クノンは動揺を外に全く見せなかったが、その雰囲気だけはウィルザに伝わった。
 王都で牢につながれているアサシネアイブスキ。その妹ファル。
 彼女にしてみれば自分はいわば天敵とか、恨み、憎しみをいくらこめても足りない相手と思われているに違いない。
 しばらく何も答えられなかったのは、事実の重さに何を言えばいいのかが分からなかったからだろう。
「そうですか」
 クノンは相手の視線から逃げずに真っ向から立ち向かう。
「僕を恨んでおいででしょう」
 だが、頭は下げない。それは王家の者として行ってはならないと教育されている。たとえ相手にどれだけ申し訳ないと、すまないと思っていても、それを行ってしまっては軽んじられてしまう。絶対にそれだけはしてはならない。
「兄が陛下を二度にわたって暗殺しようとしたことはご存知かと思います。それに、兄は西域にいる人たちを疫病で皆殺しにしようとしていました」
 ファルは首を振った。恨んではいない、と。
「陛下が自分の身を守るために兄を投獄したのは当然のことです。他の国に追放したところで兄は自分の野望を果たすために戻ってくるでしょう。死刑にされても当然のところ、それをなさらずに生かしておいてくださっているだけで、私はありがたいと思っております」
「そうおっしゃっていただけると、安心できます」
 クノンは緊張した様子を解いた。このあたりはまだ十歳の子供なのだなと思わせる。
「ぼくが一昨年クノン王にお会いしたとき、王はおっしゃいました。もしイブスキがデニケス家に恭順するのなら、受け入れるのは王者の役割だと」
 クノンが少し身をちぢめた。傲慢な言い方だと思ったのだろうか。
「ファルとクノン王がこうしてお互いに過去のことを洗い流そうとしているのなら、それはアサシナにとって、いや大陸全土にとっていいことだ。ただ、ファルの前で言うのも申し訳ないけど、イブスキは駄目だ。彼を解き放てば、また破壊と混乱をこの大陸に呼び起こす」
「分かっています」
 ファルもしっかりと頷いている。
「兄は、アサシナの王になるのだと言ってききません。無用の混乱は避けるべきです」
「そう言っていただけると助かります。実は既に彼は二度、脱走しようと試みています。どちらも失敗に終わっていますが」
「脱走か。アサシナの警備体制だと簡単にできるものではないと思うけど」
「はい。ただ、彼が王への野望を捨てていないのだということが分かる以上、釈放もできません。できれば遠い地に流刑として、制限があっても安らかに暮らしていただければと考えているんです。でも、今の状況では牢から出すわけにはいきません」
 ウィルザの中で、今の言葉は何かが引っかかった。
「流刑にしてもイブスキはどうにかして戻って来ようとするだろう」
 自分のモヤを晴らすために、その話を続ける。
 何だろう。

