『私としても、あなたがこの世界にいてくれるのは喜びです』
 アルルーナはさらに言葉を続けた。いったい彼女がこれから何を言おうとしているのか、まだウィルザには正確に理解できているわけではない。だが、彼女は伝えようとしている。
 この世界に、留まる術を。
『道は細く、険しい。たとえそれが叶うとしても、あなたはあなたでいられないかもしれない。世界記は記憶と共にあります。あなたの記憶は残らないかもしれない。それでも、あなたは彼女とともにこの世界で生きる術は、きっとある。その道が見えます』
「どうすれば」
『私は道を示すのが役目。今はまだ、その方法はありませんが、時が来れば──ニクラへ行きなさい』
「ニクラ?」
『最果ての地。あなたが力を得て、この世界に留まるだけの資格を得たならば、ニクラの者たちは必ずあなたに応えてくれるでしょう』
「時とは、いつ?」
『──神』
 アルルーナは珍しく言いよどむ。
『神が、この地を訪れる直前に──』
「それ以上の発言は、あなたには禁じられているはずですよ、アルルーナ」
 その時、別の声がした。
 聞き覚えのある声にウィルザが振り向く。
「あなたが、どうしてここに」
『お久しぶりです、我が友。今日は少し、機嫌がよろしくないようですね』
「ええ。あなたのおかげでね、アルルーナ」
 美しい女性がそこにいた。だが、いつもの慈愛の笑顔がそこにはない。
「リザーラさん」
「お久しぶりですね、ウィルザさん。ガラマニアに行かれたのにまだザ神信者であるというのには驚きましたが」
 ザ神嫌いのガイナスターが三人だけ認めている例外。それがルウ、ウィルザ、サマンであった。
 ガイナスターは相変わらずザ神嫌いが直っていないが、自分の気に入った相手がどちらの神を信仰しようともう構ってはいないようだった。それに、一度ザ神の洗礼を受けた者をゲ神信者として登録しなおせるだけの力のある神官がガラマニアにいないという理由もある。
 だからこそガイナスターは最初に会ったとき、ゲ神の王の力を借りて、強制的にウィルザをゲ神信者にしたのだが。
「リザーラさんのように、ゲ神信者にできるだけの能力のある人材がいないんですよ」
「それは普段からの訓練の賜物ですね。ザ神の加護を受けて生きるには、ザ神の祝福が必要ですが、ゲ神の加護には祝福がいりません。従って神官としての能力は当然ザ神神官の方が上です」
 少し誇らしげにリザーラは言う。
「ですが、まさかアルルーナがあなたにここまで話をするとは思っておりませんでした。見張っていて正解でした──アルルーナ。警告は一度だけよ。ザ神の王にこのことを知られたくなかったら、あなたはもうこれ以上ウィルザさんと接触をしてはいけません」
『はい。出すぎた真似をしました』
「ちょ、ちょっと待って」
 そのふたりの会話にウィルザがついていけなくなって、思わず間に入る。
「リザーラさん。アルルーナはぼくが友達だからこそ、助けてくれようとしたんだ」
「ええ、分かっています。ですがあなたに何でも話せるだけの許可を彼女が得ているわけではありません。ザ神の縛りはそれだけ厳しいものなのです。たとえばアサシナの王といえど、ザ神の決定に逆らうことはできません。ザ神の意思はすべてに優越するのです」
 リザーラはまるでザ神そのものか、その代弁者であるかのように話す。その強い意思にウィルザもたじろぐ。
「リザーラさんは、ただの神官じゃないのかい?」
 そう。リザーラはいくつかの不思議な能力がある、と世界記にある。そしてその能力は大神官たるミジュアを凌駕するような力なのだ。
「もちろん、ただの神官ではありません。ウィルザさんにはお教えしておくべきでしたね。この世界を守るという、あなたには」
 にっこりと微笑んで、リザーラは答える。
「私も、アルルーナと同じ、心を持つ機械天使です」
「そ……」
 二の句が告げない。まさか、リザーラが、天使。
