話は完全に平行線だった。
 このガラマニアに留まる分にはかまわないというウィルザに対し、妹と結婚しなければ認めないというガイナスター。どこまでいっても平行線だった。
 確かに、大陸のことを考えるのなら、ドネアと結婚してこの国に留まる方がいいのだろう。だが、自分にはサマンがいる。彼女を捨ててまでドネアと結婚などできない。
(どうすればいい?)
 あてがわれた部屋で一人悩む。それほど長い時間をここでかけることはできない。何しろガイナスターは旧アサシナに攻め込む気を変えないのだ。このままでは旧アサシナは前後から挟撃されて終わりだ。
 うまく解決できる方法はない。サマンか世界か、ウィルザは天秤にかけられたのだ。となれば、自分の役目から、選ぶのはどちらか決まっている。
 サマンとは共にいることはできるが、世界を滅ぼすことはできない。
 その答になることは分かっている。分かりきっている。だが──自分にはそれができない。
 自分の感情と世界の未来。
 優先すべきことは分かっている。分かっているのに。
「くそっ!」
 それもこれも、すべては過去に自分がしてきたことのツケだ。
 確かに自分はガイナスターの傍から離れた。それは仕方のないことだった。ガイナスターもそれをよく分かっているが──自分を手元に置くという行為に執着するようになってしまった。
 過去は変えられない。変えられるのは未来だけ。
 ならば、どうする。
 考えがまとまらずにいると、とんとん、と扉をノックする音が聞こえ、返事をする前に開いた。
 そこにいたのは──予想もしない相手だった。
「タンド」
 彼にはあまりいい記憶がない。最初に襲われたのもこの男なら、ガイナスターと行動するようになってからも常に警戒されていた。そうした過去の積み重ねが、彼との間に確執を産むようになってしまっている。
「お互い、あまり長く話したいとは思っていない。用件は手短に言おう」
 タンドは少し早めの口調で言った。本当に、一緒にいたくないという様子だ。
「姫様との結婚は、やめてもらいたい」
 そんなことは言われるまでもないことだが、それをこの男が言うことがよく分からない。
「理由は?」
「最初にお前を見たときから分かっていた。お前が我らにもたらすのは繁栄と混乱。事実、お前が来るたびにこの王宮は混乱が生じる」
「繁栄は?」
「確かにアサシナとの戦いを回避できたのはいいことだ。だが、姫様は公式に死亡したことになったのだ」
 まさに繁栄と混乱の両方を招いたということだ。
「姫様は気丈なお方。この一年、どれほどの苦労をしたとしても弱音を吐くことはなかっただろう。だが、貴様のせいで姫様は余計な苦労を背負うことになった」
「それは分かっている。だがタンド、君は説得する相手を間違っている。ぼくとドネア姫を結婚させたがっているのはガイナスターであって、ぼくじゃない」
「だからお前に話をしているのだ」
 顔をしかめる。どうやら、この状況を打開する方法があるらしい。
『自分とは相容れないと思っている相手こそ、えてして味方になることがあるものです』
 そのとき、ふとアルルーナの言葉が思い出された。確かにこの状況では、利害の一致さえ起これば、相容れない相手でも味方になることもある。
「何かいい方法があるっていうことか」
「察しがいいな。だが、お前がガイナスター陛下のもとにとどまるということが条件だ。それさえ呑めば、結婚せずとも旧アサシナへの攻撃をやめ、新アサシナに攻撃することもできよう」
「それは?」
「ガイナスター陛下が何故結婚にこだわるかを考えてみるがいい。要するに陛下は貴様と、義兄弟になりたいのだ。貴様との確かな絆を欲しがっているのだ」
 それはまた、何というか。
 いつもながら光栄なことだが、別にドネアのことがない方が自分はガイナスターの傍にいやすいというのに。
「陛下はお前が他に行く場所があるから自分のところに落ち着いてくれないと考えている。だから他の国をすべて滅ぼそうとしている」
