年が明けて八一〇年。
旧アサシナに協力したガラマニア軍、マナミガル・ジュザリア連合軍が王都アサシナへとやってくる。一足先に到着していたウィルザたちがそれを迎えるという形になった。
「やれやれ。まさか国王が死ぬとはな。まあ、俺たちガラマニアにとっちゃ悪くねえが」
あてがわれた部屋で、ガイナスターとウィルザが二人きりで話し合っていた。サマンもタンドも立ち入らせなかった。それだけ重要な話をするつもりなのだ。
「この国、どうなる?」
ガイナスターは直球で尋ねてきた。その方が話がしやすいからウィルザとしては助かるのだが。
「クノン王子が国王になり、カイザーかエルダスあたりが摂政になると思う。でも、実権を握るのはレムヌ妃殿下だ」
「あのいけすかねえ女か。国王も食えない男だったが、王妃は輪をかけてまずい」
意外な評価だった。アサシネア六世ほど近隣諸国に対して恐れられている人物もいないと思っていたのだが。
「ガラマニアにとってはそんなにまずいのかい?」
「まあな。ちっ、今回協力したのだって、足元見られておしまいにならねえだろうな」
どうやら以前に外交でやり込められたことがあるようだ。それだけ外交手腕に秀でているということだ。
それもそのはず、彼女はジュザリア出身でアサシナとジュザリアとの関係を良化し、国内でもその影響力を高めた人物だ。政治力は非常に高いといわざるをえない。
「ガイナスターは何を要求するつもりなんだい?」
「王都移転をするんだったら、この中央平原をいただくさ。それが妥当ってやつだろ」
確かに誰もいない土地ならばガラマニアが有効利用するだろう。それこそ穀倉地帯としては非常に豊かな土地なのだ。それが手に入るだけでもガラマニアにとっては国力が全く異なる。
だが、この土地はよくない。何しろ八二五年の崩壊はこの王都から始まるのだから。だが、それを言ってもガイナスターは認めようとはしないだろう。
(土地を出せないのなら、お金か何かで変えるしかないけれど)
そのお金といってもアサシナも無限にあるわけではない。没収するパラドックの私財だけではとうていまかなえないだろう。
(アサシナの国力を弱めずにガラマニアを納得させる理由か。これは難しいだろうな)
だが、ウィルザの考えはこの後、大きく外れることになる。
レムヌ妃は二月にアサシナに戻ってきた。
ガイナスターをして警戒させる王妃は、国王崩御の悲しみすら全く見せず、ただちに各国との交渉に入った。
ジュザリア、マナミガルは結局到着が遅れた。だからこそ金銭的な援助も実費の他、それほどかかるわけではない。だが、ガラマニアは事情が異なる。アサシナ平原での戦いの勝利もガラマニアが背後をおびやかしたためであり、さらには新都まで落としているのだ。
交渉の席に、ウィルザはガイナスターの隣に座った。この場でどう立ち回るか、最後までレムヌ妃と相談することはできなかった。どうすればいいのかと悩んでいたところ、最初にレムヌ妃が頭を下げてきた。
「このたびはガラマニアの援助、まことにありがとうございました。国を代表して御礼申し上げます」
だがガイナスターは威勢よく鼻を鳴らす。
「そんな形式ばったことはやめようぜ。ガラマニアはあんたらに恩を着せて取れるだけのものを取るつもりで来たんだ。さっさと始めようぜ」
「分かりました。ではその前に」
レムヌ妃はにっこりとウィルザに微笑みかけてきた。
「ウィルザ。ガラマニアをよく動かしてくれました。今回のそなたの働きを重く評価します。さあ、戻ってきなさい」
ガイナスターの顔色が変わった。と同時にウィルザが内心、なるほど、とうなずく。
レムヌ妃の考えが読めたのだ。
「何ふざけたこと言ってやがる。ウィルザはガラマニアの臣だ。本人もそう言っている」
「ガラマニア王。六世陛下はウィルザにどのようなことをしてもガラマニアを動かせと命じました。つまり、それはガラマニアを動かすための方便にすぎません。ウィルザはもともとアサシナの臣。大変残念ではありましょうが、お返しいただきます」
レムヌも強気の様子だ。だがガイナスターとて負けてはいない。
「こっちの国じゃ、ウィルザは俺の義兄ということになってるんでな。今さら返すわけにはいかねえよ」
「それはそこもとのお国の事情でしょう。パラドックの乱から復興するためにはウィルザの力は我が国にこそ必要です」
ガイナスターが鋭く舌打ちしてウィルザをにらむ。レムヌと何を裏取引した、といわんばかりの形相だ。
「おいウィルザ。お前からも言ってやれ。自分がガラマニアに仕える代わりにガラマニアはアサシナを援助したんだってな」
