ガラマニア軍急襲の報は、主力を欠く新アサシナ王国を強く動揺させた。
軍を指揮するゼノビアがいないのに、ガラマニアの本隊が突如目の前に現れたのだ。これで動揺しないはずがない。
こうなると新王国軍はもろかった。ただちに内部分裂が起こり、城門が開かれた。開いたのはカイザーだった。
カイザーは『パラドックに脅されてやむなく協力した』と言い、内側から門を開くことができたのは『パラドックが行方不明になった』ということだった。
「どういうことだと思う、ウィルザ?」
そう言われても、さすがにパラドックの所在地まで完璧に抑えているわけではない。
行方をくらましたというのならそれでもいい。だが、まだ何かを企んでいるのだとすれば放置することはできない。
「ぼくには分からないけど、今は治安を維持するのが大事だ。兵士には略奪の類は一切禁止して都市に入ろう」
「そうだな。これからこの土地を治めるにせよそうでないにせよ、民衆から不平を言われたらたまらないからな」
というわけで、ガラマニア軍は規律正しく、民間に一人の死傷者も出さずに入城した。さすがにこの辺りはガイナスターの部下たちだ。上からの指示には絶対服従だ。
(でも、六世陛下は首都移転をやめないだろう。ガラマニアには何をもって報いればいいんだろうな)
西域のように未開地域でもガラマニアにとってありがたいというのなら差し出せばいい。だが、この土地はアサシナの重要地であり、八二五年の災厄から逃れる唯一の地なのだ。
ならば中央平原を差し出すか。それもできない。あの地は災厄を最も強く受ける場所。ガラマニアのためにもそれはできない。
となると謝礼として金を出すくらいしかないが、半端な金額ではガイナスターが納得するはずがないだろう。
(ぼくがうまく立ち回らないと、アサシナとガラマニアの間に軋轢を産むことになる。それだけは避けないとな)
戦争をしたがっているのはあくまでガラマニアであり、アサシナは常に守勢の国だ。それは、現国王アサシネア六世が他国との間での戦争を回避し、共存共栄を考えていることが一番の理由だ。
「おいウィルザ。何を考え込んでいやがる」
ガイナスターの質問に我に返る。
「いや、たいしたことじゃないよ。それよりカイザーの件だけど」
「ああ。だが、何の理由もないのに殺すことはできねえな。少なくとも旧アサシナの協力で俺たちは来たんだからな」
「うん。でも、生かしておくと絶対にためにならない。ぼくにも、ガイナスターにも」
「分かってる」
ガイナスターもその辺りで手を抜くつもりはない。
カイザーはおそらく、パラドックによって命令されるがままに行動したと言うつもりだろう。だが、そうさせてはならない。カイザーに自由に発言させたら釈放の機会を与えることになる。
「よし。カイザーは捕らえて牢に入れておけ。後で俺が自ら尋問する」
それでいい。そして二度と会わなければいい。それが最も理想的な状況だ。
「あとはパラドックか。奴め、どこに隠れやがった」
確かにそれが最も気になる点だ。ここまでくればあとは首魁のパラドックをおさえれば全てが終わるのだ。
「ガイナスター様」
うっそうとした声が響く。気付けばいつの間にかタンドが後ろに控えていた。
「どうした」
「マナミガル軍、到着しました」
「ほう、早かったな。一日の差か」
ガイナスターが笑った。無論、先についているからこそ、余裕をもって笑えるのだろう。
マナミガル軍の到着が遅れたのは、来る途中で新アサシナの別働隊と交戦したからだ。逆にそのせいで王都の守りはゼロに近い状態になったともいえる。ガラマニアは漁夫の利を得たようなものだ。
「マナミガルの将に会ってくるよ」
ウィルザが言うと「任せるぜ」と軽くガイナスターは答えた。
マナミガルの将はおそらくカーリアが率いているのだろう。ほんの数ヶ月前に来賓として訪れたばかりのカーリアが、今度はそこを攻め落としに来たのだから、歴史というのはなかなかに面白い。
そして以前はこっそりと会わなければならない相手だったが、今回はお互いの軍を代表するという形で堂々と会うことができる。
「カーリア」
マナミガル軍は城の外に駐留し、カーリアだけが城内にやってきていた。
「まさかあなたがガラマニア軍にいるとは思わなかったわ。以前も?」
彼女が言っているのはこの新都でこっそり会ったときもガラマニア軍の一員として動いていたのかどうか、ということだろう。
「いや、あの時はまだ。今は新アサシナとガラマニアを協力させないためにガイナスターに協力している」