「なんて無駄な」
「だがそれだけのものをお前に感じているのだ。陛下のご気性は他の者では止められん」
「ぼくはガイナスターの抑制役かい?」
「私が貴様に唯一期待するのはそれだけだ」
 だがそうなると、疑問が生じる。
「タンド。君はぼくがこの王宮にいることを望まないんじゃないのか?」
 相手の考えが読めない。いったい何を考えているのかを明らかにしなければ、いずれ罠に落ちるかもしれない。
「そうだ。だが、陛下のことを考えると、今は貴様がいた方がいい」
「なら、ドネアと結婚すればそれが一番早いはずだ。なんでそれをとめるんだ?」
「姫様は、貴様のような奴には相応しくないのだ」
 かなり気分を害したようにタンドが言う。
「君はドネア姫のことを?」
「無論だ。だが、姫様をお慕いしているのは私に限らず、このガラマニアの民、全てがそうだ。そして、その誰もが姫様に幸せな婚姻を望んでおられた。その希望をガラマニアから貴様が取り上げた」
「それは悪いと思っている。だが、そこまでドネア姫のことを思っているのなら──」
「そのような不遜なことは考えぬ。それに、私ではあまりに不釣合いだ。貴様以上にありえぬことよ」
 ふふ、と笑ってタンドはその仮面を脱ぐ。
 その下に出てきた彼の素顔は、醜く焼け爛れたものだった。
 それを見てウィルザは「なるほど」と思った。確かにこれではコンプレックスになるのも仕方のないことだ。同時に、どんな女性でも退くだろう。タンドはそうした夢を永遠に閉ざしているのだ。
「驚かぬのか」
「驚いているさ。でも、わざわざ仮面をつけるっていうくらいだから理由はあると思っていた。なるほどなって納得しただけだよ」
「私の顔を見てうろたえぬのは貴様で三人目だ」
「それがガイナスターとドネア姫?」
「そうだ。だから私にとっては、お二人はこの命以上に大切な存在」
 再びタンドは仮面をつける。
「陛下と初めて会ったときの言葉を今でも思い出せる。ガイナスター陛下は馬上から私を見下ろして言ったのだ──『醜いな』と」
 随分と厳しい台詞だ。もちろん続きがあるのだろうが。
「で、ガイナスターに惹かれたのはどうしてだい?」
「その後の言葉で『その顔でも俺についてくれば豊かな暮らしをさせてやるが、どうする』と尋ねられた」
「……随分とはっきり言うんだな」
「誰も私の顔を見れば、はっきりとものを言うことはできなくなる。だが、私の顔を見て、なおかつ私の力を正当に評価してくださったのはガイナスター陛下ただお一人。最初こそ反感を覚えたものの、他の人間と同じ、いやそれ以上に気遣ってくださる陛下に、私は心から忠誠を誓っている」
「じゃあ、ドネア姫は?」
 タンドは少し沈黙して答えた。
「姫様は、私の顔を見たとき、悲しそうな顔をされた。少しもたじろぐという様子はなかった。そして、手を伸ばして私の顔に触れて言ったのだ──『痛くはないのですか』と」
 確かに気丈だ。見るだけでも恐怖を覚えるのに、相手の一番の傷に触れて、なおかつ相手のことを気遣うことができるのだ。
「だからこそ私はあのお二人に心から忠誠を誓うのだ」
「分かったよ、タンド。ぼくだって、ガイナスターとドネア姫のことは大切な存在だ」
 ウィルザはしっかりと頷く。
「君のことが聞けてよかった。今まではただ憎んでいたけれど、これからはそうしなくてもよさそうだ」
「私は今でも貴様のことを気に入っていない。貴様が私をどう思おうとかまわんが、私になれなれしくするな。今回はあくまで、お互いの利害が一致しただけのことだ」
「分かった。でも、タンド」
 仮面の下に光る両目をしっかりと見ていった。
「ぼくも、君の友人になれるのなら、嬉しい」
「……ふん」
 タンドは鼻を鳴らして出ていった。
 とにかく今は彼に任せれば大丈夫なのだろう。どういう結果になるかは分からないが、うまくまとめてくれることを願おう。
 そう考えると、急激に睡魔が襲ってきた。目が覚めたときに事態がどう変化しているのかが楽しみだった。







