八一五年、一月。
 年明け早々にウィルザは行動を開始した。結局内戦に絡む問題は年明けまで引きずることとなった。できれば昨年のうちにジュザリアに向けて出発したかったのだが、そう簡単に事は進まなかった。
 グランをドネアに預け、ウィルザとサマン、ファル、そしてリザーラの四人で今回は行動することとなった。
 ジュザリアは南国だ。大地が雪で覆われたこのガラマニアと違い、冬でも花が咲いている。北国からすれば羨ましいことでもある。
 そのかわり、内陸にあたる地域では水不足の問題が生じる。それに対して北国では雪解け水が一年を通して山から流れてくるので、およそ水不足になることはない。一長一短である。
 ジュザリアまでの行程はほぼ二ヶ月というところだった。
「それにしても、どうして今回はお姉ちゃんも一緒に来るの?」
 そもそもファルがいるのだから二人旅というわけではない。同行者は何人いてもかまわないのだが、リザーラが一緒に来るということが不思議な感じがした。
「今度の戦いは、おそらく厳しいものになるでしょう。いえ、ジュザリアがどう動くかということだけではありません。今年から来年にかけて起こる一連の事件に、微力ながらウィルザさんの力になりたかったからです」
 それはもちろん妹に対しての言葉ではない。ウィルザに対して、自分の意思を表明しただけのことだった。
「リザーラさんが一緒に来てくださると心強いです」
「非才の身ですが、よろしくお願いします」
 サマンは知らないことだが、彼女の秘密は既にウィルザも承知している。
 機械天使。人の心を備えた、人の幸せを誰よりも願う、ザの天使。
「ま、お姉ちゃんが来てくれるなら百人力だけど」
「サマン? あんまり面白いこと言ってると、お仕置きするわよ?」
「ごめんなさいアタシが悪かったです許してくださいごめんなさい」
 この姉妹の会話というものをこれまで滅多に聞くことはなかったが、案外しっかりとしたコミュニケーションが取れているのだな、と感心した。
「仲のいい姉妹なんですね」
 ファルが困ったように言う。もちろん、とリザーラは聖母の笑みで答えたが、サマンは必死に視線を逸らそうとしているのがやけに印象に強く残った。