 自分は、何かを、見落としている。決定的な、何かを。

 その時だった。
「ウィルザ?」
 サマンとリザーラが戻ってきていた。そして彼女たちが連れてきた人物こそ、騎士団長カーリア。
「サマン。それに、カーリア」
 その疑問はウィルザの中から急速に消えてなくなっていく。危機意識がかすかに警告を残していたが、それもやがて消えた。
「久しぶり、ウィルザ。それに──」
 カーリアは膝をついた。
「驚きました。ご機嫌うるわしゅう、クノン陛下」
 カーリアの言葉にリザーラとサマンも横の少年の正体に気付く。
「楽にしてください、カーリアさん。僕は今回まだ、正体を忍んでいるつもりだったので」
 苦笑する。それは子供らしくないジョークだったのだろう。
「まったく、あなたにはいつも驚かされるわね、ウィルザ」
「ごめん。でも、カーリアじゃないと今回の件は頼めなかったから」
「いつも私にばかりあれこれお願いしてるけど、たまっている負債は返してもらうからね」
「手厳しいな」
 苦笑する。もちろんそれが口だけのやり取りだということはお互いが分かっている。
「それで、今回の来訪の理由は何? また何か問題でも起こったの?」
「ああ。かなり大事だ。カーリアの力を借りたい」
「クノン王に関係すること?」
「それもある。ただ、ぼくの問題が解決できれば王の問題も解決するはずだ」
 カーリアは頷く。
「そうね。そうしたら場所を変えましょうか。安心して話せる場所にね」
 そうしてカーリアが案内した場所は、彼女の自宅だった。
 騎士団長だけのことはあり、広い邸宅だった。庭に池があって、何人かの召使たちが掃除をしている。
「いい家だね」
 ウィルザが言うと、ありがとう、と返事があった。
「自分の家が欲しかったのよ。本当は小さくても良かったんだけど、部下たちが必死で抵抗して」
「抵抗?」
「ええ。『騎士団長が自分たちよりみすぼらしい家に住んでいたら、私たちも家をみすぼらしく建て直さないといけないじゃないですか!』って。冗談なのは分かっているんだけど、さすがにそこまで言われたらね」
 カーリアとこうした他愛もない話をするのは初めてだったかもしれない。ただ、それができるくらいに何度も顔合わせをしてきたということなのだろう。
「そういえば、子供が生まれたっていうのにおめでとうも言ってなかったわね。おめでとう、サマンさん」
 カーリアが話を振った。ぼくにはおめでとうを言ってくれないんだ、とウィルザが茶化す。
「ありがとうございます、カーリアさん」
「名前は何て決めたの?」
「はい。グラン、と言います」
 カーリアが少し驚いたような顔を見せてから微笑む。
「いい名前ね。あなたたちにふさわしい」
「ありがとうございます」
 そうした会話を続けていくうちに、小さな会議室風の部屋に連れていかれた。ちょうど椅子も六脚そろっていて、話をするのにうってつけの内装だった。
「さて、それじゃあ話を聞こうかしら、ウィルザ」
 全員が着席したのを見て、カーリアが話を促した。
 ウィルザから簡単に今後の説明がされる。ガラマニアが反アサシナ同盟を結ぼうとしているということ、それが完成すればアサシナとの間で戦争になるということ、そのためにはマナミガル・ジュザリアがガイナスターからの同盟の誘いを断る必要があるということ。
「なるほど。言いたいことは分かったが、しかし……」
 カーリアは頭を悩ませる。実際、外交という点において彼女には一ミリも権限など存在しない。
 無論ウィルザに協力するつもりは山々なのだが、それに対して自分ができることが今回に限ってはほとんど何もないという状態だ。
 もしガイナスターからの誘いがあったなら、マナミガル女王エリュースは誰にも相談せず、一人で全てを決めるだろう。今までも外交について自分に相談など一度もありはしない。もしあったとしたら君主失格もいいところだ。
 だが。
 残念ながら、ウィルザとカーリア、さらに言うなればクノンの悩みは全て杞憂に終わる。
 なぜなら。

 歴史は、彼らの知らないところで、確実に動いていたからだ。

「カーリア様! 大変です!」
 部下の一人、エルメールが会議室に飛び込んでくる。どうした、とカーリアが冷静に答える。
「あ、アサシナで」
 一同は、次の言葉に驚愕した。

「クーデターです。アサシネアイブスキが蜂起、レムヌ王母が処刑されました!」







第四十話

うつりゆくもの







 その言葉を聞いて、クノンは完全に表情が凍りつき、ファルは目を見開いた。
 そして、そんな情報が全く入ってきていなかったウィルザは、誰にも分からない様子ではあったが確実に混乱していた。
(世界記)
『今、情報が届いた』
 世界記からの情報を読み込む。

815年 イブスキ蜂起
投獄されていた前王の子、アサシネアイブスキが脱獄した後にクーデターを起こす。レムヌ王母は捕らえられ処刑される。クノン王は国を離れており、無事であった。

