八一三年、十一月。

 ウィルザとサマンは『ガラマニア親善大使』の名目のもと、アサシナ新都へやってきた。
 戦争直後の慌しさもすっかり消えてなくなり、また昨年の凶作、反乱についても大きな騒動とならずに済んだおかげで、王都は非常に活気づいているように見えた。
 その王都に、いよいよ魔の手が忍び寄ろうとしている。
(疫病。そして、アサシネアイブスキか)
 イブスキが何を企んでいるかといえば、それは簡単なことだ。現王家を倒して自ら国王となる。それ以外にはない。権力の座に執着する男は思考が単純で分かりやすい。
 だが、それと同時に疫病が発生するのだから、イブスキがその疫病を発生させる『何か』を切り札として持っている可能性が高い。
(でも、疫病は自然消滅するんだ。そんな大きなものにならないんだったら、そこまで警戒する必要があるだろうか)
 世界記がわざわざ事件として取り上げているほどだ。何もないはずがない。
 それにケインのことがある。もしもケインが今回の事件を使って混乱を大きくしようと考えているのなら、疫病を大流行させる方法があるのかもしれない。
(まあ、まずはクノン王に会うことが先決か)
 ウィルザはサマンを伴ったまま王宮へ向かった。
 あらかじめ使者を出しているので、門番も自分たちが来ることは分かっていた。どうぞお通りください、と中へ招かれる。すぐに別の人間がやってきて自分たちを案内してくれる。
 さすがはアサシナといわんばかりの豪華な宮殿だった。王都が移ろうが国内での問題が起きようが、アサシナはアサシナだった。経済力では他の国々の追随を許さない。
(もう少しガラマニアへの援助を増やしてくれると助かるんだけどな。まあ、来年はガラマニアも凶作だから、あらかじめ食料の援助を頼んでおかないといけないけど)
 ガラマニアの宮仕えの身としては簡単にあちこち出歩くことはできない。だからこそ、これから先数年分の問題は今回で片づくくらいのことをしておきたい。
 そういうわけで、二人がアサシナ新都へ到着した直後、こちらから王宮に向かう前に迎えが来た。
「久しぶりだな、ウィルザ。それに、サマンさん」
 騎士、ミケーネ・バッハ。この国を武の面から支える人物である。
 先の戦いではパラドックについた騎士団副隊長のゼノビアを討ち取り、今や騎士団でミケーネに逆らう者はいなくなった。まさに一枚岩の体制である。
 この人物とは戦後、多少なりとも知己となる時間があった。鉄道襲撃の際に一度顔合わせをしていたが、正式に友誼が結ばれたのは戦争を通じてということになる。
「久しぶり、ミケーネ隊長──あ、いや。ミケーネ」
 戦争後に話し合ったときにミケーネから呼び捨てでいいと言われたのを思い出し言い直す。
「相変わらずのようだ。それから遅れたが出産おめでとう。子供は元気か?」
「サマンに似て可愛く育ってる」
「違うわよ。ウィルザに似て凛々しく育ってます」
 ウィルザの言葉を遮ってサマンが言う。やれやれ、とミケーネが肩をすくめた。
「子供も連れて来るのかと思ったんだがな」
「それはちょっと。何しろこれから──だからね」
 ミケーネもウィルザのことをある程度は知っている。この世界を守ろうとするウィルザに影ながら協力を申し出てくれてもいる。それというのも、先の内戦で全面的にウィルザがクノンを支援したことが理由だ。
「今回は何が起こるんだ?」
「まだ分からない。ただ言えることが一つ。アサシネアイブスキが来る」
 イブスキの名前はミケーネを戸惑わせた。確かにこのイブスキという人物は現王家に対して混乱以外の何物ももたらさないだろう。
「いつだ?」
「来月には。それでしばらくはこっちにいさせてもらおうと思ってる」
「何をするつもりだ?」
「詳しくはクノン王とレムヌ妃を交えて。おいそれと話せるようなものではないからね」
「確かに」
 頷きあってから三人は王宮へ向かった。