 そんな珍道中も、三月にはジュザリアに到着する。
 ジュザリアの三月はガラマニアの初夏に等しい。ずっと歩き続けていたら汗だくになるほどだ。
「小さい割に、ずいぶんにぎわっているんだな」
 ウィルザが素直な感想を述べる。
「マナミガルも無視できないほどの経済力だもの。街が栄えているのも当然よ」
 サマンが当たり前の知識だとたしなめる。アサシナとガラマニアについてはウィルザも相当詳しいつもりでいたが、それ以外の地域となると普段から接していない分、知識が足りなくなる。
「それでファル。リボルガン王に面会はできるのかい?」
「はい。困ったことがあったらいつでも頼ってくるようにと、ありがたいお言葉をいただいています」
 この際はそのファルの人脈を頼むしかない。
 ジュザリア王宮へやってきた一行は、門番にファルの来訪を告げる。門番はすぐに確認へと向かった。
「アサシナやガラマニアだとこうはいかないなあ」
 ウィルザが感慨深そうに言う。面会に誰かが来ただけで確認作業をとっていては、ガラマニアの王は面会の相手だけで一日の仕事が終わってしまう。用件のある者は面会希望を用紙で提出させ、吟味を行い、数日後に許可の返事が届く。従って緊急の場合でも国王に情報がたどりつかないこともありうるのだ。
 かくして四人は王宮に通された。
 考えてみれば今でこそアサシナ王宮やガラマニア王宮にフリーパスのような存在であるウィルザだが、一時はアサシナからも、ガラマニアからも、マナミガルからも追われていたことがあったのだ。ジュザリアだけがこれまで全く接点のない国だった。
「国王陛下」
 国王の私室に案内された四人が部屋に入ると、既にリボルガン王はその中でファルたちを待っていた。
「ファル、久しいな。壮健そうで何よりだ」
 イブスキとファルは、八〇六年のサンザカルの戦い以後、このジュザリア王宮にかくまわれていた。
 無論リボルガン王としてはアサシナに対する切り札の一つとしていたにすぎず、イブスキの方としてもジュザリアをいかに利用するかということを考えて結びついた、打算に基づく関係だった。
 だが、ファルの存在はリボルガン王にとってはそのような打算や利益とは無関係のところにあった。早くに王妃をなくし、子がいなかった王にとって、ファルが自分の娘であるかのように思われていたのだ。
「国王陛下。今までご連絡もせず、申し訳ありませんでした」
「いや、お前がこうして元気でいてくれればそれでいい。イブスキ殿がアサシナに捕われたと聞いていたから、てっきりアサシナにいるものかと思っていたのだが」
 そこまで言ってから王はウィルザに視線を送る。
「ガラマニアにいたとは思わなかった。ウィルザ殿と申したか、ファルが世話になっているとのこと、心より感謝する」
「いえ。ファルには身寄りがないものと思っておりましたので引き受けてしまいましたが、これほど愛されている父上がおられるのでしたら、ジュザリアに帰った方がファルにとっては良かったのかもしれません」
「そんなことを言わないでください、ウィルザさん。私はガラマニアで色々な人に出会えたり働けたりすることで、とても幸せなんですから」
 と、しばらくはお互いの状況を交換する会話が続いたが、やがてそれも一段落すると、四人がテーブルについてようやく話が始まった。
「それで、今回わざわざジュザリアまで来たというからには、かなり大きな問題があるようだが?」
 王の質問にファルではなくウィルザが頷いて答えた。
「はい。陛下に一つ、お願いがあって参りました」
「申してみよ」
「お許しを得て。ぼくはガラマニアのガイナスター王に仕えている者なのですが、ガラマニアはもうすぐアサシナとの五年間の休戦協定が終了を迎えます。王はおそらく、アサシナへの侵攻を既に頭の中で考えているでしょう」
「ふむ。それはつまり、ガラマニアに協力して、アサシナに侵攻してほしいという願いか?」
「いえ、陛下。逆です」
「逆?」
「はい。もしそのような申し出があっても、断っていただきたいのです」
 さすがにその言葉の意味をはかりかねた国王が、目の前の騎士の考えを読み取ろうと真剣な顔つきになる。
「分からんな。ガラマニアにとってそなたの行動はマイナスにはたらくのではないか?」
「ぼくはガラマニアに仕える以前に、このグラン大陸のために働いています」
「大陸の」
「はい。戦争や争い、疫病や不作をできる限り抑え、この大陸に住む人々が平和に暮らせるようにする。それがぼくの願いです。ガイナスター王はきっとアサシナ戦争を起こします。だからぼくは、それを防がないといけません」
 グラン大陸のために。
 その言葉は別段国王を動かす言葉にはならなかった。国王はすべて国を守るために動き、国民を安んずるという義務がある。それをこえて大陸のため、つまりは他国民のために自国民を犠牲にしてでも活動するのは国王ではない。
「もしガラマニアの申し出を断ったら、ガイナスター王は今度はジュザリアを標的にするのではないかな?」
「もしそうだとしても、途中にアサシナとマナミガルがあります。ガラマニアが本気でジュザリアに攻め込むのなら、この二カ国と戦わなければなりません。そうなれば今度は反ガラマニア同盟が出来上がることになります。ガイナスターもそのような危険は冒さないでしょう」
「無論、アサシナを動かしているレムヌは余の妹だ。アサシナと敵対する意思はない。だが、我が国の立場からいけば、マナミガルからガラマニアに協力せよと言われたら、属国であるジュザリアは従わざるをえん」
「マナミガルですか」
 あそこの女王とは以前に一悶着あった。さすがに自分がマナミガルを動かすのは難しい。
(バーキュレアを連れてくるんだったかな)
 とはいえ、バーキュレアはドネア姫の護衛であり、自分たちの仲間ではない。もちろん協力してくれることもあるが、彼女は基本的に傭兵として、自分の雇い主を優先する。
「何とかマナミガルを抑えないと駄目ということか」
 カーリアに協力を頼むしかない。こういうときのために、彼女と関係を築いているのだから。