815年 カイザー処刑
アサシネアイブスキの脱獄を手引きしたカイザーが、当のイブスキによって処刑される。

815年 イブスキの改革
アサシネアイブスキは騎士ミケーネバッハ、大神官ミジュアを投獄する。

815年 ゲ信仰の断行
アサシネアイブスキはザの神殿を封鎖し、ゲ神の神殿を王都に建設する。


(どういうことだ、世界記!)
 これほどの事件が立て続けに起きておきながら、どうして自分のところまで情報が伝わってこなかったのか。
『私のところにこの騎士が情報を届けに来るまで、私自身への情報が遮断されていたようだ』
(遮断?)
『おそらく、ケインの仕業』
 くっ、とウィルザは唇をかみしめる。
 またしてもあの男か。
 自分がガイナスター主導の戦争を防ぐために奔走している間に、ケインは別のところから戦争を起こすためのシナリオを組み上げていたのだ。
(さっきの不安はこれか)
 アサシネアイブスキはそこまで頭が悪いわけがない。もし流刑になれば反旗を翻すことも可能だったはず。それならば脱獄などという危険を冒さなければいい。
 そこまで脱獄にこだわったのは、おそらく『確実にクーデターを成功させるため』なのだろう。つまり、王都の中にいれば、カイザーの手引きでいざという時にいつでもクーデターを起こすことができる。だが、流刑になって王都から外にだされればクーデターなど起こしようがない。
 だから彼は、わざと脱獄しようとして、わざと捕まったのだ。もしかしたらそのあたりも、ケインの差し金なのかもしれない。
『アサシネアイブスキは倒さなければならない。それに、ここまで来た以上、あの男は放っておけぬ』
(ケインか)
『このままにしておけば、この世界を破壊と混沌の方向へあの男は導く。決着をつけよう』
(望むところだ)
 こちらとて、これ以上相手の自由にさせるつもりはない。
 イブスキとケインに決着をつける。
「ウィルザ」
 サマンが囁きかけてくる。
「ああ、言いたいことは分かっている。ごめん。ぼくもこの情報は今にいたるまで分からなかった」
「ウィルザがいつも言ってる、あの男が後ろにいるのかな」
 サマンの直感には驚かされる。まさにその通りだ。
「ああ。間違いない」
「そっか。じゃあ、どうする?」
 全員が、ウィルザを見ていた。
 こういう場合に、素早く、正確に判断を下してきたのは、常にウィルザだったのだから。
「まず、クノン陛下」
「はい」
 真剣な表情だった。事実に負けまいと必死にこらえているのがよく分かった。
「アサシネアイブスキは今後、アサシナにとっても、この大陸にとっても大きな害となるのは間違いありません。これを排除しようと思いますが、陛下はこれにご賛同なさいますか」
「もちろ──」
 と言いかけて、クノンは言葉を止めた。
 すぐ隣に、ファルが座っている。その彼女は悲しそうな表情をしている。
 だが、すぐにもう一度頷く。
「もちろんです。母上を殺した相手まで許せるほど、アサシナの王は寛大ではありません」
「分かりました。じゃあ、ファル」
 びく、と彼女の体が震える。
「ぼくも陛下と同じ考えだ。絶対にアサシネアイブスキだけは許すことはできない。でも、もし君がイブスキのところに行きたいというのなら、ぼくは止めない。妹として、できることをしてあげればいいと思う」
「ウィルザさん」
「ただ」
 ウィルザは立ち上がると、小さな少女の傍にいって、優しくその髪をなでた。
「多分君がイブスキのところに行けば、君はずっとずっと苦しむと思う。だからぼくは、君をイブスキのところに行かせたくない」
「ウィルザさん……」
 ファルがウィルザにしがみつく。そして嗚咽をもらした。
 しばらく彼女の泣き声だけが部屋の中に響いていたが、やがてその声が静まると、ファルも頷いた。
「あの一件で、私の言葉が兄に届かないことは分かっています。それに、兄にこれ以上の罪を重ねさせたくありません。どうぞ、よろしくお願いいたします」
 ファルは深く、頭を下げた。
「分かった。じゃあ、ぼくの考えはこうだ。陛下を旗頭に、アサシナの奪回軍を編成する。もちろんガラマニア、マナミガル、ジュザリアの各王国に協力を呼びかける。ガラマニアは大丈夫。ガイナスターはもともとその気だったんだから。もちろん陛下にとって悪いようにはいたしません」
「戦後のことは後でかまわない。まずは被害を最小限に抑えたい」
「ありがとうございます。マナミガルはカーリア、君に任せる」
「了解した」
「ジュザリアは申し訳ないけど、ぼくの代わりにファルに行ってもらえるかな」
「わかりました」
(問題は、ケインが次に打ってくる手だ)
 ザの神殿を封鎖し、ゲの神殿を建てるということは、ケインの目的はゲ神を栄えさせることだろうか。いや、そうではない。
 何故なら、彼の目的は全ての混乱。だとすれば結論は、ザ神とゲ神とを相争わせること。
 言ってしまえば、両方の神を倒すこと、と言える。
「リザーラ、聞きたいことがある」
「なんなりと」
「ザ神とゲ神、この両方を一度に倒してしまう方法があるとしたら、どんな方法があるだろうか」
「そんな」
 リザーラがありえないという顔をする。
「それは無理です。もともとザ神はゲ神と戦うために作られたものです。それを滅ぼすなど、ザ神の王を滅ぼさなければ不可能です。また、ゲ神についても同じ。ザ神とゲ神の王をまとめて倒すなど、無理です」
「それをやろうとしている男がいる。もし方法があるのなら」
「ですが──」
 だが、そこでリザーラの言葉が止まる。
「いえ、ですが……伝承にすぎないこと、ですが」
「なんでもかまわない。知らなければ何もできない」
「はい。あくまでも言い伝えで、私も詳しいことは分かりません」
 リザーラは前置きをしてから言った。

「ゲ神と戦うためにザ神を作ったもの。それが、マ神と呼ばれる存在です」







古き神、マ神の存在がついに明らかとなる。
この神をめぐり、ザ神とゲ神、そして神にまつわる者たちが動き出す。
ケインが狙うのはこの大陸の破壊。そのために、何をなそうというのか。
ウィルザは彼の計画を止めることができるのか。

「私に力がないことが問題なのです。力さえあれば──」

次回、第四十一話。

『うごめくもの』







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