 クノン王もレムヌ妃もウィルザとサマンを温かく迎えた。
 祝宴の準備をするといってきかないクノン王だったが、今回はそれが目的ではない。
「幾つか話をしておかなければいけないことがあります。まずは、危急のものからです」
 アサシネアイブスキが帰還する。そのことはレムヌ妃の顔をくもらせる。
「イブスキ家との間に起こったことをわらわはよく存じ上げてはおりませぬ。ただ一つ言えるのは、両家は決して関係を修復することはできぬ、ということでしょう」
 悲しそうにレムヌは顔を伏せる。
「そうかもしれません。ですが、そう断じるのは早計と考えます。もしイブスキがデニケス家に恭順するというのなら、それを受け入れるのが王者の役割です」
 そう続けたのはクノンであった。それはまさにウィルザが言おうとしたことでもあった。
(クノン王、か。この聡明さは父親譲りかもしれないな。もっとも、レムヌ妃の教育の成果もあるだろうけど)
 イブスキの下にはファルという女の子がいる。彼女はどうしているだろうか。一度だけ、あのサンザカルで会ったが、ほとんど話すこともできずに別れてしまったが。
「王は若いのに聡明でいらっしゃいます」
「ぼくが今ここにいられるのも、何度もウィルザさんが助けてくださったおかげです。ぼくが間違ってしまってはウィルザさんに顔向けができません」
 まだ八歳なのにこれだけしっかりとしたものの考え方ができるのだ。それこそ四、五歳で王者の片鱗を見せた少年だが、この数年でさらにそれが成長している。
(この大陸はクノンがいれば大丈夫なんだろうな)
 たとえ自分がいなくても──とは言いすぎだろうか。この大陸を裏で破壊に導こうとする者がいる。そうした者と戦うのが自分の役割だ。
「イブスキと同時に疫病船がやってきます。それが西域を襲う形になりますが……」
「疫病船というと、ヘンダライの村に伝わる土着信仰ですね」
 レムヌ妃が反応する。
「ご存知でしたか」
「詳しいことは存じませぬ。死の海に漂う船が疫病を撒き散らすということを聞いたことがあります」
「疫病を撒き散らす? 船が、ですか」
「ええ。死の海を船が行くことはできません。ですから単なる迷信と思っておりましたが」
「死の海に浮かぶ船か……」
 死の海に船を浮かべようとしても、船が徐々に腐食するため使い物にならなくなるという。人体への影響は全くないということだが。
「先に手を打つことができないでしょうか」
 後ろでひかえていたミケーネが尋ねる。
「どこに疫病船が出るかが分からない。実は、既にヘンダライの村には立ち寄ってきているんだ」
「さすがに動きが早いですね」
 レムヌ妃がほめるがウィルザは首を振る。
「いえ。結局こちらがどう動いても今回は歴史を変えられない。その事実を負わなければなりません」
 そう。ウィルザはこれまで事前にすべて問題を解決してきた。事件が起こる前に防ぐことによって被害を少なくしてきた。だが、今回は事件が起こるまでこちらから手が出せないのだ。
「だからまず、アサシネアイブスキを警戒しなければなりません。イブスキは疫病船を連れてくるんです。できるならこの町に入る前に捕まえてしまいたいところです」







第三十六話

イブスキ王家の帰還







 十二月。
 ウィルザから今後三年ほどの計画を説明されたクノン王は、ついにイブスキの訪問を受けることとなった。
 傍にはカイザーとエルダス。レムヌ妃はいない。その場でイブスキは『死の海に隠したイブスキ家の秘法』を差し出すという。だが、それはクノン王自身が来ることが条件だと。
「いいでしょう」
 クノンは怖れをまるで見せずに言う。
「もちろん、護衛をつけてもかまわないでしょうな。王はまだご覧の通りの年齢だ」
 エルダスが厳しい視線でイブスキに言う。無論です、とイブスキも答えた。
「入れ!」
 そして謁見の間に入ってきたのは、ミケーネとウィルザ、サマンの三人であった。その姿を見たときにイブスキの顔が歪む。
「久しぶりだな、イブスキ『様』」
 皮肉をこめてウィルザが言う。イブスキが何かしようとする前に先に三人が動いた。サマンの投げナイフがイブスキの腕に刺さる。その間にミケーネが取り押さえる。
「君のことはよく覚えているよ。デニケス王家に対してあれだけ深い憎しみを抱いていた君が、まさか形だけとはいえ臣下の礼を取って陛下に近づくとは、たいした胆力だ」
「何故貴様がここにいる」
「言っただろう? 絶対に君を許さない、と」
 ウィルザは剣を相手の喉下につきつける。
 相手の魂胆が分かっているのだ。手っ取り早くこうして相手が自分たちを油断させようとしているところを逆手に取る。証拠の有無は問題ない。イブスキの正体はあのサンザカルでウィルザとサマンが直接目にしたのだから。
「ミジュア大神官の誘拐、ならびにクノン王への祝福経路を断って暗殺を企てた罪! 万死に値する!……と言いたいところだが」
 ウィルザはミケーネとクノンを見る。クノンは立ち上がると、子供ながらに威厳のこもった瞳で膝をついたイブスキを見た。
「イブスキ王家とデニケス王家。両家の間に不和、争いがあったことは残念なことだが、われらはこの縁を断ち切らねばならぬ。アサシネアイブスキよ。卿の命まではとらぬ。しかし、それも卿がわれらに協力をするならば、だ」
「協力だと?」
「そうだ。疫病船のとめ方を知っているのならば教えよ。そうすれば命までは取らぬ」
 だが、それを聞いてイブスキはくつくつと笑い出した。
「そこまで知っていやがったのか」
 そしてイブスキは剣を突きつけている男をにらみつけた。
「それをこの餓鬼に吹き込んだのは貴様か。何者だ」
「ぼくのことよりも、陛下がお前に対して尋ねたことに答えるんだな。教えるつもりがあるのなら命はとらない。でも、そんなつもりがないっていうのなら、申し訳ないけどこの絨毯に血の跡をつけることになるよ」
 ウィルザの目に本気を感じ取ったのか、イブスキは諦めたように笑った。
「教えるつもりはない。殺すなら殺せ。そのかわり、疫病船がこの西域に疫病をもたらす。治す方法のない疫病をな」

