八一一年。春。
 来年はアサシナにて豪族の反乱と大凶作の年だ。そのための活動をウィルザはもちろん怠ってはいない。
 もともとガラマニアは土地がやせているので、品種改良の技術は進んでいる。大神官ミジュアにはからい、来年のために凶作に強い品種を送ることを既に言い交わしていた。
 また、豪族についても予めミケーネに伝達し、不穏な動きがあると勧告。これで来年の問題はほぼ片付いた。世界記も『問題なし』と答えたので、それでいいのだろう。
 ただ、気になっていることが一つだけあった。
 ケイン。
 パラドックとの戦いの中でいなくなったあの男。また何かを企んでいるのだろうか。そして次は何をしようとしているのか。
 おそらくケインの目的は、歴史の通りに『世界を破滅させること』なのだろう。だとすれば自分で空になったアサシナに向かえばいい。そしてザ神の力を解放すれば事足りる。そうしないのは、他に理由があるからなのだろう。
 無論、この少ない情報の中でケインの目的を理解することはできない。そのためにはもっと情報がほしい。
 ただ、ガラマニアやアサシナで手に入る知識はほぼ全て手に入った。それこそ、この世界のもっと根本的な、仕組みにかかわる知識がほしい。
 そう、例えば。
(ザ神とゲ神。この二つの神はどのようにして生まれ、そして何故争っているのか。アサシナの地下に眠るザ神の力とは何なのか。そういう、神に関する知識だ)
 その知識はどこにいけば手に入るのか。ミジュアに聞いても納得のいく答は手に入らなかった。このグラン大陸で一番の知識人でそうなのだから、もはや方法はない。
「何か、お悩みですか?」
 庭でずっと考え込んでいると、ドネア姫が声をかけてきた。
 姫はガラマニアに戻ってきてから一層綺麗になった。いくつかの旅と困難を乗り越えて精神的にたくましくなったことがその理由なのだろう。ただ、その姫に見合うだけの男性がいないことが残念だった。
「まあ、少し。姫はどうされましたか」
「私はウィルザ様を探していたのです」
「ぼくを?」
 姫から話があるというのは決して珍しいことではないが、多いというわけでもない。まあ、サマンとドネアの仲がいいので、けっこう顔を見合わせることが多く、姫から訪ねてくるだけの必要性がなかったというだけのことだが。
「何かご相談でも?」
「はい。私の友人について少しお話が」
 無論、姫の友人など一人しかいない。だが、サマンと言わずに友人と言った。その言葉の使い方が、相談の内容が真剣であるということをうかがわせる。
「うかがいましょう」
「はい。では、お尋ねします」
 姫は、一呼吸おいてから尋ねた。
「サマンさんと、ご結婚される予定はおありですか?」
 耳を疑った。
 今、姫は何と言ったのだろうか。結婚と言ったのか。サマンと。ぼくが。
「あの、姫」
「サマンさんと話していると、ウィルザ様のことばかりです。どれだけその気持ちを大切にされているかがよく伝わってきます。そしてウィルザ様も間違いなくサマンさんのことを愛しておられる。それなのに二人が結ばれないのは、私からしてみると、もどかしく」
 非難している目だった。ずっと恋人気分で一緒にいるのは確かだが。
「姫。それはぼくとサマンとの話です」
 自分たちの関係を誰かに伝えるのはあまりよくない。自分は八二五年にはいなくなる。それなのに、結婚という枷で相手を縛りたくはない。
 ただ、その年まで一緒にいるとなると、もう彼女にとって新しい人生というのも難しいだろう。
(サマンは好きだ。でも、だからといってどうするという答が出てこないのもな)
 ガラマニアに来るとどうしてこうサマンの話になるのだろうか。特にドネアが熱心に自分たちをくっつけようとしてくる。
「サマンさんもそうおっしゃいました。ですが、回りにいる者は納得しません」
「ぼくたちの問題はぼくたちで解決します」
「なりません。サマンさんのお立場がとても危ういということがお分かりですか」
「はい?」
「あなたは陛下にとって義理の兄。それも陛下にとって唯一ともいえるご友人です。それを宮廷はよく分かっています。ですから、自分の娘をあなたと結婚させて権勢を拡大しようと考えている貴族たちは十ではきかないのです」
 突然ふってわいた問題に、ウィルザは目を丸くする。
「……そんな話は聞いてないよ」
「兄上のところで差し止めているからです。でも、あなたとの結婚が止められているのは、サマンさんがいるせいだと考えている貴族はやはりいるのです。手っ取り早く自分の考えを実行に移すとしたら方法は簡単です。サマンさんを亡き者にすればいい」
 体の中が熱くなる。
 もしそんなことになったら自分はどうすればいいのだろうか。既に自分は精神の大半をサマンに預けている。依存している、と言ってもいい。彼女がいなくなれば、この世界で活動することすら自分はできないかもしれない。それくらい大切なのに。
「もしそうなったとしてもウィルザ様と結ばれるのは無理でしょうけど、それでも彼らは彼らの都合で動きます。ウィルザ様の都合は考えません」
「だからさっさとサマンと結婚しろって?」
「そうです。奥方となれば、サマンさんはガラマニア王家に連なる者となり、それに刃を向けるのは不敬罪です。ですが、今の立場はただの王家への協力者。しかももともとは盗賊。宮廷に盗賊がいるのを見過ごせなかったといわれれば、兄上は罰することはできないでしょう」
 守るために結婚する。そういう方法もあるのか、とウィルザは納得する。確かに効果的ではあるが、それでも納得がいかない。
「ウィルザ様」
 ドネアの鋭い視線がウィルザを抉る。
「つまらないことにこだわって、最も大切なものを失うことだけは、避けた方がいいと思います」
 だが、ウィルザの考えを先読みしたようにドネアが言う。どこまでも自分はこの女性にはかなわないものらしい。
「それに、ウィルザ様とサマンさんが結婚されてくれれば、私にとっては素敵な義姉ができることになりますし」
「ぼくもガイナスターより年下の義兄だけど、サマンも姫にとっては年下ですね」
「そうですね。でも、年齢は関係ありません。私は彼女と姉妹になれることが嬉しいのですから」
 やれやれ、とウィルザはぼやく。だが悪い気はしない。
(もし結婚するとしたら、リザーラさんにも連絡しないとなあ)
 ただ、結婚するとなるとサマンをこのガラマニア王宮に迎えることになる。それこそ、この世界から自分がいなくなった後もだ。それをサマンはどう考えるだろうか。
(自分たちの立場について、ゆっくり考えた方がいいんだろうな)
 今日にでもサマンと相談してみよう、とウィルザは考えた。







