マ神は、ザ神の力を四つに分けた。
 それを各地にある神殿に封じ、神官がその力を使い、人々を守護するようになった。
 ゲ神の加護を受ければ人々はこの世界でも生きていくことができる。だが同時に、ゲ神は人のみならず、動植物にいたるまで全てを保護する存在だ。その動植物が人々を襲うなら、それは住みよい世界ではない。
 だからこそザ神は生まれた。ゲ神に対抗するために。
 人々はザの神を信仰し、ゲの神と戦うようになった。
 人々はザの神殿に守られ、ザの神官によってその加護を得ていた。
 だから、もし。
「ザの神殿が解放されたなら……何かが起きるのかもしれません」
 リザーラが虚ろな顔で説明する。それがザの力を高めることになるのか、弱めることになるのかは分からない。ただ、そこにザの力の全てが存在する。それだけは事実だ。
「四つの神殿というのは、どこどこに」
「私のいたドルークと、東部自治区にあるイライ。そして旧王都アサシナ。ですが、最後の一つの場所は分かりません」
「そうか」
「そしてマ神についての伝承はまだ続きます。ザ神、ゲ神などよりも古き神の復活は、この世界に生きる全ての者の滅亡によってなされる、と」
(それだ)
 間違いない。ケインはザ神もゲ神も両方滅ぼすつもりだ。だとすると、ケインの立場も見えてくる。
(古き神、マ神──それが、お前のバックにいるものの正体か)
「もし、マ神の技術があるというのなら、その技術は今の人々を救うための手段に……」
「リザーラ!」
 びく、と体が動いてリザーラの表情が元に戻った。
「ぼくたちは神じゃない。救うとか、救わないとか、そんな権限はない。ただぼくらができることは、この世界が存在すること、そのために活動することだけだ。分かるかい、リザーラ」
「……ええ、分かる。分かります、ウィルザ」
「ケインというぼくの敵がいる。奴はマ神をよみがえらせて、この大陸を崩壊させようとしているんだ。そんな神を復活などさせてはいけない」
「ええ、そうですね。すみません、変なことを言いました」
「分かってくれれば、いいよ」
 ほっとする。リザーラはザの天使。下手なことにはならないとは思うが、彼女が人間を守ろうとする意識が強いのは生まれ持ってのものだ。それはうまくコントロールしなければならない。
(じゃあぼくはどうすればいい? アサシネアイブスキを倒すために王都へ向かうか。それとも──)
 手をこまねく状況だけは避けたい。相手の裏をかくためには、こちらも行動することが必要だ。
「マ神と戦うのでしたら、さらなる力が必要です」
 リザーラが言う。
「そのためには──」
 と、リザーラが言いかけた時、世界記から連絡が入った。
『歴史が書き換わった』

