疫病船。
 ヘンダライ地方にやってきた三人は、その村で情報を集める。死の海には疫病を撒き散らす船があり、それがやってくるのだという。
 正直、ウィルザとしてもその話を聞いても、世界記に書かれていなければ信じることはしなかっただろう。だが、疫病が起こるのは現実の問題だ。そしてアサシネアイブスキの言葉からも、どうやら疫病船をイブスキが操っているのも間違いない。
「疫病船を止めるといっても、近づいてこないと手の打ちようがないというわけだな」
 ミケーネがまとめる。ヘンダライ村の民に聞いたところを総合すると、もうしばらくすれば疫病船が近づいてくるということが分かった。ただ、それがいつになるのかは分からない。
「今年中なのは間違いない。でも、近づいたら速やかに乗り移って解決しないと、疫病が西域全体を襲う。そうなったら終わりだ」
 ウィルザの言葉にミケーネも沈鬱な表情を見せる。
「戦いが終わっても、混乱は続くとは皮肉なものだ」
「問題のない社会なんかない。特にアサシナは対外的にも内部にも問題を抱えている巨大国家だ。これを正常化するにはまだ何年も必要だよ」
「だからこそお前がいてくれればいいのにな、ウィルザ」
「ぼくは駄目だよ。アサシナにとって一番問題の、ガイナスターを抑えるっていう役割を持っているから。それは先代アサシネア六世陛下のご遺言でもあるわけだし」
 この国を守るために、ガラマニアとの戦争を抑える。それがウィルザの立場だ。
 ガイナスターも薄々それは分かっているのだろう。だが、何故かは分からないがガイナスターは自分を高く評価し、気に入ってくれている。おかげで自分の思い通りに話が進む。それに自分もガイナスターのことはとても気に入っているのだ。
「ミケーネさん、ウィルザを捕まえようとしても無理ですよ」
 サマンがつんとした顔で言う。
「あたしだって、捕まえ切れなくて困ってるんですから」
「なるほど。サマンさんで捕まえられないのなら、私で捕まえられるはずがない」
 仲良く二人が笑う。やれやれ、とウィルザはため息をついた。






 それから数日後。
 海岸に近づいて来る船を三人は見つめていた。ヘンダライの村人たちは既に避難している。
 あれが疫病船。
 止め方など分からないが、あの船に乗り込んで疫病を止める方法を見つけなければならない。
 船を沈めるのが一番最良の方法のようにも思えるが、この死の海をさらに汚染することにもなりかねない。安全に止められる方法があればいい。
(船そのものが疫病の元だというはずがない。船の中に何かがあるはずなんだ)
 そうして、三人は乗り込んでいく。
 中はゲ神の巣窟となっていて、踏み込んだ直後に攻撃を受ける。だが、スピードにすぐれたウィルザの剣技と、ミケーネ、サマンの効果的な射撃によって被害らしい被害も出さず、甲板にいたゲ神を全滅させた。
「なかなか手強い」
 ミケーネが素直な感想を述べる。ウィルザも頷いてさらに回りを見る。
 敵の姿はないが、同時に疫病の元となるものも見当たらなさそうだった。
「しらみつぶしに探すしかないかな」
「そうだけど、こういう場合はまず操舵室、それに船長室っていうのがセオリーじゃないかな」
 確かにそうだ。一つ目的をもって行動した方が時間を節約することにもつながるし、普通の船室に何かを仕掛けるというのも考えにくい。
「なら、下におりよう。早くしないと接岸することになる」
 小船で乗り移った三人であったが、このままいけば港にものの数十分で入港することになる。
(誰かが運転しているということはあるだろうか)
 どちらとも言えない。アサシネアイブスキに協力しようというものは多くないだろうが、ゼロでもない。神官ローディだとて、本人の気持ちはどうあれ、協力はしていたのだ。
「船長室はどっちだ」
「多分こっち。こういう船はだいたい作りが同じだから」
 サマンが知識を披露しつつ、船の奥へと進んでいく。
 ゲ神が時折襲ってくるが、三人を倒すことができるほどの力のある者はいない。
「ここかな」
 サマンが扉を念のため調べてから開く。
 中には誰もいなかった。ただ整えられたベッドと机。その上に日記らしきもの。
「航海日誌か」
 ミケーネがそのノートを開く。
「六三四年? 百五十年以上も前の船か」
 その年号を聞いて、ウィルザは世界記に語りかける。
(何か知ってる?)
『否。ただの遭難事故ならば事件として登録されるようなものではない』
(じゃあ、遭難した普通の船に、疫病を撒き散らすゲ神が住み着いた、っていうところかな)
『そう考えていいだろう。それからだいたい五十年おきに疫病船は現われている。現われるたびにこの地方の村人の三分の一はいなくなる』
(土着信仰として恐怖の対象になるわけだ。そのペースなら三回か四回は現われていることになるよね)
『記録では三回。これが四回目だ』
(分かった。じゃあ、さっさと片付けよう)
 ウィルザは航海日誌を受け取ると、操舵室に向かう。
 そこは、それほど広い部屋ではなかったが、舵のところにほぼへばりつくような形で、スライム状のゲ神がいた。
「な、何者だ、こいつは」
 だが、分かる。
 このゲ神こそがまさに、病原体だ。
「病原体の元を抑える。一気に倒すぞ!」
 無論、危険と分かっていて近づくわけにはいかない。空気感染すら可能性があるのに、ましてや接触などできない。
 ウィルザはその場でザ神魔法を唱える。ミケーネとサマンが銃を構えた。
「クーロンゼロ!」
 氷の魔法が、そのスライムを凍りつかせていく。
 完全に固まった、というところで二人が銃を乱射した。
 粉々に砕け散ったゲ神は、蒸発して消えた。
「どう、ウィルザ?」