第三十三話

いつか来る未来







「じゃ、いつにする?」
 それを相談したとき、サマンはあっさりとそう言った。拍子抜けだった。
 自分の立場を考え込むでもない。かといって結婚するということに感動するでもない。
 ただ事務的な作業と割り切っているようなサマンに、正直ウィルザの方がうろたえる。
「いつって……あのさ、サマン」
「うん。分かってる。それがあたしのためだっていうのも理解したし、あなたがあと一五年もすればいなくなるのも分かってる。でも、それはもうあたしの中ではとっくに決まってることだったから、どうでもいいもの」
「どうでも、って」
「ウィルザがいなくなる事実は変わらない。それは分かってる。だからあたしは、あたしのためにウィルザと一緒にいる。そう決めた。そう決めてた。ずうっと前からね」
 それだけすらすらと言葉に出せるということは、よほどそのことを真剣に今まで考えてきたのだろう。もっとサマンのことを真剣に考えるべきだった、と反省する。
「でも、そうなるとぼくがいなくなったあと、サマンはどうするつもりなんだい?」
「だから、うん、ちょうどよかった。ウィルザにお願いがあったの。聞いてくれる?」
 この流れなのだから、未来のことに関することなのは間違いない。
「もちろん、サマンの頼みでぼくにできることなら何でもするけど」
「うん。あたしね、ウィルザの子供が欲しいの」
 今度こそ、ウィルザは言葉を失った。
「こ、子供……って」
「ウィルザは薄情にもあたしを置いていなくなっちゃうんでしょ? だったらせめてウィルザがこの世界にいた証を残していってほしい。あたし、それで後悔なんかしたりしない。一生に一度の恋だもの、死ぬまでウィルザが好きでいたい。だから、ウィルザの子供がほしいの。ウィルザがこの世界にいるうちに」
 自分だって、好きでこの世界からいなくなるわけではない。だが、それを言っても仕方のないことだ。それを自分以上に考えているのは間違いなく、置いていかれる側のサマンなのだから。
「次にこの世界に大きな問題が起きるのはいつごろ?」
「えっと、八一三年の冬ごろ」
「じゃあ、その前には体調を整えておかないといけないから、来年の春には産んで、八一三年の冬には一歳ちょっとか。うん、姫様やみんなに子供を託して、あたしも一緒にウィルザと行けるよね」
 そうしてようやく笑った。冷静に話しているように見えて、どうやら彼女は相当緊張していたようだ。
「しまった」
 ウィルザは思わず呟いていた。サマンが「どうしたの?」と尋ねる。
「こんな展開になるんだったら、もっと気のきいたプロポーズの言葉を考えておくんだった」
 サマンが吹き出す。まあ、自分たちの関係は普通とは違う。だからプロポーズなんていうものをサマンも期待していなかったし、自分も頭にはなかった。
 だが、自分はこの世界の人間ではなくても、サマンはごく普通の人間なのだ。当然、プロポーズを受けて嬉しくないはずがない。
「ふふ、ウィルザからのプロポーズか。それはぜひとも、聞いてみたいな。ねえ、今からでもいいから、言って」
 どき、と心臓が動く。
 もうすぐ二十になるサマンは、最初に会ったときから大きく成長した。美しくなった。
 参った、と降参するしかなかった。自分はあれからたいした成長していないのに、サマンばかりがどんどん美しくなる。
「サマン」
 意を決して言うと、サマンの方も緊張して身構える。
「知っての通り、ぼくはずっとこの世界にいられるわけじゃない。死ぬまで一緒に、なんていう言葉は間違っても言えない。でも」
 言葉は素直に出てきた。自分の今の気持ちがそのまま言葉になった。
「この世界で、君と出会えてよかった。ぼくはたとえ何があっても、生涯君だけを愛すると誓う。だから、ぼくと結婚してください」
 その真摯な態度に、サマンが顔を真っ赤にして答えた。
「……まいったなあ」
 サマンは何故かぼやいた。ウィルザが不思議そうに彼女の顔を見つめる。
「会ったときから、ウィルザばっかりカッコよくなって、あたしが全然追いつかないんだもん」
 それを聞いて、ウィルザは思わず吹き出していた。
「何で笑うのよ」
「笑うよ。だって、たった今、ぼくも同じことを考えていたから」
 その言葉の意味が分かって、サマンは顔を崩した。
「あたしたちって、似たもの同士なのかな」
「そうかもね。ぼくは、自分の隣にいる人が君でよかったと、心から思うよ」
「それはあたしも。ウィルザと会えてよかった。感謝してる。だから」
 すう、とサマンは息を吸い込む。
「──はい。私は、ウィルザと結婚します」