第二十九話

夏の雨







 翌朝。
 タンドから「準備が整った」と連絡を受け、謁見の間の脇にある控え室に入る。そこには正装したガイナスターやルウ、それにドネアもいた。
(ドネア姫の偽葬を発表するのか?)
 いずれにしても、ここまでやっておいて結婚もないだろう。にやにやと笑っているガイナスターが近づいてきて、自分の肩をぽんと叩いた。
「お前、まだ今日のこと何も聞いてないんだな?」
「ああ。タンドが全部お膳立てしてくれるって話だったけど」
「そうだ。安心しろ。もうお前にドネアと結婚しろなんて言わねえよ。ただまあ、残念だがな。ドネアにしてみれば、お前と結婚するのが一番幸せだ」
「兄上」
 釘が刺される。ガイナスターは肩をすくめた。
「ただまあ、覚悟はしてもらうぜ」
「何をどう覚悟すればいいのかは分からないけど、君の傍にいることについては問題ない」
「それを聞いて安心した」
 ガイナスターは不敵に笑う。いったい何を考えているのか。
 見ればルウとドネアも顔を見合わせて笑っている。いったい自分で何をしようとしているのか。
「それじゃ、お前は後で入ってこい。面白いことになるからな」
 そしてガイナスターとルウは控え室から謁見の間へ向かう。そこには既に何十人もの重臣たちが揃っているようだった。
(ぼくやドネアをそこで披露するつもりか。自分の部下として迎えるとでも言うつもりかな)
 さすがに宰相とか大将軍とかであれば自分も驚くだろう。だがまさか、国のことについては人一倍シビアなガイナスターが、新参者にそれほどの大役を与えるはずがない。
「ガイナスター陛下のおなり!」
 声がして、謁見の間に入る二人。それを後ろから見守るウィルザ。
「ようし、揃ってるな。今日は吉報だ」
 そしてやおら、寵臣たちの前で、ガイナスターは王妃のルウを片腕で抱き寄せた。
「俺の妻は、結婚するにあたって俺に一つの願い事をしていた。それがこのたび叶ったんで、お前達に報告しておく。自分で言うか、ルウ?」
「はい、陛下」
 ガイナスターの腕から解かれたルウが毅然とした表情で宣言した。

「実は、私には幼い時に、生き別れた兄がいたのです」

 ──やりすぎだ、ガイナスター。
 控え室でウィルザは頭を抱えた。いや、この計画を練ったのはガイナスターではない。タンドの方だ。振り返ってみると、ドネアはくすくす笑っていて、タンドは平然としている。
「何を不満そうにしている。陛下の傍にいると言ったのは貴様だろう」
「だからって何、まさかとは思うけど、ぼくが、ルウの兄!?」
「それ以外の話に聞こえるのなら、貴様の耳は無用だ。取ってしまえ」
 ふん、とタンドは仮面の顔を背ける。やられた。完全にやられた。
 そうこうしている間にも、ルウの話は続いていく。
「兄が見つかり、昨夜、兄はここに到着されました。色々ありましたが、再会をかなえてくださった陛下には感謝の言葉もありません」
「その、ルウの兄を紹介するぜ。入ってきな」
 もう、どうにでもなれ。
 ウィルザは覚悟を決めて入っていく。何十人もの視線が自分に集まる。できるだけ毅然とした態度で歩む。
「紹介するぜ。俺の義兄──ま、俺より年下だからそんな感じはしないけどな。俺の義兄弟、ウィルザだ。おい、何か一言頼むぜ」
 まったく、それなら事前に準備の一つもさせてくれ。
 ウィルザは誰にも気付かれないように小さく息をついて、宣言した。
「はじめまして。ぼくがルウ王妃陛下の兄にあたる、ウィルザというものです。生き別れて、ずっと探していた妹に再会させていただけて、国王陛下には感謝しております」
 ふっ、とガイナスターが笑う。ルウも笑顔だ。後で二人には絶対やり返してやらないといけない、とウィルザは心に誓う。
「旅の中で、ルウという名の少女が、ガラマニアの王妃となったことを聞きました。まさかとは思いましたが、他にあてもなかった旅、確認がてら立ち寄っただけだったのですが。本当に、このようなめぐり合わせを感謝するばかりです。ガイナスター陛下。妹があなたにお仕えするのですから、兄の私もあなたの臣となり、この身果てるまで陛下にお仕えいたします」
 礼をしながら心の中で舌を出す。仲の良い振りなど絶対にしてやるものか。他に見ている人がいる限り、自分は絶対ガイナスターに敬語を使い続けてやる。
「というわけだ。俺の義兄をよろしく頼むぜ、お前ら」
『はっ!』
 一斉に応答する武官、文官たち。ガイナスターという圧倒的なカリスマの下、ガラマニアは確実に力を増しているということが分かる一幕だった。