815年 神殿追討令
アサシネアイブスキはザ神の神殿を破壊するよう命令した。王都の神殿は既に破壊され、続けてドルークへの攻撃命令を出した。


「アサシネアイブスキは、ドルークの神殿を滅ぼそうとしている」
 ウィルザの言葉にリザーラが衝撃を受ける。
「そんな」
「おそらく神殿を滅ぼして、マ神の力を解放するつもりだ」
「ですが、ドルークもイライも、そんな命令には従いません」
「そうだ。だから、アサシネアイブスキはドルークを攻撃する。それが終わったらイライと旧王都だ」
「いえ、旧王都は最後だと思います」
 リザーラが自信をもって言う。
「理由は?」
「旧王都の神殿は他の三柱の神殿の力を束ねるものとされています。ですから、隠された最後の神殿を解放しない限り、アサシナの神殿の力を手に入れることはできません」
「なるほど」
 それを聞いて、かつて旧王都の地下で力を求めたパラドックのことを思い返す。結局あの男は、どうにせよ力を手に入れることはできなかったということか。
「ドルークを守る、か」
 指標ができれば動くのは早い。だが、アサシナに対抗するにはガラマニアの力が必要だ。そこまで誰かが行かなければならない。
(クノン陛下の無事を考えるなら、マナミガルかジュザリアにいていただくのが一番だ。ファルはジュザリア、カーリアはマナミガルから動けない。だとしたら動けるのはぼくかサマン、そしてリザーラさんだけか。それとも──)
 アサシネアイブスキの暗殺か。いや、それも駄目だ。以前、パラドックの暗殺にすら失敗しているのだ。今度も相手は間違いなくケイン。だとしたら絶対に暗殺の動きは封じられる。それよりもこちらの地盤を固めるのがいい。
 やはり、ガラマニアか。
「ウィルザ。アタシがガラマニアに行こうか」
 そう。結論としてそれが一番いい。ガイナスターもサマンのことはよく分かっているし、自分の代わりに動くことができる唯一のパートナーだ。
 もしサマンがガラマニアに行かないのなら自分が行くしかない。リザーラの言うことではガイナスターは話を聞かないだろう。そうなったらドルークの守りをサマンに任せることになる。
 今回、一番危険な場所。
(ぼくは、サマンを裏切ることになるのかもしれない)
 そう。
 自分は、戦場になるドルークにサマンを近づけさせたくないのだ。
(サマンは絶対にぼくの傍にいると言うだろう。でも、死ぬ可能性があるところにサマンを連れていくわけにはいかない)
 ウィルザは意を決した。そして、懐からガラマニア硬貨を一枚取出す。
「ガイナスターに伝えることは分かっているかい」
「もちろん。『三国同盟を結んで』アサシネアイブスキを倒せ、でしょ?」
 さすがによく分かっている。そう。今まで自分たちは三国同盟を結ばせないために動いていたが、それは相手がクノン王だからだ。アサシネアイブスキが相手なら、逆に倒さなければならないのだ。
「カーリアとファルも、大丈夫かい」
 二人とも頷く。そしてウィルザは硬貨をサマンに渡した。
「これは?」
「ガイナスターに渡してくれれば分かる。ウィルザから、よろしく頼むって、伝えて」
 サマンは首をかしげたが、わかった、と答えてその硬貨を懐にしまった。
「ウィルザさん」
 そしてクノンが声をかけてくる。
「僕は、どうすれば」
「陛下はマナミガルでお待ちください。今回の三国同盟の旗頭になっていただかなければなりません。ガイナスターは利を解けば動きますし、ジュザリアはマナミガル次第です。つまり、陛下がマナミガルに残って、エリュース女王を動かしていただかなければなりません」
 すぐに意図を理解したクノンが「わかりました」と答える。
「よし。みんな、時間は限られている。ぼくらが三国を動かせるかどうかがアサシネアイブスキを止める唯一の手段だ」







第四十一話

うごめくもの







 八月。アサシナ軍はドルークへ侵攻した。
 ミケーネやゼノビアといった、軍を指揮する者がいない軍隊だということが幸いして、ドルーク軍は初戦で『全滅』は免れることができた。もしも相手が機転のきく将軍だったなら、今頃ドルークは地上からなくなっていたに違いない。
(まずいな、これは)
 怪我をしていない者などいない。ドルークへやってきたウィルザもリザーラも既にいくつもの傷を受けている。それほどにアサシナ軍の侵攻は苛烈を極めた。とにかく進み、敵をなぎ倒す。それだけに特化した軍隊だった。
 翌日になれば再び軍が侵攻してくるだろう。もはや虫の息のドルークに抵抗する力はない。
「住民はユクモで東部自治区に逃がそう。こうなったらイライの神殿を守る方に力を注がないと、ドルークはもう落ちる」
 ウィルザの言葉にリザーラが不承不承頷く。このザの天使にしてもこのドルークはサマンと過ごした思い出のある、大切な『故郷』であった。むざむざと破壊させるのは抵抗があった。
「了解しました。ですがウィルザさん、私はこのドルークに残ります」
「リザーラ!」
「神殿にこもれば、ゲ神信者は入って来られません」
「アサシナの軍人はみんなザ神信者だ。一人じゃひとたまりもない」
「それでもです。私はこの神殿を放棄して逃げるなんてできません」
 リザーラが強情に言い張るが、ウィルザとて当然彼女を一人で残すつもりはない。
「じゃあ、ぼくも残ろう」
「何を!」
 リザーラは本気で驚いたらしい。当然のことだ。二人とも残ったら、ユクモを率いて東部自治区に住民を連れて行く者がいない。
「リザーラさんを一人で残していったなんてサマンに知られたら、離婚を言い渡されませんからね」
 サマンをわざわざ引き合いに出したのは彼女にも伝わっただろう。
 リザーラが亡くなれば、サマンが悲しむ。
 それが分かったのか、リザーラも仕方なく頷いた。
「……わかりました。東部自治区に向かいます」
「すみません、リザーラさん」
「いいえ。私に力がないことが問題なのです。力さえあれば──」
「その考え方は駄目ですよ、リザーラさん。ぼくらは、ぼくらでできることをしていきましょう」






 だが、夜が明けてもアサシナの最侵攻はなかった。
 次の日も、次の日も侵攻をしてはこなかった。
 何が起こっているのかがわからなかったが、すぐにユクモで出るのもためらわれ、しばらくの間は膠着状態が続いた。
 世界記からの新たな歴史が届いたのは、九月に入って最初の日のことだった。