 式は大急ぎで行われることになった。
 来年の春に産みたい、というサマンの言葉を尊重するならば、夏には式をあげなければ遅い。
 ガラマニアは冷涼な気候であるため、食べ物が傷んでしまうことが少ないため夏でも問題はないのだが、それでも夏の盛りに式を挙げるのはよくないし、準備も整わない。
 そういうわけで、初秋に結婚式を挙げることとなり、多方面にその使者が出た。
 ガラマニア王の義兄が結婚する。
 それは国内にとどまらず、国外にまで波紋を及ぼすこととなる。
 マナミガルのカーリアはただちに『結婚式には必ず出席させていただきます』との返礼が届いた。
 アサシナのクノン王からも祝辞が届き、当日はミケーネを代理で行かせると添えられていた。これはクノン本人も行きたいが、立場上そうすることができないというものだろう。そしてミケーネ自身も参加したいと思っているに違いない。
 そしてドルークのリザーラからも祝辞が届く。結婚式前後は、イライの神官を東部自治区に駐留させ、何があっても式には参加するといきまいているらしい。
 夏。
 ウィルザはガイナスターやサマンに『半月くらい出かけてくる』と言い残してガラマニアを発つ。
 どうしても結婚の前に会いたかった相手がいたのだ。
『彼女』に会うにはどうしてもこちらから出向く必要がある。夏ならば馬を飛ばせば五日もかからない。問題はない、と判断した上でのことだ。
 彼がやってきたのは、廃墟となった旧アサシナだった。
 無論、会いたい相手はたった一人だけ。
「アルルーナ」
 パイプだらけの部屋に、ひとり残された彼女。もはや彼女に神託を受けにくる者はいない。すべての人間がこの街を去っても、彼女ひとりはこの街に取り残された。
『今度こそ、お久しぶりですね、ウィルザ。幸せになられたようで、何よりです』
「アルルーナも幸せでいるのかい?」
『無論です。人と会う、会わないは私には関係ありません。この場から世界を見、そして私の友人が幸せであることが私の幸せ』
 その動かないはずのアルルーナが微笑みを見せる。
『おめでとうございます。あなたの行く先に幸せを』
「ありがとう」
 その言葉が、自然と胸に落ちる。
 いろいろな人間から『おめでとう』と言われた。自分の信頼する仲間や知己から。
 だが、本当にその言葉をかけてほしかったのは、たったひとりなのだ。
「ありがとう。アルルーナにそう言ってもらえるのが、本当に嬉しい」
 誰もいないという安心感からか、ウィルザは涙すら流していた。
『あなたは正しい道を歩んでいます。あなたの奥方は、あなたの子を身ごもることで、この世界でしっかりと最後まで生きていくことができるでしょう。あなたがいなくなったとしても。ですが、やはり子を育てるというのは大変なことです。あなたはいつまでも、約束の時を過ぎても、彼女と一緒にいることが望ましい』
「でも、それは」
『世界記にお聞きなさい』
 え、とウィルザは一瞬言葉を失う。
『約束の回数はこれをもって終わります。あなたは運命の鎖から断ち切られ、自由を得る。罪を贖い終え、そして最後の時を人間として過ごす。その未来が待っています』
「そ、それはどういう──」
 アルルーナの言っている意味が分からない。だが、その言葉を正しく解釈するのならば。



 自分が、この世界に留まることができる可能性がある──?







この世界に留まる。それ以上に自分が望むことはない。
八二五年の約束の日を過ぎれば、自分がこの世界にいる時間は終わる。
だが、その先を、彼女と一緒に過ごすことができるのなら。
自分は、どんなことでもしてみせる。

「大好きだ。君みたいな人と友人になれて、すごく嬉しい」

次回、第三十四話。

『紡がれる未来』







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