八一四年、春。ガラマニアにも種植えの季節が来た。
 だが、今年は寒波の年。ただ単純に種植えをするだけではガラマニアは飢饉に陥る。これは避けられない未来だ。
 だとしたら最初から問題を解決しておけばいい。
 まず、アサシナとの協力で、以前に使用した寒波に強い品種をさらに改良し、ガラマニアで寒波が起こっても作物が全滅とならないような丈夫なものを作り上げた。
 さらに稲や麦だけに主食を頼るのではなく、寒波にも強い芋類の栽培を積極的に勧めた。今まで作っていなかった穀物ではあるが、国が積極的に支援した結果、今まで麦を作っていた畑のうち約三割が芋類へ転換することになった。本当は五割まで達成したかったのだが、それは望みすぎというものだろう。
 そしてそれでも実りが少なかった場合に備えて、アサシナに食料援助の準備だけは進めてもらっている。これだけ二重、三重に手を打っているのだ。現状で問題は生じないとウィルザは判断していた。
 だが、いくら不作、飢饉となったとはいえ、内戦になるという可能性があるということは、その中心となる人物がいるということだ。
 ウィルザはタンドと協力してその人物の割り出しにかかった。すると、現在の王家に不満を持っている一部貴族たちが裏工作をしていることが判明した。この貴族たちの領地を没収し、それらを全てウィルザが統治することになった。
 最初は『絶対にいやだ』と駄々をこねたウィルザであったが、当地には代理の者を派遣し、最終決定権だけがウィルザにあるという形を取るということで落ち着いた。これも簡単にウィルザをガラマニアから去らせないようにする、ガイナスターの一手なのだろう。
 そこまで終了した九月、ようやく世界記から『ガラマニア内戦』の項目が消えた。






