この国という単位で考えるならば。ですが、個人の感情はそれとは別のところにあるものです」
 それを聞いて、何か思い当たるところがあるらしい。国王は頷くとため息をついた。
「この国はまだまだ、課題が山積みだな」
「そんなことはありません。多くの課題は陛下が取り除いてくれました。この王都アサシナから人がいなくなるだけで、災厄から民衆を守るのにどれだけ有効か」
「だが、災厄が一度起こればグランに住む者は助からぬのだろう?」
「その災厄の規模を王都アサシナ一つですませることが可能かもしれませんし、そもそもこの王都に人がいれば表立った動きができなくなります。非常にありがたいことです」
「そう言ってくれれば、余も少しは安心できるのだが」
 ふう、と大きく息をつく。
「余が間違えるわけにはいかぬのだ。未来のことが見えぬ余には、もっともよい選択を選び続けることはできぬ」
「陛下。ベストの選択は誰もできません。ならば、よりベターな方を選び続けていれば、それがベストです」
 ウィルザがかばうように言うと、国王は優しげに笑った。
「そなたは人の心がよく分かるらしい」
「ぼくに分かるのは、ほんの少しの未来だけです。だからこそ、ぼくは陛下にお会いしたかった。この大陸を良い方向へ導くために。ですから、陛下の暗殺だけは何があっても防がなければなりません」
 本題だ。国王も身を乗り出してくる。
「率直に聞こう。パラドックか?」
「はい。今のままの未来ですと、陛下を訪ねてくるカーリアというマナミガルの騎士、彼女に責任をなすりつけるものと思われます」
「そんな都合よくことを運ばせるわけにはゆかぬな。だが……」
 国王は顔をしかめる。
「残念なことだが、内国産業の発展を目指した余の政策とは相容れぬ者は正直多い。特に騎士団はな」
「騎士団……ですか」
「うむ。現在は余の腹心でもあるミケーネが団長なので騎士団全ての離反はありえぬ。だが、副団長のゼノビアは、あれはパラドックよりだ。そして騎士たちはゼノビア派の方が多くなっておるのが実情だ」
「最悪、騎士団が二つに分かれる」
「うむ……その時問題になるのは、態度を決めかねている騎士たちだ。何もしなければおそらくはパラドックにつくだろうな」
 ウィルザも納得がいったので、国王と二人で頭を悩ませる。
「ねえ、ウィルザ。どうして騎士はパラドックの見方をするの?」
「ああ、それは簡単なことだよ。西域、新都には騎士たちの家族がいるんだ。家族を捨ててまで自分の君主に仕えることができる人は少ないってこと」
 なるほど、とサマンは頷く。
「じゃあさ、家族をこっちに呼び戻せば──」
「そんな簡単な問題じゃない。それは陛下が王都移転を行うと言ったことに真っ向から対立する。一度決めたことを覆したら、もう陛下のおっしゃることなんて誰も聞かなくなる」
 うーん、とサマンがうなった。
「それじゃ、もっと早い方法があるよ」
 バーキュレアが言う。
「なんだい?」
「簡単なことさ。仕掛けられる前に、パラドックを先にやっちまうのさ」
 全員の動きが止まった。
 乱暴な意見だ。だが、確かにそれは一理ある。親玉さえ倒してしまえば、それですべては解決する。
 パラドックの暗殺予定は五月。それに対してまだ一月。新都までは急げば一ヶ月もかからない。馬を使えばもっと早く行ける。
「やられる前にやれ、か。確かに有効性の高い方法だ」
 国王が真剣に考える。もちろん、この王は決して暗愚な人物でもなければ、理想と現実を混同することもない。『イブスキの悲劇』でも分かるとおり、必要とあらば暗殺でもクーデターでも起こす。だがそれは、必要にせまられたときに限るというものであって、容認しているわけではない。
「現実問題、パラドック派って奴は、その後継ぎがいるわけじゃないんだろ? 壮年の陛下に子が生まれたパラドックが焦って事を起こそうとしている。アタシにはそう見えるけどね、違うのかい?」
 違わない。既に壮年となっていたアサシネア六世のもとにジュザリアの王妹が嫁いでくるということがパラドックにとっては想定外だったに違いない。
「レムヌは、余には出来すぎた后だ。こんな年上の余によく仕えてくれている」
「王妃はおっしゃっておりました。子供のころから陛下のことを愛していたと」
「余ですら出会ったことを忘れていたのだがな。人助けというのはしておくものだ」
 のろけるように笑う。そして、すぐに表情を戻した。
「ウィルザ殿。頼みがある」
「はい」
「このアサシナと、そしてグラン大陸のためだ」
「分かりました」
 無論、ここまで来てウィルザも否というつもりはない。
 困難な任務だ。だが、アサシネア六世と、このアサシナ、グランのためというのであれば、何の迷いがあろう。

「パラドックはぼくの手で、打ち倒してみせます」






 ──歴史が、動き始めた。







西域。そこは、ゲ神信仰の強い不毛の地。
人々の移転はほぼ完了し、既に街は活気を帯びている。
この地を訪れる者、そして歴史を動かそうとする者。
歴史は今、大きく変動の時を迎えようとしている。

「いつも未来を見ている横顔を、私は見てた」

次回、第二十五話。

『戦の前』







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