815年 反アサシナ同盟
ガラマニア、マナミガル、ジュザリアの三国が反アサシナ同盟を成立させる。


(三国同盟が成立したか)
 クノンやファル、サマンらが活躍してくれたのだろう。
(だが、この情報が伝わるまでにはまだタイムラグがあるはずだ。この反アサシナの動きはケインの動きには何も影響していないはずだ)
 まだ何かがある。そう考えていたウィルザに、さらに次の歴史が届く。

815年 アサシナ動乱
アサシナ王都で騎士ミケーネバッハが蜂起し、イブスキ勢力を残らず捕らえる。解放された大神官ミジュアが神殿追討令を無効とする声明を発する。


(これでザ神信者の軍人たちは動揺するはず。ただ、これでもない。まだ何かがある)
 ケインがこのドルークへの侵攻を止めた理由。それが別にあるはずだ。
 そもそも、大陸を巻き込んだ戦争となった以上、もはや歴史を操るケインにとっては目的が達成されたといってもいい。問題は神殿に封じられたマ神の力を解放することだ。それを最優先に考えれば──
(……しまった)
 どうして、こんな単純なことに気がつかなかったのだろう。そう。

 神殿は、一つではないのだ。

「イライだ!」
 自分をドルークへひきつけておいて、攻撃をしかけつつ、ケイン本人はイライへ向かった。
 攻撃が止まったアサシナ軍に対し、自分はのうのうと一ヶ月も無駄な時間を費やしてしまった。
 気付いた、直後のことだった。
 巨大な地震が大地を襲った。
(世界記!)
『イライの神殿が解放された。破壊といってもいいが。いずれにしても、手遅れだ』

815年 イライ神殿破壊
イライの神殿の封印が解放される。抵抗したイライの村民は全滅する。


(全滅──)
 歯を食いしばる。完全に、そこだけが抜けていた。イライの神殿。そう、神殿を狙ってくるというのは分かりきっていたはずなのに、ケインたちが『ドルーク攻撃命令』を先に出したからなのだろう、世界記に『ドルーク』とはっきり表記された。だから『先にドルーク、次にイライ』と頭の中に刷り込まれた。
 完全に、自分のミスだ。
(どうする──)
 次の展開を考えるより先に展開が動く。
「アサシナ軍が侵攻してきたぞ!」
 くっ、と唇をかみしめる。手際がいい。おそらく、イライ神殿を破壊した直後にドルークへ侵攻することによって、こちらに考える時間を与えさせないようにしたのだろう。
(ドルークをすぐに滅ぼせば、ぼくがユクモから東部自治区、そしてイライへと逃れることを計算に入れてのことか。さすがだな、ケイン)
 褒めてばかりではいられない。今のところ自分は完全に裏をとられ続けている。ここで逆転の一手を打たなければならない。
「ドルークは捨てる! 総員、予定通り、ユクモに乗り込め!」
 膠着状態に陥った時点で、あらかじめ老人や病人はユクモに乗ってもらっている。村に残っていたのは戦える男たちばかりだ。引き上げるのに時間はかからない。
「ウィルザさん」
 リザーラが近づいてくる。その顔に、困惑の表情を浮かべて。
「駄目ですよ。ぼくはあなたを必ず連れて帰ります。ドルークに残るだなどと──」
「いえ、その話ではありません」
 てっきりその話だとばかり思っていたウィルザは意表をつかれる。
「では?」
「敵のケインという者、ウィルザさんよりもはるかに強いとうかがいました」
「そうらしいですね」
「今のままではウィルザさんは大陸を守ることができない。ならば、ウィルザさんにはさらなる力が必要です」
「とはいっても、どうすれば」
「ザ神の、二つ目の力を手に入れましょう」
 リザーラの言葉は分かりづらかったが、なんとなくは伝わった。
「ザ神の、さらに強い力を手に入れることができる、と?」
「できます。ただし、ウィルザさんは既にドルークで祝福を受けています。だから、別の神殿が必要です」
 別の神殿とはいっても、既にイライは落ちた。そのことをリザーラはまだ──
「いえ、分かります。既にイライが滅びているということは」
「どうして」
「さあ。ザ神ともなると見えるものがいろいろと違うみたいですね」
 便利な能力だ。だが、この際は都合がいい。
「だとしたら、見つかっていない最後の神殿を探すより」
「そうです。旧王都。そこで、二つ目の力を手に入れるのがいいと思います」







連合軍はイブスキ軍を包囲する。
たった一人の欲望のために多くの人間が死に、大陸が滅亡へと進んでいく。
止める方法はただ一つ。諸悪の根源、イブスキを倒すことのみ。
アサシネアイブスキとの決着のときが来た。

「でも、それでも私にとって兄は兄なんです」

次回、第四十二話。

『はかなきもの』







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