「やれやれ、ようやく終わったか」
 全ての決着がついて家に戻ってくると、もうすぐ二歳になる息子グランがとてとて玄関に出てきて「おかえりなさい」と言った。
「ただいま、グラン。いい子にしてたか」
 ウィルザはひょいとグランを抱き上げて中に入る。中ではサマンが料理をちょうど作り終えたところで「おかえり、ウィルザ」と出迎えてくれた。
 珍しい家族団欒の図。ここ半年というもの、ウィルザはガラマニア国内を東奔西走していたため、ゆっくり家族そろうこともなかったが、全てが片付いた今日くらいはゆっくりしたいと早めに宮廷を抜け出してきたのだ。
 グランは健やかに成長していた。病気らしい病気もせず、すくすくとたくましく成長している。そのあたりはやはりウィルザとサマンの子ということだろうか。それとも近くにいる親族たち、ガイナスターやドネア、ルウなどの教育の成果もあっただろう。
 たかだか二歳の子供だというのにとても礼儀正しく育っている。本当は箸が転んでも笑い出すような年齢だというのに、これほどしっかりとしているのはそれだけ教育係が優秀だということだ。
 もっともそんなグランも子供らしい興味が全くないわけではない。いろいろなものに対して触ってみたり確かめてみたりと、好奇心を全開にして家中のものを探索していく。
 ガイナスターの娘であるところのセリアと同様、将来大物になる素質はたっぷりとあった。
(まあ、あまり国の重鎮とかになるような未来を背負わせたくはないけどな)
 だが、その半年年上のセリアのことを、息子はいたく気に入っているらしい。それは他に同年代の子がいないということもあるだろう。子供のぼんやりとした初恋らしきものが向けられているにすぎない。
 問題はセリアも決してグランを嫌ってはいないということだ。
(ガイナスターのことだから、セリアの婿にグランを、なんてことを言い出さないとは限らないしなあ)
 そんなことをまだ二歳にもならないうちから心配する自分は親馬鹿だろうか、とも考える。もし十年、二十年後にグランが本当にセリアのことを好きになって結婚するのだとしたら、それを止める理由はウィルザにはない。自分の人生なのだから、背負う物も何もかも、自分の責任で行えばいい。
「なんだか、随分と考え込んでるわね」
 サマンが近づいてきて微笑む。それでウィルザも微笑み返し、彼女を軽く抱きしめた。
「分不相応な、未来の夢を見ていただけだよ。今のぼくには、君がここにいてくれるだけで幸せだっていうのにな」
「子供の前でやめなさい」
 ぺし、と軽く掌で額を叩かれる。うー、とウィルザは唸って料理の並んだテーブルについた。
「ほら、グランも席につきなさい。二ヶ月ぶりの家族の食事なんだから」
 ウィルザは国王の義兄という立場であり、望めばそれなりの暮らしはできる。だが、自分とサマンの目的はそんなところにあるわけではない。自分たちの家は普段は王宮の世話人が管理してくれており、三人がそろう時だけ使われる別荘のようなものだ。グランはほとんどがセリアと同様に宮廷で女官たちに(時にはルウ直々に)育てられていたし、ウィルザとサマンはそれぞれの任務を果たすべく、国中、ときには国外にまで足を運んで駆け回っている。
 もちろん、二人とも時間ができた時には子供の顔を見て、またお互いの顔を見てそれぞれの活力としている。もっともそうしなければ、子供の方が自分たちの顔を忘れてしまいかねない。まあ、このよくできた自分たちの子は、一度たりとも父母を間違えたり忘れたりしないのだが。
「きょう、ひめさま、うたった」
 グランが食事をしながら、大事なことを打ち明けるかのように伝えた。まだ言語能力的に助詞が使えていないのだが、主語や時制などが分かるようになってきている。子供の成長というのは本当に早いものだ。
「セリア姫様と歌ったの?」
「ひめさま、じょーず」
「綺麗な声してるからなあ、セリア姫は」
 そう。それは冗談抜きの話だ。絶対音感とでもいうのか、セリアは音階に合わせて声を出すのがとても上手だった。歌詞を口ずさむほどではないのだが、音を外すことがなく、子供のような不安定さがどこにもない。詩人として育てれば、将来は有能な歌うたいになるだろう。
「この子は何になるんだろうな」
 ぽつりとウィルザがもらした言葉は、先ほど考えていたことの延長にあるものだった。
「それはこの子が考えることよ。あたしたちの優先はあくまでも『グラン』でしょ」
 そう。
 グラン大陸を滅亡から救う。それが自分たち夫婦の暗黙の了解。
 大陸を救い、そしてお互いの身を最優先にする。たとえどれほど自分の子が可愛く、何よりも大切であってもだ。
(いつか、グランを置いていかなければならない日が来たとしても)
 それは、自分とサマンがこの世界にいたということの証。だから、自分たち二人がこの世界からいなくなるとしても、絶対にためらわない。
 子供のために大陸を犠牲にすることはしないし、子供のために自分たちが犠牲になることもしない。まず大陸があり、そして自分たちがいる。それは最初に決めた誓い。
 だからこそ、この子にはルウやガイナスターのところに普段は預けてある。自分たちがいついなくなっても大丈夫なように。
「ぼく、ひめさま、すき」
 グランがそんなことを続けて言う。
「そうか。グランはセリア姫が好きか」
「うん」
「じゃあ、姫に見合うような男にならないとな。もっとたくましく、強く、そして頼れる男になれ」
「うん」
 意味が分かっているのかいないのか。だがグランは真剣に頷いて答えている。
(まあ、セリア姫にとってもグランにとっても、お互い意識せざるをえない相手ではある)
 普段からずっと一緒にいて、気兼ねなく接することができる二人。もちろん立場はそれでも大きく異なるが、やはり『親族』という絆は地位や立場を多少は和らげてくれるものだ。
(一応従姉弟という形だけど、血のつながりは全くないわけだし、問題はないよな)
 グランが望むのなら、将来はぜひそうなってほしい。やはり子供の幸せを考えてしまう自分は親馬鹿だろうか、とウィルザは再び考えてしまった。