第三十九話

ゆずれないもの







 四月。
 ウィルザたちはマナミガルにやってきていた。もちろん、男子禁制の王宮にウィルザが入ることはできない。サマンたちの協力が必要だったが、ようはカーリアに会えればいい。街の宿屋に腰を据えて、彼女たちがカーリアを連れてくるのを待つ。
 この街で騒ぎを起こしたのは今から八年前のこと。さすがにそれだけ昔のことをエリュース女王も覚えているとは思わない。しかも自分は世界記でエリュース女王の顔をいつでも確認することができても、相手にしてみればたった一度、顔を見ただけにすぎないのだ。
 王宮へはリザーラとサマンが向かい、ウィルザはファルと共に宿屋で待つことにした。カーリアに会うことができればそれで目的はほぼ達成される。
 その二人が宿屋に入った時のことである。
「ウィルザさん」
 ファルが自分の服の裾をそっと掴む。
 その宿屋の中が険悪な雰囲気だった。一人の少年を、大勢の大人が囲んでいる、そういう様子だった。
(そういや前にマナミガルに来たときも、いきなりこういう場面に立ち会ったんだっけ)
 そのときに出会ったのがバーキュレアだ。何やら運命的なものを感じる。
(まさかとは思うけど)
 知り合いじゃないだろうな、とその少年を確認したウィルザの目が丸くなる。
(おいおい)
 冗談ではない、と冷や汗が出る。
 そこにいた少年はただの少年ではない。
(なんでこんなところに)
 一人で出歩いていい人間ではない。いったい何を考えているのか。
「そこで何をしているんですか」
 ウィルザはため息をつきながら話しかける。もちろん、それは囲んでいる男たちではない。
「あなたは」
 少年も自分に気付く。