813年 疫病消滅
疫病は自然消滅する。


「ああ、問題ない。疫病はこれで消滅する」
「よかった」
 サマンが安心したように微笑む。
「とはいえ、何だかこの部屋は病原体が残っていそうだから、早く出るとしようか」
「そうだな。ウィルザに賛成だ。ここは喜ぶには気分がよくない」
 そして急いで三人は操舵室を出た。







第三十七話

心優しき少女







 疫病船から戻ってくる。ヘンダライの村民たちにもう問題がないと伝えてくるようにサマンに頼み、一方でミケーネには王都への報告に戻るように頼んだ。
 もちろん一度王都には戻るつもりだが、報告は早い方がいい。ミケーネが戻るのが最適なのは間違いない。
 と、そうしてウィルザが一人になった時のことだった。
「随分、歴史を修正したみたいだね」
 聞き覚えのある声。
 振り返り、その人物を確認する。
「貴様か、ケイン」
「そんな怖い顔をしないでくれないか。今は何も企んでいないよ」
「新旧アサシナの火をつけた貴様が何を言う」
 ウィルザは剣を抜いた。この男とは決着をつけなければならない。早急に、確実にだ。
「やめて!」
 だが、その傍にいた少女が叫んだ。
「……お願いします、やめてください」
 その少女にはもちろん見覚えがある。世界記で見た顔だ。
「ファル、か」
 アサシネアイブスキの妹。
「ウィルザさん……ですね。はじめてお会いするわけではありませんが……」
 確かに一度、ほんの何言か声をかわしただけにすぎない程度では、会ったという実感はないだろう。それも、もう数年も前のことで、ファルはそれからずいぶんと美しく成長している。
「何故君がケインと一緒に」
 ファルは答えにくそうにしていたが、ケインが数歩下がったのを確認して二人に聞こえるように言う。
「兄は、この人の協力で、あの船を動かしていたんです」
 そういうことか。
 ウィルザはケインを睨む。だが黒いローブの男は飄々としてそれを何とも思っていないようだった。
「じゃあ君は、あれが疫病船で、イブスキがこの西域にいる人々を疫病で殺そうとしていたのを知っていたというのかい?」
「はい」
 視線を逸らして答える。今のは意地の悪い聞き方だった。
「兄は、アサシナの王になるのだと、そのためには何でもすると言っていました。私は止めたんです。でも……聞き入れてはくれませんでした」
 一度しっかりと背筋を伸ばしたファルは、深く頭を下げた。
「あの船を止めてくださって、ありがとうございました」
「君がお礼を言うことじゃないよ。こっちこそ意地の悪い言い方をしてごめん。ファルがイブスキのことを心配しているのは知っているし、そのことで心苦しく思っているのも少しは分かるつもりだ。でも、その男は別だ」
 ウィルザがケインを指さす。
「その男はこの大陸に混乱と破壊を招くことしか頭にない。ファルが止めても、僕はその男を倒さなければならない」
「駄目です。今のウィルザさんでは、この人にはかないません」
 はっきりと言われた。
「な……」
「もし、今戦ったら、ウィルザさんは殺されてしまいます。ですから、やめてください」
 確かに只者ではない雰囲気を持っているし、実力もありそうなのは分かる。だが、それほどまでに実力が違うのか。
「よかったな、ウィルザよ。この娘がいなければお前は私に殺されているところだった」
 ケインがくつくつと笑う。
「じゃあ、どうしてお前は自分からぼくを殺そうとしないんだ」
「その時ではないからだよ。その時が来れば私はお前を殺す。そう、覚悟を決めておくといい」
「時、だと」
「そうとも。神がアサシナを訪れる直前に」
