ウィルザはドネアを連れ、旅立つ前にアルルーナの館に寄った。
 パイプが不規則に連なっている機械仕掛けの部屋。自然と共にあるゲ神の恵みあふれるガラマニアで暮らしてきたドネアにはその館は異色すぎた。
「アルルーナ」
 呼びかけると、彼女の目が開く。
『お久しぶりです、というほどには時が移ってはいないようですね。ですが、歴史は随分変化したみたいですね。また会えて嬉しいです、私の友人、ウィルザ』
 会う回数を重ねるごとにアルルーナは饒舌になる。友人というものがいなかったアルルーナにとって、自分という存在は貴重なのだろう。
「ごめん。今日はあまり時間がないんだ」
『存じています。それでも友人の力になれるのは嬉しいこと。あなたに道を示しましょう』
「頼む」
 そう。ウィルザはそれこそすぐにでもガラマニアに行かなければならない。この戦争が始まる前に、ガラマニアの協力を取り付ける。そうしなければマナミガルもジュザリアも動かない。
『昨日の敵は今日の友。自分とは相容れないと思っている相手こそ、えてして味方になることがあるものです。誰が敵か味方かをしっかりと見極めなさい』
「誰が敵か味方か?」
『私に言えるのはそれだけです。私が示すことができるのは答ではなく、道。正しい道を歩めるかどうかは、人の業ですから』
「そうだね。何でも奇跡に頼ってちゃ駄目だ。未来は自分の手で勝ち取らないと」
 もちろんウィルザも最初からすべてアルルーナ任せにするつもりなど毛頭なかった。今の言い回しはいわば確認だ。そしてアルルーナもそれを確認させるためにわざとそういう言い方をしたのだろう。
『理解が早くて助かります』
「いや……それより、実はもう一つ、聞きたいことがあったんだ」
『なんでしょう』
「ぼくの選択が正しかったのかどうかということを」
 アルルーナとの間に妙な緊張が生まれる。ドネアは二人を見比べてはおろおろとしている。
『人は誰も、自分の運命に従って生きるもの。彼女には彼女にしかできない役目があり、あなたにはあなたにしかできない役目がある。彼女と再会できるかどうかは、神にすら分かりません。分かるのはきっと、歴史だけです』
 その言葉の意味を悟って、ウィルザは苦笑した。
「厳しいなあ、アルルーナは」
 積み重なる歴史だけが真実。つまり、未来にサマンと再会できるかどうかは、今のこの時をどのように生きるかということ、その積み重ねの結果として再会できるというのだ。
『そうでもありません。私は信じています。あなたが幸せになれる日を。どうかウィルザ、幸せに』
「アルルーナも。ぼくはアルルーナがこうして話してくれることがとても嬉しいんだから」
『ええ。その言葉だけで十分です。私は十分に幸せです』
 そして、アルルーナの体から反応が消えた。
 ふう、と一息つくと、後ろに控えていたドネアが話しかけてくる。
「今の、は」
 驚きで声を出すのも一苦労という様子だった。ゲ神の知識はあってもザ神の知識はやはり薄いようだ。
「人型天使アルルーナ。ぼくの数少ない友人だよ」
「それは分かりました。サマンさんと一緒にいらっしゃるウィルザ様はとても幸せそうですけど、アルルーナさんと話しているウィルザ様はなんていうのか、とても自然な様子でしたから」
「そうだね。一番気楽に話せる相手かもしれないな。いつもぼくの方ばかり迷惑をかけてしまっているから」
「でも、アルルーナさんもウィルザ様の役に立てるのが嬉しそうでした」
「うん。だからぼくも、彼女の数少ない話し相手としてしっかりしていたいと思う」
「それでいいと思います。アルルーナさんはウィルザ様と話せるということが嬉しいのだと思います」
 そう言ってくれると少しは肩の荷がおりる。本当に、会うたびに助言だけもらって、自分ばかりがアルルーナに頼っている気がするし、実際その通りなのだ。
「それじゃあ、行きましょうか、ドネア姫」
「はい」
 こうして、二人は旅立つ。
 ガラマニアへ。今度は、パートナーを変えて。