813年 死の海の悲劇
西域のヘンダライ地方に疫病が発生する。

813年 疫病広がる
ヘンダライの疫病は西域全体に猛威を振るう。

813年 西域全滅
疫病は西域全土に広がり、西域の全ての町は村が壊滅する。


(このままいけば全滅か。世界記)
 だが、世界記は何も答えない。答がないということは、まだ方法はあるということだ。
「連れていけ!」
 ミケーネが部下に指示を行い、イブスキを牢屋へと連れられていく。
「やはり、当初の予定通りか」
 ミケーネはウィルザを見た。頷くと二人はクノンに向き直る。
「陛下。やはり我らが疫病船へ行かなければならないようです」
「ヘンダライの村か。だが、お前たちが疫病にかかってしまっては……」
「大丈夫です。ただ、サマンはここに残していきます」
「え」
 意外だという表情を見せる。
「どうしてよ!」
「疫病に限らず、変な病気にでもかかったら困るだろう? 子供だっているんだ。サマンは素直に待っていること」
「イヤよ」
 サマンは鋭い視線を突きつける。
「私がここまで来たのは、留守番するためなんかじゃない。どこまででもあなたと一緒に行くためよ。それに、もしも離れたところであなたに先立たれたら、私、絶対永遠に後悔する。絶対に離れない。それとも、私が死ぬ未来でも分かってるっていうの」
 確かにそんな未来の予言はない。だとすれば大丈夫だということだろうか。
(結婚してからというもの、サマンを過保護にしているんだろうか。サマンを大切に思うあまり、変わってしまったのはぼくの方なのかな)
 自分で悪い方に変わっているという自覚はまるでない。相手のことを思ってのことだけに、サマンもそのことで自分を責めるというつもりもないのだろう。
 だが、彼女にとっては『ウィルザと共にある』というのが生きる理由になってしまっているのだ。それを理由もなく『危ないから』というだけで離されるのは彼女の人生を否定されるようなものなのだ。
「でも、危険だ」
「分かってるわよ。あなたと一緒にいるのに安全な場所なんかあるわけないじゃない。今まで何年一緒にいたと思ってるのよ」
「それはそうだけど」
「私だって、自分の身も、自分の子供も可愛いわよ」
 すねたように、そして悔しがるように言う。
「でも、私にとっての最優先はあなたなの。子供が生まれたら男も女も変わるってよく言うけど、私は違う。私の一番は絶対にあなたなの。あなたがいないのなら、子供がその代わりになるっていうだけ。いい、ウィルザ。あなたは私を死なせたくないんでしょうけど、私はたとえ死んだってあなたについていく。それが私の生きる意味だから」
 改めて念を押される。もしもこれで『それでも駄目だ』と答えたら、きっと今日は盛大な夫婦喧嘩になるだろう。だが、自分はそこまで物分りが悪いわけではない。
「分かった。降参」
 ウィルザは両手を上げた。
「分かればいいのよ。今度同じこといったら、往復ビンタじゃきかないからね」
「覚悟しておくよ」
 ウィルザは微笑んで答える。
 だが、決してサマンには言えないことだが、もしもサマンに命の危機があるのなら、絶対に連れていくつもりはない。今回は世界記の情報からも『大丈夫』と思えるからいいようなものの、これがもし未来に『サマンが死ぬ』というものがあるのなら、絶対にその未来は回避する。たとえ、縛りつけてでも。
「なるほどな」
 ミケーネが隣で深々と頷いていた。
「ウィルザとサマンさん。前からお似合いの二人だと思っていたが、これほどとは思わなかった」
「全くです」
 後ろでレムヌ妃も頷いている。クノンは少し困ったように首をかしげていた。ウィルザは苦笑したが、サマンは赤面していた。







六三四年。一隻の船が、遭難した。
それから数十年に一度、西域を訪れる船がある。
そうすると決まってヘンダライ地方には疫病が発生し、多くの人間がなくなった。
人々はその船をこう呼んだ──疫病船、と。

「あたしだって、捕まえ切れなくて困ってるんですから」

次回、第三十七話。

『心優しき少女』







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