「サマンを拾ったときから、いえそれよりもずっと昔から、私はこの姿のまま、歳をとらず、餓えも乾きもせず、ずっとひとりで生きてきました。ザ神の意思をこの地上に反映させるために」
「じゃあ、サマンはあなたとは」
「はい。血のつながりなどありません。そもそも私は、私も、人間ですらないのですから。あなたやアルルーナと同じです」
 リザーラの告白にウィルザの頭が傷む。
「……サマンはこのことを」
「話したことはありません。ですが、何か気付いてはいるようです。いずれにしてもこのままいけば、私の外見の年齢をもう少しであの子は上回る。そうすれば間違いなく気付くでしょう」
 純粋に姉と慕っているサマンがこのことを気付いたら、何と彼女は言うだろうか。
「あなたもそれを、悲しんでいるんですか?」
 リザーラに静かに尋ねると、彼女も困ったように首を傾けた。
「そうですね。ここまで情が移ることになるとは思いませんでした。私はあの子から、どれだけ非難されても仕方ない──」
「いえ、サマンはそんなことはしないでしょう」
 ウィルザは自信をもって答える。
「きっとサマンなら、血のつながりがあろうがなかろうが、お姉ちゃんはお姉ちゃんだと、はっきりと言うと思いますよ。サマンはあなたを、本当に慕っていますから」
 リザーラは目を伏せて口を開く。
「そうですね。私もそう思います」
 嬉しそうにリザーラは笑うが、すぐに表情を元に戻した。
「ですが、そのこととこのことは別問題です。ウィルザさん。あなたは自分の力で歩まなければなりません。アルルーナにこれ以上の質問はしないでいただけると助かります」
「その理由が分からない。確かにアルルーナが困るのならぼくはもうしない。でも、その困る理由も教えてくれないのかい?」
「未来は変えられるとか、未来を守るとか、そのような考え方自体が間違っているのです。本来あってはならないのです。アルルーナはその限界ぎりぎりのところを、可能性という道だけを示しているからこそ、許されている。ですが、それ以上のアドバイスを認められたわけではないのです」
 リザーラは断定して答える。
「未来は変えられる。ぼくは破滅の未来を変えるためにこの世界に来たのだから」
「違います。未来など存在しません。世界記に書いてあることは、現在から推測しうる可能性の高い未来だけです」
「それがどう違うのか、ぼくには分からない」
「現在世界に存在する全ての人の情報をつむぐならば、世界記にかかれている事象が起こりやすい、ということです。ですが、それはあくまでも現在からみた可能性にすぎません。可能性などそれこそ無限です。無限の未来の中から、世界記は破滅という可能性が高いと判断しているにすぎません。それは確定した未来ではないのです」
「ならそれは、未来を変えるということと」
「違います。未来は起こりうるものでも、変えるものでもありません。未来は紡ぐものなのです。この世界にいる人々が、よりよい未来を作るために、一日ごと、一分ごと、一秒ごとに紡いでいった結果が未来なのです。だから人はその日、その時を全力で生きなければいけません。はじめから未来が決まっているのなら、この世界に人が自分の意思をもって生きる必要など、ないのですから。もし本当に未来に破滅が起こるのなら、それはこの世界に生きる人々がその破滅を許容したことと同義なのです」
「じゃあ、リザーラさんはぼくが未来を変えようとしているのは間違いだっていうのか!?」
「はい。もちろん、世界を平和にするために活動していることそのものが間違っているわけではありません。ですが、未来があたかも決まっていて、それを変えるというのは大きな間違いです。まあ──言い方一つの問題、ですけど」
 確かに、そこは大きな問題ではない。
 問題は、グラン大陸が八二五年に破滅する可能性が高いということ、そしてその未来は変えられる──いや、リザーラの言葉を借りるならば、別の未来を紡ぐことができるということだ。