 夏のガラマニアはそれなりに暑い。
 冬になれば雪に閉ざされる土地でも、こうして夏は草花が育つ。とはいえ、中原を支配しているアサシナに比べて北の国なので、暑いといっても過ごしやすい気候であるのは間違いない。
 ガラマニアに戻ってきた二人は、ガイナスターに会うためにどうすればいいかということを考えた。何しろウィルザはドネアを連れて逃げた男で、いうなれば犯罪者だ。そしてドネアは国では既に亡くなった人物ということになっている。
 もっとも妹思いのガイナスターのこと、こっそりとドネアが会いにきたといえば、何をおいても来てくれるのは間違いない。ただ、大事になるのはまずい。ドネアの死を取り消すわけにはいかないのだ。
(アサシナに着いたときもそうだった。あのときはちょうどクノン王子に会って)
 そうやって偶然の出会いというものの積み重ねで自分はここまでやってきた。サマンに会えたことも、バーキュレアに会えたことも、クノンに会えたことも、全部が偶然の出来事だ。
(だが、ここで偶然を期待するわけにはいかない。未来は自分の手で勝ち取らないと)
 ガイナスターとの間を取り持つことができるのはきっと、ルウ。
 だが、アルルーナの言葉が引っかかっている。
『自分とは相容れないと思っている相手こそ、えてして味方になることがあるものです』
 それを考えたとき、このガラマニアでかつて敵だった人物など一人しか思い当たるところがない。
 だが、彼がはたして協力してくれるのか。彼こそ自分を亡き者にしようと企んではいないだろうか。
「よろしいですか、ウィルザ様」
 ドネアが控えめに尋ねてくる。
「どうしましたか」
「早急に兄に会うのでしたら、いい方法があります。兄の部下に取り次いでもらえばいいんです」
 やはり、そうなるのか。
 ウィルザは半ば予期していた。この国でガイナスターとルウを除けば、出てくる人物など限られている。
「タンド、かい?」
 尋ねると逆にドネアの方が驚いた表情を見せた。
「知っていたのですか」
「直接話したことはほとんどないけど、一応ね」
 だが、それが最善というのなら従おう。
 アルルーナの言った通りならば、タンドが自分の味方になってくれるというのだ。それならば、彼の力を有効に利用しよう。
「頼めるかい、ドネア」
「もちろんです」
 ドネアは優しい微笑を浮かべた。