カーリアは自分の言うことであれば、ほぼ無制限に信頼してくれている。そう、と呟いた彼女は肩をすくめた。
「まさかガラマニアまで動くとは思っていなかったから」
「でもマナミガルが新都に残っていた兵をひきつけてくれたから、ガラマニアは素早く城を落とすことができた。ガイナスターはどうか分からないけど、ぼくは感謝してるよ」
そして二人の間で素早く情報共有が行われる。マナミガルの動き、ガラマニアの動きがそれぞれ頭の中に入っていく。
「問題はパラドックの行方というわけね。でも、それなら割と想像がつくけど」
カーリアがあっさりと言うので逆にウィルザは驚く。
「どこだい?」
「簡単よ。新旧アサシナの戦いで空白となった旧アサシナ。そこでアサシネア六世とクノン王子を暗殺し、デニケス王家唯一の生き残りとなれば、新アサシナ存続の道が残る。
「だとしたら、パラドックはもう数日前には」
ガラマニアの介入が発覚した時点でパラドックはこの都市を捨てた。そして旧アサシナのアサシネア六世を倒すことだけを考えて旧アサシナに向かった。それが数日前だとしたら。
「急がないと、六世が危ない」
「ええ。私も協力するわ。軍は部下に任せればいいし、アサシネア六世と会うのが私の役目だから」
「カーリアがいてくれると心強いよ」
ウィルザは笑った。あとはガイナスターの許可を得て、旧アサシナに向かうだけだ。
八〇九年の戦いも、いよいよ最終局面に入っていた。
第三十一話
ザの神
八〇九年、冬。旧アサシナ。
既に人の気配がまるでしないこの町に二人は到着した。そしてすぐに王城へ向かう。
はたしてパラドックよりも早かったのか、そうでないのか。
急いで謁見の間にかけつける──
「陛下!」
扉を開けると、その玉座に六世が座っていた。
胸を、剣で貫かれた六世が。
「……!」
遅かった。
パラドックは一足先にここまで来て、六世を暗殺した。
「陛下!」
かけよってその手に触れる──まだ、少しだけ温もりが残っていた。
となると、殺害してからの時間はそれほど経っているわけではない。
「クノン王子を保護しないと」
ウィルザが言うとカーリアも頷く。そして宮廷の奥へと向かう。
そこで、交戦する何人かの姿があった。新旧アサシナの兵士たちだ。
「クノン王子には指一本触れさせない!」
ウィルザとカーリアが剣を持って踊り込む。そして新アサシナの兵士達をなぎ倒していった。
「王子は無事か?」
見知っている旧アサシナの兵士に尋ねると「この部屋の中です」という答があり、そこに飛び込んでいく。
「クノン王子!」
王子はまだ無事だった。ウィルザの姿を見た王子が明らかに安堵した顔を見せる。だが、すぐにその幼い王子の顔が泣き顔に戻る。
「父上が」
どうやら、王子は知っているようだった。既に国王陛下がなくなられているということを。
ウィルザは正面から王子の視線を受け止める。かける言葉などない。ただ、その傍に近づいて、そっと王子を抱きしめるとその頭を撫でた。
かすかに自分の胸の中で、嗚咽が漏れる。
「王子はぼくが必ず守ります。絶対にこの部屋から出ないでください」
ウィルザがそう言って再び部屋の外に出る。そこに、新アサシナの新手がやってきていた。
「よし、王子をお守りするぞ!」
ウィルザが号令をかけると、旧アサシナ軍が俄然盛り上がる。そして、さらなる戦闘が開始された。
ウィルザもカーリアも次々に敵を倒していくが、いかんせん数が多い。いつまで経っても終わらない戦闘に二人とも疲労が見える。もっとも、それより以前から戦っている旧アサシナの兵士たちにとってはさらに辛い状況だっただろう。
救いの神は、そんな折に現れた。
「全く、情けないねえ。正面突破だけが戦いじゃないだろ」
その新アサシナ兵の後ろから銃が放たれる。次々に倒れていく新アサシナの兵士たち。
相手を全滅させたその人物は、バーキュレアだった。
「レア!」
カーリアが喜びの声を上げる。
「待たせたね。これで新アサシナの兵士たちはほとんど殲滅したはずだよ。それに、ウィルザに届け物だ」
「ぼくに?」
ウィルザが顔をしかめると、バーキュレアの後ろから一人の女性が姿を現す。
無論、その女性は。
「サマン!」
「ウィルザ!」
二人は戦場だということも忘れて駆け寄り、そして──強く、抱きしめあった。
「会いたかった、ウィルザ」
「ぼくもだ。良かった、無事で。本当に」
「ウィルザならきっとこっちに来るだろうと思って駆けつけたの。話さなきゃいけないことがたくさんあるわ。でも、今は先にすることがある」