第三十八話

満ちゆく月







 次の日の朝はウィルザもサマンもまどろんでいた。
 ここ半年はゆっくりすることもできなかった二人だ。特に内戦問題についてはとにかく秘密裏に捜査しなければならず、別行動になることも多かった。会話らしい会話も、時折顔を見せる時に状況を確認する程度でしかなかった。
 だからこそ、こうして一日ゆっくりとしていられる時間は至福であった。
 ウィルザはサマンより少し早く目を覚ます。
 肌を通して伝わるぬくもりが心地よい。息子さえまだ目覚めないのならば、しばらくの間こうしていたい。
 サマンの寝顔が見える。自分の腕の中で、すっかりと安心しきっている。彼女にしてもここ半年は緊張の連続で、ゆっくりと眠ることもできなかったのだろう。
 信頼する相手が傍にいないことの心細さ。一人で眠ることの寂しさ。
 一度相手を知ってしまうと、今度は一人でいることに耐えられなくなる。それを痛切に感じた半年間だった。
「……あ、おはよ」
 うっすらと目を開けたサマンが挨拶をする。
「あ、目を覚ましちゃったかい」
「ん。でも、そろそろ起きないと、あの子も目を覚ますだろうし」
 今日は内戦の後始末をしなければならない。うまく防いだとはいえ、その余波は大きかった。国の中枢にいた貴族もいれば、地方で権勢を誇っていた豪族もいる。それらをまとめなおし、再び国力を高めるには、これから三ヶ月が正念場だろう。
 また、収穫については寒波の影響が確かにあったが、全滅というほどでもなかった。それに今年から栽培を始めた芋が無事に採れつつある。飢饉というほど大きな被害にはならないだろう。足りない分はアサシナからも援助が来る。今年はこれで何とか乗り切ることができそうだ。
 と、その時、玄関の戸を叩く音が聞こえた。
「来客か」
 むくりとベッドの上に起き上がる。さすがに二人とも残念そうな表情だった。久しぶりにゆっくりしていたのだから当然といえば当然だったが。
「ん、あたし、髪整えてから行く。悪いけどウィルザ、出てくれる?」
「ああ、もちろん。ゆっくりしてていいよ。どうせぼくの客だろうしね」
「そうなの?」
 サマンが尋ねなおすがウィルザは「なんとなくそう思うだけ」とあいまいに答えた。
 着替えてから迎え出てみると、朝からウィルザ宅を訪れたのは昨年からガラマニアに住むようになったファルであった。
「おはようございます、ウィルザさん」
 ファルは今年十四歳になった、らしい。詳しい誕生日などは彼女も覚えていないが、夏ごろに一度だけ、兄から誕生日を祝ってもらったことがあったということで、夏の始まりを自分の誕生日に代えていた。
「ああ、おはよう、ファル。珍しいね、こっちに直接来るなんて」
 サマンとの逢瀬を邪魔されたことなど微塵も出さない。このファルという少女をウィルザは無制限に許容していた。
 たった一人の兄であるあのイブスキから迫害され、邪険にされ、それでも兄を慕ってついていった少女をウィルザもサマンも憐れんでいた。だが、その礼儀正しい、素直な、優しい心がウィルザやサマンにとって慰めになっていたのも事実だった。
「すみません、朝早くからお休みのところを」
「気にしないでいいよ。前にも言ったと思うけど、ぼくはファルに対しては閉ざす扉を持っていないよ。親がわり、兄がわりというわけじゃないけれど、遠慮なく頼ってほしい」
 ありがとうございます、とファルは頭を下げた。
 ファルは宮廷に女官として勤めることになった。それもウィルザの口ききということで、ルウやドネアからも目をかけられる存在となっていた。素直で仕事もしっかりと行う。同年代の少女たちに比べると、器量は段違いだった。
 とかくこういう場合は同年代の少女たちからはやっかみを受けるものだが、その人柄から、彼女を敵にしようとする者は(最初から敵対する者を除いては)いなかった。一部の例外はいたが、それはごく少数派となり、自然淘汰されていった。おかげでファルは宮廷でかつてないほど幸せに過ごすことができていたのだ。
 兄を追いかけて苦しい日々を続けていた過去の十年間を思えば、今の待遇はまさに天国ともいえる。それを紹介し、また常日頃見守ってくれているウィルザに対してファルの信頼と感謝は絶大なものとなっていた。
「それで、わざわざ朝から来たっていうことは、結構重要な相談ごとなんだろう?」
 ファルは顔を赤らめた。もちろんウィルザとてそれくらいの察しはつく。なんでもないことなら彼女は自分に迷惑をかけようとはせず、自分で解決しようと努力するだろう。おそらく今回の悩みというのは、彼女が自分の手にはおえないと最初から判断をしてしまったか、もしくは努力したが結局はかなわなかったかのどちらかに違いない。
「相談ごとというか、お耳に入れておいた方がいいと思いまして」
「よほど大事なことみたいだけど」
「はい。実は、この間粛清された貴族のことなんですけど」
「うん」
「昨日の夜、私と同年代の女官が、その貴族と黒いローブの男──ケインが一緒にいるところを目撃した、と言ったんです」
 その報告は、ウィルザにとっては半ば予測済みの内容だった。
 今回未遂に終わったとはいえ、このガラマニア内戦にはきっとケインが絡んでいる。だとすれば動機はケインから植えつけられる可能性が高く、その方向から考えても敵の正体は見えないだろう、とウィルザは早々に判断していた。
(やはり、裏で動いていたか、ケイン)
 だがそうなると、既にケインはこの国の中枢部に入り込んでいるということだ。しかもそれは、今回の内戦に限るものではない。
(来年の反アサシナ同盟の布石を、既に打っているのかもしれないな)
 こういう問題であれば直接ガイナスターを押さえてしまった方が早い。とにかく戦争だけは防ぎ、問題の八一六年を超えなければならない。
「ありがとう、ファル。今回ケインが動いているかどうかの確証がなかっただけに、この話は大きかったよ」
 そう。これらの事象の裏には全てケインがいる。ということは、これから先の事象にもきっとケインが絡んでいるのだ。
 それさえ把握できていれば、こちらの動きもそれに合わせればいいということになる。
「私はお役に立てましたか」
「もちろん。今の情報でやることが見えてきたよ」
 ケインの手から、このガラマニア王宮を守る。ガイナスターに戦争をさせないようにするためには、ケインの動きを封じるようにこちらが動けばいい。
(ケインなら、どう動く?)
 今、反アサシナ同盟を築くのなら、動かしやすいのはガラマニアではなくマナミガルだ。
 一方、マナミガルの属国であるジュザリアはどう動くだろうか。ジュザリアにしてみると服属する相手はマナミガルだが、アサシナを実質動かしているのは、国王リボルガンの妹であるレムヌ妃なのだ。
(反アサシナ同盟を結ばせないために、ジュザリアを押さえておく必要があるな)
 ジュザリアといえば、そういえば去年ファルを保護したときのことを思い出す。
「そういえば、ファル。話は変わるんだけど、去年、ファルはジュザリアに行こうかと思ってるって言ってたよね」
「はい」
 突然変わって驚いたようにファルは頷く。
「誰かツテがあるって言ってたと思ったけど、それって誰のことなんだい?」
「あ……」
 少し困ったようにファルは顔を赤らめた。
「言いにくいことではあるんですけど」
「いや、それなら別に構わないんだけど」
「いえ。ウィルザさんにはお世話になっていますから。実は、おそれおおいことなんですけれど、ジュザリアのリボルガン王に以前お世話になっていたんです」