第二十八話

友の声







 タンドの私邸に向かい、ドネアはタンドへの取次ぎを願った。するとあっさりと二人はその私邸に招き入れられた。ただ、タンド自体は宮廷で働いているので、すぐに帰ってくることはできないとのことだった。
「うまくいくものなんだな」
 本当に、自分はいつも人に助けられてばかりだ。自分一人では何もできない。この大陸を救うのは、この大陸に住む人間なのだということを強く感じさせられる。
「しばらく、お休みになってはどうですか」
 ドネアが勧めるので、そうしようかなと思った時だった。
 突然、ドアが大きく開かれる。
 そこに、いたのは。
「……兄上」
 ずかずかとガイナスターは入ってくると、やおらその妹を抱きしめる。
「あ、兄上」
「心配をかけさせやがって」
 普段、これほどにガイナスターが感情を見せることなどほとんどない。それだけ妹を心配していたのだということが分かる。おそらくタンドの部下から連絡がつくと同時に仕事を投げ捨ててやってきたのだろう。
「髪、切ったのか」
「はい」
「あの長い髪はきれいだったから残念だ。だが、今の髪もお前によく似合ってるぜ」
 兄の前で、少しドネアが恥じらう。
「それに──」
 にやり、と笑ったガイナスターがウィルザを見た。
「よくもまあ、おめおめと顔を見せにこれたもんだな、ウィルザ」
「ぼくもそう思うよ。でも、君の協力が必要なときは、ぼくは遠慮せずに来ることにしたから」
 やれやれだ、とガイナスターは肩をすくめた。
「俺の前から逃げ出したやつが、都合が悪くなると協力を頼むのか」
「それに関してはどれだけ謝っても許されないっていうのは分かってる。でも、君にも分かっているはずだ、ガイナスター。あの場にドネア姫がいたからこそ問題があった。いなくなったからこそ、ガラマニアとアサシナとの間に争いの起こる種はなくなった」
「そんなことが関係があるか。俺は必要だったものをあの時なくしたんだ。二つもな。その二つがこうして戻ってきてくれたのはありがたい。二度と手放さないから覚悟するんだな」
「ガイナスター、そのことで話がある」
「聞かないぜ。どうせお前の話だから、新旧アサシナの件だろう。この件については俺はもうどうするかを決めている。お前の考えは聞かない」
「いや、言わせてもらう。ガイナスター」
 ゆっくりと呼吸を整えて、ウィルザは言った。
「これは警告だ。ぼくはそのためにここに来たと言ってもいい。ぼくはアサシナ王の依頼で、ガラマニアに協力してもらうためにここにいる。でも、それはガイナスター、君にとってもその方がいいということが分かっているからだ」
「駄目だな。そんな言葉では動かされないぜ。お前が旧アサシナに協力しているというのは知っている。だが、だからこそ俺は旧アサシナを許すつもりはない。お前が旧アサシナにいるのなら旧アサシナを潰す。新アサシナにいるなら新アサシナを潰す。お前が帰ってこられる場所がガラマニアしかなくなるまで、な」
 これは、すさまじいまでのプロポーズだ。
 そこまで自分がガイナスターに気に入られる理由が分からないが、それでもこの男にそこまで気に入ってもらえたのは素直に嬉しい。
 自分も、何もしがらみがなければこの男の友人として傍にいて活動したいのだ。
「ガイナスター。君は、ぼくを手に入れるかどうかしか考えていないから、自分の身の回りがおろそかになっている」
「何を言っても──」
「警告だ、と言った。ガイナスター、君がもしも新アサシナに協力したなら、間違いなくルウが死ぬことになる。ぼくは、それを避けたい」
 ──はったり、だった。
 だが、自分がある程度未来を知っているというのはガイナスターも知っている。その言葉にはドネアも驚いていたが、自分の言葉を真実ととったのかどうか、何も言わなかった。
「脅迫か」
「違うよ。未来の事実だ。別に協力しなかったからといって、ぼくやアサシナ王が暗殺するなんて思わないでくれ。ただ、君が新アサシナに協力するとルウの身が危険なんだ」
「昔の女でも、心配はするってか。余計なお世話だ」
 だが、ガイナスターはそれでも意見を変えない。
「未来がどうなっていようが俺には関係ない。未来なんか、俺の手で変えてやる」
 強い、強い言葉だった。その言葉に思わず感動する。
(やっぱり、君はガイナスターなんだな)
 友人としてこれほど誇らしいことはない。そして、最後の戦いの時も、グラン大陸の未来のために、彼の協力が得られればこれほど心強いことはない。
 だが問題は、今この場をどうするかなのだ。
「ウィルザ。はっきり言っておくぜ。俺が旧アサシナに協力するなら、条件はたった一つだ」
「聞こう」
「簡単だ。去年言ったことを実行してくれるだけでいい。お前がドネアと結婚してこの国に残る。俺の傍にな。それを約束するなら、俺は今すぐ新アサシナに宣戦布告し、軍を出してもかまわない」
 ウィルザは言葉を失った。
 その条件を予め考えておくべきだった。いや、考えていたとしても結局は同じだろう。
 自分はドネアとは一緒になれない。自分にはサマンがいる。
「ガイナスター。ぼくがこの国に残ることは了承できるけど、ドネア姫とは」
「駄目だ。そうしないとお前はまたどこかに行くからな。俺の傍にいろ。必ずだ。ドネアはそのための鎖だ」
「兄上。私は物ではありません」
「分かってるさ。お前の幸せのことを考えるなら、この男以上にいい嫁ぎ先などない」
「ガイナスター」
 一度、確認しておいた方がいいだろう。さすがにこれは、やりすぎだ。自分とガイナスターが会った回数など、それほど数えるほどしかないのだから。
「ぼくのどこに、そんなに価値を求めているんだい?」
 未来を知る能力だろうか。それとも他に理由があるのか。
「人間に惚れるときなんて理由なんかねえよ。ただ、理由を言うとすれば、お前だけだったからだな。いや、ルウもそうか」
「何がだい?」
「俺を国王でも盗賊でもない、一人の人間として見たのは、お前とルウだけだ。だから俺も一人の人間として、お前に傍にいてほしいんだ」
 確かにこれはプロポーズだ。ルウに結婚を申し込むときも、ガイナスターはこんな風に情熱的に迫ったのだろうか。
「ありがとう、ガイナスター。それだけぼくを評価してくれるのは嬉しい。それに、君と一緒にいたいのはぼくも同じだ」
「それができない理由は?」
 言外の含みを理解したガイナスターが続きを促す。
「まず、ぼくにはサマンがいる。それが一つ」
「そいつも一緒にいればいいだろ」
 そういうことを認められる辺りがガイナスターだ。ウィルザは苦笑する。
「もう一つ。ぼくはアサシナの騎士にも、ガラマニアの騎士にもなれない。ぼくはこのグラン大陸を守るための、グランの騎士だから」
「グランの騎士」
 ガイナスターはじっとウィルザを見て笑う。
「なるほどな、言いたいことは分かった」
「ガイナスター。じゃあ」
「駄目だ」
 だが、ガイナスターの言葉は冷たい。
「お前が俺の妹と結婚しない限り、俺は旧アサシナに攻め込む。何があっても俺は俺の意見を変えない。絶対にだ」







意地をはるガイナスター。世界と恋人との間で悩むウィルザ。
歴史を動かすのは人。その人とのかかわりが、ウィルザの未来を決める。
結婚を拒否するウィルザに、仮面の男が接近する。
この歴史の流れの先に、いったい何があるというのだろうか。

「ようし、揃ってるな。今日は吉報だ」

次回、第二十九話。

『夏の雨』







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