第三十四話

紡がれる未来







「では、リザーラさんは、この世界を救うために協力してくれるんですか?」
 話を変えると、リザーラも明らかに緊張を解いた様子だった。
「もちろんです。ウィルザさん、私もあなたの力になります。ですが、一つ大きな問題があります」
「問題?」
「そうです。未来を紡ぐことは難しいことではありません。ですが、妨害する者もいます。すなわち、破滅の未来を導こうと活動する者たち」
「ケイン?」
「名前は知りません。ですが、ウィルザさんに心当たりがあるというのならそうなのかもしれません。ユクモで私を暗殺しようとしたのも、東部自治区事件も、大陸を混乱させようとしたこと。先の新旧アサシナ戦争も同じです。何者かが裏で糸を引いている。それが何者かは分かりませんが、この大陸を滅ぼそうとしている者たちがいるのは間違いありません。私たちは、それを止めなければいけません」
「ああ。リザーラさんが手伝ってくれるというのなら、とても助かります」
「私のできることは多くありません。ですが、私の力で未来を紡ぐ手助けができるのなら、喜んで」
 ここに、リザーラと正式に約束を取り付けることができた。以前に話したときはそのような事情をすべて勘案してはいなかったが、今回は違う。
 ザの神の力を使うことができるリザーラが、本気で協力すると言っているのだ。
「ですが、ウィルザさん。アルルーナの力だけは使わぬようにしてください。これはあなたのためにも、アルルーナのためにもです」
「アルルーナのため?」
「そうです。彼女の体──どうして動かないか、知っていますか」
 リザーラは優しくその手をアルルーナの頬にあてた。
「いえ」
「彼女は、道を見せるたびに、その力を失っていくのです。すなわち、天使としての死に近づいていくのです」
 初耳だった。そんなことも言わずに、彼女はずっと自分に尽くしてくれていたのか。
「彼女は今、禁忌に触れようとした。もしもそのまま話し続けていたら完全に死んでいたでしょう。ここ数十年はもう自分でも動けなくなっているほどです。まだ笑うことくらいはできますか、アルルーナ」
『難しいです』
 だが、先ほどは確かに笑った。笑ったように見えた。
 それは自分に対して、心から親愛の情をアルルーナが見せたかったからだ。
『私はあなたがうらやましい、リザーラ。あなたは私の友であるウィルザと行くことができる』
「ええ。あなたの分までね、アルルーナ。大丈夫。私は私の役目を果たすだけだから。私はこの世界の人々を救うことが使命。だからこそ神官として、一人でも多くの人にザ神の祝福を与えようと思った。でも、それ以上に大陸を救うためには、ウィルザさんに協力するのが必要だと思うから」
『ありがとう。私の分まで』
「気にしないでいいわ。あなただけの問題じゃないし、ウィルザさんは私にとっては仲間であり、同時に大切な義弟ですもの」
 そしてリザーラが本当に嬉しそうに笑う。
「サマンをお願いします、ウィルザさん。あの子は本当にはねっかえりで、扱いに困ると思いますけど」
「そんなことないです。サマンはぼくにはもったいないくらい、本当に素敵な女性です」
 顔を少し赤らめて言うと、それがリザーラにも好評だった。
「誠実な方でよかったです。ウィルザさんなら安心してあの子を任せられます」
「ぼくの方こそ、サマンにはずっとお世話になっています。この間の新旧アサシナ戦争の時だって、サマンがいなかったらぼくたちはきっと勝てなかった。それに、ぼくがこの世界で生きていく理由に、もうなってしまってますから」
「そんなに思われて、サマンは幸せな子ですね」
 リザーラはそこで笑顔を切った。
「ここからは大切な話です」
「はい」
 真剣な表情で二人が見合う。
「アルルーナが言った、あなたがこの世界に留まるという可能性。それは確かにゼロではありません」
「どうすれば」
「それを探すのがウィルザさんの役目です。まずは世界記にお尋ねください。そして、あなたはまず自分のことをしっかりと把握することが必要です。把握して、それから行動を考えてください」
「今?」
「いえ、私からはもう何もありませんから、いつでもお好きな時に。それに私もこれからあなたと一緒にガラマニアに行きますから」
「ガラマニアに?」
「ええ。割と早く、ミジュア様が神官の代行を育ててこちらに回してくださったんです。数年間働きづめで、まとめて休暇を取ってきてしまいました。本当はイライの神官にドルークを任せるつもりだったんですけど」
 そう言って苦笑する。そんな姿はとても天使には見えない。だが、そんな感情豊かな天使がこのリザーラなのだろう。
「分かりました。それじゃあ、アルルーナ、今まで、本当にごめん。君の体調のことを気遣ってあげられなくて」
『いいのです。ウィルザ、もしもあなたが友人から頼られて、それが自分を傷つけることになったとしたら、その友人を助けることをやめますか?』
 そう言われては言葉も出ない。確かに自分が傷つくことすら隠そうとするだろう。
「アルルーナ、一言だけ」
『はい』
「大好きだ。君みたいな人と友人になれて、すごく嬉しい」
 そうして、ウィルザはその動かない機械天使に近づくと、その頬にキスをした。
「ありがとう。でも、ぼくだって君を傷つけることを知って道を示してもらおうとは思わない。それも分かってくれるよね」
『もちろんです。あなたのお役に立てないことは残念ですが』
「いいよ。その気持ちだけで。でも、ときどき話しにくるくらいなら死ぬことはないんだろう?」
『はい。私は道を見せることが自分の寿命を縮めることですから、ただ話すだけならば何も』
「よかった。それならまた君のところに来るよ、アルルーナ。ぼくのたった一人の友人」
『はい。私もあなたがまた来られることを楽しみにお待ちしております』
「ああ。それじゃあ──」
「すみません、ウィルザさん。私は少し、アルルーナと話があるから、外で少々待っていてもらえますか」
「分かった。それじゃ、また」
 そうしてウィルザは出ていく。残ったリザーラはアルルーナを見て言う。
「よほどウィルザさんのことを気にいったのね」
『はい。私にとっても、あなた以外の友人は彼だけですから』
「泣いているわ」
『泣いて?』
 その、閉じたアルルーナの瞳から、確かに涙がにじんでいる。
「どうして泣くの?」
『分かりません。自分で泣いていることにも気付きません。もう私は感情すら磨耗して、何もなくなろうとしている。そのような私に強烈な光と共にやってきたのが、彼なのです。今の私にはもう、彼しかいません。彼を待つことだけが、私の生きる希望なのです』
「よほど好かれてるようですね、ウィルザさん」
 リザーラはその動けない友人を抱きしめる。
「少し悔しいわね。あなたをウィルザさんに取られたみたいで」
『私はあなたのことだって忘れてはいません』
「分かってるわよ。でも、あなたにとってもうウィルザさんは私よりも大切なひとなのでしょう?」
『否定しません』
 素直に言うアルルーナの言葉にリザーラは「まったく妬けるわね」とだけ言った。






 世界滅亡まで、あと十三年。







この世界に留まること。それが可能なのか、そうではないのか。
だが、道はある。アルルーナの言葉に希望を持つウィルザ。
そして、その未来への道がかかる。
『未来』という名の、希望がこの大地に降りる。

「それ以外なんて、何も思い浮かばないよ」

次回、第三十五話。

『夢見る未来』







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