二人の顔はキスまで五センチという、非常に近い距離にあった。だが、その感動的な再会も、未来を見据える二人にとってはいつまでもその余韻にひたれるようなものではなかった。
「パラドックは地下に向かったわ。エネルギーの解放を考えているんだと思う。もしくは、その神の力を利用しようとしているのかも」
それは絶対に防がなければならない。相変わらずの情報収集力にウィルザはサマンを頼もしく思った。
「ありがとう。行くぞ、サマン」
「もちろん。バーキュレアも協力してくれるって」
「おや、すっかりあたしたちは忘れられてるかと思ってたよ」
「そうね。お熱くてよろしいことだと思いますけど」
バーキュレアとカーリアがそれぞれに皮肉を言う。二人は笑って、ゆっくりと離れた。
「行くぞ」
ウィルザの声に三人が頷く。そして王都の地下へと向かった。
新アサシナの兵士が守っているかと思ったがそうでもない。パラドックの後を四人はひたすら追いかける。
王都の地下は深く、奈落まで続いているかのようだった。
そして、その地下の祭壇に、騎士たちと、そしてひときわ身分の高そうな男がいる。
その男こそ、パラドック・デニケス。
「目覚めの時は来た!」
兄王を殺し、そしてこのアサシナを、そして世界を支配しようという男。
「秘められたるザの神よ! 我が前に姿を現せ! そして──」
「パラドック!」
ウィルザが叫ぶ。儀式を中断させられたパラドックが振り返る。
「何者だ」
一瞬、パラドックの目がカーリアに向けられる。カーリアだけがこの中ではパラドックと面識がある。そのためだろうが、あえてパラドックはカーリアには尋ねなかった。
このメンバーを率いているのが彼女ではなく、ウィルザだということに気付いたからだろう。
「ぼくらのことなんかどうでもいいだろう。パラドック、貴様、陛下を殺したな」
「ああ。この手でな」
パラドックが笑う。
「兄上にザ神の王の力を渡すわけにはいかなかったからな」
「何?」
「ふん、もはやこれまでよ。殺すなら殺すがいい。ただで死ぬつもりはないがな! さあ騎士たちよ、こいつらを始末しろ!」
一斉に騎士たちが動く。だが、サマンの放つ銃がその動きを止めた。カーリアとバーキュレアが剣で切り込むと、騎士たちも剣を装備しなおしてくる。二人は背中を合わせて背後を取られないようにする。
「やっぱり、あなたが後ろにいてくれると安心できるわね」
カーリアが言うと、バーキュレアは鼻で笑った。
「こっちの台詞さ」
そして、二人が動く。迫る騎士たちを相手に息の合う動きで次々に斬り倒していく。
その間に、ウィルザはパラドックに迫っていた。
「お前は何が望みなんだ」
「望み、だと?」
パラドックは笑って答えた。
「兄上の犬に、私の考えなど分かるまい!」
パラドックは銃を乱射してくる。そして、
「クーロンゼロ!」
全ての生命を凍てつかせる氷の魔法。だが、ウィルザはその直撃を受けてもなお耐えた。
(相容れない、か)
そして、魔法の威力が弱まった瞬間を狙って、一気に駆け出す。
「パラドック!」
パラドックの懐に飛び込み、剣が閃く。
その、彼の体から鮮血が舞った。
「ぐう……あにう、え……」
そして、その体が崩れ落ちる。その様子を見た騎士たちも、次第に戦いをやめていった。
「倒したの?」
サマンが尋ねてくる。
「ああ。何とかね。これでもう、新旧アサシナの問題は大丈夫」
「よかった」
サマンが安堵した様子を見せる。だが、事はそう簡単ではない。
アサシネア六世が亡くなり、そしてアサシナがこれから他国との折衝に入らなければいけない。課題は山積みだ。
(でもこれで、大陸の崩壊は少しだけ食い止められたかな)
そうでなければウィルザのしてきたことは意味がない。そうであってほしいと願いながら、ウィルザは倒れたパラドックを見つめていた。
世界滅亡まで、あと十五年。
一つの区切りがつき、そして新たな問題が発生するまでしばしの猶予を得た。
人脈を築き、世界を守るための準備を整えはしたが、これから何をなせばいいのか。
戦後の外交交渉を終えたウィルザは、最後にレムヌ妃と話す。
その話は、彼の未来にどのような影響を与えるのだろうか。
「愛していたのです。二回りも歳の差があるあの方を、私は間違いなく愛していたのです」
次回、第三十二話。
『一つの区切り』
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