「なるほど。では、ガラマニアの望みはウィルザ一人、と。こういうわけですか」
しまった、とガイナスターの顔色が変わる。
レムヌは、ガイナスターがウィルザに執着していることを承知の上で、あえてそれを取り上げようとしたのだ。正当な領有権がアサシナにあるとみせて。そして、ウィルザ一人をガラマニアに『譲る』ことで、それ以外の『謝礼』を可能な限り少なくしようとしているのだ。
さすがに、ガイナスターをして警戒させるだけのことはある。
「ウィルザよ。そなたはどうなのです。アサシナに来るか、ガラマニアに行くか」
「妃殿下。ガイナスター陛下はぼく一人がガラマニアに来ることで、今回のアサシナ遠征を承知してくださったのです。ならば、ぼくはこのままガラマニアにとどまって、両国の掛け橋となることが望ましいと思います」
「おい、勝手に話を」
「ですがそれではガイナスター陛下も国に対して顔向けができないというもの。せめて、今回の遠征費用、そして兵士たちへの報償をお願いしたいと思います。あと可能でしたら、今回ガラマニアの遠征に報いるということで、今後五年間の食料援助をお願いできれば幸いです」
「勝手に──」
「なるほど。それは両国にとって魅力的なお話です」
実際、戦争にかかる費用をアサシナが負担するのは避けられないところだ。それ以上の負担がないというのであれば、アサシナにとっては何も問題はない。それ以上にかかる負担が食料援助だけというのなら願ったりだろう。そもそもアサシナは食料自給率が百%を上回っているのだから、余剰分をガラマニアに支援すればすむ。
しかも五年の間はガラマニアも食料援助を受けるためにアサシナとは戦いをしなくなるだろう。これは条約こそ結ばないものの、事実上の休戦協定を結んだに等しい。
「それでいいですよね、ガイナスター陛下。そのかわりぼくは絶対に、陛下を裏切るようなことはしませんから」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
ガイナスターが机を大きく叩く。最後に「勝手にしやがれ!」と捨て台詞を残して先に出ていってしまった。
その後残った二人は思わず吹き出していた。
「お見事です、妃殿下」
「いえ。ウィルザ殿がわらわの考えをよく酌んでくれたおかげです。ありがとうございます」
「こちらこそすみませんでした。六世陛下の命令でガラマニアに行ったとはいえ、勝手に主従となってしまいまして」
「気にすることはありません。そなたがいてくれたからこそアサシナは助かり、そして今またガラマニアとの間に大切な絆が生まれました。全てそなたのおかげです」
「おそれおおいです」
ふう、と一息つく。すると、王妃の顔に翳りが生まれ、そして瞳は虚空を見つめていた。
(当然、もう六世陛下が亡くなったことは知っているんだよな)
早馬が出ていたし、何より誰かが伝えているに決まっている。そうでなければレムヌ妃が自らガイナスターと会おうとはしないだろう。
「ウィルザ殿。少し、話に付き合ってくれますか」
「ぼくでよければ」
「聞いてくれるだけでいいのです。少し、昔語りになりますが」
そして、王妃は語り始めた。
それは、王妃と、六世陛下の出会いの物語だった。
第三十二話
一つの区切り
ウィルザが部屋に戻ってくるとかしまし三人娘が談笑していた。カーリアにバーキュレアにサマン。気付けば三人は大の仲良しという様子だ。もちろんサマンが少し年少になるが、姉二人が妹を可愛がっているような、そんな雰囲気だ。
「お、サマンの恋人のお帰りだ」
「だからバーキュレア、からかわないでよって言ってるでしょ」
「気にしないでいいわよ、サマン。レアは自分が恋人いないものだから、やっかんでるだけなんだから」
「リア? あんただってカレシいない歴何年だったっけ?」
本当に、三人よればかしましいとはよく言ったもので、自分が声をかける隙間もない。ようやく発言が許されたのは、サマンが話を促してきてからだった。
「それで、これからどうするか決めたの?」
「ああ。ガラマニアに行くよ。ひとまずはね」
そう。これから先のことを考えるためにも、ゆっくりと考える場所は必要だった。それには本当は、この王都にいることが一番望ましい。何故ならここにはアルルーナがいるので、聞きたい事をすぐに聞けるという利点がある。
だが、自分はガイナスターに協力するということを決めてしまっている。ならばガラマニアに行くことは避けられない。あとは頃合を見て、世界を守るためにあちこち出かければいいだけのことだ。
「もちろんあたしも行くよ。かまわないだろうね」
バーキュレアが言うとカーリアが少し寂しそうな表情を見せた。