 ──なんだって?

 もしジュザリアの要職にいる人間が相手だったら、そこからリボルガン王に話を通してもらえないだろうか、などと考えていたのだが、結果はそれ以上のものだった。
「リボルガン王が……」
 うわごとのようにウィルザは呟く。
 それが本当ならば、ファルの口利きでジュザリアを抑えられる。あとはガイナスターさえおさえれば、反アサシナ同盟を組もうとしてもマナミガルは孤立無援だ。
「ファル」
「はい」
「頼みがあるんだけど」
「分かりました」
 何も言う前に、ファルはしっかりと頷いていた。
「リボルガン王に取り次げばいいのですね」
「できるのかい?」
「多分、大丈夫だと思います」
 ファルは首をかしげて答えた。
「私が直接行くのが一番いいと思います。ウィルザさんをお連れしますね」
「助かる。でも、しばらく待ってくれると嬉しいな。ガラマニアも少し今不安定だから、後片付けをしないといけないから」
 そう言うとファルは深く頷いた。
(驚いたな。そんなつながりがあったなんて)
 だが、これで八一五年の問題に対して解決の糸口が見えてきた。
 来年早々にも動かなければ間に合わないかもしれない。ウィルザは早く今回の内戦の後片付けを終えて、ジュザリアに向かおうと決意した。






 世界滅亡まで、あと十年。







八一五年。反アサシナ同盟を防ぐためにウィルザは活動を起こす。
ジュザリア。そしてマナミガル。二カ国を自分の味方にとするのは易しいことではない。
全ての鍵を握るのはマナミガル。この国の出方次第で歴史が変わる。
その国でウィルザが出会う相手とは。

「僕はエリュース女王に会わなければいけません」

次回、第三十九話。

『ゆずれないもの』







もどる