 その言葉は、以前にアルルーナが言ったものと全く同じだ。
「何が狙いだ」
「さっき君が自分で言ったじゃないか。この世界が正しい歴史を歩むこと。それだけだよ」
「破壊の歴史が? ふざけるな!」
「ふざけてなどいない。それが私の宿願。この世界を崩壊に導くことこそが私の願いそのものなのだから」
「お前はこの世界の人間ではないのか?」
「さあ、どうだろうね?」
 明らかに相手を小馬鹿にする態度に、ウィルザもつかみかかりたくなる。だが、ファルの言う通り、力の差を感じる。戦ってもおそらく、勝てない。
「これで終わりじゃないよ。仕掛けはいくつも用意している。君はその全てを取り除くことができるかな」
「この世界を守るためなら、何だってするさ」
 ケインは鼻で笑うと、ゆっくりと歩み去っていった。
 奇妙なプレッシャーから解放された二人は、大きくため息をついた。
「ファルはこれからどうする? イブスキは今、新王都に捕われているけど」
「ジュザリアに行こうかと思っています。ツテがありますから」
「イブスキのことはいいのかい?」
「兄は……」
 沈んだ表情を見せる。
「私のことなど、何とも思ってはいません。分かってはいるんです。それでも、私にとってはたった一人の兄なんです」
「助けたいと思っている?」
「──かなうことなら。でも、こうして牢屋に入れられている方が、兄も罪を犯さなくてすむと思うんです。会えないのは悲しいですけど、これが兄のためなら、それでかまいません」
「強いな、ファルは」
 優しく、それでいて強い。まったく、あの兄にはもったいないくらいよくできた妹だ。
「クノン王が言っていた。もしイブスキ家の方さえ問題ないのなら、和解したいと」
「申し出はありがたいのですが、私がいることで余計な混乱を招くくらいでしたら、いない方がいいと思います。それに、結局私は兄が大切ですから、魔がさして兄を助けてしまうかもしれません」
「じゃあ、ガラマニアに来るっていうのはどう?」
「ガラマニアに?」
 ファルがきょとんと見つめてくる。
「うん。冬は寒くて大変だけど、温かい人たちがいるよ。ファルさえよければ、だけど。それにぼくもファルを守ってあげられるし」
「あなたのことは聞いています。ウィルザさん。ガイナスター王の義兄になっていると聞きました。もし、私があなたのお子さんを人質にとったりしたら、とは考えないんですか?」
「ファルにそんなことをする理由がないよ。それにファルは優しい心の持ち主だっていうことをぼくは知っている。子供にそんなことをしないし、信頼に応えようとする人だっていうのも分かっているよ」
 ファルはしばらく悩んでいたが、やがてゆっくりと頭を下げた。
「兄と一緒にいられなくなった今、私の生きる理由は何もありませんでした。次の目標を見つけるまで、それでは、お世話になろうと思います」
「良かった。よろしく、ファル」
 ウィルザが手を伸ばした。するとようやくファルは、年相応の笑顔を見せて手を取った。
「はい。よろしくお願いします、ウィルザさん」
 子供らしい、可愛い笑顔だった。






 世界滅亡まで、あと十一年。







ガラマニアにいたる寒波から、内戦が生じる。
それを防ごうとするウィルザは飢饉への対策を滞りなく進める。
内戦を裏から導こうとする男の影。
問題の年を前に、ウィルザは次の糸口を見つけ出す。

「ぼく、ひめさま、すき」

次回、第三十八話。

『満ちゆく月』







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