「でも、マナミガルは」
「まあ、私もリアと一緒にいるのは楽しいんだけれどね。でも、傭兵が今必要なのはガラマニアであり、特にあんたたちだろ?」
それは否定しない。バーキュレアのような非常に優秀な戦士に協力してもらえればこれほど心強いことはない。
「それにあたしの雇い主はドネア姫だからね。何の許可もなく勝手にマナミガルには行けないさ」
そういえばそうだったな、とウィルザは納得する。こう見えてバーキュレアはかなり義理堅い。自分が気に入った相手のことなら全力で守ろうとするし、契約を結べばたとえ相手がそれをどう思っていようと必ず遂行する。
「いっそリアもガラマニアに来られれば早いんだけど、それはまあ無理か」
「ごめんね、レア」
カーリアは残念そうに苦笑する。
「それで、ガラマニアに行ってどうするの?」
サマンが尋ねるとウィルザも首をかしげた。
世界記を見れば、これからしばらくの間は大きな事件は起こらない。今年、来年とゆっくりとした時間を過ごせるだろう。
だがその間に、八一二年以降の問題をあらかた片付けなければならない。事件は火種のうちに消す。それがウィルザの基本方針だ。
アサシナで食糧不足、豪族の反乱。局地的な問題ではあるが、放置しておけば多くの民が亡くなることは明らかだ。これを放置するわけにはいかない。
そして八一三年。アサシネア・イブスキが新都にやってくる。
(パラドックの件が片付いたら、今度はイブスキか)
だが、今年くらいはゆっくりとできそうだ。来年には動かなければ問題が大きくなるだろうが、今はまだ充分に時間もあるだろう。
「ガラマニアに行く前に、ミジュア大神官とミケーネにも挨拶しないとな」
人脈は多ければ多いほどいい。それがこの数年間にウィルザが学んだ知恵であった。
それは、七九三年のこと。
各国が入り乱れて戦争を繰り返していた時期だった。ジュザリアもアサシナと何度も戦火を交えた。その頃からジュザリアは後ろ盾にマナミガルを考えるようになっていた。
当時、ジュザリア王宮は現在の場所とは違い、もっとアサシナ寄りの場所にあった。そこにアサシネア五世の軍が攻め込んだ。
当時のジュザリア王が捕らえられたが、王子リボルガンは何とか戦火を逃れ、現在のジュザリア王宮のある都市まで逃げ延びることができた。だが、妹姫は王と共に捕らえられた。
この時、ジュザリアに侵攻した時の将軍の一人だったのが、デニケスだった。
アサシネア五世の信頼厚い当時の総大将が戦争と殺戮を好むのに反して、デニケスは余計な殺戮を好まなかった。敵国の王家の者は必ず殺せという命令が出るやいなや、デニケスは素早くレムヌ王女を保護した。
当初、レムヌはその自分を捕らえた将軍を激しく憎んでいた。自分の国に攻め込まれたのだから当然だろう。
だが、そのレムヌをかくまっていることを上官に知られた。しかも、その上官はこともあろうに、当時わずか十歳かそこらのレムヌに襲いかかったのだ。レムヌは激しく抵抗したが、大人と子供、男と女だ。力の差は歴然としていた。
そこを助けたのが、デニケスだった。彼は有無を言わさずその首を一刀で刎ねた。そして、深くレムヌに謝罪したのだ。
そして彼女を逃がした。信頼できる部下をつけて、ジュザリアまで護衛させたのだ。
上官を殺した罪を問われることはなかった。占領地の民衆への暴行は軍が厳しく禁じているところ。デニケスは正々堂々と、軍規を正したとして押し通したのだ。
自分の上官を殺すということが、どれだけの勇気のいることか。それを王女である彼女はよく分かっていた。命をかけて自分を守ってくれたのだということが分かっていた。
それから十年以上も会うことはかなわなかった。そしてアサシネア六世が内乱で倒れたとき、新王として即位したのがデニケスだと知ったとき。
彼女は、幼い時の気持ちを確かめるために、婚姻を申し出たのだ。
「恋愛とは異なるのかもしれません。それは単なる憧れだったのかもしれません。ですが」
話していくうちに、レムヌの目からは涙がとめどなく流れていた。
「愛していたのです。二回りも歳の差があるあの方を、私は間違いなく愛していたのです」
世界滅亡まで、あと十四年。
束の間の休息の時を得たウィルザ。だが、歴史は確実に動く。
未来は変えられる。その信念のもとで動く彼に一つの難題が立ちふさがる。
ウィルザとサマン。二人の関係に、新たな要素が加わる。
そして、一つの可能性が、彼の中に生じようとしていた。
「じゃ、いつにする?」
次回、第三十三話。
『いつか来る未来』
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