 アサシナ国王、クノンが。

 だが、男たちの方が「なんだあ?」という感じで睨みつけてくる。
「関係ない奴がしゃしゃり出てくるんじゃねえよ」
 ごろつきの一人がすごんでくるが、その相手にウィルザは微笑む。
「悪いね。この子はぼくの知り合いなんだ。見逃してもらえないかな?」
 無論、威圧をこめることを忘れはしない。逆らうなら相手になるぞ、という意思を相手に充分見せ付ける。
「……ふん。子供のお守りはしっかりとしておくんだな」
 男たちは視線を交わし合うと、ぞろぞろと宿屋を出ていった。見送ったウィルザがため息をつく。
「何をなさっているんですか。こんなところで」
 ウィルザから先に話しかけると、クノンは落ち込んだように俯く。
「いえ、宿を取ろうと思って入っただけなんですけど、子供が一人だったせいなのか、お金を巻き上げられそうになりました」
 なるほどと頷くが、聞きたいのはそういうことではなかった。
「ぼくが聞いているのは、アサシナ国王のあなたが、どうしてたった一人でこんなところにいるのか、ということです」
 隣でファルが「え」と声を上げた。
「マナミガルの女王陛下にお会いしに来たのです」
「何故」
「休戦協定──約束の五年はもうすぐ過ぎます。ガラマニアがアサシナを攻撃しようとするなら、先に味方を作ることから始めるでしょう。だから先手を打って、マナミガルを抑えようと思ったのです」
「それは、レムヌ妃のお考えですか」
「いいえ、僕の考えです。母上には止められたのですが、黙って出てきてしまいました」
 およそ国王としては不適格な行動だ。ウィルザは頭を抱えた。
「クノン陛下。お願いですから、ご自分を危険にさらすような行動はおやめください」
 それが精一杯の回答だったが、クノンはきっぱりと首を振った。
「いいえ。自分の国を守るのは国王としての務めです。母上が反対するので一人で出向かざるを得ませんでしたが、これはアサシナ国王として自分で行わなければならないことなのです」
「せめて伴回りくらいつけてください。ミケーネでも誰でもかまいませんから」
「ミケーネも僕を止めるんです」
 それはそうだろう。騎士団長が自分の主君を危険にさらすことを容認するはずがない。
(クノンも味方がいなくて苦労しているんだな)
 それもクノンのことを真に思っているからこそ、クノンは自由に行動できずにいるのだ。まったくもって部下に恵まれた。恵まれすぎた。
「お願いです、ウィルザさん。どうか僕をこのまま見逃してください。僕はエリュース女王に会わなければいけません」
 このグラン大陸のことを考えるのなら、すぐにでもアサシナに帰すのが一番だというのは分かる。
 だが、クノンが今後アサシナをきちんと統治していくというのなら、隣国の女王と顔を合わせておいた方がいいのも確かだろう。
(全く、こんなに行動的な人物だったのか、クノン王は)
 だが、部下任せにして自分は楽をしたり安全な場所にいようとしているわけではない。それはクノン王が純粋で、高潔だということだ。だからこそミケーネのような騎士が心から忠誠を誓っているのだろう。
「分かりました。今、私の妻がマナミガル騎士団長のカーリアを連れてくるところです。カーリアに面会をお願いしましょう」
 クノンがぱっと表情を明るくする。
「ありがとうございます」
「いえ。クノン王が何に憤っているのかが伝わりましたので。ぼくでよければご協力いたします。それに、ぼくも同じですから」
「同じ?」
「ええ。ガラマニアはおそらくマナミガル、ジュザリアと反アサシナ同盟を結ぶつもりです。ぼくはそれを防ぐためにここに来たんです」
 クノンの表情が険しくなる。予想通りの展開になったと憂慮してのものだ。
「そんな情報を、敵国の僕に教えていいんですか?」
「かまわないですよ。ぼくはガラマニアに仕えてますけど、本来はこのグラン大陸の平和を願う、グランの騎士です。クノン王とは協力体制を取れれば一番望ましいと思っていましたから」
 クノンはその目に涙をにじませた。
「ありがとうございます」
 宮廷の中では、自分の意見は通らないのだろう。それは当然だ。レムヌ妃は決してクノンを傀儡にするつもりなどないだろうが、何分クノンはまだ十歳にしかならない子供なのだ。どれほど聡明で、どれほど気品があっても、その年齢がクノンの真の力を見えなくしている。
 だが、少し言葉をかわしただけでも充分に分かる。クノンはわずか十歳ながら、既にその目は大陸全体のことを見、その口はアサシナ王としての考えを述べている。
(アサシナの国王にふさわしい人物だな。よかった、クノンが立派に成長してくれて)
 そう思っていると、クノンは自分の隣にいる女性に目を向けた。以前にいた女性──サマンとは別人だと気付いたのだろう。不思議そうな目だった。
「この方は」
 クノンが尋ねると、ファルは丁寧にお辞儀をした。
「私は、ファルといいます」
 そしてさらに続けた。

「アサシネアイブスキの、妹でございます」







イブスキ王家とデニケス王家の邂逅は、大陸の未来にいかなる影響を及ぼすのか。
アサシナを中心に、三カ国の思惑が水面下にうごめく。
歴史は世界記の見えざるところでさらに加速して変化していく。
破滅へのシナリオを、止めることはできるのか。

「兄にこれ以上の罪を重ねさせたくありません」

次回、第四十話。

『うつりゆくもの』







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