「それからもう一人、お前たちに紹介しておく人間がいる。このウィルザが旅の途中、新アサシナ王国で見つけたという、一人の女のことだ」

 頭痛がした。
 本当に、全く、このガイナスターとタンドの台本は、どこまでもうまくできている。
「その女はこのガラマニアから誘拐され、新アサシナのパラドックという男のところに拉致されていた。パラドックがどういうつもりでそんなことをしたかはしらねえが、いい度胸だというべきだろうな。そいつはお前らも知っている相手だ」
 ざわざわ、と官僚たちがざわめく。
「その女が脱走しようとしたとき、たまたま助けたのがこのウィルザだ。ウィルザはその女をわざわざこのガラマニアまで連れてきてくれた──入ってこい。遠慮はいらねえ」
 そして、ドネアが登場する。おおっ、というどよめきの声が謁見の間に広がる。
「知ってると思うが、俺の妹ドネアだ。誘拐されて行方不明になり、その相手もなんとなく分かっていたが、証拠もなしにアサシナに喧嘩を売ることもできねえ。やむなく俺は、ドネアが病死したと発表するしかなかった。パラドックの考えていることは分かっていた。あの時期、ドネアはパラドックから婚姻を申し込まれていた。そのドネアを誘拐すれば、どうしてガラマニアはパラドックの言い分をきかねえのかっていう口実で攻め込むことができる。全ては仕組まれていた。だから俺はそうせざるをえなかった。その上、ドネアが誘拐された証拠ばかり残っていたもんだから、ていのいい人質になっちまったしな」
 誰にも気付かれないように、ガイナスターはちらりとウィルザを流し目で見た。もしかして証拠とは自分の置手紙のことだろうか。だとしたら随分と楽しい冗談だ。
「だが、ウィルザがドネアを連れて戻ってきてくれた。ドネア、今回パラドックにさらわれたのは間違いねえんだな?」
「はい。監禁され、長い間、人の顔を見ることもできませんでした」
「どうやって逃げ出したんだ?」
「監禁されていた場所をしらみつぶしに調査していたら隠し通路がありました。多分、監禁していた方もそんなものがあるとは知らなかったのでしょう。私はすぐにそこから逃げ出しました。ですが、街に出たところですぐに兵士に見つかってしまいました」
「それでどうなった?」
「偶然通りかかったウィルザ様が、その兵士たちを倒して私を助けてくださいました。そして一緒に新アサシナから逃げ出したのです。その際、ウィルザ様には妹がいること、そしてその妹の名前がルウという名前であることを聞きまして、もしかすると義姉上のことではないかと思い、宮廷までお連れしたのです」
 なんだろう、このあまりにも出来すぎなストーリーは。
 笑いをこらえるのに必至だった。まったく、こういった面白いことは先に言ってくれなければ耐えるのが難しい。
「そういうわけだ。分かってるな、お前ら。俺の妹を拉致監禁しやがったゲスは、この世に生かしちゃおけねえ──戦争だ! 新旧アサシナの戦いに介入する! 俺の妹をさらったパラドックの首を持ってこい!」
 おおおおおっ! と雄叫びが上がる。そして武官たちから我先にと謁見の間を出ていく。自分の部隊の編成に取り掛かるのだろう。
「ガイナスター」
 誰にも聞こえないようにこっそりと呟く。
「何だ」
「やりすぎ」
 その一言に、ガイナスターは大きな声で笑った。







新旧アサシナの戦いは苛烈を極めた。
新アサシナ軍のゼノビア、旧アサシナ軍のミケーネ。兵力差は十倍。
その兵力差を補っていたのは、ドルークの援軍。
義勇兵を率いていたのは若い、赤毛の女性だった。

「みんな、絶対に新アサシナ軍を抑えこもう!」

次回、第三十話。

『死の森』







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